作品一覧

  • 敗北の作戦参謀 服部卓四郎と昭和陸軍

    敗北の作戦参謀 服部卓四郎と昭和陸軍

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻799円 (税込)
    日本は、どこで何を誤ったのか。日本のエリートは、なぜ誤るのか。昭和100年の今だからこそ、知られざる歴史の真相に目を向けたい。戦後史に消えた作戦参謀「服部卓四郎」――昭和期の「あの戦争」の舞台裏で起用され続けた、昭和陸軍の1人のエリート軍人に着目することで、見えてきた日本の組織の「負の教訓」。本書は、服部卓四郎に関する限られた史料を掘り起こし、丹念に精査し、その生涯を捉え直すとともに、敗北に至らしめた国家権力の組織の実像に迫るものです。著者は、陸軍大将・多田駿を描いたデビュー作の評伝で第26回山本七平賞奨励賞を受賞した気鋭の歴史研究者。その後も、東條英機、渡辺錠太郎、永田鉄山、梅津美治郎、今村均といった陸軍の最重要人物の評伝に取り組んできました。服部卓四郎の人物像を描くにあたっては、ノモンハン事件、ガダルカナル戦などの戦史を取り上げ、石原莞爾、辻政信、田中新一、井本熊男、高山信武といった陸軍のエリート軍人たちとの関係性等に着眼。さらに日本海軍との関係性など、さまざまな角度から、作戦参謀という存在が果たした役割を浮き彫りにしています。 *本書は、2022年6月にPHP研究所から刊行された『服部卓四郎と昭和陸軍』を改題の上、再構成し、加筆・修正したものです。
  • 今村 均 敗戦日本の不敗の司令官

    今村 均 敗戦日本の不敗の司令官

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻999円 (税込)
    苦境を超えて、部下を守り抜く――指揮官の資質と能力とは? 太平洋戦争末期、ラバウルで10万人もの軍人の命を守り、終戦後も、部下たちの心に寄り添い続ける――不滅の仁将の智勇を、現代の視点で捉え直した力作評伝 保阪正康氏推薦! [本書のねらい]●太平洋戦争の敗戦要因についての研究は、歴史家だけでなく、専門分野を超えて、これまで精力的に進められてきた。 ●だが、その失策にばかり気をとられ、すぐれた能力を発揮した軍人たちがいたことを我々は忘れるべきではないだろう。 ●指揮官としての責務を果たしつつも、時局や組織に振り回されず、人としてあるべき姿を求め続けた指導者たち――。 ●その人間観や指導観に学びの視線を向ける良識が、グローバル化の荒波に飲み込まれ、経済敗戦の様相が色濃くなってきた令和の日本人に求められているのではないか。 ●評伝のスタイルをとりつつ、リーダーに必要な条件について、有益な示唆を与えてくれる「不敗」の名将「今村均」の真の姿を、本書が描き切る。 〈目次構成〉●序 国破れて名指揮官あり――今村均という陸軍大将/敗戦と没落、戦時期の日本と令和日本/現代の視点でみた「今村均」の資質と能力 ●第一章 文学少年から軍人へ――幼少期/今村の人格陶冶/小学校時代/軍人へ ●第二章 昭和動乱の中で――士官学校への入学/居眠り/厳しい生活と友情/明治の終わり/陸大受験/真相 ほか ●第三章 指揮官としての成長――連隊長へ/今村と派閥/今村の反省/日中戦争勃発/戦場へ/ノモンハン事件/蒋介石の反撃/今村の将器 ほか ●第四章 大東亜戦争はじまる――賓陽作戦/教育総監部本部長/「戦陣訓」の後悔/第十六軍司令官/今村と海軍/蘭印降伏/「今村軍政」/中央からの批判/「ガ島」の攻防/玉砕か撤退か ほか ●第五章 祖国の敗北――自給自足に向けて/海軍との連携/自活/地下要塞/敗戦を迎える ほか ●第六章 果たしきった責任――敗戦からの戦い/オーストラリアとの裁判/死を免れる/死生観の変化/日本、そしてマヌスへ/果たしきった責任/先見の明/修養を忘れなかった人 ほか
  • 服部卓四郎と昭和陸軍 大東亜戦争を敗北に至らしめたものは何か

