神崎宣武のレビュー一覧

  • 聞書き 遊廓成駒屋

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    2017年ちくま文庫。元は1989年講談社。
    昭和53年ころだろうか、たまたま通りかかった中村遊郭で家屋取り壊し現場に出くわし、捨てられていく民具を工事を中断させて搬出したところから始まる。神崎の遊郭調査。今でいう鵜飼病院の向いのところだ。知っている地名、場所が頻出。
    お秀さんをはじめ関係者からの長年に及ぶ広範囲な聞き取り。元娼妓に四国まで会いに行くが、ここでは話をせずに帰ってくる著者の控え目さが素晴らしい。
    少し前に朝日新聞で著者の経歴が連載されていたがそこでもお秀さんとの話や写真が載っていた。娼妓と取り巻く人々、近い過去、近い場所での様々な人生があった。

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    2024年08月30日
  • シリーズ江戸学 江戸に学ぶ「おとな」の粋

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    神崎宣武
    1944生。民俗学者。旅の文化研究所所長、岡山県宇佐八幡神社宮司。著書に『「まつり」の食文化』角川選書、『酒の日本文化』『しきたりの日本文化』角川ソフィア文庫、『江戸の旅文化』岩波新書、『神さま、仏さま、ご先祖さま』小学館など多数。



    しかし、江戸の紀行文を総じてみると、案外と和歌が少ない。江戸時代に、その分野ですでに和歌の後退現象が生じている。というか、和歌が古典として格上げされたのである。  かわって 流行るのが俳句である。なかでも、芭蕉は、のちに俳聖といわれるほどに俳句を広く知らしめた。その芭蕉の俳句も、大半が旅先で詠まれたものである。

    「赤富士」や「浪裏」で知られる浮世絵師 葛飾北斎 は、自己の画技完成をなお探究した。『 富嶽 百景』にいう。

    川柳では、世情を憂い、世情を皮肉る。紀行文では、いうなれば、「あるく・みる・きく」、そして考える。随筆では、自分と自分をとりまく生活環境のあれこれを私感をもって綴る。いずれも、あらためて「自分さがし」をするのであり、「自分史」をまとめる作業となるだろう。

     私は、海外のフィールドワークにもよく出かけるので、成田空港を利用する機会が多い。飛び立つまでの暇な時間、もっぱらそこでの人間ウオッチングを楽しむようになった。いま、もっとも元気なのは熟年女性であり、もっとも覇気のないのが熟年男性であろう。熟年女性の場合、一人旅とおぼしき人も目立つ。さっそうとしている。グループ旅行とおぼしきは、華やいでいる。対して、熟年男性はというと、多くは出張か家族旅行。男の目からみても「 恰好 いい」という人をあまりみかけないのはなぜなのだろうか。

    旅は、ハレの行動様式には相違ないが、そのハレのなかにまたハレ的な行為とケ的な行為がある。そのメリハリは、当然のことである。が、現代の旅行では、とかくハレの連続を求めがちである。それは、交通の発達により旅行日程を短縮できるがゆえに、観光ポイントや宴会・パーティーなどをつめこむことになるからだ。また、多くの日本人が実際には時間的にも経済的にもさほどのゆとりがあるわけではなく、旅行に出た以上いっときに消費を重ねようとするからでもある。私の親しいアメリカ人女性は、日本人観先客を「多忙症」と評したほどだ。つまり、ハレの旅のなかで、たとえば読書とか音楽や美術鑑賞とか散歩や昼寝などのケ的な行為が十分にとりいれられていないわけだ。いきおい、その土地の風物や人情になじむまでには至らない。ただ、そこに足を運んだということにとどまりがちである。

    だが、旅のもうひとつの意義は、「世間を広げる」ことにある。ゆえに、「かわいい子には旅をさせろ」とか「旅は人生」といったのだ。  世間にはさまざまな人がおり、さまざまな暮らしがある。つまり、 分 さまざまということ。さまざまな土地や人びととの出会いによってあらためて自らの分を知る。それではじめて自らの再生をはかる、その転機にもなるだろう。そこではじめて旅は癒しの場となりうるのだ。

    「されば泊々土地、処の風俗によって、けしからぬ 塩梅 の違あるものなり。此等の事を 兼 而 心得 居 ねば、大に 了簡 違ふものなり。(中略) 実に 貴賤 共に旅行せぬ人ハ、 件 の 艱難 をしらずして、 唯 旅ハ楽、遊山の為にする様に心得居故、人情に 疎、人に対して 気随 多く、陰にて人に 笑 指さゝるゝこと多かるへし」

