渡辺守章のレビュー一覧
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フーコーは、死の直前に「性の歴史」の第2巻と3巻を発表し、最終巻の「肉の告白」の完成を目前にしてそれを果たせずになくなってしまった。その原稿は、「開けてはならない」箱に保存されたのだが、フーコーの死後十分な時間がたったということか、今年、ついに発表された。
ということは、近いうちにその翻訳版がでるに違いないので、そこに向けて、1巻を再読し、長年読もうと思いつつ、読んでなかった「性の歴史」の2〜3巻を読むことにした。
さて、その第1巻「知への意思」は、1976年に発表されていたのだが、翻訳版は1986年とかなり遅れている。
当時、待望の翻訳みたいな感じで、わたしも読んだ。
そのときの印象 -
Posted by ブクログ
シラノは詩人で軍人、敵をわんさか作ってしまうけど、心優しい剣士。
しかし、彼の鼻は大きく醜い。それを気にして、秘かな想い人・ロクサーヌにも想いを告げられずにいた。そこに、ロクサーヌに恋した美青年・クリスチャンが現れ、彼の恋が成就するよう尽くすのだが…
台本のような本で、読んでて楽しい。舞台を観ている感覚!
内容もかなり好き。シラノが決闘しながら、バラードを作るとこ、後は何と言っても最後のシーン‼︎
空元気でロクサーヌを訪れるシラノ。そこで、最後の手紙を読む。
「そのお声は…」
「そのお声は!」
洒落てる。
1世紀前の人にも人気があった『シラノ』。今でも通じる面白さって、凄い。 -
Posted by ブクログ
一つの社会における、権力と快楽と知は、いかにして関係するか――。
性とはそもそも、秘すべきものとしてはじめからあったのではなく、たとえばカトリック教会における告白の要請など、「制度」が性について語ることを煽動したことによって、語る=暴くために隠すようになった。
いわば、制度の必要に伴う変化だったのである。
「18世紀以来、性は絶えず全般的な言説的異常興奮とでも呼ぶべきものを惹き起こしてきた。しかも性についてのこれらの言説が増大したのは、権力の外で、あるいは権力に逆らってではなかった。それはまさに権力が行使されている場所で、その行使の手段として、なのであった。」(P.43)
我々の、性 -
Posted by ブクログ
映画『愛しのロクサーヌ』を見て気に入り、この作品が元ネタということで購入。
頭が良く、勇敢なシラノ。しかし、その大鼻のために、愛するロクサーヌに愛を伝えることが出来ない。
そのうち、美男子クリスチャンとロクサーヌは惹かれあって、シラノはクリスチャンを応援するために彼の代わりに愛を語り、戦火の中手紙まで代筆する。
どこまでも、まっすぐにロクサーヌを愛するシラノ。
最後まで愛する彼女の唇に口づけすることのできない彼は、哀しく美しい。
ロクサーヌが、手紙の送り主はシラノだと気づくやりとりは素晴らしく、思わずため息が出ました。
ただ、ロクサーヌに強い個性がなく、ただ美しい言葉、容姿に惑わされる -
Posted by ブクログ
めも)
p96 一般的に認められている抑圧という事態や、また、我々が知っていると想定するものを基準に計られた無知から出発するのではなく、知を産出し、言説を増加させ、快楽を誘導し、権力を発生させるこれらの積極的なメカニズムから出発し、これらのメカニズムがどのような条件において出現し、機能するのかを追い、これらのメカニズムとの関係で、それと不可分の禁止や隠蔽の事実が如何に分配させるのかを探求しなければならぬ。一言で言えば、このような知への意志に本来的に内在する権力の戦略というものを定義すること。…
p119 権力という語によってまず理解すべきだと思われるのは、無数の力関係であり、それらが行使 -
Posted by ブクログ
凄かったなぁ。
私達は性にまつわる言説が抑圧されているとばかり思ってきたけど、実際はむしろその逆で、人間を生きながらえさせ自らを増殖させる「生権力」により言説が煽動されているらしい。抑圧言説は性的欲望装置の域を出ないという指摘にギクリ。
知と権力と欲望は、リゾーム状に複雑に絡み合い、現実世界で機能しているのであり、支配-被支配という単純な二項対立で世界が成立しているわけではないのである。その他人口の概念なども興味深い。5章の血と性的欲望の話は、サドやバタイユへのクリティカルな批判となっており、すごい。
ここまで読んでフーコーがどういう生き方を目指しているのか気になった。