スウィフトのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』は、一見すると奇想天外な冒険譚に過ぎない。しかし本書の真価は、啓蒙主義が称揚する「理性」の限界を、その内側から暴き出した点にある。本書は旅行記の形式を借りた哲学的寓話であり、同時に、近代的主体の解体の書でもある。
著者は「異世界」との邂逅を通じて、人間理性の相対性を暴露していく。これは単なる風刺ではない。むしろ、フーコーが『狂気の歴史』で描き出した「理性による狂気の排除」の過程を、逆説的に照射する試みとして読むことができる。
本書の批判的構造は、以下の三層において展開される:
1.スケールの相対化による理性批判
・小人国における「巨人の理性」の無力
・巨人国における「人間的尺度」の虚妄
・相対的視点の導入による絶対的理性の解体
2.理性の極限と狂気の臨界点
・ラピュタにおける純粋理性の狂躁
・馬の国における理性と獣性の転倒
・「理性的存在」としての人間の虚構性
3.啓蒙的主体の解体過程
・文明社会への幻滅
・理性的人間観の破綻
・帰還後の「狂気」の意味
特筆すべきは、著者による理性批判の方法論だ。それは理性の外部から行われるのではなく、理性それ自体の論理を極限まで推し進めることで、その自己崩壊を導き出す。この手法は、アドルノとホルクハイマーが『啓蒙の弁証法』で展開した批判的方法の先駆といえる。
さらに注目に値するのは、「旅」という形式の採用である。ガリバーの移動は地理的であると同時に存在論的でもある。各訪問地は「理性」の異なる様態を体現しており、その遍歴は啓蒙的主体の解体過程と重なり合う。
本書の現代的意義は、合理主義的世界観の限界を、その内側から描き出した点にある。特に最終章における「理性的な馬」と「獣的なヤフー」の対比は、人間中心主義的な理性概念への根源的な問いかけとして読むことができる。
ただし、著者の企図には一定の両義性も存在する。特に、理性批判と保守主義的な文明批判との関係については、より詳細な検討が必要だろう。また、「狂気」の復権が必ずしも解放には結びつかない可能性も考慮されねばならない。
それでもなお、本書は啓蒙思想研究に決定的な視座を提供する。特に、近代的主体の成立と崩壊を考察する上で、基礎的な範例となるだろう。理性の自己批判がいかなる地点に到達しうるか―その極限の一端を本書は示している。 -
Posted by ブクログ
アニメPSYCHO-PASSで、槙島聖護の台詞に引用されていたので、興味を持ち、読んでみた。また、絵本のガリヴァー旅行記とどのように違うのかも気になり、この本を手に取ってみた。
最初、とても分厚かったので、萎えたが、折角だから読んでみようと思い、挑戦した。文体がダラダラといちいち長い印象を受けたが、言いたいこと(皮肉など)ははっきりと述べるところが面白かった。また、ガリヴァー旅行記といえば、小人の国という印象だったが、それは第1篇だけで、その後に、小人の国とは反対の、巨人の国や、「『天空の城ラピュタ』は、ここから来ているのか」という発見があったラピュータや、PSYCHO-PASSで出てきたバルニバービ、最後にはなんと馬の国であったのには驚いた。
全体的に、皮肉がとてもきいていて面白かった。風刺しているところがかなりあり、注釈もその度に読んだが、イギリス議会政治や、王、貴族のことは、あまり知らなかったので、「もう少し知っていれば・・・」と思った。ただ、ガリヴァー旅行記の凄いところは、最初はイギリスの批判であったが、そこから、人間存在そのものに対する呪詛へと、フウイヌム国渡航記で行き着き、確かに納得してしまった。人間の愚かさをここまで見事に書いているのはすごいと思った。ガリヴァーのユートピアであるフウイヌム国は素晴らしいと思ったが、イギリスに戻ったガリヴァーが、妻子の汚臭に耐えられず、飼っている馬の匂いに安らぎを求めていることや、妻子と再会したときに、憎悪と嫌悪と軽悔の念だけがこみ上げてきたと言っているのには、病気のようなものを感じた。
解説を読み、スウィフトに関する色々な情報を知ることができた。スウィフトがメニエール症候群であったのには驚いた。だが、一番驚いたのが、スウィフトは、いくら人間を憎み、人間に怒り、エホバからの自由を求めていたにしても、結局は、それは人間を愛したい、エホバのもとに帰りたいという感情の裏返しの表れではないかと解説で述べられていたことである。これには、なるほど、と深くうなづいた。 -
Posted by ブクログ
小さい頃に読んだ絵本だが、覚えているのは小人に縛られて解放された後に、嵐の中で難破しそうな船を助けて感謝されるというもの。大きくなったらガリバーみたいになりたいと思っていたが、原作を読むと結末は全く異なる。ガリバーは小人の国だけでなく、巨人の国、科学者(宇宙人?)の国、馬の国にも流れ着いていて、その国の王や神官、政治家のような人たちと交わす会話には、人間の国に対する鋭い批判や自己嫌悪に満ちている。別の国の彼らから見て、人間はなぜ戦争を起こし、飽食と飢餓、嫉妬、差別、詐欺、殺人、浮気、子殺しなどを行うのかという指摘に答えに窮するところは、単なる絵本の原作にとどまらない書と感じた。
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Posted by ブクログ
17世紀英国、ジョナサン・スウィフトによる風刺小説。小人の国と巨人の国の話のみ、童話として知られている話だが、読んでみるとなかなか、時代を下っていても人間という現象の中に普遍的に潜む業のようなものが、子気味よく描かれていて、考えさせられもし、なかなか楽しかった。
ガリバーのバイタリティーに驚かされるが、英国紳士という背景から、道徳的に筋の通った現実主義者で、力のある立場でも、弱い立場でも信条は変わらない。風刺小説でありながらも、これだけ読まれ続けるのは、そのいやらしさがナマナマしくもあるけれど、想像力豊かに彩のある表現の衣をまとっているから、物語然としながらもちくりと刺さる、空想だと断じきれない記憶があるからであろうか。楽しさとペーソスのバランス。年を経るごとに学びがあるものが、真の文学たりえよう。
しかし最後のフウイヌム国の話は、ヤーフに沼昭三のあれをそのまま彷彿させるものがあり、気持ちが悪かった。
14.7.12