若林恵のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
オススメしたい!と素直に思える一冊に出会えました
タイトルはメンカタですが、自分だったら「ファンダム発想が民主主義をアップデートする」って付けたくなるくらいの腹落ち感です
腹落ちポイントを書いたらキリがないんですが、
推しからの一方的な情報だけじゃなく、ファン同士が推しをいかに広げるかを勝手に語る行為は、「隙間を埋める物語」であり、選挙とデモだけが政治参加となってしまっている今の民主主義にも、もっと隙間の物語が重要なんじゃないかとか
SNSに日々投稿される「やってみた」のように、「政治をやってみた」みたいな共創コンテンツになっていったら政治も楽しくなるんじゃないかとか
シェアの定義を「分配する」じゃなくて、「持ち寄る」ってすれば、みんながアイデアを持ち寄り自然と政治に参加するようになるんじゃないかとか
DIYはIT(それ)を決めないで、DO(やる)を自由にすれば「出来ることをやる」ようになるんじゃないかとか
そういう「絶えず実験をしながら、問いを探していく社会」が「とりあえずアップしてバグがあったら都度直すネットのやり方」と相性がいいはずだと
対談形式で聞き手がファンダム分析第一人者の若林恵さんなので、政治哲学とイン・ザ・メガチャーチがブレンドされたような読み安さも私のような政治オンチに刺さりまくりでした -
Posted by ブクログ
★目次
はじめに 第1章 「平等化」の趨勢
トクヴィルのアメリカ旅行/銃、印刷、郵便/「未来はすでにここにある」/民主化/平等化の良い面と悪い面/アメリカ自治組織/マルクスの階級闘争/想像力の変容/デカルト的になる/小説→映画→ゲーム/個人主義の孤独
第2章 ポストマンと結社
親愛なる郵便局員/郵便≒インターネット/「集権」と「分権」/福沢諭吉の構想/プラットフォームとしての政府/アメリカで内戦が起きるとすれば/アソシエーションという身分保証/フランスと結社/陰謀論者/アソシエーションは軍事化する
第3章 行政府を民主化する
選挙というバイアス/ロックの「三権分立」/中国の科挙、一七世紀のペスト/目立つ議会、隠れる行政/人は腐敗する。機械はしない/超人政治家と精密機械/官僚の歴史/官僚の素質と編集者/行政とユーザー/「官僚や公務員を人間に戻す」/ポピュリズムでもなく、権威主義でもなく
第4章 「市民」とは誰か
首相の「大統領制化」/エリート任せから参加へ/保守の融通無碍さ、左派のコレクトネス /シトワイヤンvsブルジョワ/日本の市民運動/ファンダムはアソシエーションか/消費から創作へ/推し活=贈与する消費者/相互依存するケアへ/スキルの伝達/土地所有者→ブルジョワ→賃労働者→消費者→ファンダム/オタクと左派/二人のファンダム大統領
第5章 分断を超えるプラグマティズム
リテラシーからコンピテンシーへ/ルソーの一般意志の外へ/Do it with Othersの習慣/ Do から始まる参加/「民意」から「やってみる」へ/オンラインゲームの社交性/ファンダムの贈与・投資・消費/植物を手入れする「庭師」/コギトを乗り越える集合的知性/「対話」ではなく「やり取り」
第6章 「手」の民主主義
技術論と生成AI/イデオロギーからミッションへ/ガチャからの解放/イデオロギーの歴史/保守主義、自由主義、社会主義/代議制と政党の起源/政党クラブとフランス革命/ ボーイズクラブ/裏面のポピュリスト政党/直接民主主義の可能性/分人、くじ引き/名望家→職業政治家→相場師/ファンダムの趨勢/所有と使用の距離を近くする/プラグマティズムの習慣論/手の思想
第7章 感情と時間の政治へ
「不平等だけど違っている」/革命とおにぎり/食事の風景/依存が自由の条件/シェアとは持ち寄ること/推し活にあるケア/「実験」の時間/じっくり問いを探す
聞き手をつとめて
語り手のあとがき
図版出典
文献案内 -
Posted by ブクログ
とても面白かった。タイトルに民主主義が入っているから政治的なことがメインかと思いきや、ビジネスや社会参加、生産者と消費者の関係性まで、幅広い議論が行われている。知識や技術の「民主化」により、平等化が進むが、それは必ずしも平和や安定を意味せず、むしろ細かい違いに注目がいき、差別や偏見を生むことになる。同時に、それまでの権威に対する信頼失墜に繋がり、社会が不安定化する。これに変わる信頼がファンダムに集まっている。いわゆる「推し」であり、確かに一定のお作法、共通の価値観、奉仕や貢献の意識など、コミュニティを維持する要素が詰まっている。現代社会を理解するのに非常に参考になる一冊。
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Posted by ブクログ
トクヴィルが見たアメリカは「民主主義の実験場」。
「平等化」を促したものとして、プロテスタンティズム、銃、印刷、郵便というものを挙げている。
それまでの教育は過去から伝わる「規範」を身につけるものだったが、平等化の趨勢は、「自分で考える」ことを促していくのではないか?
