三谷博のレビュー一覧

  • 明治維新10講

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    登場人物がどいつもこいつも夜郎自大で事なかれ主義のクズ揃いで萎えた。この本を信じれば、正しい情勢分析と大局観を持って時局をデザインし実行したのは土佐の中岡慎太郎と後藤象二郎の2人しかいない。後の連中はエゴ丸出しで短期利益を追求したり空気に流されただけ。もっとも本書で詳述されないだけで、勝海舟とか小松帯刀とか、他にも戦略家はいたんだろうけど。
    もともと明治維新なんて薩長による軍事クーデターに過ぎず、何でこんな暴力革命を有難がる人がいるのか理解できなかったが、この本を読んで益々その意を強くした。◯◯維新だとか〇〇新選組だとか言ってる政治家の気が知れない。『昭和維新』を掲げて二・二六事件を起こした奴らと重なって見える。

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    2026年05月11日
  • 明治維新10講

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    秀作。
    明治維新を知るには最適な本の一冊だと思う。コンパクトによくまとめられている、分かりやすい。出来事、多くの人物が出てきて憶え切れないのは仕方ない。

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    2026年03月14日
  • 明治維新10講

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    なぜ明治維新は他の革命と比べ死者数が少なかったのかという問い(死者の人口比0.001%)

    →天皇がいたことによる指導権争いの不発生
     交渉による問題解決を重視した江戸時代の伝統
     イデオロギーの二分化の回避
                    など

    「公議、公論」を目指した雄藩

    →日本の民主化の起源を明治維新に求められる

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    2026年01月07日
  • 維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ

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    今年は維新ものを多く読んだので、その総まとめとして手に取った一冊。
    著者の意図である維新に対する通説とは異なる見方はしっかりと提示できており、その裏付けも膨大な資料から極めて丁寧に行われている。歴史を学問することを見事に体現されている一冊である。

    各章の冒頭で示される図表が秀逸で、特に幕末期の論点の変遷や勢力図の移り変わり(258ページ)について、分かりやすくまとめられており、これまでの理解を一層深めるきっかけとなった。

    個別にも多くの示唆を得たものの、やはり、公議概念に関する各々の記述が、突出して整理されている。「広く会議を興し、万機公論に決すべし」という文書が示されるまでの様々な知的葛藤、過程が明確に把握できる。
    この点に限らず、政治的アイディアがどう発生し、どう敷衍され、どう根付いていくのか、このような見方も出来る一冊であろう。

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    2021年12月20日
  • 明治維新10講

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    維新初期に、何故、これほどまでに体制が変わったのか、そして、武士がそれをどのように受け止めてきたのかを新鮮な切り口で理解することができました。

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    2026年05月14日
  • 明治維新10講

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    <目次>
    第1章  「双頭・連邦」の国家~明治維新の前提①
    第2章  近世東アジア秩序と日本~明治維新の前提②
    第3章  鎖国維持から開国へ
    第4章  体制崩壊のはじまり~安政五年政変
    第5章  秩序崩壊へ~強兵・公議・尊攘のポリフォニー
    第6章  「公武合体」と内戦
    第7章  「王政・公議」政体への転換
    第8章  改革急進
    第9章  暴力と言論
    第10章  比較史上の明治維新

    <内容>
    明治維新、特に開国から王政復古までをかなり詳細に述べる。今までの前提と少し違っているが、大方は教科書などとの違いは無い。井伊直弼の暗殺が歴史を大きく歴史を動かしたことに違いは無いが、 志士たちに歴史を俯瞰する視野はなく、薩摩や長州がやはり大きかった。長州は安政の大獄で吉田松陰を死なせたことがターニングポイントか?また西郷が西南戦争をした際、土佐の板垣が挙兵の準備をしていたことは知らなかった。