    服部卓四郎と昭和陸軍 大東亜戦争を敗北に至らしめたものは何か

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻950円 (税込)
    ノモンハン事件、大東亜戦争開戦、ガダルカナル戦……。国家の命運を左右する参謀本部の中枢に居続けた作戦参謀「服部卓四郎」。戦時下では、参謀本部の田中新一や辻政信、そして東條英機や石原莞爾らとどのように関わっていたのか。帝国日本が敗戦への道を突き進んでいく過程で何が服部らエリートを突き動かしたのか。戦後はGHQに庇護される立場となり、『大東亜戦争全史』をまとめ上げたが、その胸中に去来した思いとは。そして、この男の生涯と折々の言動を丹念に追うことで見えてくる日本軍の失敗の根因とは――。デビュー作『多田駿伝』(小学館)で第26回山本七平賞奨励賞を受賞した気鋭の著者による渾身の書き下ろし。 【目次】●序章 戦後史に消えた作戦参謀 ●第一章 エリートコース ●第二章 ノモンハンの蹉跌 ●第三章 大東亜戦争はじまる ●第四章 参謀本部作戦課長の「敗戦」 ●第五章 生き残った参謀――「服部卓四郎」の正体 ●終章 昭和陸軍の象徴として
  • 永田鉄山と昭和陸軍

    永田鉄山と昭和陸軍

    小説・文芸

    4.0
    1巻924円 (税込)
    昭和10年8月12日、陸軍省軍務局長室において、相沢三郎陸軍中佐に斬殺された永田鉄山陸軍少将。「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」とまで言われた昭和陸軍の逸材は、なぜ殺されたのか。永田が目指していたものは何か。そして、永田が生きていれば、日本は戦争への道を歩まずにすんだのか――。これらの命題に、永田の人物と構想を繙きながら、相沢や皇道派にも触れつつ、迫っていく。永田家所蔵の初公開写真や遺族の声も掲載。はたして、戦争は止められたか?
  • 渡辺錠太郎伝 ~二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想~

    渡辺錠太郎伝 ~二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想~

    小説・文芸

    4.7
    1巻1,782円 (税込)
    渡辺和子の父はなぜ二・二六で殺されたのか。 昭和11年2月26日未明――。 雪に覆われた東京・荻窪の渡辺邸で何があったのか? 「非戦平和」を訴え続けた「良識派」軍人の思想と生涯が、初めて明かされる。 ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』などの著作で知られるシスター渡辺和子の父・錠太郎は、日本が戦争へと突き進む中で起きた史上最大のクーデター未遂事件「二・二六事件」で、陸軍軍人としてただ一人“襲撃目標”にされた人物だった。 戦争だけはしてはいけない――。第一次大戦後のドイツなどを視察し、戦争の実相を知悉していた錠太郎は帰国後、戦争を避けることがいかに重要かを説いて回った。 「私は戦い破れたドイツ、オーストリーばかりでなく、勝った国のイギリス、フランス、ベルギー、オランダなどもつぶさに見て来たが、どこもかしこもみじめな有様であった。日本も世界の列強にならねばならぬが、しかし、どうでも戦争だけはしない覚悟が必要である。」(評伝『郷土の偉人 渡邉錠太郎』より) 無類の読書家でもあった錠太郎は、俸給の多くを「丸善」での軍事書などの支払いにあてていたという。 「非戦平和」を唱え続け、志半ばで凶弾に斃れた悲劇の軍事エリートは、なぜ同じ陸軍の兵士たちの手で殺されなくてはならなかったのか。残された娘は、父の死に何を学び、どう行動したのか――。 第26回山本七平賞奨励賞を受賞した気鋭の歴史研究者による傑作評伝。
  • 多田駿伝~「日中和平」を模索し続けた陸軍大将の無念~

    多田駿伝~「日中和平」を模索し続けた陸軍大将の無念~

    小説・文芸

    4.4
    1巻1,683円 (税込)
    戦後日本人はなぜこの男の存在を忘れたのか。 「圧倒的な事実で迫る昭和秘史」――古川隆久・日本大学教授推薦 昭和13年1月15日、首相官邸において「大本営政府連絡会議」が開かれた。蒋介石率いる中華民国との和平交渉を継続するのか、それとも打ち切って戦争に突き進むのか、日本側の最終決断がいよいよ決せられようとしていた。近衛首相、廣田外相、米内海相らが居並ぶこの会議で、たった一人「戦線不拡大」を訴えたのが、参謀次長・多田駿だった。 「声涙(せいるい)共に下る」――多田は、日中間で戦争をすることが両国民にとっていかに不幸なことであるかを唱え、涙ながらに日中和平を主張したという。しかし、その意見が受け入れられることはなく、以後日本は泥沼の日中戦争に嵌っていくことになる。 陸軍屈指の「中国通」として知られ、日中和平の道を模索し続けた多田駿。だが、これまで評伝は1冊もなく、昭和史の専門家以外にはその名を知る人はほとんどいない。 「多田駿とは何者か?」著者はその疑問を解くために、厖大な数の文献を読み漁り、遺族を訪ねて未発表史料を発掘しながら、その足跡を丹念にたどっていく。 戦後日本人が忘れていた一人の“良識派”軍人の素顔がいま初めて明らかになる。

