渡辺守章のレビュー一覧

  • シラノ・ド・ベルジュラック

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    自己愛の極致のようなシラノは、たったひとり、舞台の上で人生を演じている―。

    この本をひとことで表せと言うのなら、私はこう表します。

    この本が戯曲だということもありますが、セリフ回しがみな陶酔的で、すぐに世界観に酔いしれてしまいそうな魅力を持っています。

    もし何かに没頭したいと思える時が来たら、再読しよう。

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    2026年05月10日
  • シラノ・ド・ベルジュラック

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    全5幕で構成される戯曲。
    舞台エドモンを観劇するための課題図書として読んだけど、4幕の戦いの臨場感ったら!恋に生きるロクサーヌの行動力に憧れる。おもしろかった。解説を読んだら再読しよう。

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    2025年05月22日
  • シラノ・ド・ベルジュラック

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    舞台も映画も見た事があったけど、スクリプトを本で読んだのは初めて。まったく違う経験。
    そして、文字だとより深く染み入る。素晴らしい。
    1897年の作品なのに、その台詞の息吹はいまもなお瑞々しい。後の全ての舞台、映画脚本のモデルになっているのだろう。特に思い起こすのは寅さんで、映画の中の筋書きは完全にシラノだ。

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    2019年01月17日
  • 性の歴史I 知への意志

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    フーコーは、死の直前に「性の歴史」の第2巻と3巻を発表し、最終巻の「肉の告白」の完成を目前にしてそれを果たせずになくなってしまった。その原稿は、「開けてはならない」箱に保存されたのだが、フーコーの死後十分な時間がたったということか、今年、ついに発表された。

    ということは、近いうちにその翻訳版がでるに違いないので、そこに向けて、1巻を再読し、長年読もうと思いつつ、読んでなかった「性の歴史」の2〜3巻を読むことにした。

    さて、その第1巻「知への意思」は、1976年に発表されていたのだが、翻訳版は1986年とかなり遅れている。

    当時、待望の翻訳みたいな感じで、わたしも読んだ。

    そのときの印象は、「フーコーとしては、結構、わかりやすいね」というものと、「面白いけど、ここまで言っちゃうと、お先真っ暗で、なんか希望ないな〜」というものだった。

    あらためて、読んでみて、30年くらいに前に、なぜ私が「わかりやすい」と思ったのか、全く不明で、かなり難しい。

    とくに、「◯◯ということではない」みたいな文章が多くて、◯◯というところは、わたしがきっとそういうことだよね、と思ってしまうことが入っていて、ことごとく私の先読みを否定されていく感じ。

    となかなかに手強い本で、理解からはとても遠いのだが、ここにまさに私が最近問題としていたことが、ぎゅっと圧縮されて、書いてあるという感じがした。

    つまり、私はなにものであるか、という素朴な実在論的な問いがあって、それは社会の抑圧によって隠されている。が、真実を知れば、人は解放されて、自由になることができるという物語。

    だが、そこに気づいて、そこから解放されるというのも、同じディスコースの内側のヴァリエーションに過ぎないわけで、そこに出口なしの悩みがある。

    というわけで、第2巻と3巻にこのままのいきおいで、読み進めることにする。

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    2018年12月21日
  • アガタ/声

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    ネタバレ

    〝アガタ〟という名の少女と、その兄との関係性の遍歴。あの夏の日。繰り返し離れようと、けして離れられなかった二人のお話し。

    自分を捨てて新しい女ともうすぐ結婚する男に、最後の電話を掛ける。一人芝居。そして電話の切れた後。

    戯曲を読むのは初めてだと思う。イメージの奔走を追いかけるような、感覚の背びれに捕まってすごい速度で読み切った本。
    これを下敷きにお話しを書くのも楽しそう。

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    2016年10月25日
  • 性の歴史I 知への意志

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    生権力の概念をコンパクトに展開した章が白眉。史料考証は抑えてあるものの、フーコーの統治性論のエッセンスが示されてある。同氏の70年代後半のコレージュドフランスと合わせて読むことで、綿密な考証と概念枠組みの素描が一体となり、非常に重要な著作群であることが認知されてくる。

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    2015年12月26日
  • シラノ・ド・ベルジュラック

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    シラノは詩人で軍人、敵をわんさか作ってしまうけど、心優しい剣士。
    しかし、彼の鼻は大きく醜い。それを気にして、秘かな想い人・ロクサーヌにも想いを告げられずにいた。そこに、ロクサーヌに恋した美青年・クリスチャンが現れ、彼の恋が成就するよう尽くすのだが…

