繁延あづさのレビュー一覧
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ネタバレ【鶏まみれ】 繁延 あづさ 著
国内の食肉消費で鶏肉が2年連続首位とのこと。本書では、普段見かけるスーパーのパック売りや焼鳥店に並ぶ前に、どのような工程を経るのかがとてもよくわかります。劣悪な環境と低賃金のなか、「鶏まみれ」となってニワトリを「処理」するのですが、著者は極めて前向きで「すごい仕事!」と絶賛します。文章は読みやすく、時にクスっとさせる書き方で、著者の明るい人柄がしのばれます。
リストラにあった夫の「養鶏しようかな」の一言から養鶏場を設営。卵以外の食肉施設も作るには「食鳥処理衛生管理者」という資格が必要で、著者がこの資格取得要件の「食鳥処理事業所で3年間の勤務実績」を得るため、実際の食鳥処理場に勤務する潜入レポです。
もともと著者は山でとれた猪を捌いたり、ニワトリを飼って自宅で料理したりと、「処理」に抵抗はない様子ながら、食鳥処理場での実際の作業はなかなか壮絶。写真家でもある著者の写真も組み込まれ、とてもビビッドに進行がわかります。家族との温かい交流が中和させてくれますが、命と向き合う葛藤や、高齢者・障がい者・外国人の雇用や差別問題にも向き合い、ことはニワトリに限定されません。
豆知識も豊富で、ニワトリの家畜化は紀元前二千年から。現在、食肉用は生後7週間で「若鶏」として「出荷」。生後半年で産卵開始し、年間300個以上の卵を産んで、2~3年で産まなくなると処理場送り。この「回転率」の高さが「安い鶏肉」の秘訣とわかります。
命にきちんと向き合うからこそ、「美味しく食べてやる」と豪語する著者ですが、これからはニワトリと処理業者に感謝しながら美味しくいただかねばと思った一冊です。 -
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今年ナンバーワンと言ってしまっていいと思う
わたしのなかで、スーパーで鶏肉を買うこと鶏肉や卵を食べることと、鶏を育て卵をとり絞めて肉にすることとが結びついた
それももう2度と忘れられない表現をもってインプットされた
食鳥処理場がそこまで過酷で賃金が低いとは知らなかったし、豚や牛のことならいまだに知らない
全ての人の食を支える偉大な仕事なのに
繁延さんは私だけが熱くなっているのかと書いていたけど、私も養鶏場のあり方、屠殺の仕方、食鳥処理場の職員の待遇の悪さについては課題を強く感じた
食鳥処理場に運ばれてきた鶏がヒーヨヒーヨと鳴くことを知ってから、鶏肉を買ったら美味しく調理して無駄にしないぞって思いで食べるようになった -
Posted by ブクログ
もう そりゃあ 大変な仕事なんだから
やっても やっても ぜんぜん
終わりがない 時間が 続くんだから
数年前にフランスの食肉工場で
働いている友人の I さんから聞いた
ことを ありありと 思い出した
彼は ダンサーが本業なのだが
確実な収入源になるその食肉工場での
体験を面白おかしく話してくれた
その時は 笑いながら話してくれたけれど
そんなふうにでもしていなければ
話せないだろうな と
この一冊のおかげで 改めて
その時の 彼の様子を思い返している
当たり前になってしまっているけれど
私たちが食べている肉は
自分が食肉にしたものではない
食べている時は
おいしさが優先してしまって
誰が どのように どれだけの
手間をかけて‥
が 完全に抜け落ちてしまっている
時々 知り合いの猟師さんから
「野の肉」をいただくこともある
それらの「肉」が背負ってきた
それぞれの「生きていたモノ」が
手元、いや口元にまでやっきた
その 越し方 を
ここまで 興味深く 軽妙に しかも深く
考えさせられ、思い巡らせてもらえた
一冊はそうありません
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大阪の商店街の真ん中で育った私が幼稚園から帰ってきてからの時間の過ごし方は、自分の親の店を飛び出し、近所のいろいろな店先をのぞくこと。かしわ屋(大阪で鶏肉店のこと)や肉屋の店内はさすがに子どもは入れてくれなかったけれど、ショーケースを通じて肉が切り分けられる様子などを見るのが好きだった。私たちが日ごろ口にする食品としての肉類が商品となる前の状態、つまり生の肉の塊を私は見慣れていたつもりだった。だがこの本を読み、そういう店先の肉類は「きれいにされた」あとの状態だと気付かされた。そしてさらに、そういう肉が「生きていた」ことに、私たちの日常生活はいかに目を向けないようにできているかも。
