岩井秀一郎のレビュー一覧
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【こんな人間になりたい…なんて言うのも恥ずかしい】
二・二六で凶弾に倒れた渡辺錠太郎の伝記。歴史書としてもおもしろい上に、人物伝として描かれる彼の生きざまが文句なしに素晴らしい。
まずは歴史書としての観点から。これまであまり知らなかったけど、永田鉄山とともに、もし生きていたらその後の陸軍、ひいては歴史を変えたかもしれない、日本を救ったかもしれないといわれる大人物。彼に手を下した愚か者が憎いと思った。けど渡辺和子が言うとおり、直接手を下した青年将校や下士官たちよりも、貧しい農村を思う彼らの純朴な思いを利用してクーデターを扇動し、事件を起こさせておきながら、天皇の激怒を知って知らんぷりを決め込む荒木貞夫、真崎甚三郎といった上級将校たちは決して許せない。恥を知れ。そしてその後の歴史まで変えてしまったあなたたちの罪は想像以上に重い。
次に人物伝。天皇機関説や統帥権干犯をめぐる議論をてこに皇道派が強硬に発言力を増す中、それに危機感を抱く林銑十郎、渡辺丈太郎、永田鉄山といった特定の派閥に属さない良識ある人物たち(皇道派に対し、いわゆる統制派と呼ばれる)の抵抗に手に汗を握る。永田が「小説」として書いた(書かされた)クーデター計画案をめぐって渡辺が真崎をやりこめる場面は痛快だ。理知的、冷静でありながら鬼気迫る勢い。満を持して鷹が鮮やかに舞い降り爪を現した瞬間!
人物としての渡辺錠太郎は、今の自分とはあまりにもかけ離れすぎて理想像というのもおこがましいと思ってしまうくらいの人格者。本の表装の、娘の横で幸せそうに笑う普通のおじさん写真(失礼!?)からは想像できなかった。
勤勉、努力家、高潔、自ら望まず、自己顕示欲なし、衣服や金銭に無頓着、義理堅い、正義感強い、逃げない、ぶれない、芯が強い、普段は温厚篤実、肝心なところで曲がったことは通さない、強固な意思、やるときは徹底的にやる胆力。
残念ながら自分との共通点は本好きなことくらい??比べると情けなくなるけど、自分に負けそうなとき、逃げたくなったとき、「渡辺大将ならどうする?」って自分に問いかけるくらいは許してもらおう。 -
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過日、旭川を訪れる機会が在って、街を歩いて常磐公園に立寄った。
公園の入口に「常磐公園」という園名が刻まれた立派な碑が在る。昭和の初め頃に出来た碑だが、文字は旭川に司令部を設置していた陸軍の第七師団で当時師団長を務めていた人物が揮毫したのだという。往時の陸軍では「師団長」は中将の階級に在る者が務めていたようだが、「常磐公園」の揮毫をしたのは渡辺錠太郎という人物だった。
「渡辺錠太郎」の名に聞き覚えが在った。彼は旭川での任務の後、大将に昇任している。やがて教育総監という陸軍首脳部の要職に就くのだが、「二・二六事件」の際に自宅に在った時に襲撃され、殺害されてしまった。その「二・二六事件で害されてしまった人物」として「渡辺錠太郎」の名を記憶していた。
そういうことでこの「渡辺錠太郎」という人物について知りたいという興味が沸いた。そういう中で本書に出逢った。
揮毫したと伝えられる碑を偶々観たという小さな出来事を通じて「気付いた」人物について、本書を通じて色々なことを知ることになった。種々の史料・資料を、読み易さを意識した形で整理して引きながら、「渡辺錠太郎」という人物の歩みを巧みに纏めている一冊である。
表紙カバーに、軍服姿の男性と、未だあどけない感じの少女との写真が掲載されている。軍服姿の男性が陸軍大将渡辺錠太郎である。少女は末っ子の娘である。年季が入った職業軍人の厳めしい雰囲気ではなく、少女が「可愛がって下さる御父様」と慕っている、強く優しい父親という雰囲気が滲む写真であると思う。少女の側も、「御父様」の傍らに在るのが嬉しく誇らしいという様子が表情から伺える。