「政治的集権化(政権)」は必要
「行政的集権(治権)」は不要
平等化によって孤独が起きる。なぜなら平等化が進むとちょっとした違いが気になってしまうから。
互いに平等なはずなのに残る不平等について、人々はより過敏に反応することになる。
「編集者は最初の読者だ」
アマチュアであることのプロであることが求められる
DXとはユーザー中心のこと
「行使の民主主義」とは選挙の日だけでなく、情報やデータを公開させて、それを使って有権者に問題提起やソリューションの提案まで市民が行政に提案できること。
重要なキーワードは、「透明性」、「ネットワークを活かした民主主義」、「開かれた統治」
これまでの民主主義は「承認の民主主義」であって、「行使の民主主義」がちゃんと問われてこなかった。
それによって「意思決定」と「その実施」の区別が「なし崩し」になっている。 -
Posted by ブクログ
実験とはどういうものなのだろうか
この本を読んだ最終的な感想はシンプルなものだった。
当方にとっては、実験は結論を仮説として保持する営みである。そのため、どうしても固定化した価値観を同質的な2人の対話を通して読むと違和感を感じる。
リベラリズムの核を、相容れない他者をなお尊重する態度だと考えるのであれば、保守的な人々を「遅れた人々」「操作されている人たち」「理解すべき対象」として位置付けた時点で、そこから外れてしまうと考える。
作中でポピュリズム的手法を批判しながら、それを自陣で転用することを考える等は、しばしば他の場面でもみられることだが、2つの違和感を生じる。
第一に批判したものを手法として転用する、党派により手法の正しさが決まるという点である。これはよく見る欺瞞と考える。
第二に、自分たちがそれができると疑わない傲慢さ。少なくとも当方から見て、そういった点に関する実績を日本のリベラルは示せていない。なぜ操作する側にいると思えるのか。
これは、自分たちの言説がどれくらい現実に影響を与えているのか分析の段階まで至れない、という点に問題があると考える。
彼らが知性が高いことに疑問を持つ人はいないだろう。
そこは否定する方が違和感がある。
しかしそれと現実にアプローチする能力は必ずしも一致しない。
「できる」型の評価と「である」型の評価の違いというべきか。リベラルはすでに「である」型の評価は十分に得ている人たちだろう。
固定化した価値観と実験は相性が悪い。
実験はどうしてもプラクティカルな側面を持つ。
現実的な対応はどうしてもシステムを補強する形に作用するため保守的になってしまう点は否定できない。
理論の存在も必要という点において、どう評価したらいいのか難しいと最終的には感じてしまった読書体験だった
書いててリベラルってなんだっけ??ってなってきた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ選挙の結果が自分の想像力を超える事象が続いた2024年。選挙戦もSNSをうまく利用した人が勝つような、何を信じて良いかわからない時代に、民主主義とどう向き合っていけばよいのかについて、ここはやはり信頼できる宇野重規先生。トクヴィルについては今まであまりよく知らなかったけど、平等化の中で「想像力の変容」について考えていくことの意味は極めて現代的なテーマに思えた。
第3章の行政府への着目の中で、編集者も官僚もジェネラリストであり、様々なネットワークを持っているという点。行政の本来の役割として、市民生活をファシリテートするということ。これは我々の業界でも同じ流れではないかな。民主主義について言えば、「承認の民主主義」から「行使の民主主義」へ。
ファンダム、コンピテンシー、プラグマティズム、経験や習慣を基盤とした公共の形成。贈与、投資、消費など様々なものを含むプラットフォームで、参加者がルールを更新していくようなコミュニティ。ファンダム文化はともするとポピュリズムと親和してしまう可能性があるが、そこにケアの倫理を持ち込む。岡野八代やローティに連なっていく。
