あらすじ
【推薦】白石正明さん(編集者)
「大変なものを読まされてしまった。
夜明け前の食鳥処理工場で顔までべっとり血と汚物にまみれ、
午後には風の谷の鶏舎でヒヨコとともに陽を浴びる一人の小柄な女性。
彼女が語り出したのは、「生き物」と「食べ物」をつなぐ壮大なスケールの、
とびきり自前の人類史だった。
生と死が風車のようにくるくる回っている。
私はもはや感動が追いつかない。」
*****
〈命をめぐり、考え、生きた日々の記録。〉
リストラ失職した夫が「養鶏しようかな」と言う。では最後は肉か?
と資格取得のため食鳥処理場に通い始めた。
夥しい数の鶏と働く人々。
私たちの肉はこんなふうに支えられていたのか。
感謝や驚きとともにさまざまな〝なぜ〟も湧きあがる。
ある日、同僚に訊ねようと顔を覗き込んだとき、何かちがう気がした。
この問いは社会に向けるものではないか──
〈『山と獣と肉と皮』『ニワトリと卵と、息子の思春期』に続く最新刊〉
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【目次】
序章 それは見てはいけないものか?
第1章 踏み越えて、向こう側へ
第2章 なぜここは
第3章 ニワトリと卵とお金と、殺すこと
第4章 変わりゆく中で
第5章 どこへ向かうのか
あとがき
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感情タグBEST3
Posted by ブクログ
評価は読む人それぞれだと思うが誰も無視できない本だと思う
にわとりに優しいたまごやさんをやりつつ最低賃金で後期高齢者、外国人、障害者と食肉工場で働く
養鶏を始めるけどなかなか軌道に乗せられない友達のいない旦那さん
ゲームの代わりににわとりを飼う長男始め子供たち
テーマを見出すなら食と生き物になるのだろう
思索の過程だけを書くこともできるだろうけど工場の人たち、子供たちの成長、夫への苛立ちが日記のように描かれる
テーマからすると寄り道のように見えるけれども寄り道が積み重なることでしか伝わらないものがあった気がする
エッセイのような冒険記のような思索のような日記のような
旦那さん感情移入してしまうなあ
ここすごいこと書いてるなあと思っても後から思い出せない
再読が必要
Posted by ブクログ
どろっとした液体に身体全体が浸かるような感覚。かろうじて顔だけ出ているけど、今にも沈んでおぼれてしまいそうな。蒸し暑い中、なんとか呼吸をしているような、そんな感覚で読んだ。
スゴい本だと聞いていて、事前知識なしで読んだけど、いやぁスゴかった。人にすすめたいけど、あらすじだけまとめても、全く伝わらないような⋯とりあえず読んでみてもらうしかない。
付箋を貼った箇所をいくつか。
勤め先の食鳥処理場の部門で、鳥の首を切る仕事から内臓部分を取り出す仕事に移った時に。
「〜つらさで言えば首切りのほうが上だが、嫌な気持ちはどっちもどっち。殺すより臭いほうが嫌だなんて。〜」
「昔は機械なんてなかったけん、こがん忙しゅうなかった。人間のペースやった。今は機械になって、人間が機械のスピードに合わせるようになったと」
「〜肝臓はワイン色、キンカンはオレンジ〜なぜ色までちがう?何のために美しい?〜神に問うように心の中で叫ぶ。家の台所で。」
他にも鶏を流れ作業で殺していく様子とホロコーストを重ねて、どちらも作業になるのだと感じるところとか、こんなにすごい仕事なのになぜ高齢者と障害者、外国人ばかりが働き手で最低賃金なのか、と疑問に思うところとか、印象深かった。
既刊も是非読んでみたい。
Posted by ブクログ
焼鳥での一杯をこよなく愛するアナタ、唐揚げに目がないアナタは、絶対に読むべき一冊です! この強烈な内容のノンフィクションは、自ずと「生きもの〜食べもの」の循環と尊さを思い知らせます。