渡辺錠太郎は結婚後に娘を授かり、間隔が少し開いて2人の息子を授かった。更に年月を経て、本人が50歳代に入っていて、旭川での第七師団長であった頃、妻から妊娠を打ち明けられた。妻は産むべきか否かを迷っていたらしい。最初の娘は既に嫁いでいて、子を授かったというような話しが出ていた頃であったのだ。そんな中、渡辺錠太郎は妻に「産んでおけ」と告げたそうだ。そこで表紙カバーの写真の娘が産れている訳だ。孫であっても不自然でもない感じの娘を授かったということになる。50歳代が現在よりも高齢であるというイメージであった時代で、渡辺錠太郎は娘と過ごせる時間は余り長くないのかもしれないとして、娘を随分と可愛がっていたらしい。表紙カバーの写真は二・二六事件の何ヶ月か前であるようだ。渡辺錠太郎は62歳で、娘は9歳であったという。
実は渡辺錠太郎が襲撃を受けて最期を遂げてしまった時、一番近くに在ったのが写真の少女、娘の和子であったという。本書は最初の方に事件で渡辺錠太郎が最期を遂げてしまう様子等が、長じた娘の和子が綴ったモノ等も引きながら詳しく叙述されている。御本人に近い側から観た最期というような感じになるであろう。
それを踏まえて、少年期からの渡辺錠太郎の歩みが、高級将校として色々と説いていた論等が詳しく紹介されるのが本書である。少し夢中になる内容だ。
渡辺錠太郎は少し独特な経歴を歩んでいる。優秀な若者を見出して登用する仕組みに乗り、内部での研修を経て昇進という経過なのだ。
陸軍将校の多くが士官学校に学ぶ。士官学校については、幼年学校からという人達も在れば、現在の有名な大学の前身に相当する様々な学校へ進むようなコースに乗っている人達も在って、そういうエリートがなかなかに厳しい試験を潜り抜けて入学していた。渡辺錠太郎はそういうエリートというコースに乗っていない。農家の出で、最低限の義務教育、小学校を卒業しただけである。そこから「誰でも受験資格が在る筈だ」ということで受験可能な年齢になってから士官学校を受験し、見事に合格した。やがて、更に上席の参謀将校となり得る人材の研修を行う陸軍大学校に進む。これも将校と名が付く全ての者が進むのでもない。その陸軍大学校に学んだ渡辺錠太郎は、首席で研修を修了して将来を嘱望されたということだ。
陸軍で将官に昇進するという人達は或る程度限られる。その将官の中でも最高位の大将というのは更に限られる。当時のエリートと呼ばれる経歴と無縁で、「小学校の後に受験年齢になった」というだけで士官学校に入り、大将に迄昇進したというのは、渡辺錠太郎以外に例が無いかもしれないということのようだ。
陸軍大学校の後、渡辺錠太郎は日露戦争に従軍するが、負傷して戦地から退いている。その後は参謀本部に勤務し、元帥山縣有朋(1838-1922)の副官を務め、ドイツへ研修に出る機会も経験している。そういうような経過であったが、第1次大戦の欧州を視察する機会を得て、戦争や軍事ということに関して色々と考え、それらの論を纏めている。この第1次大戦を受けての、渡辺錠太郎の論が本書に詳しく紹介されているが、非常に興味深い。
日清戦争や日露戦争は、陸海軍の軍人が何処かの戦場で戦っているというような感であった。第1次大戦は、各国の国民の大半を広く巻き込む様相になってしまっている。そして航空機の利用で空爆が行われるようになり、各国になかなかに難しい防衛の課題を突き付けるようにもなっている。軍備を備えても、簡単に戦端は開けないものなのだと考えるべきであろうというのが渡辺錠太郎の説だ。
渡辺錠太郎は政治的な行動に出るのでもなく、派閥のようなモノに与しようとするのでもなく、飽く迄も軍人の役目を誠実に果たすという考え方であったとされる。が、所謂「皇道派」と「統制派」との争いに関わるような形になって行ってしまう。政治的な動き、派閥としての行動が目立つような感じになった「皇道派」の突出する傾向を牽制しようとしたのである。そうした経緯の中、二・二六事件に関わった人達の怨嗟の対象というようになって行ったようだ。
やがて本書は二・二六事件の様子等に関して、もう少し多面的に描き出し、事件で最期を遂げた渡辺錠太郎の遺族である和子や、事件に携わった青年将校の家族の年月というような話しを綴っている。
旭川で公園の園名碑の挿話に触れて出くわした人物の名が、史上の少し大きな事件に関わっていることに気付き、その人物の詳しい評伝に出逢うこととなった。何か凄く好かったと思う。