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    2026年05月05日
  • 明治維新10講

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    幕末から明治維新、近代の政治・経済の土台を築き上げた一連の奔流を、当時の社会身分制度や権力の在り方を紐解き、国内外の誰が何を考え行動したかを辿ることで分かりやすく説明している。
    昔学校で学んだものの、十分に意味や背景を理解しないまま置いてあった単語に沢山出会えた。当時の時代背景や社会制度などを踏まえて読み進めることで、ただ聞き覚えのあるだけだった単語が、より解像度を増して再認識できるようになった。
    特に鎖国・開国が、長年にわたる様々な人間の思惑により微妙に意味ややり方を変えながら一進一退を繰り返す、ある種のグラデーションがある時期だったということが興味深く目に映った。
    同時に、内憂外患(島国根性よろしく外者の排斥を訴える者と、圧倒的な力を持つ異国からの圧力の板挟み状態)の当時の公儀の苦労は計り知れない。
    ドラマなどで兎角美化されがちな明治維新。確かに文明開花や様々な仕組みなどが整った時期で、本書を読んでもその魅力や熱量は衰えないが、大人になって本書の視点から見直すことで、この時期の人々は思ったよりも身近で、社会構造自体も人間らしい営みの積み重ねによって実現されたものだったのだなと気付かされた。

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    2026年02月20日
  • 泰平を演じる 徳川期日本の政治空間と「公然の秘密」

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    米国人研究者によるユニークな江戸時代の政治力学に関する論考。精読したわけではないがたいへんおもしろかった。跡継ぎ不在で領主がなくなると、本来は領地没収となるのだが、そこを領地では「生きているかのように」演技し、それを見届ける徳川の大目付としても事情をわかっていてなおその演技におつきあいすることで、互いに秩序を守る=「表」を維持することに協力する姿が描かれる。そこらへん、事前に徳川とは「内証」の交渉をしておくわけだ。ほんとうにあったことは「表」の記録だけではわからない。江戸時代は体面を維持することがなにより重要だったため、この「表」と「内証」の政治が広く行われたが、近代において立憲制と個人の権利という言説の中で正当性を失ったため、「表」と「裏」、もしくは「本音」と「建前」という世界になったという結論も一理あるなと思わせる。

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    2022年10月09日
  • 維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ

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    本書を紐解いたのは「図書8月号」の三谷博さんの寄稿文を読んだためだ。そこでは、「廃藩置県」という、武士階級を廃絶させて7割近くの武士を解雇した大変革に対して、何故武士の側から大きな抵抗が生まれなかったのか、を分析していた。

    これは実は、「弥生時代の倭国大乱が大戦争を経ずして話し合いで統一された」という私の問題意識と同一のものであり、俄然興味を持った。著者はたくさんの著書を物にしているが、1番関係性があると思われる本書を採った。ところがいざ読み始めると、想像以上に緻密で総合的、そして独創的な維新史論だった。此処で展開するのは、荷が重いかもしれない。勉強のため、出来るだけ(私流に)まとめようと思う。

    本書の概要は「まえがき」で以下のようにまとめられている。
    1858(安政5)年、アメリカとの修好通商条約の締結と将軍の養嗣子選定の問題が複合して近世未曾有の政変が勃発し、それを機に近世の政治体制が大崩壊を始めた。その時、認識されていた政治課題を集約する象徴は「公議」「公論」、および「王政」であった。幕末10年の政治動乱は、この2点を軸に展開したのである。それが、2つの王政復古案に集約され、徳川支配を全面否定する方が勝利したときには、次の課題が発見されていた。集権化と脱身分化である。(略)新政府は成立の3年半後には廃藩や身分解放令によって、その枠組みを作った。きわめて急進的な施策である。(5p)
    ←一般的に、維新は「黒船の衝撃で始まった」と言われているが、三谷さんは「安政5年の政変」を最も重視しています。それからの10年で「御一新」を迎えたのが前半。その後の10年もかなりの激動だったという。明治の歴史は薩長の歴史観でまとめられていて、我々は維新の志士が歴史を作ったのだと思っている。そこから抜け出せないでいたのが問題だった。とても刺激になりました。