ひょんなきっかけで、家族ぐるみでニワトリと関わることになった女性。本書の主軸は、著者が食鳥処理場で働くことを通じての、鶏を絞めて捌くことの過酷さと、育て売り食べることへの感謝です。
とりわけ、普段見ない「捌く」工程は想像を絶する描写です。流れ作業で鶏の血や体液や内蔵物を全身に浴び、滑る手の感触と共に、強烈な臭いが襲います。しかし、そこで働く人が後期高齢者、障がい者、外国人が中心、それも最低賃金で…。加えて周囲の偏見。こうした社会の歪みまで描写します。
単なる取材報告のルポではなく、仕事での実体験から発する疑問や葛藤は、訴える力大です。だからこそ、食鳥処理場の現場をすごい仕事、すごい人たちと言い切れるのでしょう。私たちも、スーパーに並ぶきれいな鶏肉は食べるけれど、そんな仕事は残酷とか汚いなどと間違っても言えません。
もう一つの軸が家族の物語です。長男の小5時の発言「ゲームの代わりにニワトリ飼わせて」に始まり、リストラされた夫が「養鶏しようかな」につながり、庭先養鶏の拡大版へ向かっていきます。
家族の描写が諸々の強烈さを中和し、バランスを取ってくれています。娘さんが微笑ましくホッとします。写真家でもある著者の、随所に挟まれる写真が真実を物語っています。
生き物が食べ物になってゆく過程を臨場感たっぷりと描き、誰かのお陰で私たちが命をもらって生きていることを教えてくれる傑作でした。「生きること=食べること」だとすれば、本書の内容は人生そのものです。
肉や卵の向こう側にある生き物の風景に関心を持つために、多くの方に読んでほしいと思いました。
Posted by ブクログ
食鳥をめぐるノンフィクションであり家族の日々を綴ったエッセイでもある。
食鳥工場作業員、養鶏家、母親、三つの視点から構成される。
中でも食鳥工場での労働部分は、普段スーパーで目にするパッキングされた肉がどういった工程を経てそうなっているのかをリアルに伝えていて読み応えがすごい。次々に流れてくる鳥の首を切るところから腹を割き内臓を取り出す一連の作業。血や悪臭に塗れながらその仕事をしてくれている人たちがいるからこそ消費者はスーパーで鶏肉を買うことができる。黙々と首を切り続ける男性の姿には合掌したくなるような崇高さがある。
社会的に重要な仕事でありながら最低賃金で、働いているのは後期高齢者、知的障害者、外国人ばかり。食鳥工場で働いていると人に言うと見下すようなことを言われる。重要でありながら誰もやりたがらない仕事を社会的弱者に押し付け、見ないふりをし、コロナ禍ではエッセンシャルワーカーなどと耳障りのいい言葉で誤魔化している世の中に対して、著者ならずとも違和感を覚える。コロナ禍、ブルーワーカーの自分ももちろん出勤して仕事をしていた。本社ではリモートワークになっていたが。
社会的に下に見られても、肉体的・身体的負担があっても、著者には「自分はすごい仕事をしている」という自負がある。ブルシット・ジョブ的な負い目とは対照的。入社したての頃を振り返って「汚れるのが怖かった」という述懐には経験者の実感がこもる。自分も昔食品製造工場で働いていた。とにかく匂いが気になった。仕事に入ると慣れて意識しなくなるのだが、帰宅するとリセットされるので、出勤するたびに気になる、慣れる、忘れる、の繰り返しだったのを思い出した。
養鶏は、届いたかわいいひよこを商品として見なくてはならないのがつらい。大変な仕事だと思う。幼い娘さんの言動が清涼剤のように効いている。長男がすごいしっかりしていて頼もしい。
著者の本業は撮影。素晴らしい写真が多数掲載されている。
Posted by ブクログ
いやあ、良かった。
基本的には本書はノンフィクションに位置づけられましょう。
写真家ときどき文筆の筆者。失業を機に養鶏をやりたいと言い出した夫のビジネスを支えるため、食鳥処理衛生管理者の資格を取るべく取得の方法を探す。すると、この資格、食肉工場で3年勤務すると受験資格ができるという。
