大塚久雄のレビュー一覧
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日本のマックス・ヴェーバー研究の第一人者である著者の講演録をもとにした名著。
マルクス経済学とヴェーバー社会学の比較を通じて社会科学を考察する内容でもあり、ヴェーバーの宗教社会学のアプローチはもっと学んでみたいと思いました。
特に、「ヴェーバーの『儒教とピュウリタニズム』をめぐって」の章で述べられる、ヴェーバーの両宗教の比較分析にはもの凄く興味をそそられる。
儒教は世界の現状を肯定し尊重するが故に受動的な態度になり、近代資本主義を生み出すには至らなかったのに対し、ピューリタニズムは悲観主義のもと現世を否定するが故に、行動的禁欲という形で現世に強く働きかけ変革していこうとする大変な精神的エネルギ -
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労働が美徳なのは、他者への貢献と共に「禁欲自体」が美徳だからとも言える。自らの労働を売り渡す行為は、その契約の範囲での脱人格化を含むが、脱人格化は「禁欲」の類型である。本源的な生存競争をいかに強化するか、そのために集団化し、国家は成立してきた。それを統制するために共同幻想が必要となり、それぞれの領域間での交換が行われてきた。この共同幻想に従う個体には「忠実性」が求められる。つまり、競争のために労働に費やす脱人格化はすなわち忠誠であり、これを美徳として組み込んだものが、あらゆるイデオロギーの根本にある、と考える。この「禁欲」を考察したのがマックス・ヴェーバーだ。
イデオロギーと書いたが、同書が -
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今年は著者没後100年(1920年6月14日没)。
これまでは、資本主義の歴史、宗教教示の諸相、近代社会についての著者の警鐘といった点に注目していたが、再読にあたっては”労働”や”日常生活”をキーワードにしたい。
経済成長には、永続的な生産性向上や効率化が必要ならば、それは可能なのだろうか。否応のない技術革新によって労働環境が変わるとき、労働者ーそしてもちろん使用者および資本家ーの”精神”へどのような影響を及ぼすのだろうか。一方で、今日の技術革新は現代人の”精神”とどのような関係を見いだせるのか。
そして、今においては”鉄の檻”はどのような姿をしているのだろうか。
幾度となく一面的な社会 -
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本書を初めて読んだのはもう30年近く前のこと。少しは自分も成長したから感じるところに違いもあるだろう、と思ったが読後感は当時とほとんど変わらないものだった。すごく「綺麗」で「強い」本だ、という印象。しかも、一旦興奮が覚めた後には「しかしこれで本当に説明になっているのだろうか?」という、疑いが尾を引く感じもまた甦ってきたのだ。
確かに美しい。神の思し召す「合理的」な目的に沿うよう勤労し禁欲すべし、というプロテスタンティズムの規範すなわち「目的」が、いつの間にかその規範自体の作動を強化するself drivenな起動力──すなわち「原因」となっているという「不合理」。目的と原因の転倒のみなら -
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古くから経済活動は行われていたが、近代資本主義のような拡大性を有さなかった。では近代資本主義を勃興させた駆動力はなんだったのか?
近代的企業家の多くがプロテスタント的色彩帯びている事に着目し、その精神性から駆動力を紐解いた論文。
清貧を掲げるキリスト教と、富を増大させる資本主義は一見相反するが、なぜ企業家の多くはプロテスタント的色彩を帯びていることが多いのか?
善行を積むことで神に選ばれるとしたカトリックに対し、プロテスタントは神の絶対性重視から、人の行動など神判に影響しないとする「予定説」を採択する。
「予定説」において、死後救済されるか否かは既に決定しており、現世の行動は審判に影響し -
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1966年刊行のかなり古い本になるが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』以降、マックス・ヴェーバーに惹かれる自分があり、解説本として定評があったこの本を手に取った。なお、著者の大塚久雄さんはヴェーバー研究の大家で、岩波版の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の翻訳者としても知られている。
本書は四つの独立した章からなっているが、それぞれがヴェーバーに関する講演を下敷きにしてまとめられたものである。
■第一章 社会科学の方法 - ヴェーバーとマルクス -
「人間の営みにほかならぬ社会現象を対象としたばあい、自然科学と同じような意味で、科学的認識ははたして成りたつもので -
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ネタバレ初めてこの本を手に取ったのは高校生の時だ。当時ハマっていたアニメの中で、マックス・ウェーバーを引用していたのがきっかけで、気になって読んでみたが、当時は修行というか苦行に耐えるような気持ちで読んだ覚えがある。ただ、今振り返ってみるとこの経験がきっかけとなって、難しい本の楽しみ方を知ったようにも思うため、今となっては思い出深い本である。
ウェーバーが天才的だと思うのは、彼が生きていた19世紀半ば〜20世紀初頭において、プロテスタントの勤勉かつ禁欲的な思想が資本主義を駆動するための精神的な背景として機能したことを明らかにしたことだ。あらゆる社会現象について言えることだが、後講釈として振り返ることは -
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最も有名な古典の一つ。近代資本主義がどのように出現したか、何にドライブされて形成されてきたかをマックス・ヴェーバーが解き明かした一冊。
ヴェーバーによれば、近代資本主義の勃興を促進した心理的起動力はキリスト教的禁欲主義だった。
ルッターによる宗教革命の際、はじめて「天職思想」(世俗的職業の内部における義務の遂行こそが最高の実践道徳であるという思想)が打ち出され、これが以後のプロテスタンティズムの中心的意義となった。
これがキリスト教的禁欲主義と結びつく。つまり、外物への執着や金銭を追求する欲から自分自身を忌避させる方法として労働を推奨した。またカルヴィニズムにおける「予定説」もこの思想を強 -
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カトリックの国でもギリシャ・ローマでもなく、仏教の国でもなく、なぜ資本主義はプロテスタントの国から発生したのか?神の栄光のために禁欲的に、勤勉に生きる人々が結果として、富を蓄積し、その生き方が資本主義を発展させる流れに強く結びついたからである。
マックス・ウェーバーの名著で、以前、小室直樹氏の書で感銘を受け、いつか読んでみたいものだと思っていたが、ようやく実現できた。学生時代は社会学を学んでいたにも関わらず、こういう名著に触れることなく、勉学としては無為に時間を過ごしてしまった。これからの後半生、なるべく多くの名著に、少しでもいいから触れていきたい。