朝日新聞校閲センターのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
言葉はゆらぎながら変化していくことを、改めて感じた一冊。
おそらく、日本語の話者が想定する「正しい日本語」は、話者ごとに異なる。
住んでいる地域や生きている時代、周りの人間との関係性や触れてきた日本語によって、個々の話者にとって「正しい日本語」が形成され、そしてそれは、話者ごとに異なる。
とはいえ、共通している部分も多いので、概ね、コミュニケーションは成り立つ。
しかし、細かい部分での差異までそろうことはないので、他の話者の言葉の使い方に対して抱く違和感は、ゼロにはならない。
そういった前提で本書を読むと、校閲センターの悩みが非常によく理解できる気がします。
ちなみに、本書には、「朝日 -
Posted by ブクログ
新しい気付きや、発見の多い本でした。
特に印象に残ったのは、第一章の「ことばは生き物。変身もする、盛衰もある」という章です。
時々ニュースで、ある言葉について、本来の意味ではない誤った意味で認識している人が大多数という話題を見ることがあります。
でも大多数の人が認識している意味なら、もうそちらが正解でいいんじゃない?と思っていました。
ことばは、変化するものなんですね。
平成の新語として、「セクハラ」が挙げられていましたが、今じゃ「◯◯ハラ」のオンパレードですよね。ここまで地位を確立するとは、思ってもいませんでした。
何冊か日本語に関する本を読んできましたが、やはり興味を惹かれます。 -
- カート
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試し読み
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Posted by ブクログ
「転嫁」、なぜ嫁を転がす?
「嫁」には「かずける」という意味があります。「かずける」は「被ける」という字を当てて、「責任や罪などを圧しつける」ことを言います。「嫁」は「被」と同義の関係にある。
「姑息な手段」の「姑」は、「しゅうとめ」のことではりません。この場合の「姑」は「ひとまず」「しばらく」という副詞のような役割なのです。「息」は「休息」というように「休む」の意味です。つまり「姑息な手段」は「一時しのぎの手段」のことで、「姑の息」とは関係ありません。
漢字は3千年以上の歴史の中で、様々な意味と用法を現代に持ち込んでいます。しかし先に挙げた「嫁」や「姑」のように、私たちは限られた範囲の中で