植本一子のレビュー一覧
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マックグリドルみたいな一冊。賛否あれども「あ、これは、なんというか、分かる。理解できる。そうだよね」ってなる。
「およそ全ての文章は誰かに読まれる為にある」というフレーズをどこかで見たことがある。書くと読むは表裏一体にあるもので、決して人に見せられないような日記ですらいつかは誰かに読まれたいって心の根っこでは思ってる、だからリスクを負ってでも書いて残すんだって。人は誰かに自分を分かって欲しい、言っちゃえば認められたいし、愛されたいし、求めて欲しい。ただこの植本さんはその気持ちが人より強く出るし、そして出続ける。
当たり前のことだけど、自分の人生を徹底して第一優先に考えることができる人だなぁ -
Posted by ブクログ
ネタバレ正直な人だなあ。こんなに正直に書けない。だって、人にどう思われるか不安だから。
子育ての大変さ、よく分かる。著者と全く同じことをよく思うし、同じことをしてしまっていることもある。
大変さを率直に言いあえて、認め合えて、分担し合えるような社会になったらいいよね。
子育ては大変だけど、楽しいところ、とても嬉しいところもあって、そんなところもちゃんと書いてある。
子育ては大変、やりたくないって、この本を読んで思う人がいると残念だけど、著者も書いているように、大変だけど、子どもがもっといたらとも思う、子育てって不思議なもの。
お母さんとの話も書いてあり、「私はずっと母の子どもでいたいんだと思う」という -
Posted by ブクログ
ネタバレ淡々とした日記のなかに、媚びへつらわない正直な毎日が、想いが、詰まっている。
「写真を撮っているとき、そして文章を書いているとき、私の精神は安定している。そのときは誰にも依存せず、自分一人で立っている気がする。」
そう言う筆者の植本さんにとても共感する。
一人で立つ、ということばがよく出てくる。自立、自律?
一人で立たなければいけないと私もずっと思っていたけれど、本当にそうなのだろうか。
人という文字は、人と人が支え合っている様子を表しているなんていうけれど、その角度というか、支え具合、支えられ具合はフレキシブルに変化していくのが理想だと思う。常に寄りかかっていなくても良くて、でも立ってい -
Posted by ブクログ
「家族」をテーマにしたエッセイというか、日記。誰かが勧めていたのを見て読みだしたのだけれど、よくよく考えると「かなわない」は読んでないし、植本さんの写真はちゃんと見たことないし、ECDも石田さんのラップも聞いたことはない。
冒頭の広島の母との話で、「あぁ、最後ってこういう意味か」と思って読んでいたけれど、大半は法律上の夫である石田さんがガンで入院してから2か月ぐらいの諸々。どうしたって子育ても続くし、日常はしんどいし、不安も、疲れも、まぁ読んでて楽しくなるものではない。万人受けしないものだと思うけれど、個人的には読み進めずにいられないものでもある。
タイトルの「最後」に絡めていうならばどこかで -
Posted by ブクログ
「かなわない」で文章がすごく好きだと思った植本さんの新著。
旦那さんである石田さんが癌だということが分かり、この先どう頑張っても終わりようのない日々の始まりが少し書かれている。
前作との比較になるが、文章からはだいぶ落ち着いたんだな、ということがうかがえる。前は文章もすごく凶暴で乱暴で、怖かったのだ。感情をぶんぶん振り回し、子供のように泣く一子さん、怖かったけど好きだと思っていた。
読みながら「家族最後の日」の意味を考えた。それはあとがきで明かされているのだけれど、そうかあと納得できた。家族を二つ持つことの意味を、私はまだまだ理解出来ていなかった。
読んで心が不思議と落ち着いた。、 -
Posted by ブクログ
「かなわない」読後と同じような気持ちになる。
子どもが、大丈夫か…みたいな。「夜ご飯食べさせてくださいって言ってきて」と夜に子供を送り出すことや、非課税世帯でカツカツなのに新宿伊勢丹でギャルソンのコートは買えるんだ…とか。ひとんちのことだからいいんだけど、いちいちもやもや。
こんなに全部出していいのかな、と毎回思う。
でもそうやって全部ぶつけて頼って振り回して生きていく人なのかなとも。
書かれたのは2018年あたり。こと後のこともわかってるだけに、暗澹たる気持ち。でも周りの人にたくさん助けてが言える人だから、どうやってでも生きていくのかな。
何にしても日記というオチのないものを最後まで読ます文 -
Posted by ブクログ
著者のエッセイは全て読んだし持ってるのもあり、ファンである
今回はトラウマ治療とのことで、今までよ全然違って、後半は正直パラパラだったが、素直で正直な普通の生活がかえって、らしくて良いなと思う
カウンセリングって敷居の高いものとか、ほんとにヤバくなった精神的に、とかの前に行くもののようなイメージもあるが、海外ではごく一般的だし、私もいつか何かにつまづいたり、人には言えないけど誰かに聞いてほしいことや経験したことのない絶望が訪れるかもしれないこの先、カウンセリングは一つの希望だと思った
同じ世界のいまどこかで、こうやって悩みながらも一生懸命に生きてる人たちはたくさんいるわけで、自分もその1人だと