産業心理学者である著者が事故が起こるメカニズムを分析し、その上で、必要な対策について提議した本。
会社のライブラリで見つけ、自動車の安全を専門としている私にとっては必須の本だと思い手にとりました。
本書で著者は、「安全対策がどのような成果を上げるのか、あるいはあげないのかを決めるのは、その安全対
...続きを読む策によって人間の行動がどのように変化するかにかかっている。」と言っています。
そして、これは工学の問題ではなく心理学の問題であると。
本書では、工学的に考えて事故を無くすために導入した安全装置が裏目に出る例をいくつか紹介しています。
例えば、居場所を知らせるビーコン。
これが普及するとともに、従来は危険で誰も近づかなかったような場所に登山家が入り、雪崩にあうケースが増えました。
次に、低タールたばこ。
これに切り替えた愛煙家は、ニコチンの吸収量を確保するために、無意識に深く吸い込んだり、短い時間間隔で吸引したり、煙を肺に長くとどめたりするというデータがあるそうです。
また、東日本大震災においても、かなりの人は、ここまでは津波が来ないだろうと思って逃げなかったために命を落としました。
住民の判断を謝らせた一因は、立派な防波堤・防潮堤の存在です。
また、これらのことは、安全装置だけでなく、訓練や経験についても言えます。
例えば、クルマの操縦や、スキーや、楽器演奏の技能が向上しても、ミスをおかす可能性はそれほど低下しません。
自信は過信につながり、失敗を生むのです。
では、リスクを減らすはずの対策や訓練が、結果として事故や病気や失敗のリスクを低下させられないのはなぜでしょうか。
それは肝心の人間がリスクを増やす方向に行動を変化させるからです。
この現象を「リスク補償」といいます。
リスク補償行動とは、低下したリスクを埋め合わせるように行動が変化し、元のリスク水準に戻してしまうこと。
せっかく苦労して安全性を高める装置を作っても、それを使う人間が安全性を引き下げてしまうのです。
このことは、「リスク・ホメオスタシス理論」という理論でも説明されます。
このホメオスタシスのメカニズムの中で特に重要な点は以下の二つ。
⑴どのような活動であれ、人々がその活動から得られるであろうと期待する利益と引き換えに、自身の健康、安全、その他の価値を損ねるリスクの主観的推定値をある水準まで受容する。
⑵人々は健康・安全対策の施行に反応して行動を変えるが、その対策によって人々が自発的に引き受けるリスク量を変えたいと思わせることができない限り行動の危険性は変化しない。
つまり、リスクをとることは利益につながる。
だから、人々は事故やリスクをある程度受け入れ流のです。
安全対策で事故が減った場合、人々はリスクが低下したと感じ、その分のリスクを受け入れ、ベネフィットを求める。
したがって、今の安全水準で十分と思っている人、自分は事故を起こさないと根拠もなく信じている人、もっと速く走りたい、少しでも早く目的地に着きたいと思いながら運転している人、運転しながら電話をしたり、テレビを見たり、メールを打ったり、カーナビを操作したりする人たちにとって、安全装置は安全性向上ではなく、自分たちの行いたい行動の目的に利用できる便利や装置に過ぎないのです。
これらのことから、安全装置を安全装置として使ってもらうためには、安全への動機付けを高める教育や働きかけ、装置のユーザー・インターフェイスの工夫などが不可欠であると著者は提議しています。
さらに、「1台のクルマとそれを操縦する1人のドライバー」という枠内で安全を図ることの限界に気づき、広く交通環境の中での機械・設備・人間(複数の交通参加者)・組織の相互作用の視点で安全性向上を目指す視点が必要であると。
安全技術を開発している立場の私としては、全く予想していない内容でした。
アクティブ・セーフティ技術(ぶつからないクルマなど)が普及し、さらに精度が高まることによって、交通事故が無い世の中になるということを信じていましたから。
しかし、ただそのような装備を付けるだけでは意味がないようです。
このことは、世の中の全ての安全に関わるエンジニアが知っておくべきことだと思います。
これから少し産業心理学について勉強してみようかな。
そして、人を知った上で、より有効的な技術開発を行なっていきたい。
そう思いました。