繁延あづさのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ジビエが好きなので、どうしようもなくタイトルに惹かれて。
写真家である繁延さんが、地元の猟師であるおじさんの狩猟についていき、そこで撮影してきた写真と率直な言葉が綴られている。
解体作業で裂かれ露わになった臓物や、絶命したばかりの猪の瞳、母鹿の胎内から取り出された生まれることなく死んだ小鹿、内臓をすべて抜かれて干される猪、全身の皮を剥がされる途中の鼻先。
ページをめくって現れるエピソードと写真一枚一枚が強烈で凄まじい。あまりも鮮やかに共存する生と死のコントラストにたじろぐ。
スーパーに綺麗に並べられた肉を買い料理し口にする日々の食卓で、私は本当の意味で自分が何を食べているのかなんて一切分かっていなかったんだ。
山ではそれらの命がすべて循環し完結している。食って、食われて、食って、食われる。生きるために。
その営みには駆除だとか殺しだとかそういう概念が差し挟まれる余地なんてないのかもしれない。決して可哀想ではない。頂く命に感謝しておいしく食すのみ。
食育の一環として小さい頃からそう教えられてはくるものの、中々理解するのは難しいものなんだと改めて思う。大人になるとさらに麻痺していく。
肉を食べて、これまで自分が「何頭食べたか」なんて思うことはまず無い。食べることで自分の中に命が積み重なっていくような感覚を持ったことさえも。
本当に"生きること"そのものの原点に立ち返らせてくれるような凄みのある一冊だった。
ちょうどこれから焼肉食べに行くんだけど、なんか心構えが違う。と言ったら安着すぎるだろうけど、私にも、命をいただくのだ、絶対おいしく食べてやる、という覚悟が芽生えた気がする。 -
Posted by ブクログ
"“死後の再生”なんて、生きることだけが目的の私たち人間にとっては観念的なものにすぎないとも言える。私自身そう思っていた。けれど、山に通い、台所で肉を捌くようになってから、少し変わってきた。観念ではなく、事実としての自分の死体の行方を考えるようになったからだ。今は、遺灰を畑に撒くよう家族にお願いしておきたいと思う。せめて、土と交わりたい。あたらしく生まれる命あるところへ。"(p.77)
"はっきりわかっている大事なことは、明日も生きるなら、まずは食べるしかないということ。考えてみれば、山の獣はじめあらゆる生き物はそうやって生きている。うちのコッコも、食べて、排泄して、産卵、以上。そんな暮らしぶりだ。大事なことから順番に考えるとスッキリする。スッキリした頭で考えていきたい。"(p.232) -
Posted by ブクログ
頭ヶ島の石造りの教会が可愛らしくて好きだった。中も「花の御堂」と呼ばれるパステルカラーのロマンティックな雰囲気とのことで本ではイラストでの紹介だったが興味をそそる。
と、これはのんきに「すてき〜」という感想だが、250年にわたる禁教弾圧の歴史は重い。禁じられ、命や尊厳を奪われようとも、そこに救いがあると感じ隠れながらも信仰を守る心とは、どんなものだろう。私自身は特定の宗教の信者ではないけど、私の中のどこかに共鳴しそうなところがありそうななさそうな、そういうものを持ちたいような持ちたくないような、はっきりしないけどなんだか気にかかるんだよな。 -
Posted by ブクログ
著者は写真家。出産に関わる写真をライフワークとしている。
東日本大震災を1つの契機として、それまで住んでいた東京から縁もゆかりもない長崎へと移り住む。そこで猟師の「おじさん」と知り合い、肉を分けてもらうようになる。そうこうするうち、狩猟の現場にも連れて行ってもらえることになった。
カメラのファインダー越しに、死の瀬戸際で猛っていたケモノが、命を失うさまを目撃する。
そしてケモノは放血・解体され、肉となる。
生きものが食べものとなる瞬間。
著者は思うのだ。
絶対、おいしく食べてやる
と。
長崎に引っ越すことになった顛末。
試行錯誤しながら、「おじさん」にもらった肉の調理法をさまざま試し、おいしく食べられた時の喜び。
犬と猟をする別の猟師と、その女性スタッフの不思議な関係。
まだ幼い息子が養鶏をすることに決め、2年ほど卵を取ってから「潰す」ことにし、親子で奮闘する話。
鞣し皮職人を訪ね、その仕事ぶりを見学させてもらったときのこと。
そうしたエッセイの合間に、ケモノや猟師、解体や鞣し作業のモノクロ写真が挿入される。
元はウェブマガジンの連載で、それらを再構成し、書き下ろしを加えた作りである。
全般に生きることの手触りを探っているようなエッセイである。
食べることは生きること。
肉であったものはかつては生きていて、それを殺した延長線上に食肉はある。
死を目撃するのはやはり衝撃的だ。けれども、いやだからこそ、なのか、いのちをもらった以上は、肉であれ皮であれ、無駄にすることなく、大切に「いただく」。
そんな猟師や職人の気概を、間近で見守る著者もまた、いのちについてさまざまに思いを巡らせる。
整合性の取れた話ではない。結論があるわけでもない。
ただそうして、いのちの現場に立ち会うことで、見えてくる景色もあるはずだ。
読者もまた、著者とともにその現場に赴き、いのちについて考える。
そんな上質のフォトエッセイである。