    以下前半の各論。
    ⚫︎近世日本の国家は「双頭・連邦」国家と要約できるように、分権的かつ階層的に組織されていた。この国家は、隣国の清朝や朝鮮のような、科挙と朱子学を核とする一元的な組織と比べると解体が容易であった。それは近世の間に生じた各種の不整合、「権」と「禄」の不整合、さらに実際の制度や慣習とズレた規範的秩序像の登場によって、可能性が強まった。19世紀の日本には現存秩序を正面から否定し、破壊しようとする教義はほとんど存在しなかった。大塩平八郎は稀有の例外である。しかし、権力の規制なしに流布したこの天皇中心の新たな秩序像は「日本」を大名国家を超える至高の秩序と見做し、2つの中心のうち一方だけ禁裏を無条件の中心として想定した。近世国家が容易に解体し、しかも直ちに統合に向かった背景には、このような条件があったのではないかと考えられる。(69p)
    ←つまり、江戸時代最初から天皇もいる「双頭・連邦」国家は知識人の中では知識としては知られていたが、それを重要問題として明らかにしたのは本居宣長以降、それを尊皇思想としてまとめた藤田東湖以降だというのである。ハッと気がついたのは、「双頭・連邦」国家は「現代日本」も同じということだ。もちろん、憲法の制約もあるし、天皇自身に「その気」がないのは知っている。しかし、何かのキッカケで日本が再び「大きな犠牲者無く」一人の人物による一極集中国家になる潜在的な性格があることは頭の隅に置いておきたい。

    ⚫︎幕末日本の外交環境はかなり恵まれたものであった。近隣に同盟国を見出せないという弱みはあったが、他地域で侵略をためらわなかった西洋諸国は、日本ではもっぱら市場の確保にのみ関心を注いでいた。(略)他地域でしばしば見られたような、内乱が列強の間の勢力競争と結合し、収束不能となって、国内諸勢力の共倒れとなる事態は、回避されたのである。(125p)
    ←この時期、もし英仏が香港のように日本に戦争を仕掛けていたら、ひとたまりもなかったろう。また、英仏の代理戦争を強制させられていたら、と思うとゾッとする。もちろん、勝や西郷などの「警戒心」はあったが、それ以上に運命的な「運」もあった気がする。

    ⚫︎一旦始まった敵対関係は、暴力行使という薪をくべられて、さらに激しく燃え上がっていった。一橋党の処分が第一段、王政復古の運動家の逮捕が第二段、公家の処分が第三段、最終的断獄が第四段。ここまでは幕府側の一方的暴力行使だったが、それは桜田門外ノ変という反撃に行きつき、その後はテロリズムの模倣が拡がっていった。暴力は被害者当事者とその近親者の間に根深い怨念を植え付ける。かつての競争相手は不倶戴天の敵と変わり、報復と破壊への願望は日増しに募って、相手方が破滅するまで止むことがない。途中で相手が宥和の姿勢を見せても、それはむしろ弱さと解釈されて、報復衝動はより高まる。暴力は一旦応酬が始まると著しく停止困難となるのである。優勢な方は「暴力を止めるための暴力」と意味付けるが、それが功を奏するとは限らない。秩序回復の努力自体が逆に紛争を拡大し、その中で、政治的妥協は絶望的になってゆくのである。(160p)
    ←これらの「暴力の連鎖」は、今現在、アフガン国で展開されている。人間てヤツは‥‥。

    ⚫︎文久三年(1863)八月十八日のの政変後、急進攘夷派がいなくなった京都では秩序再建の試みが始まった。(略)幕府は自らの権力独占を守るに急で有志大名を排除し、横浜鎖港という実現困難な政策を使って天皇を味方に取り込んだ。短期的には大成功であったが、これは長持ちする策ではなかった。名賢侯を追い出し、更には西洋の軍事圧力を呼び寄せる。(205p)
    ←現代日本政府を見ているよう。近視眼的で、結局大局を誤る。

    ⚫︎慶応3年夏の四侯会議の挫折から鳥羽伏見の戦いの勃発までの中央政局は、武力行使の可能性を明示した上での多数派工作を主軸に展開した。(略)しかし、慶喜はクーデターに憤激した幕臣を抑えきれず、開戦の道を開いた結果、政治的成功を手放した。慶応3年後半の政治家たちは、戦争の可能性を絶えず意識しながら、その都度、戦争の回避を選択し、もっぱら政治ゲームで勝つ工夫を凝らした。最後は開戦に行き着くことになったが、この政治的知恵比べは無駄にはならなかった。慶喜は抵抗を避け、彼の擁護に全力を傾けていた土・尾・越は新政府に留まってその有力な構成員になった。クーデターで掲げられた「公議」の理念はよりさらに発展させられ、逆に武力反抗する大名は東北の一隅に留まった。維新における政治的死者の少なさは、抜本的な改革を多数派工作を通じて行おうとした、この年の努力に負うところが少なくなかったのではないだろうか。(304p)
    ←三谷さんは、慶喜の京都での「戦争回避の努力」は無駄ではなかったと「総括」する。右か左か、を選択する時に、現代日本のように「北朝鮮への武力介入」「台湾有事への対応」「核兵器を持つべき」という発想をする閣僚が、いかに未来に於いて「危ない人たち」なのかを、私は改めて知る。明治維新が、なぜ世界史的に平和裡に終わったかを、私はもっと知りたいと思う。