こうして筆者は、自分の仕事をしつつ、夫の養鶏ビジネスも支えつつ、鶏肉食肉加工会社にパートに出ることに。
で、この食肉加工会社での部分がすごい。
筆者は一通り経験したいと、幾つかのパートをローテンションさせてもらうも、生きた鶏肉を殺す「首切り」、内臓を可食・不可食に分別する「中抜き」に長く従事する。命を奪うこと、それが淡々と黙々と行われている現実。猛スピードで生き物を殺す。血は飛ぶし、内臓も砕けるし、匂いも凄い。さらにその環境が劣悪で、冷房もなかったり。
・・・
ここで色々なものが見えてくる。命を奪って、その命を頂いているという食の真実。こうした食肉工場は最低時給で、後期高齢者・障害者・外国人が働き手がいないという職の現実。きつい・とうとい行為をする人々が、なぜか弱い立場であること。
生きているだけで「罪」な存在?である人間。オートメーションや分業化が進めば進むほど、その「罪悪」感が薄れてしまうこと。ベジタリアンになれば解決するわけではなく、タンパク質を欲する姿が自然なのではないか、と思うこと。
食肉を頂く罪悪感や「もやもや」は一刀両断に回答が出るわけではなく、その「もやもや」もそのまま提示・表現されています。
上手く表現できませんが、読んで欲しい。
・・・
加えて、本作、3児の母の育児記録でもあります。
夫が養鶏を始める前、長男さんが「ゲームの代わりに養鶏やりたい」と一家で面倒が見れる範囲の小規模な養鶏をやったこと。その長男の大学受験や末っ子の女の子のてらいのない観察眼。
そうした家族の雰囲気、子どもへのいとおしさ、子どもたちへ時間を割けないことのいら立ち、夫への不満や気持ちなど、時々の想いが綴られています。
バリバリの「皆さんの知らない現実をお伝えします」という肩ひじ張ったノンフィクションにならなかったのは、この「母親」「妻」の視点からの描写のバランスが良かったからだと思います。
・・・
ということで、繫延氏の作品、初めて読みましたが、良かったです。
ブログを読んでいて面白いと感じるのは、やはり個々人の気持ちや想いが感じられるところだと思います。個人的には、いのち・生きる・食事・子育て・仕事と生活のバランス、など多くの人が日々関連するものごとへの疑問を「仕方ない」「それが現実」と放り投げずに言語化し続ける姿勢に共感。
久々に人に勧めたくなるノンフィクションでした。ノンフィクション+エッセイ、みたいな雰囲気の本でした。でも重厚。いのちの話がメインだったからかな。
Posted by ブクログ
現代社会は"いのち"を見えなくしている
しかしそれは確かに存在していて、まざまざと見せつけられると打ちのめされる
食鶏処理という命に溢れた仕事と、家族の風景を並列で書いていくと、不思議なことに後者にも命が感じられてくる
同じテーマをまとめた、生田武志「いのちへの礼儀」も本当に素晴らしかった。
それを、より現場レベルから訴えてくる。
食べ物と"いのち"。
読んでる人間をこんなにも"身につまされる"感覚にさせる本はなかなかない。
とんでもない本だ、、
Posted by ブクログ
限りなく星5に近い星4。すごい本。自分の意識が知らない世界へと拡張される。食鳥処理の事細かな描写は圧巻。読みきるには体力がいるけどその価値はある。末尾のカラー写真が「ここまで読んだ読者なら耐えられる」と覚悟を試されているようだったのが印象的。
Posted by ブクログ
鶏(とり)まみれ。
一瞬、それは何?と戸惑うタイトルだが、読み終えてみると、なるほどその通りの内容である。
著者は写真家で、出産の撮影をライフワークとしている。
2011年に長崎に移住後、猟師と知り合い、猟に同行するうち、生き物と食肉について考えるようになる。一方で、著者の長男はニワトリを「家畜として」飼い始める。卵を売ってお小遣いにするというのだ。そんな顛末を廻って、鳥獣と肉とについて考えた前著(『山と獣と肉と皮』)も読み応えがあったのだが、本書も読ませる。
