山田雄司のレビュー一覧

  • 忍者はすごかった 忍術書81の謎を解く

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    <目次>
    第1章  忍びの情報学
    第2章  忍びのコミュニケーション
    第3章  忍びと禁欲
    第4章  忍びの使命
    第5章  忍びの洞察力
    第6章  忍びの精神
    第7章  忍びとは何か

    <内容>
    見かけと違った。もっと「忍者」を推してくるかと思ったら、古文書の史料を使って、「忍び」は宮仕えで、主君のために私利私欲を捨て、ずっと耐えて役目を果たす、という古き良きサラリーマンと同じだよ、という話でした。通じるところもありますが、現代にはどうなのか?

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    2017年08月13日
  • 忍者の歴史

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     おそらく史上初の歴史学者による「忍者」の研究。歴史的存在としての「忍び」は情報収集・攪乱や後方支援を主とする工作員で、巷間に伝わる「忍法」「忍術」や超人的戦士像は近世以降のフィクションであることが明示されている。

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    2016年10月24日
  • 忍者の歴史

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    洋の東西を問わず大人気のキャラクターといっていいだろう、NINJA。様々な映像作品に出てきて、敵の城に忍び込み、お姫様を救出する。

    そんな派手なキャラクターとしての忍者ではなく、戦国時代から江戸時代へ、そして陸軍中野学校から現代に続く、本当に存在した忍者についての解説書。

    忍者の重要な仕事は、戦国の世にあって、敵の情報を手に入れること。そして、その情報を主君に届けること。
    そのためには、なるべく敵に気付かれず、万一みつかってしまったら、戦うのではなく逃げる。潔く死んでしまったら仕事は果たせない。みじめでもなんでもいいから生き延びて、情報を伝える。

    そんな本物の忍者の姿を、現存する文献資料

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    2016年08月05日
  • 怨霊とは何か 菅原道真・平将門・崇徳院

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    菅原道真、平将門、崇徳院の3人の怨霊を中心に怨霊の影響や歴史的事実、どのように怨霊が形作られたかを叙述する。怨霊とそれをなだめる仏教の関係、怨親平等と禅宗、時宗の関係などは面白い。怨霊という言葉は早良親王からだが、怨みをもって死んだ霊は祟るというのはかなり遡れると思う。長屋王はもちろん、大津皇子、有間皇子、山背大兄王なども似た認識だったと思う。だとすると日本人の死生観に根差す概念が鎮魂の歌から仏教概念に裏付けされた律令制国家になると仏教による回心、贈位によるなだめなど、社会的制度的に整備されていったということではないか。

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    2014年11月20日
  • 怨霊とは何か 菅原道真・平将門・崇徳院

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    日本の怨霊という概念がいかにして生まれ、歴史や文化にどんな影響を与えたのか。
    はじめ中世の死生観、死後の世界観を紐解き、怨霊という概念の位置付けを明らかにする。そして、日本の三大怨霊とともいうべき菅原道真、平将門、崇徳院のそれぞれについて、その失意の死の経緯からそれが怨霊として認識される過程、そして後世への影響をたどる。最後に三大怨霊以外の怨霊や近世・近代の怨霊観を概観する。

    怨霊というキー概念を設定し、そこからみた中世史という切り口は面白いし、広範な資料を提示した力作だとは思う。ただ、あまりにも資料の羅列感が強くて、そこから何が読み取れるのかという考察が薄い。だから、例えば菅原道真らがなぜ

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    2014年10月10日
  • 怨霊とは何か 菅原道真・平将門・崇徳院

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    山田氏の本といえば、崇徳院怨霊の研究を思い出す。
    怨霊とは何なのかという部分から始まり、いわゆる「三大怨霊」=菅原道真・平将門・崇徳院についてそれぞれ当時~近代まで語られてます。
    怨霊って何ぞ?と思ったら読むのに良いと思う。

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    2014年09月17日
  • 怨霊とは何か 菅原道真・平将門・崇徳院

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    <目次>
    第1章  霊魂とは何か
    第2章  怨霊の誕生
    第3章  善神へと転化した菅原道真
    第4章  関東で猛威をふるう平将門
    第5章  日本史上最大の怨霊・崇徳院
    第6章  怨霊から霊魂文化へ

    <内容>
    怨霊の日本史について、菅原道真・平将門・崇徳院を取り上げている。読みやすいのでスイスイと読めるが、中身が薄い気がする。道真も将門も怖さを感じないし、「最大の」名うたれた崇徳院も、怖さの微塵もない。それは著者の筆致によるものだろう。
    怨霊は、政変や戦乱がきっかけと著者はいい、江戸時代はそうしたものは少なかったので、怨霊文化は衰退し、明治以降は「怨親平等」の思想が広まり、明治期まで続くという。

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    2014年09月06日