長い間、「渡辺錠太郎」という名は「二・二六事件で襲撃された人達の1人」というだけに留まっていた。が、本書の御蔭で大変な努力で身を立て、世界の歴史、文明の行方のようなモノを見詰め、職業倫理を飽く迄も全うしようと心を砕き、同時に子ども達の強く優しい父親であったという人物像が眼前に迫るようになった。そしてこの人物は、何となく訪ねる機会も在る旭川に所縁の人物ということにもなる。
今般、偶々本書に出くわし、本当に善かった。こういう感じで興味深い本に出くわすことを繰り返しながら、少しなりとも、より心豊かな人生が拓けるのだと思う。「渡辺錠太郎」はもっと知られて然るべき人物であると観る。そういう意味でも本書は広く御薦めしたい。 -
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ネタバレ多田駿の名前は参謀次長として聞いたことはあるが、ぞの前後での活躍は見た覚えがなく、どのような人なのか気にはなっていたが知りようがなかった。
だからこの新鋭の作家によって、まさに伝記が発刊されたのを知り、喜ぶと同時に地味なこの人の伝記におもしろいところはあるのだろうか、と余計な心配もした。
この本の一番の読みどころは、まさに次長時代の話で。蒋介石国民政府を相手にせずの近衛声明に表された交渉打ち切りに最後まで反対したところだろう。政府、外務大臣、海軍、陸軍大臣、参謀本部内の拡大派を相手に立ち向かったが敵わず、その後の南京攻略など対中戦争が激化泥沼化したが、唯一の反対派が陸軍参謀本部だったのだ。海軍の米内大臣も強硬派だったのだ。ここは大事な事実で、今までの陸軍悪玉海軍善玉論の小説、解説書では出てこない話である。初めてこの本で明示されたのではないだろうか。
また、石原莞爾とも先輩後輩で仲が良かったなども興味深いところである。
この作家は、多田駿の孫を探し出して話を聞き、遺品や遺稿など所蔵品を多く見ているので素晴らしい力作になったと思う。今後も大いに期待したい。 -
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二・二六事件で暗殺された陸軍教育総監渡辺錠太郎。貧しい境遇から士官学校、陸軍屈指の読書家で独自の非戦思想。歴史の狭間に埋もれた人物の実像に迫る傑作評伝。
本書の主役渡辺錠太郎の二女の名は渡辺和子。あの「置かれた場所で咲きなさい」の筆者。二・二六事件、青年将校の凶弾に父が倒れた時、8歳の娘は正に同じ部屋にいたという。53歳で生まれた娘。「長くは一緒にいられない」と孫ほどに年の離れた娘を父は溺愛。
日本の陸海軍士官は旧制高校、帝大と並ぶ当時のエリート。渡辺錠太郎の生涯、凄いのは小学校を卒業後、農業のかたわらで独学、旧制中学を経ずに陸軍士官学校に合格するところ。
二・二六事件に至る陸軍の道、そこにある皇道派と統制派の争い。本書を読む限り渡辺はどこの派閥にも属していない。その分、現代の目から見ても極めて真っ当な主張が多い。軍人が政治に意見する弊害や機関銃、航空機等の近代兵器での武装の必要性、そして総力戦による国家の疲弊と一方で非戦のためな武装論など。
渡辺錠太郎の名は知ってはいたが、本書がなければ略歴その他深く知ることはなかったように思う。歴史の狭間で名のみ残る人物。そんな立志伝中の人物にスポットライトをあてた作品。父娘二代の生涯には大きな感動が。
屈指の評伝です。 -
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渡辺錠太郎は2.26事件で非業の最期を遂げました。学者将軍と言われていた渡辺錠太郎。そんな彼は非戦思想を持っていました。
そんな渡辺錠太郎と、同じ日に殺害された高橋是清が、もし生き延びていたら、と思います。
「もしもあの時、父が青年将校たちの手で殺されていなかったら、後年キリスト教の洗礼を受けなかったかも知れないし、その結果として修道者となり、岡山に派遣されることもなく・・・」と、渡辺和子シスターは語っています。
この本ではまた、渡辺錠太郎の命を奪い処刑された青年将校の弟と、渡辺和子シスターとの交流も少し描かれていて、そのくだりにも心打たれるものがあります。
起こって欲しくないような悲惨なことが現実には起こる。自然災害や病気。人の罪が引き起こした悪事。「どうして」と問いたくなることがたくさんある。納得できないことだってある。
それでも、それを悲惨なままに放置しておく神様ではない、ということもこの本を通して思いました。 -