    台本のような本で、読んでて楽しい。舞台を観ている感覚!
    内容もかなり好き。シラノが決闘しながら、バラードを作るとこ、後は何と言っても最後のシーン‼︎
    空元気でロクサーヌを訪れるシラノ。そこで、最後の手紙を読む。
    「そのお声は…」
    「そのお声は!」

    洒落てる。
    1世紀前の人にも人気があった『シラノ』。今でも通じる面白さって、凄い。

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    2014年05月12日
  • シラノ・ド・ベルジュラック

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    意訳が多くあれこれ弄りすぎているので、他の版で読んだ方には違和感が、注釈で平気な顔してネタバレをしているので初めての方には興ざめの可能性があります。何かと訳者の方ががんばりすぎている翻訳です。ただしそのかいがあって詳しくなくても楽しめ、何より台詞回しが粋。内容も「男はつらいよ」的な感覚で、あれをフランス人が作るとこうなるのかな? と思わせるグルーヴ感があります。容姿のコンプレックスが原因で自ら忍ぶ恋を強いるシラノの姿は共感や好感を呼ぶでしょう。舞台は外国ですがとっても日本人向きの泣けるお話だと思います。

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    2013年03月25日
  • シラノ・ド・ベルジュラック

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    才気に満ちあふれたシラノ(主人公)がバッドエンドを迎えるのが不思議。

    舞台をそのまま小説にしているからか歯の浮くような台詞が目立つけど、僕はそこが好きです。きれいな言葉を普段から使っていきたいなー。

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    2013年03月05日
  • 性の歴史I 知への意志

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    一つの社会における、権力と快楽と知は、いかにして関係するか――。


    性とはそもそも、秘すべきものとしてはじめからあったのではなく、たとえばカトリック教会における告白の要請など、「制度」が性について語ることを煽動したことによって、語る=暴くために隠すようになった。
    いわば、制度の必要に伴う変化だったのである。

    「18世紀以来、性は絶えず全般的な言説的異常興奮とでも呼ぶべきものを惹き起こしてきた。しかも性についてのこれらの言説が増大したのは、権力の外で、あるいは権力に逆らってではなかった。それはまさに権力が行使されている場所で、その行使の手段として、なのであった。」(P.43)


    我々の、性にまつわる言説への意識を反転させ、権力の表象へと眼をひらかせる、明晰にして官能的なミシェル・フーコー。
    その、なまめまかしく悩ましい文体の快楽!

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    2012年03月18日
  • シラノ・ド・ベルジュラック

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    映画『愛しのロクサーヌ』を見て気に入り、この作品が元ネタということで購入。

    頭が良く、勇敢なシラノ。しかし、その大鼻のために、愛するロクサーヌに愛を伝えることが出来ない。
    そのうち、美男子クリスチャンとロクサーヌは惹かれあって、シラノはクリスチャンを応援するために彼の代わりに愛を語り、戦火の中手紙まで代筆する。

    どこまでも、まっすぐにロクサーヌを愛するシラノ。
    最後まで愛する彼女の唇に口づけすることのできない彼は、哀しく美しい。

    ロクサーヌが、手紙の送り主はシラノだと気づくやりとりは素晴らしく、思わずため息が出ました。

    ただ、ロクサーヌに強い個性がなく、ただ美しい言葉、容姿に惑わされる「かわいい女」にしか思えませんでした…

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    2011年09月29日
  • シラノ・ド・ベルジュラック

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    慣れない形式、慣れない時代設定だったけどとても読みやすく、長台詞も読んでて気持ちいい。構成も隙がなく、第五幕が圧巻だった。

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    2010年08月17日
  • 性の歴史I 知への意志

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    めも)

    p96 一般的に認められている抑圧という事態や、また、我々が知っていると想定するものを基準に計られた無知から出発するのではなく、知を産出し、言説を増加させ、快楽を誘導し、権力を発生させるこれらの積極的なメカニズムから出発し、これらのメカニズムがどのような条件において出現し、機能するのかを追い、これらのメカニズムとの関係で、それと不可分の禁止や隠蔽の事実が如何に分配させるのかを探求しなければならぬ。一言で言えば、このような知への意志に本来的に内在する権力の戦略というものを定義すること。…