    ここで、時間切れになった。
    私の問題意識とかなりかぶるところがある以上、購入することにした。残りの部分は「電子書籍」版に書くことにしよう。

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    2021年09月07日
  • 維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ

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    明治維新を、志士たちの活躍という側面もさることながらとくに「維新前の国際関係」に紐づけて論じる。

    最近では、「鎖国は従来思われていたほど閉鎖的ではなく、実は幕府は国際情勢を深く理解していた」という学説が主流だが、著者はさらに一歩進んで「やはり閉鎖的で情報不足だった」という立場。それは、要すれば「列強の脅威はありつつも、こちらから仕掛けなければ大丈夫」という(どこかで聞いたような)安全保障観だった。それを決定づけたのがロシア艦船との緊張が走ったゴロヴーニン事件。これを平和裏に解決したことで、公儀(当時「幕府」という言葉はない)は「外国政府は日本に野心なし」と判断。「外国船打払い令」は一見好戦的だが、政府間で公式に接触しなければもめごとは生じない、という「平和主義」に基づく対応だった、という解釈は面白い。

    清王朝が強大すぎて貿易への熱意が薄く、結果として東アジアでは国際関係の希薄な時期が続いた(アヘン戦争で決定的に塗り替わるまで)。そうした中、西欧列強のプレッシャーに日本は単独で立ち向かうことになった。鎖国で時間を稼ぎつつもいずれ国家的危機が迫ることは公儀のみならず市井の人々もうっすらとは理解していた。

    「・・・この『予知された、長期的な危機』という問題は、資源・環境の制約にせよ、大規模な地震・津波にせよ、今日の我々に無縁な問題ではない。辛うじてではあったが、十九世紀の日本人は解決に成功した。その模索の様子を辿ることは人類の未来にとって良いヒントを与えてくれるに違いない」(P88)。

    異なるパラダイムを実感できる中世史に一時ハマっていたが、ほとんどそのまま現代に応用できる近世史も違った意味で興味深い。

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    2019年01月01日
  • NHKさかのぼり日本史(5)幕末 危機が生んだ挙国一致

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    幕府がどのようにしてペリーの外圧に対処し、それにより、日本は明治維新への道を歩んでいくことがよくわかる。

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    2018年10月20日
  • 明治維新10講

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    ありそうで意外と少ない、明治維新に関する書籍。
    分かりやすい入門書というより、詳細でやや情報過多な専門書という建て付けなので、全てを咀嚼するのは難しいですが、興味深い点もいくつか。
    外国勢力の出現で一気に加速した事で知られる明治維新ですが、世界的ないわゆる革命と比して、死傷者数が極めて少ないとの事。
    イデオロギーの二項対立という枠組みであれば対立勢力との紛争は避けられませんが、幸か不幸か、明治維新においてその議論は脆弱だった事、元々天皇と将軍という二人の君主がいた複雑なシステムだったため、天皇を頂点とする単一国家へのシフトが自然で反発が少なかった事、など記載されています。

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    2026年04月09日
  • NHKさかのぼり日本史(5)幕末 危機が生んだ挙国一致

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    内容は、「挙国一致」を軸に、「公議政体」や「公議・公論」が形成していく過程を描いたものです。

    また、三谷氏の著作『ペリー来航』(吉川弘文館、2003年)で紹介された、ペリー来航以前の幕府による情報把握なども触れられており、専門以外の方には非常に新鮮に感じられたのではないでしょうか。


    一つ問題なのは、幕府側の研究動向(cf:幕長戦争時の幕軍軍備など)をもう少し踏まえて述べないといけないのではないでしょうか。
    幕末維新史の通史としては、近年の研究成果がきちんと踏まえられている一冊です。

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    2012年12月27日