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ネタバレ対中不拡大派の多田駿氏の評伝。近衛内閣が蒋介石率いる国民政府に対し、相手とせずという声明を出す前、陸海両相、外相を相手に、閣議で交渉継続を訴えた中国通の軍人。
本書を読むと、対中国については、陸軍と海軍というよりも参謀本部の不拡大派(主に作戦実務を司る二課)に対して、拡大派が陸軍その他ならびに海軍という様相が見て取れます。
陸軍内で言えば、東条や杉山が論外なのはもちろん、海軍でも当時近衛内閣にいた米内海相までもが対中拡大派として動いており、戦後評価されている米内の評価はやはり疑問です。
いずれにしても現地の情勢や作戦実務に精通していた官僚の適切な意見を内閣ならびに閣僚が選択できなかった悪例は、今日でも反面教師になると思います。 -
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ネタバレ永田鉄山という人物は、いろんな風説が流れやすい人物であるが、改めて整理すると理論家で現実主義者で、天才肌でありながらも理知的で交渉も上手な切れ者という、ぐうの音も出ないほどの人材であったのが分かる。
昭和の陸軍は、かなりいろいろな問題を起こしているが、そんな中で永田鉄山は「総力戦」に備えながらも陸軍内部の統制に厳しく、決してそこから逸脱することはなかった。
いわゆる昭和陸軍が軍閥のように無茶苦茶になっていったのは、永田のようにこうした「国軍」としての陸軍のあり方から逸脱し、気づいた時には下克上と無秩序で支離滅裂になっていった要素が高い。
それは海軍も同じ事が言えるのだが、個人的に酷いと思ったのは永田を殺した相沢三郎はどうしようもないマジキチであり、結局のところ彼らは陸軍の落ちこぼれ仕官で、立身出世が出来ないからこそそれを破壊することを前提に動いていた醜悪な存在に過ぎなかったということ。
それに大川周明や北一輝のような、愚にも付かないようなインチキ思想家を担いでいったわけで、永田鉄山、そして渡辺錠太郎大将らが殺害されたことは昭和陸軍の終わりの始まりだったような気がしてならない。 -
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1937年の盧溝橋事件後も戦争の不拡大を主張した中国通で知られた陸軍中将・多田駿参謀次長の名前を覚えている人はそう多くない。結局,不拡大の方針は採られず,近衛文麿は「国民政府を対手とせず」の声明をだしてしまったからだ。また東條英機とも対立し,太平洋戦争前には予備役に編入されたことも関係するのかもしれない。盟友の石原莞爾は有名だが,それとの関係で言及されることもほとんどないように思う。
実はこの多田駿のご子息である多田顕先生は,千葉大学から大東文化大学に移って,また日本経済思想史研究会でもご一緒させていただいたこともあり,よく存じ上げていた(1996年に逝去)。ご自身のお話はほとんどされたことはなかったように記憶しているので,お父上がこのように立派な軍人さんだったとはまったく知らなかった。
本書は多田駿の事績に留まらず,それを支えた思想にまで踏み込んだ本格的評伝である。 -
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永田鉄山について書かれた書籍は多数あるが、歴史研究家が事実に重きを置いて記載してきた物とくらべると、本書は歴史のifに触れる珍しい内容である。そこに面白さがあると言って良い。
永田鉄山は言わずと知れた昭和陸軍における最高峰の頭脳の持ち主で、「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」というフレーズを聞いた事のある読者も多いだろう。その考え方は極めて合理的、神係的な精神論で押し通す事の多い軍人の中で、一切そうした考え方を排除し、膨大な知識からなる状況分析と冷静な判断で渡り歩いた人物である。そして太平洋戦争の遥か以前から「国家総力戦」の重要性を説き、近代国家が避けて通れない大規模な戦争の勃発とその際の国の在り方について研究し、実践しようとした。