300ページ程度の新書だが、噛み砕きなら読んでいたらすごく時間がかかった。自分の関心領域があちこちにあって、何度か読み返すことだろう。 -
Posted by ブクログ
民主主義の立法権だけではなく執行権(行政権)への着目、新たなアソシエーションとしてのファンダムの可能性への対話。
行政権のアップデートは萌芽を感じる。
ファンダムは試みとして興味深いが、ポピュリズム以外の着地が浮かばない。
第1章 「平等化」の趨勢
・平等化をめぐる想像力。かつてと比べて「違い」は相対化されたが、むしろその小さな違いに敏感になる。平等化の趨勢は不可逆。
・道具の民主化と民主主義化は別物
・個人主義の不安
第2章 ポストマンと結社
・政治的集権と行政的集権を区別する
・「自由を援け合う術」としての結社(アソシエーション)。デモクラシーを相対化する。
・宗教(所属する教会など)による信用度の担保。ファンダムによるアソシエーション。インターネット社会によるアソシエーションの暴力化(ハイブリッド戦争における「総動員」の常識化。
第3章 行政府を民主化する
・ペスト流行から「人を生かす権力(生権力)」として、国民の生の把握と管理のための官僚機構が精緻化。
・「合理的な法と統治システムさえあれば、社会はよくなる」という考えから、立法権に関心が集中。行政権は従属的とみなされる。実態の転倒。
・官僚の機械的イメージ。
・日本の武士から由来する「学問だけではダメだ」という価値観。揶揄しても潜在的な「お上」への信頼。
・人文的教養を重視する欧米の官僚制。プロの視点よりも幅広い教養。
・「アマチュアであることのプロ」。編集者と共通する素養。国民と政治家をつなぐファシリテーター。
・官僚の人間化。
第4章 「市民」とは誰か
・「市民」という言葉には、ルソー的な古代の都市国家に依拠した「政治に主体的に参加する人(シトワイヤン)」という意味と、「単にそこに暮らす人」、あるいは「経済活動に専念している人たち(ブルジョワ)」という三つ概念が混在じている。
・Z世代の80%以上が推し活をしている。消費から創作。
第5章 分断を超えるプラグマティズム
・リテラシーは受動、コンピテンシー(何かを「する」能力)は能動
・プラグマティズムは、人が何かを「信じようとする権利」を最大限に擁護することを、思想の基盤に置く。人間は考えがあるから行動するのではなく、行動する必要があるから考えを持つ、その行動から得られた結果をもって、さしあたり、その理念が正しかったかどうかを検証することができる。
・Do it with Others (DIWO)。「参加型」「行動」の重要性。終わりをデザインするのではなく始まりをデザインする。
第6章 「手」の民主主義
・ファンダムの可能性は、選挙ではなく、その外にある共創活動
・エネルギーの地産地消など所有と利用が一体となる、距離の近さと即応性
第7章 感情と時間の政治へ
・自立というのは依存先を増やすこと。「自由」と「依存」は対立的な関係にあるのではなく、現実的にはむしろ補完的な関係
・一方的なものではなく相互依存というレイヤー
・分担ではなく「持ち寄る」という発想 -
Posted by ブクログ
ネタバレEUがGDPRの導入によってGAFAなどのインターネットプラットフォーム企業への対抗を目指す動機や、その実現に向けた道筋(著者の期待含む)を描いている。
著者はGDPR立法に向けた動向を知ってからベルリンに在住しているため、立法の立役者であるSPD(ドイツ社会民主党)の果たした役割や東ドイツ時代のシュタージュによる市民監視を踏まえた市民のデータ監視への拒否感といった歴史的背景、またEU議会などが進めている各種取組の説明が詳しく、理解が深まりやすい。