また、繁延さんと同じく、私もイノシシ猟に同行させてもらったことがある。もちろん銃猟。ただしチームで行動する猟師たちの行動は大多数の人がイメージする高齢者が鉄砲かついで…というものとは全然ちがう。GPSや無線を駆使し、車一台よりも高価な猟犬を操って、無駄玉を使わずしとめる。獲物を追うときはさすがに熱を帯びるが、私が見た猟の印象はあくまでクール。このたとえを許してもらえるなら、まるでグリーンベレーのように計算ずくだ。
だが獲ったイノシシの解体作業は見せてもらえなかった。もちろん私が素人という前提があるが、解体はいわゆる"職人仕事"らしく、あまり人には見せない“秘伝”のものらしい。だが1つ強調しておきたい。しとめた直後のイノシシはまだ温かいのだ。いや、むしろ熱いと言った方が近いかもしれない。猟師の方々はその熱さを実感しながら解体している。スーパーに並ぶ冷たい肉をさわるのとは違う。体温つまり生命にじかに触れているのだ。それは何よりも生命の尊さを感じられる瞬間だ。これを残酷、残忍、残虐という人間のほうが私には偽善者に見えて信用できない。
私にはそういう背景があったので、繁延さんが養鶏業を営もうと考え、鶏を自分で捌いて肉も売る構想を描き、そのための食肉処理衛生管理者の資格を得るために食鳥処理場という“現場”に就職する話は、私が幼時に近所で白衣を赤く汚して働いていたおっちゃんやおばちゃんを思い出させ、いわゆる読み流すことはできなかった。今まで人間が生きるために他の生き物の生命を奪い食べることに関しては数々の本が出ているが、飾らず朴訥に日記のように語る繁延さんの一言一句はどんな本よりも私の心に染みた。
それと私が興味を引かれたのは、繁延さんが再三、食鳥処理に携わる人が低い地位や賃金体系に置かれている矛盾を指摘しているところ。一般の人だけでなく、従事者自身が、それは当たり前であり、言っても始まらないという雰囲気に囚われていることを率直に書いている。これはどんな経済学の本よりも現実の経済活動の矛盾を提示したものだと思うし、イデオロギーや学術的なものに染まっていない分だけリアルだ。大学で経済学を学ぶ学生にとっての良質な参考書たりうるとまで私は思っている。
余談だけど、繁延さんの名前はどこかで見たことがあったが…と思っていたが、思い出した。雑誌「母の友」に「生きる現象」という題で、生まれたばかりの赤ちゃんを胸に抱く母親を撮った写真とエッセイが載っていた。あまり見ない苗字だから記憶がつながった。あの繁延さんだったのか。生まれたての場面と死の場面。それは地続き。繁延さんは両方を間近に見ている。だからこういうリアリティが書けると思えた。先入観ぬきに読んでほしい。 -
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凄まじい本です。著者の日々の生活にまつわる労働と感情と行動と思索、そのそれぞれと直結した言葉が、読んでいる自分のいる場所を揺さぶってきました。「知らなかった」では収まりのつかない「知ろうとしてこなかったこと」「見ようとしてこなかったこと」「考えようとしてこなかったこと」が次々と襲いかかってくる感じ。そして食とか、格差社会とか、外国人問題とか、高齢化のこととか、ジェンダーのこととか、労働問題とか、教育のこととか、いのちとか、生産性とか、この本棚でもちょいちょい気になっているテーマがこの一冊の中で絡み合ってくるのです。著者の身体と思考の重なり合いから生まれるつぶやきのような文章がページをめくるごとにどんどん積み重なっていきます。その言葉が生まれるのは夫と庭先養鶏の延長としての養鶏場を始めようとしている家庭という場所と、食鳥処理衛生管理者資格取得のために働き始めた食鳥処理場の二つの現場から。記される文字も家庭の言葉は明朝体、工場の言葉はゴシック体で分けられています。明朝がプライベート、ゴシックがパブリックって感じですが、それぞれの違いと触発が絡みあい、まさに「鶏まみれ」になっていくのです。「鶏まみれ」は「命まみれ」であり、そして「血まみれ」なのです。この本のP174〜175に気になってしょうがない箇所があります。