    重ねていうことになるが、「陰にて人に笑指さゝるゝこと」のない旅──それが大人の旅の第一条件である。そのうえで、ことさら気どらず、されど余裕をもってにんまりと世間を広くみる。大人の旅とは、粋な旅とは、そんなものではあるまいか、と思えるのである。

    もちろん、徒歩行の時代であるから日程が長期に及ぶ。現在、私たちの海外旅行における平均が七泊八日。その四倍にも五倍にもなる。であるから、毎日をハレ、ハレと連続することはできない。が、当時は「往きの精進 帰りの観音」といったように、目的を成就するまではつつましく旅するのが一般的であった。

    旅の目的地である伊勢に 逗留 中は、一転して豪勢な飲食となる。もちろん、これは、上州板鼻あたりを縄張りとしているなじみの御師のもてなしでもあったが、それにしても豪勢なものだ。

    あたりまえといえばあたりまえすぎることだが、近代以降、交通の発達や勤務形態などの変化のなかで、旅がせせこましくなった。時計(時間)に縛られ、ゆとりが失われてしまった。全体的に、現代の旅は、メリハリのない、いうなればハレハレ急行。何となくつまらないものになってしまったように思える。

    できるなら、スケジュールを細かく固定しないことだ。旅の楽しみのひとつは「出会い」。その出会いは、良き出会いは、日程がゆるやかでいかようにでも行動できる時間的余裕のなかにこそ生じるのである。

    ある共通の目的をもって親しい仲間同士で旅に出たとしても、その目的を果たしたあとの後半は、それぞれの興味や好奇心にそって別行動をとるのがよろしかろう。一緒に行動する楽しみと一人の楽しみ、それぞれの合理をつかいわけしたいものだ。連帯責任の強かった江戸時代でさえ、金井忠兵衛たち一行のように、共通の目的であった伊勢参宮をすませたあとは、個々のホンネの旅へと分散しているのである。タテマエとホンネの 対 の行動、そんな余裕をもててこその「江戸に学ぶ大人の旅」なのではあるまいか。

    江戸っ子、とくに 半纏、 股引 姿の職人たちは、「宵越しの銭は持たねえ」を信条とした、といわれる。金はなくてもせこせこしない。「金は天下のまわりもの」と、きっぷよくつかい、清貧思想を 標榜 していた。それを美学とした。

    落語には、じつにさまざまな「金」と「人」との関わりあいが登場する。  たとえば、『 文七元結』では、泣く泣く娘を吉原に売ってつくった大金を、身投げしようとしている人にあげてしまい、その金が戻ってくる段になっても、「一度懐から出た金は受けとれねえ」といって、けなげにも江戸っ子の意地をみせる。また、『水屋の富』の主人公は、 富籤 で千両当たるが、他人に盗まれはしないかと少しも気が休まらなくなる。ある日、ついに金を盗まれてしまうが、「ああ、これで心配ごとがなくなった」と胸をなでおろすのである。

     江戸っ子たちは、けっして浪費家だったのではない。副収入で上手に遊んでいたのである。それぞれの財布をはたいて好きに遊ぶ、そのかぎりにおいては誰に遠慮がいるものか。何よりも江戸という時代が、それを許容したのである。

    「女房をこわがるやつは金が出来」という川柳もある。遊びに誘われても女房の顔を思いだして断るような恐妻家は、さぞかし金がたまるだろう、という皮肉は、現代人にも相通じることではある。が、それを是とするか非とするかに時代の違いがある。

    そうした金銭に執着しないという伝統は、つい近年まで日本人のなかで受け継がれていたことでもある。もちろん、金銭の価値を認めたうえで、金銭的な問題をあらわにしたりこじらせることを恥としてきた。金銭的な苦労をしながらも、金銭に潔いことを美徳としてきたのだ。

    いいかえるならば、しつけは社会の 規範 づくりの一環にあり、個人の自由が優先する現代社会には無用の旧慣、というわけにもゆかないのである。

    かつて、しつけは、家庭ばかりでなく、地域社会でもきっちり行われていた。  たとえば、江戸時代。村落社会において、若者に対するしつけに重大な役目を果たしたのが年長の青年たちであった。その地域内での「若者 頭」、あるいは「若衆頭」、「若勢頭」。それが若年層をしつける役目を担っていたのである。