道半ばにして相沢事件により斬殺されてしまうが、多くの歴史家が「もし永田が生きていれば」と論じたくなってしまうのも解るような、日本にとって欠かせない頭脳であった事は間違いない。国家総力戦については重要であるため永田の言葉を全文引用すると「国家総力戦とは有事の際国家を平時の態勢から戦時の態勢に移し、国家の権内にあるあらゆる人なり、物なり、金なり、あるいは機能なりの一切を挙げてこれを戦争遂行にもっとも都合の良いように按配する事業を指すのである。換言すれば国力全体を挙げ、国民の全能を絞り、これを適当に統合組織して軍の需要を満たすとともに、国家国民の生存を確保してもって戦勝を期する事柄がすなわち国家総動員である。」とし、欧米諸外国と比して後発国である日本が、技術的にも生産力的にも経済的にも遅れをとり、それでも尚、それらと戦禍を交えることになるなら、国を挙げて戦わなければ勝てない事に早くから警鐘を鳴らしていたという事である。事実、永田亡き後の日本は陸海軍の対立、陸軍内部の皇道派と統制派の対立、戦場である現場と指揮の中心にある大本営との考え方の乖離など、軍内部においても、とても挙国一致とはかけ離れた状態で戦争遂行せざるを得ず、各地で屍を晒す大敗という結末を迎える。なお永田の死後、軍を統率した東條英機や武藤章など評判が芳しく無い人物たちも永田の信奉者であり、いずれも官僚としても軍人としてもかつての独裁者、無能という評価を覆し、優秀な人材として見直されたが、永田が生きて彼らを統率できていれば敗戦の内容は随分変わったと考えたくなるのも仕方ない。
本書では永田自らも尊敬する渡辺錠太郎の逸話や、永田を斬殺した大佐の相沢三郎に関する生い立ちや経歴、考え方が醸成される過程など、永田を取り巻く人々についても多く触れられており、より俯瞰的に永田という人物像を捉えることが出来る。特に相沢と永田のやりとりはその後の惨殺シーンに至る以前の対立を臨場感を持って垣間見ることができ、手に汗握る内容になっている。
永田は知的な人物像とは裏腹に、酒も女も嗜み一体いつ何処でその頭脳に磨きをかけているのか、そうした疑問を抱く。政治的な問題も周囲と協調し、反対者すらも説き伏せ、協力を得ながら事を成そうとする姿は現代の会社組織を生きるビジネスパーソンにも大いに参考になる。
迫り来る事件当日を変えることの出来ない歴史の事実として、それでも尚どうにかならないものかという想いを抱きながらページをめくる自分がいる。 -
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今村均という人物は大東亜戦争(海軍的な視点で見た太平洋戦争ではなくアジアで繰り広げられてた意味で使用)に於いて優れた指揮官として書籍にも多く取り上げられている。私が初めて深く知る事になったのは角田房子氏の「責任 ラバウルの将軍今村均」であった。以来、ビジネスマン・リーダーとしての在り方は正に今村均の責任感の全うにあると、敬意の念を抱くと共に、そうあるべきと手本としてきたつもりである。久々に今村均を主題とした本書に触れ、益々その想いを強くすると共に、私のような非凡な人間であっても、かつ歳を重ね会社人としても折り返し地点を当に過ぎた身でありながらも、まだまだ修練が必要で、それによりさらに高みを目指せるという自信にも繋がっている。
何故、今村均がこれ程までに現代にまでその名を残しているのかは、数多の書籍を読めば容易に理解できるであろうが、本書でも記載される様に、その生き方は決して恵まれた境遇でなくとも努力と信念により如何様にでもできる事を教えてくれるからに違いない。
本書はそのような今村均の幼少期から日中戦争、そして太平洋・アジア戦争の敗戦、そして戦後裁判と新書という僅かなページで一挙に駆け抜けながら纏めている。決して経済的に恵まれた家庭環境とは言えない中で陸軍に身を投じ、中央と現場指揮官を交互に行き交いながら身につけていった仁徳や人間性、そして戦闘における指揮能力は最終的に今村均を偉大な陸軍大将にしていく。敗戦後もその責務を全うするため、部下と一緒の過酷な環境に身を投じ、亡くなる間際まで部下のために尽力する。そうした姿は現代のビジネスリーダーのあるべき姿として多くの尊敬を集めている。