    p119  権力という語によってまず理解すべきだと思われるのは、無数の力関係であり、それらが行使される領域に内在的で、かつそれらの組織の構成要素であるようなものだ。絶えざる闘争と衝突によって、それらを変形し、強化し、逆転させる勝負=ゲームである。これらの力関係が互いの中に見出す支えであって、連鎖ないしはシステムを形成するもの、あるいは逆に、そのような力関係を相互に切り離す働きをするずれや矛盾である。更に言うなら、それらの力関係が効力を発揮する戦略であり、その全般的構図ないし制度的結晶が、国家の機関、法の明文化、社会的支配権において実体化されるような戦略である。…権力の遍在だが、しかしそれは権力が己の無敵の統一性の下にすべてを再統合するという特権を有するからではなく、権力があらゆる瞬間に、あらゆる地点で、というかむしろ、一つの点から他の点への関係のあるところならどこにでも発生するからである。権力は至る所にある。すべてを統轄するからではない、至る所から生じるからである。

    91 我々は性に真理を語ることを求める(が、しかし、性がまさに秘密であり、それ自身からも逃れ去るものである以上、ついに照らし出された真理を、その真理のついに解読された真理を、我々自身で語る権利は取っておく)。そしてまた、我々は性に、我々が直接的意識において所有していると思っている我々自身についてのあの真実=真理の底に深く埋もれた真理というものをこそ語れと要求するのである。我々は性に向かって、性の真理を、性がそれについて我々に語ったところを解読することによって語ってやる。性の方は性の方で我々に対して、我々についての真理を、それについて我々の手に捉えられないものを明らかにすることによって語ってくれるのだ。まさにこのゲームによって、数世紀この方、徐々に、主体についての知が形成されてきた。主体の形態についての知というよりはむしろ、主体を分割するものについての知だ。主体を決定するものに関する知でもあろうが、とりわけ、主体を主体そのものに対して捉えがたくしているものに関する知である。このことは予想外のことに見えるかもしれないが、…告白という、西洋世界においてあれほど決定的に重要であったあの<権力である知>の形態が、どのように作用の場をずらされ、またそれ自体変形されてきたかを考えるならば、ほとんど驚くには足らないはずのことだ。ますますその輪を狭めていく円環に沿って、主体の学の企てが、性の問題の周囲を回転し始めたのだ。…しかしながらそれは、性そのものの帰属する何らかの自然的特性というものによるのではなく、この言説に本来的に内在する権力の策略によってなのだ。

    95 …しかし、出発点の前提として私ができる限り長く保有しておきたいと思うものは、権力と知との、真理と快楽とのこれらの装置、抑圧とはかくも異なるあれらの装置は、必ずしも二次的で、派生的なものではないということであり、また、抑圧はいずれにせよ根底をなすものでも、勝負に勝つものでもない、ということだ。従って問題は、これらの装置をまともに受け取り、分析の方向を逆転させることなのだ。一般的に認められている抑圧という事態や、また、我々が知っていると想定するものを基準に計られた無知から出発するのではなく、知を産出し、言説を増加させ、快楽を誘導し、権力を発生させるこれらの積極的なメカニズムから出発し、これらのメカニズムがどのような条件において出現し、機能するのかを追い、これらのメカニズムとの関係で、それと不可分の禁止や隠蔽の事実が以下に分配されるのかを探求しなければならぬ。一言で言えば、このような知への意志に内在する権力の戦略というものを定義すること。性的欲望という具体的なケースについて、知への意志の「経済学〔生産・分配・管理の学〕」を成立させることなのである。

    (115 結局のところ、時代と目標が異なっても、権力の表象は相変わらず王政のイメージに取り憑かれたままでいる。政治の思考と分析においては、人は相変わらず王の首を切り落としてはいないのだ。)
    (118 …、法なしで性を、王なしで権力を考えることだ。)
    →119

    122 権力の関係は、意図的であると同時に、非-主観的であること。事実としてそれが理解可能なのは、それを「説明して」くれるような別の決定機関の、因果関係における作用であるからでなく、それが隅から隅まで計算に貫かれているからである。一連の目標と目的なしに行使される権力はない。しかしそれは、権力が個人である主体=主観の選択あるいは決定に由来することを意味しない。権力の合理性を司る司令部のようなものを求めるのはやめよう。…権力の合理性とは、権力の局地的破廉恥といってもよいような、それが書き込まれる特定のレベルで屡々極めてあからさまなものとなる戦術の合理性であり、その戦術とは、互いに連鎖をなし、呼び合い、増大しあい、己の支えと条件とを他所に見出しつつ、最終的には全体的装置を描き出すところのものだ。そこでは、論理はなお完全に明晰であり、目標もはっきり読み取れるが、しかしそれにもかかわらず、それを構想した人物はいず、それを言葉に表した者もほとんどいない、ということが生じるのだ。