ユーザーレビュー

  • 渡辺錠太郎伝 ~二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想~

    Posted by ブクログ

    【こんな人間になりたい…なんて言うのも恥ずかしい】

    二・二六で凶弾に倒れた渡辺錠太郎の伝記。歴史書としてもおもしろい上に、人物伝として描かれる彼の生きざまが文句なしに素晴らしい。

    まずは歴史書としての観点から。これまであまり知らなかったけど、永田鉄山とともに、もし生きていたらその後の陸軍、ひいては歴史を変えたかもしれない、日本を救ったかもしれないといわれる大人物。彼に手を下した愚か者が憎いと思った。けど渡辺和子が言うとおり、直接手を下した青年将校や下士官たちよりも、貧しい農村を思う彼らの純朴な思いを利用してクーデターを扇動し、事件を起こさせておきながら、天皇の激怒を知って知らんぷりを決め込む荒木貞夫、真崎甚三郎といった上級将校たちは決して許せない。恥を知れ。そしてその後の歴史まで変えてしまったあなたたちの罪は想像以上に重い。

    次に人物伝。天皇機関説や統帥権干犯をめぐる議論をてこに皇道派が強硬に発言力を増す中、それに危機感を抱く林銑十郎、渡辺丈太郎、永田鉄山といった特定の派閥に属さない良識ある人物たち(皇道派に対し、いわゆる統制派と呼ばれる)の抵抗に手に汗を握る。永田が「小説」として書いた(書かされた)クーデター計画案をめぐって渡辺が真崎をやりこめる場面は痛快だ。理知的、冷静でありながら鬼気迫る勢い。満を持して鷹が鮮やかに舞い降り爪を現した瞬間!

    人物としての渡辺錠太郎は、今の自分とはあまりにもかけ離れすぎて理想像というのもおこがましいと思ってしまうくらいの人格者。本の表装の、娘の横で幸せそうに笑う普通のおじさん写真(失礼!?)からは想像できなかった。

    勤勉、努力家、高潔、自ら望まず、自己顕示欲なし、衣服や金銭に無頓着、義理堅い、正義感強い、逃げない、ぶれない、芯が強い、普段は温厚篤実、肝心なところで曲がったことは通さない、強固な意思、やるときは徹底的にやる胆力。

    残念ながら自分との共通点は本好きなことくらい??比べると情けなくなるけど、自分に負けそうなとき、逃げたくなったとき、「渡辺大将ならどうする?」って自分に問いかけるくらいは許してもらおう。

    0
    2025年11月14日
  • 渡辺錠太郎伝 ~二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想~