リストラで失業中の夫がある日、「養鶏をやってみようかと思う」という。それまでに息子の先導で庭先養鶏をしていたので、その延長ともいえる形である。卵を取るのが主だが、同時に卵をあまり産まなくなったニワトリを肉にして売ったらどうだろうか、と著者は考える。そこで食肉販売について調べてみると、「食鳥処理衛生管理者」という資格が必要とわかる。この資格を取るのが思ったよりも難しく、提示される条件のいずれかを満たさなければならない。獣医師や獣医学部の卒業者などが該当するが、ハードルが高すぎる。唯一、可能性がありそうなのは「(中卒以上で)食鳥処理業務に3年以上従事し、かつ講習会の課程を修了した者」という条件。著者がすごいのは、そこから早速該当する食鳥処理場を調べ、パートとして働けるか交渉をしてしまうところ。幸いにも働く人は常時募集しているようで、面接・採用となる。
とはいえ、何しろ、養鶏自体、まだ本格的に始めてもおらず、軌道に乗るかどうかもわからないのである。そんな中で、写真家としての仕事もしつつ、学齢期の子供の世話もしつつ、家にすでにいるニワトリの世話をしつつ、四足目のわらじである、食鳥処理場のパートを始めてしまうわけだ。
いざ始めてみると、この食鳥処理の仕事がすさまじかった。
家ですでに何度かニワトリの屠殺・解体は行ったことがあった著者だが、処理場には途方もなく大量のニワトリが運び込まれてくる。生きた状態のものを食肉にするまでには、いくつか段階があるのだが、始めの方の仕事はとにかく汚れ仕事である。首を切断し、放血させ、内臓を除去し、精肉に加工できるようにする。つなぎの作業着は着るが、全身、汚物や血にまみれ、汚れは二重三重のバリアをすり抜けて、顔や体に到達する。
大量のニワトリが機械のスピードで次々に回ってくるため、1羽1羽を丁寧に捌くことなどできない。あれこれ考えず、目の前に来たニワトリを黙々と処理していかなければならない。
体力的・精神的にきつい仕事だ。また、ある種、特殊業務で、熟練の者と新米とでは力量に大きな差がある。が、これが驚くことに、ベテランであっても、賃金は安い。実のところ、ほぼ最低賃金の仕事なのである。働く人たちを見回せば、老人や障害を抱える人が多い。
家庭の食を支えているのは、こんなにも低賃金の重労働なのか、と読んでいる方も愕然とする。そうした場所で社会的に弱い立場の人が日々奮闘している。
最初のうちはあまりの汚れ仕事に呆然としていた著者だが、仕事にも徐々に慣れていく。そうした中で、古い慣習や理不尽な方針に疑問を抱き、会社の上層部に掛け合ったりもする。パートで、ある意味、半分よそ者だからこそ、忌憚のない意見も言えるという。もしここに居づらくなったとしても、ほかに生きる術もある。四足のわらじがここに生きてくる。
・・・いや、強いなぁ・・・。
本当のところ、著者が行おうとしている養鶏事業に役立つのは、屠殺や内臓抜きの仕事よりも、精肉加工の部分なのだ。一通り経験したいと面接の際に言ったものの、気が付けばほとんど汚れ仕事の部分を担っている。けれどもそれはそれで、数多くの内臓を見ることは、得難い経験ではあって、内臓からニワトリの状態を知る「目」が育ってくる。
どんな経験もプラスにしてしまうしなやかさに感嘆する。
写真家の著者であるから、食鳥処理の写真も収録されている。あまり刺激的すぎないよう、注意深く選別された感のある写真だが、それでも抵抗を感じる人もいるだろう。
著者は、人が食べる肉と、命ある生き物とが地続きであることについて、前著でも本作でもずっと考えている。収録される写真もそれを表している。
現在、卵を売買する養鶏事業はほぼ軌道に乗ったようである。食肉販売についてはまだこれからの模様。
出産の撮影と、ニワトリとの関りと、家族との暮らしと。どれもが別々のようでつながっている。しなやかに流れ流れていく著者の生き方に圧倒されつつ、さまざま考えさせられる1冊である。