    123 権力のある所には抵抗があること、そして、それにもかかわらず、というかむしろまさにその故に、抵抗は権力に対して外側に位するものでは決してないということ。人は必然的に権力の「中」にいて、権力から「逃れる」ことはなく、権力に対する絶対的外部というものはない、何故なら人は否応なしに法に従属させられているから、と言うべきであろうか。それとも、歴史は理性の詐術であり、権力のほうは歴史の詐術だが、これはいつも勝負に勝つものだと。それは権力の関係の持つ厳密に関係的な性格を無視するものだ。権力の関係は、無数の多様な抵抗点との関係においてしか存在し得ない。後者は、権力の関係において、勝負の相手の、標的の、支えの、捕獲のための突出部の役割を演じる。これらの抵抗点は、権力の網の目の中には至る所に現前している。権力に対して、偉大な《拒絶》の場が一つ…あるわけではない。そうではなくて、複数の抵抗があって、それらがすべて特殊事件なのである。…本質的に、抵抗は権力の関係の戦略的場においてしか存在し得ない。しかしそれは、抵抗が単なる反動力、窪んだ印にすぎず、本質的な支配に対して、常に受動的で、際限のない挫折へと定められた裏側を構成するのだ、ということを意味しはしない。抵抗は、幾つかの異質な原理に属するのではない。しかしそれにもかかわらず、必然的に失敗する囮あるいは約束というのとは違う。それは権力の関係におけるもう一方の項であり、そこに排除不可能な相手として書き込まれている。それ故、抵抗のほうもまた、不規則な仕方で配分されている。抵抗の点、その節目、その中心は、時間と空間の中に、程度の差はあれ、強度をもって散らばらされており、時として、集団あるいは個人を決定的な形で調教し、身体のある部分、生のある瞬間、行動のある形に火をつけるのだ。重大な根底的拒絶であり、大々的な二項対立的分割であろうか。屡々そうである。しかし、最も頻繁に出会うのは、可動的かつ過渡的な抵抗点であり、それは社会の内部に、移動する断層を作り出し、個人の中に、その身体とその魂の内部に、それ以上は切りつめることのできない領域を定める。権力の関係の網の目が、機関と制度を貫く厚い織物を最終的に形成しつつ、しかも厳密にそれらの中に局限されることはないのと同じようにして、群をなす抵抗点の出現も社会的成層と個人的な単位とを貫通するのである。…



    126 セクシュアリテというある種の領域があって、それは理屈の上では科学的で公平かつ自由な知識に属するが、しかしそれに対して権力の要請 ――経済的乃至はイデオロギー的な要請――が、禁止のメカニズムを作動させるのだ、などとは考えないこと。性的欲望(セクシュアリテ)が認識の領域として成立したのは、それを可能な対象として制定した権力の関係を出発点としてである。また、逆に、権力がそれを標的として見做すことができたのは、まさに、知の技術や言説の手続きが性的欲望にそのような価値を与えることができたからに他ならない。知の技術と権力の戦略の間には、いかなる外在性の関係もない、…

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    2010年07月14日
  • シラノ・ド・ベルジュラック

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    男はハートだ!

    外見は醜いかもしれないけれど、なんと高貴な心を
    お持ちなのでしょう。無償の愛というテーマには弱いので
    心にズキュンと響きました。

    シラノやロクサーヌのことを想うと特に最後は涙なしでは
    読めません。読後は感動のあまりしばし呆然とした程。

    初めて読みましたがリズムがあって巧く訳されていると
    思いました。この作品はいつか生で観て耳と目で愉しみたい。

    光文社古典新訳文庫には心くすぐられるタイトルがちらほらあるので今後も要チェックです。

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    2009年10月07日
  • シラノ・ド・ベルジュラック

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    台詞の表記の仕方が独特ではじめは慣れませんでしたが、50ページほど読むと慣れてきて、リズム感が心地よくなってきました。
    内容は笑えるところあり、切ないところあり、とテンポがいいです。ラストは感動的。
    ぜひ読んでほしいです。特に自分に自信の持てない才能ある男性の方に。

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    2009年10月04日
  • 性の歴史I 知への意志

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     フーコー。最高。性の歴史第一巻。感動した。こんな天才になりたい。また、邦訳が最高。できればフーコー全部この人に翻訳してもらいたいと思った。でも二巻から違うんだよね。。こんなに美しい本を初めて読んだような気がする。2008.4.30-3(4d).