    Posted by ブクログ

    過日、旭川を訪れる機会が在って、街を歩いて常磐公園に立寄った。
    公園の入口に「常磐公園」という園名が刻まれた立派な碑が在る。昭和の初め頃に出来た碑だが、文字は旭川に司令部を設置していた陸軍の第七師団で当時師団長を務めていた人物が揮毫したのだという。往時の陸軍では「師団長」は中将の階級に在る者が務めていたようだが、「常磐公園」の揮毫をしたのは渡辺錠太郎という人物だった。
    「渡辺錠太郎」の名に聞き覚えが在った。彼は旭川での任務の後、大将に昇任している。やがて教育総監という陸軍首脳部の要職に就くのだが、「二・二六事件」の際に自宅に在った時に襲撃され、殺害されてしまった。その「二・二六事件で害されてしまった人物」として「渡辺錠太郎」の名を記憶していた。
    そういうことでこの「渡辺錠太郎」という人物について知りたいという興味が沸いた。そういう中で本書に出逢った。
    揮毫したと伝えられる碑を偶々観たという小さな出来事を通じて「気付いた」人物について、本書を通じて色々なことを知ることになった。種々の史料・資料を、読み易さを意識した形で整理して引きながら、「渡辺錠太郎」という人物の歩みを巧みに纏めている一冊である。
    表紙カバーに、軍服姿の男性と、未だあどけない感じの少女との写真が掲載されている。軍服姿の男性が陸軍大将渡辺錠太郎である。少女は末っ子の娘である。年季が入った職業軍人の厳めしい雰囲気ではなく、少女が「可愛がって下さる御父様」と慕っている、強く優しい父親という雰囲気が滲む写真であると思う。少女の側も、「御父様」の傍らに在るのが嬉しく誇らしいという様子が表情から伺える。
    渡辺錠太郎は結婚後に娘を授かり、間隔が少し開いて2人の息子を授かった。更に年月を経て、本人が50歳代に入っていて、旭川での第七師団長であった頃、妻から妊娠を打ち明けられた。妻は産むべきか否かを迷っていたらしい。最初の娘は既に嫁いでいて、子を授かったというような話しが出ていた頃であったのだ。そんな中、渡辺錠太郎は妻に「産んでおけ」と告げたそうだ。そこで表紙カバーの写真の娘が産れている訳だ。孫であっても不自然でもない感じの娘を授かったということになる。50歳代が現在よりも高齢であるというイメージであった時代で、渡辺錠太郎は娘と過ごせる時間は余り長くないのかもしれないとして、娘を随分と可愛がっていたらしい。表紙カバーの写真は二・二六事件の何ヶ月か前であるようだ。渡辺錠太郎は62歳で、娘は9歳であったという。
    実は渡辺錠太郎が襲撃を受けて最期を遂げてしまった時、一番近くに在ったのが写真の少女、娘の和子であったという。本書は最初の方に事件で渡辺錠太郎が最期を遂げてしまう様子等が、長じた娘の和子が綴ったモノ等も引きながら詳しく叙述されている。御本人に近い側から観た最期というような感じになるであろう。
    それを踏まえて、少年期からの渡辺錠太郎の歩みが、高級将校として色々と説いていた論等が詳しく紹介されるのが本書である。少し夢中になる内容だ。
    渡辺錠太郎は少し独特な経歴を歩んでいる。優秀な若者を見出して登用する仕組みに乗り、内部での研修を経て昇進という経過なのだ。
    陸軍将校の多くが士官学校に学ぶ。士官学校については、幼年学校からという人達も在れば、現在の有名な大学の前身に相当する様々な学校へ進むようなコースに乗っている人達も在って、そういうエリートがなかなかに厳しい試験を潜り抜けて入学していた。渡辺錠太郎はそういうエリートというコースに乗っていない。農家の出で、最低限の義務教育、小学校を卒業しただけである。そこから「誰でも受験資格が在る筈だ」ということで受験可能な年齢になってから士官学校を受験し、見事に合格した。やがて、更に上席の参謀将校となり得る人材の研修を行う陸軍大学校に進む。これも将校と名が付く全ての者が進むのでもない。その陸軍大学校に学んだ渡辺錠太郎は、首席で研修を修了して将来を嘱望されたということだ。
    陸軍で将官に昇進するという人達は或る程度限られる。その将官の中でも最高位の大将というのは更に限られる。当時のエリートと呼ばれる経歴と無縁で、「小学校の後に受験年齢になった」というだけで士官学校に入り、大将に迄昇進したというのは、渡辺錠太郎以外に例が無いかもしれないということのようだ。
    陸軍大学校の後、渡辺錠太郎は日露戦争に従軍するが、負傷して戦地から退いている。その後は参謀本部に勤務し、元帥山縣有朋(1838-1922)の副官を務め、ドイツへ研修に出る機会も経験している。そういうような経過であったが、第1次大戦の欧州を視察する機会を得て、戦争や軍事ということに関して色々と考え、それらの論を纏めている。この第1次大戦を受けての、渡辺錠太郎の論が本書に詳しく紹介されているが、非常に興味深い。
    日清戦争や日露戦争は、陸海軍の軍人が何処かの戦場で戦っているというような感であった。第1次大戦は、各国の国民の大半を広く巻き込む様相になってしまっている。そして航空機の利用で空爆が行われるようになり、各国になかなかに難しい防衛の課題を突き付けるようにもなっている。軍備を備えても、簡単に戦端は開けないものなのだと考えるべきであろうというのが渡辺錠太郎の説だ。
    渡辺錠太郎は政治的な行動に出るのでもなく、派閥のようなモノに与しようとするのでもなく、飽く迄も軍人の役目を誠実に果たすという考え方であったとされる。が、所謂「皇道派」と「統制派」との争いに関わるような形になって行ってしまう。政治的な動き、派閥としての行動が目立つような感じになった「皇道派」の突出する傾向を牽制しようとしたのである。そうした経緯の中、二・二六事件に関わった人達の怨嗟の対象というようになって行ったようだ。
    やがて本書は二・二六事件の様子等に関して、もう少し多面的に描き出し、事件で最期を遂げた渡辺錠太郎の遺族である和子や、事件に携わった青年将校の家族の年月というような話しを綴っている。
    旭川で公園の園名碑の挿話に触れて出くわした人物の名が、史上の少し大きな事件に関わっていることに気付き、その人物の詳しい評伝に出逢うこととなった。何か凄く好かったと思う。
    長い間、「渡辺錠太郎」という名は「二・二六事件で襲撃された人達の1人」というだけに留まっていた。が、本書の御蔭で大変な努力で身を立て、世界の歴史、文明の行方のようなモノを見詰め、職業倫理を飽く迄も全うしようと心を砕き、同時に子ども達の強く優しい父親であったという人物像が眼前に迫るようになった。そしてこの人物は、何となく訪ねる機会も在る旭川に所縁の人物ということにもなる。
    今般、偶々本書に出くわし、本当に善かった。こういう感じで興味深い本に出くわすことを繰り返しながら、少しなりとも、より心豊かな人生が拓けるのだと思う。「渡辺錠太郎」はもっと知られて然るべき人物であると観る。そういう意味でも本書は広く御薦めしたい。