読者として興味がわいたのは、鉄道や電力がそうであったように、インターネットプラットフォーム企業による特定分野ビジネスの自然独占が公共化されたり、競争法によって規制をかけられることがあるのか、またはそういった政策の検討状況について。
本書の留意点として、文章表現が独特で、著者の分析なのか、著者の期待なのか解りづらい箇所がある。 -
Posted by ブクログ
EUとEEA域外への個人データ(個人のプライバシーを特定するデータ、という意味ではなく、GoogleやFACEBOOKを利用する際に、摂取されているすべてのデータ)の持ち出しを禁ずるGDPRという法は、無料アプリの使用と引き換えに、GoogleやFACEBOOKといった一部の企業が独占的に所有している現状はおかしくないだろうか、という問題提起から、個人データは個人が取り戻すべきであるという精神に基づいて生まれた。個人データを個人が所有管理し、所有者の意志において自由に削除、あるいは他社への提供を可能にする、という考え方こそが、現状のIT巨人の個人に対する不当な監視のような歪んだ関係をリセットし、あらたなインターネット世界を構築するという提言。こういう自立性や主体性に関する概念に鋭いのが欧州のさすがなところ。日本人社会からは生まれないもののような気がした。
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聞き手の比重が徐々に重くなっていく。この手の本ではあまり無いので、聞き手と語り手の宇野氏をキャラ立ちさせて読むのに苦労した。ともすればゴシック体も明朝体も同じ人物の発言に読める。
基本的には前半で宇野氏がトクヴィルについて語り、後半では語り手が様々な他の論者・現象を引き合いに出しつつ、宇野氏が「それもそうですね」と肯定しつつ多少それを換言してみせるというパターン。
聞き手の持ち込んだアイデアに宇野氏がお墨付きを与えているだけの時間に見えたので、そんなことせずに「往復書簡」くらい長めの文章のやり取りにした方が、結局論は深まったのではないかと思う。
とはいえ、前半のトクヴィルについての箇所と、後半のファンダムについての一節は面白かった。 -
Posted by ブクログ
『実験の民主主義』とは、自由の国として建国されたアメリカ合衆国を、19世紀のフランス思想家トクヴィルが指した言葉である。王政からの革命によって混乱期にあったヨーロッパから見て、理想的な分散型主権国家を築きつつあった合衆国は眩しく見えたに違いない。
この19世紀の理想的な民主主義国家が、21世紀には強烈なポピュリズムと分断に見舞われていることを私たちは知っている。メディアの発展やデジタル化は、情報の非対称性を解消するとともに社会階層の平等化に寄与したと考えられてきた。ところが実際は偏った情報によるイデオロギー極化や、小さな価値観や立場の差異による分断差別が起こっている。
この古くて新しい課題に対して、国家という統治フォーマットは無力である。むしろこの政治と行政の機能を一緒くたに考えてきたからこそ、社会機能が制約を受けてきたというトクヴィルの思想は慧眼であろう。そして政治体制としての中央集権と行政区分としての自律分散こそが、理想的なフォーマットであると説く。
政治体制といっても、従来のイデオロギーに準じた敵味方の色付けはもはや大多数の無党派無関心層を生むだけである。むしろファンダム≒推し活のような熱狂を生む仕組みこそが求められる。またそこから行政区分は切り離し、デジタルによる恩恵を最大限に発揮すべきだろう。
個人的には、実験≒プラグマティズムの考え方にとても親和性を覚える。自分自身が小規模でも実験的なことを繰り返してきた人生であるし、スケールするにしたがい政治や行政のシステムが絡んでくるのを正直鬱陶しく思っていた。これからのポジショニング含めて、考えさせられる内容だった。