繁延あづさのレビュー一覧
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肉を食べることは命をいただくこと、そう考えたことがある人には、本書を読んで欲しいと思った。
そう考えたことの無い人にも、本書を読んで欲しいと思うが、理解できないだろうな。
そういう人は、魚は切り身で泳ぎ、肉はステーキで作られると思っているのだろうから。
還暦を過ぎて狩猟者になった私が見てきたもの、感じてきた世界が、この写真家の文章に描かれている。
長崎に移住してきた筆者は、偶然の引き合わせて狩猟者のおじさんと出会い、野生の肉をもらう。
食べることから狩猟に興味を持った写真家は、好奇心から狩猟への同行を願い、そして現場に立ち記録した。
何度も狩猟に同行し、獣の肉を喰い、命を知る。
家族も巻き込 -
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長崎に移住してから、偶然知り合った地元の猟師を通して、害獣駆除のための猪、鹿の狩猟の場をカメラにおさめながら(筆者の職業はカメラマン!)食、命、生、死についての想いを綴ったエッセー集。彼女がなぜ狩猟の場や捌く行為にこだわり、ある意味惹かれているのかは、文章を通して徐々に明らかになったように思う。最後には皮革の仕事場も訪れ、人が持つ穢れという意識、それに対して清めという行為、命を生み出す女性としての想いに及んでいく。と書くと、固そうな内容そうだが、文章はかろやかで、猟師の方々との会話や家族とのやりとりなど、ふっと笑いを誘う。全体に、人に対しても動物に対しても、筆者の命に対する深い敬意と愛を感じて
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写真家の繁延あづささんが家族で移住した長崎で出会った猟師たち。その営みを目にし、人間と獣、さらには生と死と生き方を考えるようになるエッセイ。
私も読みながらすごく考えさせられた。
目の前で獣の死を目の前にして変わっていく生死感
肉を食べるということは命を頂くということ…
「絶対、おいしく食べてやる」という思い
そして「殺すなら苦しまないように一気に殺すこと」という思いなど…
先日、友人が生きた伊勢海老をもらったということで捌きに行ったのだけど私もその時に思ったのが「殺すなら苦しまないように一気に…」と思った。ナンマンダブナンマンダブとつぶやきながら捌く私に友人は「食べにくいわ!」と言って -
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ほかの人が狩猟に関わるきっかけと、その活動はどんなことをやっているのだろう。
筆者は移住先の長崎で、たまたま同じ駐車場を使っているおじさんが狩猟をやっていることから興味を持った。
狩猟に同行するにつれて、肉は絶対に美味しく食べることを誓う。
さらに狩猟の知り合いが増え、佐賀県で猿回しをしている猟師や、姫路の白鞣しの革職人に会いに行く。
読んでいて同じだなぁと思ったのが、スーパーに並んでいる精肉が工業製品のように見えること。
一度でも狩猟で解体をやったことのある人ならば、この感覚に共感できるだろう。
そして姫路の白なめしの職人の話を読んでいて思ったのは、本来は革にするのに多く -
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長崎へ移住し、そこでの近所付き合いで猟師と知り合った著者。
漁師からもらうようになった猪や鹿肉を調理することをきっかけに、著者の、肉を食べるということは、命をいただくということは、に対する考察の旅が始まる。
そして罠猟や犬を伴っての銃猟に同行、止めさし(とどめをさすこと)や解体に立ち会い、自らの手で鳥を屠り、果ては革職人に会いにいき、著者の思索の旅は本の中では一区切りつく。
著者自身も書いているが、思索の覚書のような印象。とても感受性が豊かで思慮深く、自分ではそこまで深く思い至らないような視点があり、自分の日常では体験できないような経験の追体験があり、これぞエッセイを読む醍醐味。いい読書をさ -
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鹿の前足をもらった時、どうやって食べようか、一瞬躊躇した。仕事で標本や剥製にするための動物の亡骸を回収していた時のことを思い出した。自身の経験してきたことと重ね合わせながら、読んでいると共感できることが多い内容だ。
スーパーで肉を買うなとか、フライドチキンをウーバーイーツで頼むなとか言えた柄ではないが、時々、生きることについて真剣に考えてみる必要がある。特に子育て世代の人たち。一番厳しい局面に立たされている人こそ、向き合って考えてみる必要があるのではないか。SDGsとかいう頭でっかちな押し付けよりも響く。
小さい頃祖父が私に言って聞かせた言葉「自分が仕留められると思うものを食べろ。もうワシは -
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ジビエが好きなので、どうしようもなくタイトルに惹かれて。
写真家である繁延さんが、地元の猟師であるおじさんの狩猟についていき、そこで撮影してきた写真と率直な言葉が綴られている。
解体作業で裂かれ露わになった臓物や、絶命したばかりの猪の瞳、母鹿の胎内から取り出された生まれることなく死んだ小鹿、内臓をすべて抜かれて干される猪、全身の皮を剥がされる途中の鼻先。
ページをめくって現れるエピソードと写真一枚一枚が強烈で凄まじい。あまりも鮮やかに共存する生と死のコントラストにたじろぐ。
スーパーに綺麗に並べられた肉を買い料理し口にする日々の食卓で、私は本当の意味で自分が何を食べているのかなんて一切分かって -
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"“死後の再生”なんて、生きることだけが目的の私たち人間にとっては観念的なものにすぎないとも言える。私自身そう思っていた。けれど、山に通い、台所で肉を捌くようになってから、少し変わってきた。観念ではなく、事実としての自分の死体の行方を考えるようになったからだ。今は、遺灰を畑に撒くよう家族にお願いしておきたいと思う。せめて、土と交わりたい。あたらしく生まれる命あるところへ。"(p.77)
"はっきりわかっている大事なことは、明日も生きるなら、まずは食べるしかないということ。考えてみれば、山の獣はじめあらゆる生き物はそうやって生きている。うちのコッコも、食べて、排 -
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著者は写真家。出産に関わる写真をライフワークとしている。
東日本大震災を1つの契機として、それまで住んでいた東京から縁もゆかりもない長崎へと移り住む。そこで猟師の「おじさん」と知り合い、肉を分けてもらうようになる。そうこうするうち、狩猟の現場にも連れて行ってもらえることになった。
カメラのファインダー越しに、死の瀬戸際で猛っていたケモノが、命を失うさまを目撃する。
そしてケモノは放血・解体され、肉となる。
生きものが食べものとなる瞬間。
著者は思うのだ。
絶対、おいしく食べてやる
と。
長崎に引っ越すことになった顛末。
試行錯誤しながら、「おじさん」にもらった肉の調理法をさまざま試し、おいし