『ある本のなかにこんな一節を見つけた。
「穢れとは何か。人の死にまつわる穢れがあり、女性の月経・出産にかかわる穢れがあり、そして、 敵の肉や皮革処理がもたらす穢れがある」
(赤坂憲雄『東西/南北考 いくつもの日本へ』より)
私の目はこの2行に釘づけになった。出産を撮影し、狩猟の撮影しながら肉を食べ、ときには 死に関わる撮影もする私にとって、この符合は思ってもみないことだった。穢れを撮ってきたつ もりはまったくない。急に胸騒ぎがしてきた。
(『山と獣と肉と皮』より)
また、でてきた。』
この引用はゴシックなのですが最後の『また、でてきた。』だけ明朝なのです。現代社会の不可視化領域「穢れ」がこの本で自分を揺さぶるテーマなのではないか?と考えています。どうでもいいけど、この本の読書中に初めて全国チェーンの極安焼鳥店で食事をしましたが徹底的にシステム化されたオペレーションと味に「生き物」と「食べ物」の分離を感じてしまいました。この本で語りかける言葉は日常生活にかなり揺らぎを与えているようです。 -
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ライン作業での分業により、スピードが上がり、何千回と繰り返されるうちに、それが生き物だという感覚が麻痺して、自分が何をやっているのかわからなくなる。
外国人と、障害者と、後期高齢者が最低賃金で働くとある。
都市化した現代社会で生きるには、分業で働いてお金を稼ぐ必要がある。その方が楽だから、だって一人で家を建てて、服を作って、食べ物を調達するのは大変。また、分業のおかげで価値の高いサービスを受けられるようになった。死や血や障害者や、見たくないものは、見せないようになる。差別は社会の空気が作り、再生産される。空気を変えるには、気づいた人が周りに見せて気づかせて変えて行くしかない。賃金の話は、業界の種類や、他社に比べてその会社が儲かっているか否かだと思うけど、最低賃金以下の工賃で作業を行う人がいるのは確か。
スーパーの若鶏の正体は、生後50日位のブロイラーとは、驚いた。
鶏が仲間をつつくのは本能だから、やめさせたければ、代替のつつけるものをやればよい。より好ましい行動に導くのは良いですね。 -
Posted by ブクログ
出版区のYouTubeで俵万智さんが勧めていたのを観て読みたくなった。近所の本屋に置いてあったので購入。早速読んでみた。
率直な感想としては、「とにかく面白いから、人の感想なんか読む前に騙されたと思って読んでください」しかないのだけど。
とりあえず言葉にしておきたいので書いてみる。
著者の繁延あづささんは本書の前に『山と獣と肉と皮』と『ニワトリと卵と、息子の思春期』という著書があり、そちらを先に読んだ方が経緯がわかりやすいのではと思ったが、はじめに軽く説明してくれているのでとりあえず本書から読んだ。
文章が面白いのでスラスラ読めるのだが、経緯の内容が濃厚過ぎて前作が気になってくる。どういうことだ。どういうことだ。
ともあれ本書の大筋は夫の退職を機に養鶏場をはじめる話で、家族のことやカメラマンの仕事のことなど日常も挟みながら話が進んでいく。生肉を売るには資格が必要で、資格を取るためには食鳥処理場で三年以上の勤務経験が必要。そこで食鳥処理場で働きだすのだが、そこで想像を遥かに超えた体験をする。
前作で猪狩りに同行した際に著者が感じたという、森の中に死は溢れているが、街では隠されてしまう違和感。食鳥処理場はその間に立つところだった。
そこでは夥しい数の鶏が流れては食肉となっていく。状況を飲み込む時間もないまま、タイトル通り鶏まみれになりながらひたすら捌き続ける。
体験を重ねるごとに広がる想像と現実のギャップに湧き起こる「?」。読んでるこちらも頭の中がぐるぐるしてくる。さらに家族や職場の先輩達との何気ない会話が心に突き刺さる。どうすればいいのか。頭の中でオセロのように白と黒とがひっくり返し合っている。なるほど!なるほど?
