繁延あづさのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
評価は読む人それぞれだと思うが誰も無視できない本だと思う
にわとりに優しいたまごやさんをやりつつ最低賃金で後期高齢者、外国人、障害者と食肉工場で働く
養鶏を始めるけどなかなか軌道に乗せられない友達のいない旦那さん
ゲームの代わりににわとりを飼う長男始め子供たち
テーマを見出すなら食と生き物になるのだろう
思索の過程だけを書くこともできるだろうけど工場の人たち、子供たちの成長、夫への苛立ちが日記のように描かれる
テーマからすると寄り道のように見えるけれども寄り道が積み重なることでしか伝わらないものがあった気がする
エッセイのような冒険記のような思索のような日記のような
旦那さん感情移 -
Posted by ブクログ
ネタバレどろっとした液体に身体全体が浸かるような感覚。かろうじて顔だけ出ているけど、今にも沈んでおぼれてしまいそうな。蒸し暑い中、なんとか呼吸をしているような、そんな感覚で読んだ。
スゴい本だと聞いていて、事前知識なしで読んだけど、いやぁスゴかった。人にすすめたいけど、あらすじだけまとめても、全く伝わらないような⋯とりあえず読んでみてもらうしかない。
付箋を貼った箇所をいくつか。
勤め先の食鳥処理場の部門で、鳥の首を切る仕事から内臓部分を取り出す仕事に移った時に。
「〜つらさで言えば首切りのほうが上だが、嫌な気持ちはどっちもどっち。殺すより臭いほうが嫌だなんて。〜」
「昔は機械なんてなかったけん -
Posted by ブクログ
焼鳥での一杯をこよなく愛するアナタ、唐揚げに目がないアナタは、絶対に読むべき一冊です! この強烈な内容のノンフィクションは、自ずと「生きもの〜食べもの」の循環と尊さを思い知らせます。
ひょんなきっかけで、家族ぐるみでニワトリと関わることになった女性。本書の主軸は、著者が食鳥処理場で働くことを通じての、鶏を絞めて捌くことの過酷さと、育て売り食べることへの感謝です。
とりわけ、普段見ない「捌く」工程は想像を絶する描写です。流れ作業で鶏の血や体液や内蔵物を全身に浴び、滑る手の感触と共に、強烈な臭いが襲います。しかし、そこで働く人が後期高齢者、障がい者、外国人が中心、それも最低賃金で…。加え -
Posted by ブクログ
食鳥をめぐるノンフィクションであり家族の日々を綴ったエッセイでもある。
食鳥工場作業員、養鶏家、母親、三つの視点から構成される。
中でも食鳥工場での労働部分は、普段スーパーで目にするパッキングされた肉がどういった工程を経てそうなっているのかをリアルに伝えていて読み応えがすごい。次々に流れてくる鳥の首を切るところから腹を割き内臓を取り出す一連の作業。血や悪臭に塗れながらその仕事をしてくれている人たちがいるからこそ消費者はスーパーで鶏肉を買うことができる。黙々と首を切り続ける男性の姿には合掌したくなるような崇高さがある。
社会的に重要な仕事でありながら最低賃金で、働いているのは後期高齢者、知的障 -
Posted by ブクログ
ネタバレいやあ、良かった。
基本的には本書はノンフィクションに位置づけられましょう。
写真家ときどき文筆の筆者。失業を機に養鶏をやりたいと言い出した夫のビジネスを支えるため、食鳥処理衛生管理者の資格を取るべく取得の方法を探す。すると、この資格、食肉工場で3年勤務すると受験資格ができるという。
こうして筆者は、自分の仕事をしつつ、夫の養鶏ビジネスも支えつつ、鶏肉食肉加工会社にパートに出ることに。
で、この食肉加工会社での部分がすごい。
筆者は一通り経験したいと、幾つかのパートをローテンションさせてもらうも、生きた鶏肉を殺す「首切り」、内臓を可食・不可食に分別する「中抜き」に長く従事する。命を -
Posted by ブクログ
肉を食べることは命をいただくこと、そう考えたことがある人には、本書を読んで欲しいと思った。
そう考えたことの無い人にも、本書を読んで欲しいと思うが、理解できないだろうな。
そういう人は、魚は切り身で泳ぎ、肉はステーキで作られると思っているのだろうから。
還暦を過ぎて狩猟者になった私が見てきたもの、感じてきた世界が、この写真家の文章に描かれている。
長崎に移住してきた筆者は、偶然の引き合わせて狩猟者のおじさんと出会い、野生の肉をもらう。
食べることから狩猟に興味を持った写真家は、好奇心から狩猟への同行を願い、そして現場に立ち記録した。
