佐宗鈴夫のレビュー一覧
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これは完全犯罪と言えるのだろうか…
トムの衝動的で突飛な殺人と、臆病なまでに練るに練られた計画的な偽装工作の連続。
そして、あまりにも幸運すぎる逃亡劇とその最後。
この作品では、事件自体の完全さというよりも、トム自身の感情の浮き沈みと、はたまた何があってもうまく立ち回る身のこなし、そして綻びをうまく拾っていく彼のスキル等々、“トム”という人間にスポットライトを当てることでこそ、主人公の魅力が表に現れ、非常に興味深く感じられる作品になっている気がする。
誰かを演じることでしか(ここでは“ディッキーだが”)今の自分を保てない不安定とも言える精神状態、自分から墓穴を掘るような言動や行動に走りかねない様子、そして上機嫌で楽天的と思いきや、自己嫌悪により何も手につかない、何も食べられないという繊細さ…ここまで心情がアップダウンの激しさが、軽快に、巧妙に描かれているのがおもしろい。
トムは、どこか、何か、罪の意識とは別の事件にいるような気さえする。
彼が本当に恐れているものとはなんなのか…警官か?死刑か?それとも? -
Posted by ブクログ
ルネ・クレマンとアラン・ドロンの映画「太陽がいっぱい」は封切られた時に観た。映画全盛時代ゆえ鮮明に覚えている。テーマ音楽と明るい青い海とドロンの美貌が強烈な印象だった。
マット・ディモンのリメイク「リプリー」はTVで観た。これはこれで「トム」と「ディッキー」の関係を同性愛的に色濃く描いていて陰影があった。マット・ディモンの雰囲気があずかりあるのかもしれない。
パトリシア・ハイスミスの原作「太陽がいっぱい」を読んでまた異なった感想を持った。「トム」が「ディッキー」を殺すに到る心理が丁寧に描いてあり、犯罪の良し悪しでなく、わかってくるものがある。
「トム」の不幸な生い立ちとあがいても上昇しない人生が、人は出自によってどうしても決まってくるという不条理をはねのけたくなった時、どういうことが起こるのか。他人の人生とを取り替えられるのか、夢のような変身は可能か。
「トム」が雇われ友人として「ディッキー」をアメリカに連れ帰る役目よりも、優雅に暮らしている「ディッキー」のようになりたいと思った時、愛すればこそ同化出来ると濃く近づくが、それが同性愛的友情(同性愛ではない)になってもおかしくない。
やはり原作は読んでみるものだ。パトリシア・ハイスミスのミステリータッチの中にも冷徹な人間観察が感動する。どうしようもない人間個の欲望の強さ、哀しさを呼び覚まされる。
情景にイタリア、特にベネッツアの風景がたくさんあって懐かしい(観光したので)こんなに出てきたんだっけ?とあらためて驚いた。が、それもこの小説の象徴であり、強調する脇でもある。 -
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ネタバレ昔映画の『リプリー』を観たことがあったけどほとんど記憶がなかったので新鮮な気持ちで読めた。
リプリーが二件の殺人を犯すまではとても面白く読めたけどそれ以降は少し冗長に感じたかな。
追い込まれるスリルはあったけど。
特にディッキーと仲良くなってから次第に憎悪に気持ちが流れていくあたりは圧巻だった。
リプリーはどうしようもなく身勝手で運が良いだけの犯罪者だとはおもうけど、ディッキーの同性愛嫌悪の態度も読んでいて気分が悪かった。
あんな態度をとられ続ければ辛くなって憎むのも当然だと思えた。
だからといって殺すなんてのはどう考えても許されないことだけど。
フレディが階段を引き返してくるときのハラハラ感もよかった。
最後は映画とはちがって逃げきるので、好き嫌いがわかれそうなところではあるけど、これはこれで物語としては好きだな。 -
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○感想を
手にしてから完読するまで約3ヶ月かかかった。それは、中断することも多かったから。
人の一生は短い。
彼は24年で幕を閉じた。
名前を変え、お金も寄付し、ほぼ徒歩で歩みアラスカへ旅へ出かけた経緯や周りのエピソードなど交えたドキュメンタリーである。自然の怖さも感じるし、地球の未だ見ていない人が殆ど歩かない地に単独で入っていくことは、彼にとって勇気でもなく、自然な行為だったのだと思う。
主人公以外にも遭難したり、自然のなかで餓死していく他者も登場したが、このあたりが一番覚えていて読み進めが早かった。途中人との関わりやマックでバイトしたりして稼いだり、そうした人道的な内容もあるからリアルを感じる。バスは撤去されてしまったが、いつか機会があれば、お目にできたら嬉しい。今度は映画を観ようと思う。 -
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大学を卒業後、ヒッチハイクを繰り返しながらアラスカへ辿り着いた青年は一人で荒野へと足を進める。結果、彼は荒野に置き捨てられた廃バスの中で孤独死し、アメリカ中を震撼させることとなる。
いったい彼はなぜ荒野へ足を運んだのか?そして荒野での廃バス生活の中で何が彼を孤独死させる要員となったのか?極めてミステリアスなこの出来事を巡って描かれるノンフィクションが本作である。
アメリカ出身の稀代なるノンフィクション作家、ジョン・クラカワーの出世作である本作では、若かりしクラカワー自身の姿が孤独死した青年に重ね合わされている点が魅力的である。かつて、若きクラカワー自身は登山を通じて自己のアイデンティティを確立しようともがいていた。その姿は孤独死した青年と重なり、”荒野への冒険を通じて自己のアイデンティティを証明する”のが青年の冒険の目的だったのではないか、というのが冒頭の問に対するクラカワーの仮説である。
しかし、青年の失敗はアラスカという極めて過酷な自然に対する甘えであった。刻々と変わる自然状態の中で青年の行動圏は徐々に狭まっていき、食料も尽きる中で栄養失調と共に死を迎えることになる。青年が廃バスに残した日記には、その恐怖がありのままに残されており、読み手を震撼させる。
誰しもが若き時代に一度は考える自らのアイデンティティの確立。一人の青年は危険な登山で死の間際にまで直面するが何とか生き延び流ことに成功し、方やもう一人の青年は孤独に死を迎えることになる。その対称性が痛ましく悲しく映る。 -
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ネタバレ"天才犯罪者、最後の物語”
リプリーの数々の悪が暴かれ、異常な日常が崩壊する様を
目の当たりにできるのか、というわけではない。
作者が亡くなったからシリーズが終わってしまった、
というだけ。
リプリーは過去の犯罪の暴露の危機(?)に
『ジワジワ』『執拗に』追い回されて
怯えたり焦ったりするかと思いきや、鬱陶しいと
イラついたり、妙に興奮したり、解決するために
助力とを準備したり、でも日常はあくまで平穏に
普通の人として過ごしている。
過去が暴かれることより、日常が乱されることの方が
問題の様だ。
純粋で、俗で、あまりに普通なマダム・アネット
(癒し系)があってリプリーの危ういバランスは
保たれているのではないか。
そういう混沌としたギャップの世界。
それにしても・・・
『贋作』の続編的物語として成立しているが、グリーンリーフを語る電話、『太陽がいっぱい/リプリー』との繋がり(謎?)は不明確なまま(終わってしまっていないか?(永遠に)