浜田寿美男のレビュー一覧
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1948年1月26日、ひとりの男が東京の帝国銀行椎名町支店を
訪れた。赤痢の予防薬の服用との名目で行員等に青酸化合物
を飲ませ12人の命と、現金16万円を奪った。
帝銀事件はテンペラ画家・平沢貞道が犯人とされ、死刑が宣告
されたのだが、刑の執行がされぬまま1987年に95歳で獄死した。
冤罪事件ではなかったのかと思う事件のひとつである。そもそも
物的証拠が皆無な事件だ。目撃証言と平沢氏の自白のみで死刑
を確定した事件なのではないか。
これまで行われて来た再審請求はことごとく退けられて来た。
平沢氏の養子となった男性が死亡したことを受けて、弁護団は
別の親族を探して第2 -
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Posted by ブクログ
空恐ろしさを禁じ得ない。「証拠なき確信」に囚われた尋問者に取り囲まれ孤立無援となる被疑者の「無力感」はまだしも、有罪となり刑を受ける実感に乏しい無実の人のほうが真犯人よりもかえって自白してしまいやすいという逆説が恐ろしい。
判明した結果のみから事件の真相を帰納する、いわば「リバースエンジニアリング」への加担に、いとも簡単に追い込まれてしまう被疑者たち。本書で挙げられる事例(ただし確定的に冤罪であると認定されている事例ばかりではないが)にとどまらず、例えば2012年に起きた「PC遠隔操作事件」では誤認逮捕された4人中2名が全面自白に落ちている。
「冤罪はこうしてつくられる (小田中總樹・著) -
Posted by ブクログ
3回にわたる講義の形式で、人間の心の不自由さについて考察を展開しています。
第1回講義では、無実の人間がなぜ虚偽の「自白」をしてしまうことになるのか、という問題があつかわれています。取調室という異常な環境のなかで人間の心理がいったいどのような状態に置かれるのかということが、著者自身がかかわった事件を題材に論じられます。とくに興味深く感じたのは、無実のひとが取調べをおこなう刑事と犯行ストーリーを「協作」していくプロセスについての議論です。
そのことは、第2回、第3回の講義で論じられることになる、人間心理が「他者」ないし「社会」との密接なかかわりのなかに置かれているということにつながっています -
Posted by ブクログ
「人間学アカデミー」ということで、”講義”という形で書かれている。
?冤罪の起こる背景
本来無罪であるはずの人間が、何故罪の自白をしてしまうのか。
取調室という個室の中では罪を認めない限り自由を得ることが出来ない。
罪を認めれば楽になれる。
ただ、そのためにもっと先の未来ではその自白によって罰を受ける可能性もあるのに。
それは、現在拘束されていることによる辛さはありありと体感できるが、判決後の罰則(死刑とか)については「やっていないから裁判でどうにかなる」等の希望や時間的な距離で見に迫って感じられない。
また、いつまで拘束されるのか分からない「時間的展望の欠如」も要因としては大きい。
留置所に