何度も狩猟に同行し、獣の肉を喰い、命を知る。
家族も巻き込 -
Posted by ブクログ
長崎に移住してから、偶然知り合った地元の猟師を通して、害獣駆除のための猪、鹿の狩猟の場をカメラにおさめながら(筆者の職業はカメラマン!)食、命、生、死についての想いを綴ったエッセー集。彼女がなぜ狩猟の場や捌く行為にこだわり、ある意味惹かれているのかは、文章を通して徐々に明らかになったように思う。最後には皮革の仕事場も訪れ、人が持つ穢れという意識、それに対して清めという行為、命を生み出す女性としての想いに及んでいく。と書くと、固そうな内容そうだが、文章はかろやかで、猟師の方々との会話や家族とのやりとりなど、ふっと笑いを誘う。全体に、人に対しても動物に対しても、筆者の命に対する深い敬意と愛を感じて
-
Posted by ブクログ
写真家の繁延あづささんが家族で移住した長崎で出会った猟師たち。その営みを目にし、人間と獣、さらには生と死と生き方を考えるようになるエッセイ。
私も読みながらすごく考えさせられた。
目の前で獣の死を目の前にして変わっていく生死感
肉を食べるということは命を頂くということ…
「絶対、おいしく食べてやる」という思い
そして「殺すなら苦しまないように一気に殺すこと」という思いなど…
先日、友人が生きた伊勢海老をもらったということで捌きに行ったのだけど私もその時に思ったのが「殺すなら苦しまないように一気に…」と思った。ナンマンダブナンマンダブとつぶやきながら捌く私に友人は「食べにくいわ!」と言って -
Posted by ブクログ
鶏(とり)まみれ。
一瞬、それは何?と戸惑うタイトルだが、読み終えてみると、なるほどその通りの内容である。
著者は写真家で、出産の撮影をライフワークとしている。
2011年に長崎に移住後、猟師と知り合い、猟に同行するうち、生き物と食肉について考えるようになる。一方で、著者の長男はニワトリを「家畜として」飼い始める。卵を売ってお小遣いにするというのだ。そんな顛末を廻って、鳥獣と肉とについて考えた前著(『山と獣と肉と皮』)も読み応えがあったのだが、本書も読ませる。
リストラで失業中の夫がある日、「養鶏をやってみようかと思う」という。それまでに息子の先導で庭先養鶏をしていたので、その延長ともいえ -
Posted by ブクログ
ほかの人が狩猟に関わるきっかけと、その活動はどんなことをやっているのだろう。
筆者は移住先の長崎で、たまたま同じ駐車場を使っているおじさんが狩猟をやっていることから興味を持った。
狩猟に同行するにつれて、肉は絶対に美味しく食べることを誓う。
さらに狩猟の知り合いが増え、佐賀県で猿回しをしている猟師や、姫路の白鞣しの革職人に会いに行く。
読んでいて同じだなぁと思ったのが、スーパーに並んでいる精肉が工業製品のように見えること。
一度でも狩猟で解体をやったことのある人ならば、この感覚に共感できるだろう。
そして姫路の白なめしの職人の話を読んでいて思ったのは、本来は革にするのに多く -
-
Posted by ブクログ
長崎へ移住し、そこでの近所付き合いで猟師と知り合った著者。
漁師からもらうようになった猪や鹿肉を調理することをきっかけに、著者の、肉を食べるということは、命をいただくということは、に対する考察の旅が始まる。
そして罠猟や犬を伴っての銃猟に同行、止めさし(とどめをさすこと)や解体に立ち会い、自らの手で鳥を屠り、果ては革職人に会いにいき、著者の思索の旅は本の中では一区切りつく。
著者自身も書いているが、思索の覚書のような印象。とても感受性が豊かで思慮深く、自分ではそこまで深く思い至らないような視点があり、自分の日常では体験できないような経験の追体験があり、これぞエッセイを読む醍醐味。いい読書をさ -
Posted by ブクログ
鹿の前足をもらった時、どうやって食べようか、一瞬躊躇した。仕事で標本や剥製にするための動物の亡骸を回収していた時のことを思い出した。自身の経験してきたことと重ね合わせながら、読んでいると共感できることが多い内容だ。
スーパーで肉を買うなとか、フライドチキンをウーバーイーツで頼むなとか言えた柄ではないが、時々、生きることについて真剣に考えてみる必要がある。特に子育て世代の人たち。一番厳しい局面に立たされている人こそ、向き合って考えてみる必要があるのではないか。SDGsとかいう頭でっかちな押し付けよりも響く。
小さい頃祖父が私に言って聞かせた言葉「自分が仕留められると思うものを食べろ。もうワシは