    0
    2025年06月05日
  • 多田駿伝~「日中和平」を模索し続けた陸軍大将の無念~

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    ネタバレ

     多田駿の名前は参謀次長として聞いたことはあるが、ぞの前後での活躍は見た覚えがなく、どのような人なのか気にはなっていたが知りようがなかった。
     だからこの新鋭の作家によって、まさに伝記が発刊されたのを知り、喜ぶと同時に地味なこの人の伝記におもしろいところはあるのだろうか、と余計な心配もした。
     この本の一番の読みどころは、まさに次長時代の話で。蒋介石国民政府を相手にせずの近衛声明に表された交渉打ち切りに最後まで反対したところだろう。政府、外務大臣、海軍、陸軍大臣、参謀本部内の拡大派を相手に立ち向かったが敵わず、その後の南京攻略など対中戦争が激化泥沼化したが、唯一の反対派が陸軍参謀本部だったのだ。海軍の米内大臣も強硬派だったのだ。ここは大事な事実で、今までの陸軍悪玉海軍善玉論の小説、解説書では出てこない話である。初めてこの本で明示されたのではないだろうか。
     また、石原莞爾とも先輩後輩で仲が良かったなども興味深いところである。
     この作家は、多田駿の孫を探し出して話を聞き、遺品や遺稿など所蔵品を多く見ているので素晴らしい力作になったと思う。今後も大いに期待したい。

    0
    2020年09月05日
  • 渡辺錠太郎伝 ~二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想~

    Posted by ブクログ

    二・二六事件で暗殺された陸軍教育総監渡辺錠太郎。貧しい境遇から士官学校、陸軍屈指の読書家で独自の非戦思想。歴史の狭間に埋もれた人物の実像に迫る傑作評伝。

    本書の主役渡辺錠太郎の二女の名は渡辺和子。あの「置かれた場所で咲きなさい」の筆者。二・二六事件、青年将校の凶弾に父が倒れた時、8歳の娘は正に同じ部屋にいたという。53歳で生まれた娘。「長くは一緒にいられない」と孫ほどに年の離れた娘を父は溺愛。

    日本の陸海軍士官は旧制高校、帝大と並ぶ当時のエリート。渡辺錠太郎の生涯、凄いのは小学校を卒業後、農業のかたわらで独学、旧制中学を経ずに陸軍士官学校に合格するところ。

    二・二六事件に至る陸軍の道、そこにある皇道派と統制派の争い。本書を読む限り渡辺はどこの派閥にも属していない。その分、現代の目から見ても極めて真っ当な主張が多い。軍人が政治に意見する弊害や機関銃、航空機等の近代兵器での武装の必要性、そして総力戦による国家の疲弊と一方で非戦のためな武装論など。

    渡辺錠太郎の名は知ってはいたが、本書がなければ略歴その他深く知ることはなかったように思う。歴史の狭間で名のみ残る人物。そんな立志伝中の人物にスポットライトをあてた作品。父娘二代の生涯には大きな感動が。
    屈指の評伝です。

    0
    2020年08月27日
  • 渡辺錠太郎伝 ~二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想~

    Posted by ブクログ

    「渡辺錠太郎伝:二・二六事件で暗殺された学者将軍の非戦思想」(岩井秀一郎)を読んだ。
    これは力作です。
    見事!
    渡辺の言葉で印象に残ったのが、
    『それから少数の者が実権を掌握して久しきに溺れば必ずその内容が腐敗して来る』(本文より)
    いつの時代においても権力が腐敗していくのは同じか。

    0
    2020年05月31日

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