凄く濃厚な読書体験だった。余すところなく鶏。鶏肉はとても身近な食材なのに何も知らなかった。著者の繁延さんについて行くだけで、食に関してだけではなく、日本の経済から歴史、労働と対価、子供と後期高齢者まで色々なことがヒヨコのように鶏にくっついてやってくる。
食肉処理場での光景は、知らない人が見れば壮絶であり衝撃的であるが、その職場を改善すれば済むというような問題では全くない(改善はすべきだが)。それより皆んなが普段食べている鶏肉が、何処からどのようにやってくるかを見たことがない我々の方が「ズレて」いるように感じた。
それは命の教育とか、食べ物に感謝できるようになるとかそんな話でもない。こんなに大切なことを知らずに生活してるのは勿体ないと感じている。そもそもがズレていたのか。本書を読んだ後だと、著者が言う捌かれた鶏や内蔵の写真の美しさが伝わってくる。
社会は勢いでここまで来たけど、行く先を見失っている今、あっちこっちと移動しながら都度立ち止まって考えてくれる繁延さんは有難い存在だ。
著者が様々な現場で感じる「なぜ」が生きる事の全てに繋がっている。それぞれに良い面と悪い面が複雑に重なって、今の社会があることが見えてくる。
なにより恐怖を伴いながらも(家計の為とはいえ)それに立ち向かう著者の勇気に敬服する。なかなかここまでやれる人はいない。やり遂げることの凄さ。その中で理想と現実の葛藤を抱え続けることのできる強さ。
食鳥処理場での体験だけでなく、家族との時間や、カメラマンの仕事、他の業種の人達との会話が、本書に温かみを与えていると共に、メディアからは敬遠されている仕事が自分たちの生活と地続きであることを伝えようとする強い意志を感じた。
物を作る人間としては、繁延さんが販売する卵のパッケージやパンフレットのデザインや販売の仕方、全ての細部に、それらの体験と言葉が滲み出ていて、ぐっときました。これぞ本来のデザインの仕事のあり方だと眩しく感じます。
著者が感じたこの大きなクエスチョン・マークをより多くの人が読んでくれたらと思った。話はそれからだ。 -
Posted by ブクログ
少なくとも今のところ、ぶっちぎり今年のナンバーワンである。
イノシシの狩り、捌き、頂く。そのイノシシの写真を表紙にしたことで物議をかもした(恥ずかしながら知りませんでした)前作に次ぎ、
サラリーマンをやめた夫の思いつきレベルの養鶏をする、から、自分は卵を産まなくなった鶏を捌いて売るための、食鳥処理管理衛生者の資格を取ろうと、実務経験を得るために、昭和時代のような手作業で食鳥処理を行う工場に勤め始める筆者。
もう、ここまでで一冊本が書けそうなのに、こんなのは入口の入口。
鶏の首切りを初日に行い味わった凄まじい環境、
周りで働く人たちの環境と会話、
なぜ、これだけ立派な仕事をしている人たちが最低賃金なのかという葛藤、
そして夫の養鶏場の遅々とした進まなさと、危機感を持つことのない夫への樟脳、
そんな中で成長していく子どもたちとのやりとり、
全てが、泥臭いのに、訴えかける力が強すぎる、
全ては生命と生活。
生きていくための行為。
全てが生々しく描写されているのに、全体を通して流れる清々しさ。
そして、読み手も必ず強く考える「生きるために殺すこと、そしていま食べている肉はどこからどうやって来ているのか」
国はこういった本をもっと推奨すべし。
犯罪者の恋愛ゲームとコラボポスターなんて作ってる場合ではない。
全人類必読の書。 -
Posted by ブクログ
評価は読む人それぞれだと思うが誰も無視できない本だと思う
にわとりに優しいたまごやさんをやりつつ最低賃金で後期高齢者、外国人、障害者と食肉工場で働く
養鶏を始めるけどなかなか軌道に乗せられない友達のいない旦那さん
ゲームの代わりににわとりを飼う長男始め子供たち
テーマを見出すなら食と生き物になるのだろう
思索の過程だけを書くこともできるだろうけど工場の人たち、子供たちの成長、夫への苛立ちが日記のように描かれる
テーマからすると寄り道のように見えるけれども寄り道が積み重なることでしか伝わらないものがあった気がする
エッセイのような冒険記のような思索のような日記のような
旦那さん感情移入してしまうなあ
ここすごいこと書いてるなあと思っても後から思い出せない