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    2009年10月07日
  • マラルメ詩集

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    マラルメの詩集ですね。
    エティエンヌ(通称ステファヌ)・マラルメ(1842~1898、パリ生まれ)
    解説と訳は、渡辺守章さん(1933~2021、東京生まれ)演出家、フランス文学研究者。

     難解なマラルメの詩に挑戦しましたが、私にはやはり理解することは困難です。
     何しろこの分厚い文庫の半分以上が解説に充てられています。その解説もまた、理解の範疇を越えていて、私はただ、詩を読んで感じるだけにしました。
     原石を極上のカットで磨き上げたような象徴詩を少しだけ紹介します。

          「夏の悲しみ」

     太陽は 砂の上の、
      おお 眠りこけた戦う女(ひと)よ、
     君の髪の毛の黄金に、沸かしている、
      物憂げな 湯浴みの水を、
     そして、君の敵意ある 頬の上に、
      香を 焚き尽くしては
     涙とともに 混ぜ合わす、恋の飲み物を。

     この白熱に炎上する そよとも動かぬ凪こそは、
     言わしめて しまった、悲しみに塞ぐ君をして、
      恐れ戦く 我が接吻よ
     「ついに一体のミイラとは わたしたち、
      なりますまい、古代からの砂漠、幸せな
      棕櫚の木陰に おりましょうとも!」

     だが髪の毛は 一筋の 生暖かい 流れであり、
     怯えることなく 溺れさせるのだ、
      我らに取り憑く 魂を、
     そして見出す、この虚無という、
      君の知らない代物を。

     味わうだろう、わたしは 君の睫毛から
      涙に流れる白粉を、
     知ろうがためだ、君が突き刺す心臓に
      与えててくれるのか、
     蒼穹と 石たちの あの 感覚停止の状態を。

          「祝 盃」

     無なり この泡、処女なる詩句、
     務めは ただ 盃を示す、
     さながら はるかに 沈む群れは
     セイレーンの姿 数多 腹翻しつつ。

     船で行く おお 我がさまざまなる
     友たち 我ははや 艫にあり、
     君たちこそは 船を飾る豪奢、切って進む
     荒波は、雷と 冬の嵐、
     美酒の 酔いの誘えば 抗えず
     酔いの船足 それも 恐れず
     高々と 献げる その祝盃は

     孤独 暗礁 天なる星
     何にてもあれ、他ならぬ その値とは
     我らが布の 白き苦しみ。

     格調高い訳ながら、少し古めいた言葉の言い回しに、更に難解さを増したように思われますが、そもそもマラルメの詩じたい年月のたった文学作品なので、さもあらんと言うところですね。
     ちなみに、2014年刊行の新訳です。
     
     

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    2026年02月19日
  • 性の歴史I 知への意志

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    凄かったなぁ。
    私達は性にまつわる言説が抑圧されているとばかり思ってきたけど、実際はむしろその逆で、人間を生きながらえさせ自らを増殖させる「生権力」により言説が煽動されているらしい。抑圧言説は性的欲望装置の域を出ないという指摘にギクリ。
    知と権力と欲望は、リゾーム状に複雑に絡み合い、現実世界で機能しているのであり、支配-被支配という単純な二項対立で世界が成立しているわけではないのである。その他人口の概念なども興味深い。5章の血と性的欲望の話は、サドやバタイユへのクリティカルな批判となっており、すごい。

    ここまで読んでフーコーがどういう生き方を目指しているのか気になった。

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    2024年06月17日
  • 性の歴史I 知への意志

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    性の歴史Ⅳの『肉の告白』が出版されたこともあり、性の歴史を改めて読むことにした。先日亡くなった渡辺守章先生の訳書でもあり、その点でも感慨深い。
    渡辺守章先生も訳者あとがきで言及されているように、フーコーが明らかにしようとしている性をめぐる言説が、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』を意識していることが伺えるし、リゾームのような形態をとっているのだということも理解できる。
    このフーコーの言説をどのように現代社会に活かすのか、アクチュアリティを持たせるのかは現代を生きる我々の課題なのだと思う。

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    2022年01月02日
  • シラノ・ド・ベルジュラック

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    ネタバレ

     前から気になっていた本。
     初めてのフランス劇。シェイクスピアに慣れているので、最初の群衆劇に「一体どう始まるのか??」と不安になりながらも、言葉の選び方・翻訳の仕方はシェイクスピアに負けず劣らず。
     若干のネタバレをしていたので、シラノの態度(あるいはツンデレにも見えるような?!)に悲しみを持ってしまった。報われないのにそばにいるって言わないけど素敵だな。
     

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    2020年12月13日