生まれながらにして優れた人物などこの世にいない。今村均は幼少期は持病に悩まされ、父親を早くに亡くし、寧ろ他者と比べれば不幸な境遇にあったにも関わらず、努力によりその境遇を打ち破ってきた。大東亜戦争でも徳を持って占領地政策を実施した経済的な感覚も優れているが、全体の趨勢がわからない段階から早期に将来を見越して自給自足を準備させる先見性など、能力として評価すべき点は数多くある。然し乍らこうした優れた実績が残せたのは何より本人の中にある、人として何が大切でどうあるべきか、といった人間性・本質そのものが正しい事を外圧にも曲げられずに実直にやり遂げる事が出来た事に起因しているようだ。
人は弱い生き物だ。すぐに楽な方、痛みの少ない方にどうしても寄り添ってしまう。すぐに怠けてしまうし、ましてや何だかんだ出来ない言い訳ばかりを頭の中で考え、自分の責任から逃れようとする。
今村均にその感覚は無い。最後の最後まで自分の責務を全うし、政治なら政治の、戦場なら戦場の指揮においても、やるべき事を信念を持って最後までやり遂げる。中々凡人にできる事では無いが、出来ないこともない。そうした自分にも出来そう、なれそうな余地がある所が今村均が現代まで手本とされる所以ではないだろうか。私も仕事でリーダーとしての所信表明を求められた際に、今村均の様な責任感、栗林忠道の様な率先垂範の姿勢を語った事があるが今でもその想いは変わらず、実践しようと躍起になってる。果たしてあと10年、15年後に少しでも近づく事ができるだろうか。
信念を曲げずに突き進みたい。そんな気持ちを改めて呼び起こさせる一冊だ。 -
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この作者は、主人公の遺族に会って見せてもらった写真や聞いた話を紹介するので、仕事以外の主人公の姿も見えてきて多少なりとも親近感が湧いてしまうという特徴がある。
この手法は好きである。人物を描くからには私的な面があって当然で本当の姿がそこにはあるし、また調査を行って書くということは空想小説ではないという証拠でもある。
永田鉄山は、相沢事件で刺殺され関係者に残念がられたとか、前後に人がいないなどの優秀ぶりが語られているが、それ以上の情報は乏しくよく分からなかったが、その辺りは本書でクリアになったと思う。
合理的だが対人折衝も上手で軍人以外にも理解者が多かったというのは、能力はあっても言動で難のつく才人が目に付く中で、難局でのリーダーにはふさわしいのかもしれない。
永田が生きていれば歴史が変わったかも、と言われるのもこの辺りを指していると考えれば、そうかもしれない。変わっていた歴史が良かったかどうかは別として、そう思わせるだけの人だったことは間違いない。
同じ議論が今後も果てしなく続くだろうが、本書を読んでスッキリしたので、そこはもういいやという気持ちが生まれているのがちょっと不思議な読後感である。 -
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戦前・戦中の海軍=善玉、陸軍=悪玉の印象公式が揺らぎます。と云うのも著者があとがきでも綴って居た通り。
こんなにマトモな人が中央に居乍ら、日中関係硬化・悪化の後の太平洋戦争だったのなら、それこそ何かの見えざる手だとか、時代の気風の魔力としか言いようが無い。
禅僧の様な佇まいに日本古来からの武将の様な仁・義・情に満ちた人柄。袴姿での証言台の映像がアーカイブで見られるとの事、早速探してみようと思います。
…と云う感想も、この著者の調査能力と筆力あってこそ。お若いのに、そして会社勤めの仕事と両立してノンフィクション作家であるという所が凄い。ノンフィクション作品の中には、まるで熱に浮かされたように自分の憶測から筋道を辿り(作り?)こじ付けて終わり、なんてのもザラですが、そう云う胡散臭さが全く感じられない。悪く言えばクールすぎる(笑)これが一冊目との事、今後の活躍が期待されます。 -
購入済み
読み応えある評伝
名前こそ知っていたが漸く評伝が出た。日中戦争を扱った戦史研究は数あれど近衛第一次声明からの近衛改造内閣と参謀本部の動向についてはあっさりと済まされることが多く、多田駿という人物とその内面は良く知られていなかったと思う。
僧侶が何故か高級軍人になってしまった人である。書簡にある日本や日本人への諫言が重い。