再読が必要 -
Posted by ブクログ
ネタバレどろっとした液体に身体全体が浸かるような感覚。かろうじて顔だけ出ているけど、今にも沈んでおぼれてしまいそうな。蒸し暑い中、なんとか呼吸をしているような、そんな感覚で読んだ。
スゴい本だと聞いていて、事前知識なしで読んだけど、いやぁスゴかった。人にすすめたいけど、あらすじだけまとめても、全く伝わらないような⋯とりあえず読んでみてもらうしかない。
付箋を貼った箇所をいくつか。
勤め先の食鳥処理場の部門で、鳥の首を切る仕事から内臓部分を取り出す仕事に移った時に。
「〜つらさで言えば首切りのほうが上だが、嫌な気持ちはどっちもどっち。殺すより臭いほうが嫌だなんて。〜」
「昔は機械なんてなかったけん、こがん忙しゅうなかった。人間のペースやった。今は機械になって、人間が機械のスピードに合わせるようになったと」
「〜肝臓はワイン色、キンカンはオレンジ〜なぜ色までちがう?何のために美しい?〜神に問うように心の中で叫ぶ。家の台所で。」
他にも鶏を流れ作業で殺していく様子とホロコーストを重ねて、どちらも作業になるのだと感じるところとか、こんなにすごい仕事なのになぜ高齢者と障害者、外国人ばかりが働き手で最低賃金なのか、と疑問に思うところとか、印象深かった。
既刊も是非読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
焼鳥での一杯をこよなく愛するアナタ、唐揚げに目がないアナタは、絶対に読むべき一冊です! この強烈な内容のノンフィクションは、自ずと「生きもの〜食べもの」の循環と尊さを思い知らせます。
ひょんなきっかけで、家族ぐるみでニワトリと関わることになった女性。本書の主軸は、著者が食鳥処理場で働くことを通じての、鶏を絞めて捌くことの過酷さと、育て売り食べることへの感謝です。
とりわけ、普段見ない「捌く」工程は想像を絶する描写です。流れ作業で鶏の血や体液や内蔵物を全身に浴び、滑る手の感触と共に、強烈な臭いが襲います。しかし、そこで働く人が後期高齢者、障がい者、外国人が中心、それも最低賃金で…。加えて周囲の偏見。こうした社会の歪みまで描写します。
単なる取材報告のルポではなく、仕事での実体験から発する疑問や葛藤は、訴える力大です。だからこそ、食鳥処理場の現場をすごい仕事、すごい人たちと言い切れるのでしょう。私たちも、スーパーに並ぶきれいな鶏肉は食べるけれど、そんな仕事は残酷とか汚いなどと間違っても言えません。
もう一つの軸が家族の物語です。長男の小5時の発言「ゲームの代わりにニワトリ飼わせて」に始まり、リストラされた夫が「養鶏しようかな」につながり、庭先養鶏の拡大版へ向かっていきます。
家族の描写が諸々の強烈さを中和し、バランスを取ってくれています。娘さんが微笑ましくホッとします。写真家でもある著者の、随所に挟まれる写真が真実を物語っています。
生き物が食べ物になってゆく過程を臨場感たっぷりと描き、誰かのお陰で私たちが命をもらって生きていることを教えてくれる傑作でした。「生きること=食べること」だとすれば、本書の内容は人生そのものです。
肉や卵の向こう側にある生き物の風景に関心を持つために、多くの方に読んでほしいと思いました。 -
Posted by ブクログ
食鳥をめぐるノンフィクションであり家族の日々を綴ったエッセイでもある。
食鳥工場作業員、養鶏家、母親、三つの視点から構成される。
中でも食鳥工場での労働部分は、普段スーパーで目にするパッキングされた肉がどういった工程を経てそうなっているのかをリアルに伝えていて読み応えがすごい。次々に流れてくる鳥の首を切るところから腹を割き内臓を取り出す一連の作業。血や悪臭に塗れながらその仕事をしてくれている人たちがいるからこそ消費者はスーパーで鶏肉を買うことができる。黙々と首を切り続ける男性の姿には合掌したくなるような崇高さがある。
社会的に重要な仕事でありながら最低賃金で、働いているのは後期高齢者、知的障害者、外国人ばかり。食鳥工場で働いていると人に言うと見下すようなことを言われる。重要でありながら誰もやりたがらない仕事を社会的弱者に押し付け、見ないふりをし、コロナ禍ではエッセンシャルワーカーなどと耳障りのいい言葉で誤魔化している世の中に対して、著者ならずとも違和感を覚える。コロナ禍、ブルーワーカーの自分ももちろん出勤して仕事をしていた。本社ではリモートワークになっていたが。
