ヘレン・ケラーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
純粋な日記ではない。出版目的で書かれた「旅日記」である。
1936年10月20日、サリヴァン先生が亡くなった。その2週間後、ヘレンは、先生ゆかりの地をめぐる旅に出る。投宿先のホテルで、あるいは船上で、タイプライターを打って、その旅の様子と心に去来するものを綴った。
期間は1936年11月4日から37年4月14日。イングランド、スコットランド、フランス、そしてアメリカを経由してホノルルへ。ヘレンは50代半ばだった。
日記は、日本(横浜港)到着の前日で終わっている。この続きを読んでみたいところだが、それはおそらく存在しない。出版計画に入っていなかったのと、書くだけの時間もなかったからだ。日本では、上陸するや、休む間もなく、講演会と歓待の嵐が待ち構えていた(どんな芸能人よりも忙しかったはずだ)。ただし、太平洋の船上にあって、これから訪れる日本への思いは綴られている。
訳者は、ヘレンについての著作や訳書のある山崎邦夫先生。90歳を過ぎてからのすぐれた訳業。執念を感じる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレヘレン・ケラーの自伝。
1880年6月27日、アラバマ州のテネシー川のほとり、タスカンビアという小さな町でヘレン・ケラーは生まれました。生まれた時は元気で、言葉も早く話しはじめた。けれど急性の胃と脳髄の充血で高熱が出て、一時は医者も助かる見込みは無いと思ったほど。けれど熱は下がり、ヘレンは生き残れた。けれど、見る事も聞く事も出来なくなってしまったのです。
自分の思いを伝える事も出来ず、かんしゃくばかりだったヘレンには教育が必要だった。そしてアレクサンダー・グラハム・ベル博士を紹介してもらった。ベル博士は電話の発明で有名であると同時に、目の見えない人や、口のきけない人の話し方なども研究していた。そしてベル博士からの紹介でサリバン先生がやってきたのです。
ものの名前も何も知らず、ただかんしゃくを起こしていたヘレンに、サリバン先生は根気よく、ヘレンに教えていきました。
ものに名前がある事、ものでない概念にも名前がある事、たくさんの物語を、外に出て自然の事を、社会の勉強を。
高校にも通い、大学の受験にも挑戦した。けれど教科書で、点字になったものは少なく、サリバン先生だけでなくたくさんの、人の協力で、授業についていくだけで大変だった。ヘレンの頑張りを見て、 手話を覚えてくれる友達ができたり、教師たちもサリバン先生だけに負担がかからないように協力してくれたりした。
伝記といえば、文章のプロが書くのが普通だけど、これは自伝。しかも、ヘレンには素晴らしい感受性がある事がわかる。