10ヶ月にわたる育休2冊目。
食事→働く→寝るしかしてなかった自分に、モモが時間を取り戻してくれた気持ちになりました。
社会人になってから自分を大切にするための時間の確保の難しさを実感しました。
訳者の後書の内容もセットでこの物語は完成されていると思いました。
第一部では、その場にいるだけで周り
...続きを読むにプラスの効果をもたらす存在であることが描かれます。
これは、訳者の大島かおりさんの言葉を借りれば、管理された文明社会の枠の中にまだ組み込まれていないモモだからできることなのかもしれません。
第二部では、灰色の紳士が登場します。
人間は、成果にとらわれず、自分の時間をそれぞれが自由に使っていたのに、効率化を目指していくうちに、その時間をどんどん仕事に使うようになった。やればやるほどさらに効率化は進んでいくのだが、その結果さらに人間は自分の時間を上手に使っていけなくなっていく。
(本書ではこの自分の時間を一つと同じものがない、美しい花に例えている)
作者であるエンデは、その状況を灰色の紳士が人間から時間を盗みとっているとしている。
12章で、マイスター・ホラは次のように話している。
「彼らは人間の時間をぬすんで生きている。(中略)
人間というものは、ひとりひとりがそれぞれの自分の時間を持っている。そして、この時間は、本当に自分のものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。」
-はて、私はどれだけ生きた時間をもてていたのだろうか。
また、これは訳者の大島さんも後書きで触れている。
『モモをとりまく世界は、「灰色の男たち」というきみょうな病菌におかされはじめています。人々は「よい暮らし」ためと信じて必死で時間を倹約し、追いたてられるようにせかせかと生きています。子どもたちまで遊びをうばわれ、「将来のためになる」勉強を強制されます。』
ドキッとしました。まさに、良いくらしを目指すため、と、高校生の頃は寝る間も惜しんで勉強を、社会人になってからはまさに字の如く身を削って残業して働いていました。
振り返ってみて、決して後悔はないですが、今後家族が増える中で「自分の時間」の使い方を見直したいと思いました。
最後に、作者の短いあいさつの中で、この話は偶然汽車で出会ったきみょうな乗客から聞いたと書いています。その乗客曰く、
「過去に起こったことのように話しましたね。でもそれは将来起こることとしてお話ししてもよかったんですよ。わたしにとっては、どちらでもそう大きなちがいはありません。」
1976年に発行された小学5、6年以上を対象とした児童書とは思えません。決して薄い本ではないですが、自分の時間を大切にしながら、ゆっくり読んでみるのはいかがでしょうか。