社会的に下に見られても、肉体的・身体的負担があっても、著者には「自分はすごい仕事をしている」という自負がある。ブルシット・ジョブ的な負い目とは対照的。入社したての頃を振り返って「汚れるのが怖かった」という述懐には経験者の実感がこもる。自分も昔食品製造工場で働いていた。とにかく匂いが気になった。仕事に入ると慣れて意識しなくなるのだが、帰宅するとリセットされるので、出勤するたびに気になる、慣れる、忘れる、の繰り返しだったのを思い出した。
養鶏は、届いたかわいいひよこを商品として見なくてはならないのがつらい。大変な仕事だと思う。幼い娘さんの言動が清涼剤のように効いている。長男がすごいしっかりしていて頼もしい。
著者の本業は撮影。素晴らしい写真が多数掲載されている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレいやあ、良かった。
基本的には本書はノンフィクションに位置づけられましょう。
写真家ときどき文筆の筆者。失業を機に養鶏をやりたいと言い出した夫のビジネスを支えるため、食鳥処理衛生管理者の資格を取るべく取得の方法を探す。すると、この資格、食肉工場で3年勤務すると受験資格ができるという。
こうして筆者は、自分の仕事をしつつ、夫の養鶏ビジネスも支えつつ、鶏肉食肉加工会社にパートに出ることに。
で、この食肉加工会社での部分がすごい。
筆者は一通り経験したいと、幾つかのパートをローテンションさせてもらうも、生きた鶏肉を殺す「首切り」、内臓を可食・不可食に分別する「中抜き」に長く従事する。命を奪うこと、それが淡々と黙々と行われている現実。猛スピードで生き物を殺す。血は飛ぶし、内臓も砕けるし、匂いも凄い。さらにその環境が劣悪で、冷房もなかったり。
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ここで色々なものが見えてくる。命を奪って、その命を頂いているという食の真実。こうした食肉工場は最低時給で、後期高齢者・障害者・外国人が働き手がいないという職の現実。きつい・とうとい行為をする人々が、なぜか弱い立場であること。
生きているだけで「罪」な存在?である人間。オートメーションや分業化が進めば進むほど、その「罪悪」感が薄れてしまうこと。ベジタリアンになれば解決するわけではなく、タンパク質を欲する姿が自然なのではないか、と思うこと。
食肉を頂く罪悪感や「もやもや」は一刀両断に回答が出るわけではなく、その「もやもや」もそのまま提示・表現されています。
上手く表現できませんが、読んで欲しい。
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加えて、本作、3児の母の育児記録でもあります。
夫が養鶏を始める前、長男さんが「ゲームの代わりに養鶏やりたい」と一家で面倒が見れる範囲の小規模な養鶏をやったこと。その長男の大学受験や末っ子の女の子のてらいのない観察眼。
そうした家族の雰囲気、子どもへのいとおしさ、子どもたちへ時間を割けないことのいら立ち、夫への不満や気持ちなど、時々の想いが綴られています。
バリバリの「皆さんの知らない現実をお伝えします」という肩ひじ張ったノンフィクションにならなかったのは、この「母親」「妻」の視点からの描写のバランスが良かったからだと思います。
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ということで、繫延氏の作品、初めて読みましたが、良かったです。
ブログを読んでいて面白いと感じるのは、やはり個々人の気持ちや想いが感じられるところだと思います。個人的には、いのち・生きる・食事・子育て・仕事と生活のバランス、など多くの人が日々関連するものごとへの疑問を「仕方ない」「それが現実」と放り投げずに言語化し続ける姿勢に共感。
久々に人に勧めたくなるノンフィクションでした。ノンフィクション+エッセイ、みたいな雰囲気の本でした。でも重厚。いのちの話がメインだったからかな。