稲葉俊郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
まずは、わたしで働いてくれてる60兆個の細胞、ありがとう!
ヨガを始めて以来、健康についてすごく考えるようになって、薬を飲んで治すのではなくて、なんでそうなったのか向き合うことで根本から改善して、心も体も健やかな状態でありたいと思っていて。
プラス、軽い鬱病なので、心が思うことをなるべく優先しようと思っているんだけど。
そんなわたしの考えとだいぶ合致していたので、読んでいて頷くところばかりだった。
「あたま」じゃなくて、「こころ」と「からだ」が思うことになるべく忠実に生きていこう、みんな。
わたしは、西洋医学のいいところも取り入れつつも、東洋医学や伝統医学を主軸に「わたしの健康」と向き合 -
Posted by ブクログ
Twitterでたまたま見かけて読んだ本です。
健康についてよく延々と悩む自分には、とても良い本でした。昔から、体調が悪い時に病院に行っても、「何もありません」と言われることがよくありました。後々、あれはきっとストレスから来る症状だったのだろうと気づくことがあって、一体どうしたらこのストレスに弱い身体を治して健康な人になれるのかなと常々思っていました。
そんな中で本を読んだ時、そもそも健康とは一体何なのか、からだとあたまは切り離せないこと、西洋医学の考え方と東洋医学の考え方などを知り、徐々に気持ちが軽くなっていくのを感じました。
体に病気の症状が出るのは、その全てが悪いことで異常なことで -
Posted by ブクログ
P64
稲葉 姿勢を整えて、体と心の状態を整えて、そこで初めて自分の字が書ける。僕はそれって極めて医療的だなと思ったんですよ。体や心を整える技そのものが。
大友 つまり文字を書くことを通して、まず体の「型」を作るところから整えていくと。
稲葉 そうなんです。「型」さえ作れば、あとは自ずからその人の文字が表れてくる、という発想なんですよ。弓道にしてもアーチェリーみたいに力や道具に頼るんじゃなくて、体の「型」を整えて、その動きに従ってやると、本当に90歳の人でもパット弾けて真ん中に当たる。それは当てるんじゃなくて、自然とそこへ向かっていく、という発想なんです。「道」というのは、自分の体をいかに使う -
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『いのちの居場所』の著者・稲葉俊郎さんの語る“いのち”は、凡人が簡単に捉えられないほどの深遠さを持っていると感じます。
医師でありながら、山形ビエンナーレの芸術監督も務めるなど、稲葉さんの活動の幅はとても広く多岐にわたります。
ただ本人が語る、「外と内の世界を接続させる手段として、芸術と医療を分けることなくみつめてきた」という言葉には、「すべてはちゃんとつながっている」という不思議な説得力を感じました。
「社会が危機的な状況にならないと、“全体性”が問われない」という指摘は、
私が感じていた、“危機感なき時代には学びが起きにくい”という実感と重なります。
「自分を救ってくれたものが、誰か -
Posted by ブクログ
「健康」=「病気ではない」という立場の人からしたらビックリする本。人間に備わっている「あたま」と「こころ」と「からだ」の役割を学んだ上で、自分なりの「健康」を考える土台になる本だと思う。
泉谷閑示の『うつの効用』と通じるものがあった。
第3章の『感情の働き』が印象に残った。
-人間の感情は何のためにあるのでしょうか。〜私は感情とは、その人自身を守るために備わった生命の知恵だと考えています。「嬉しい」と感じたとき、その感情は何を伝えようとしているのか。「悲しい」と感じたとき、その感情は何を伝えようとしているのか。-
「こころ」の声にあたる感情は、「あたま」からすると非合理的だからとつい無視して -
Posted by ブクログ
全ての芸術家にとって、その人間性というのは作品の評価とは無関係であるはずであり、極論を言えば、ある芸術家が殺人の罪を犯したとして、その罪が罰せられることと、彼の作品の評価は切り分けて考えなければならない(自らの妻をピストルで撃ち殺したウィリアム・バロウズの罪と、「裸のランチ」に代表される彼の作品の独創性が全く別個に語られるように)。
ただ、そうした前提を置いても、僕にとって、大友さんは優れた音楽家であり、かつその人間性を尊敬できる唯一の芸術家である。生まれ故郷の福島の復興を”祭事”という観点からコミットした「プロジェクト FUKUSHIMA!」や、直近の「札幌国際芸術祭」(この夏に幾つかの