    隠居と 隠遁 とは違う。趣味 三昧 の生活であっても、ある部分で実社会とのつながりをもっていた。というか、それまでの人生の経験を存分にいかせる立場を得ることでもあった。なかには、隠居してのち、世に残る仕事を成した人もいる。

    よく知られるところでは、 伊能忠敬 である。彼は、一七歳で伊能家の養子となり、没落しかけた家業を再興し、名主として郷土の発展にも貢献した。そして、五〇歳で隠居。それから江戸に出て、天文学を学び、日本全土の測量を志したのである。七二歳までの一六年間で地球一周を超える行程を測量し、その全距離を自らの足で歩き通したというのだから、すごい。何を語らずとも、その後ろ姿が若者の指針になったに相違ない。

    江戸後期の出雲松江藩主であった松平治郷 は、五〇代で家督を譲り、以後は全国を食べ歩き、書画、和歌、茶道に親しむなど、優雅な隠居生活を送ったことで知られる。そのようすは、自著の『甲子夜話』に詳しい。ただ、着道楽や酒道楽にほど遠く、浪費はしなかった。未練がましく後継者に口を出すこともしなかった。だが、その存在感そのものが、藩をになう次代の若者を導いていたことは、その伝説のなかからも想像にかたくない。

     今日では、着物を着る機会が極端に減ってしまったが、着物こそ日本の気候風土にあった装いなのである。それについては、先にもふれたが、たとえば、着物の最大の特徴は、直線裁断のためからだにピッタリあわせることができず、着付けたときにもフワッと、どこかに無駄な隙間ができることである。そのうえ、 袖 付けの下、脇縫いの上の部分に 身 八ツ口 といわれるあきがあり、袖口も洋服に比べて広くとられている。つまり、通気がいいのである。だから、蒸し暑い日本の夏に適した装いといえる。夏にはとくに 浴衣 が重用された。浴衣は、江戸の町人社会で夏のくつろぎ着として広まったものである。浴衣を着て夕涼み、というのが夏の風情のひとつにもなっていた。

    香具師は行商人であり、その生活は旅にある。そして、かつての旅は、歩くことが前提であった。その場合、荷物は最小限にまとめるべきであった。荷運びのための馬や人夫を雇うことができる身分ならともかく、旅から旅へと巡り歩く小商人なら一般の旅人と同様に身軽であるにこしたことはない。そうでなくても、人間一人が運びうる荷物の量は知れている。しかし、行商人である以上、商品が要る。そうした場合の商品は、当然かぎられてくる。かさばらず重すぎず、保存がきいて、どこでも平均して売れる貴重品であることが条件となる。そのうえ、行く先々で資本をかけずに補給が可能なものでなくてはならない。そうなると、薬品類がもっとも有利な商品となるのである。何らかの漢方調製の法を知っている者が、その知識や技術を頼りに行商をして歩いたことに疑いをはさむ余地はない。

    つまり、リサイクルは、いまのような運動ではなく、生活システムの一部であったのだ。ゆえに、リサイクルに相当するような言葉さえなかった。みんながふつうにやつていることをあえて表現するためのとくべつな用語など、意味も必要もなかったのである。  私どもは、いわば先祖が築きあげた巧妙なリサイクル社会を戦後三〇年以上もかけて 叩きつぶし、簡便な使い捨て文化に切り替えようとしてきたのである。そのツケがいままわってきているのだ。現在、私どもが頭をかかえていることの多くは、ほんの三、四十年前まで残存していた「循環」の意識や制度を再構築すれば、解決できることもあるのでは、と思えるのである。

    ところで、死後、人びとはどのように葬られたのであろうか。  江戸時代の葬儀は、身分や経済力によって差があったが、その手順はほとんどかわらない。  文字どおり、夜を徹しての通夜を行い、翌日が葬儀。家の中で僧侶による読経がなされ、その後出棺となる。出棺後は、 門火、後火、送り火などといって、火を 焚く習俗が広くみられた。

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    2024年01月24日
  • 聞書き 遊廓成駒屋

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    下手な小説よりもドラマチック!
    気の遠くなるような丁寧な
    聞き取り調査が、売買春の実態や
    そのまわりの人間関係を描き出す。
    著者も書いているが、
    個性的でアクの強い人たちと
    心を通わせる姿勢が、
    難しい主題をここまで魅力的な本に
    したのだと感じた。

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    2021年10月24日
  • 旅する神々

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    ネタバレ

    私自身の古事記についての知識が浅く、いまいち理解ができないところもあったがとても面白かった。

    時代とともに神々も進化していく、寛容な時代があったのだなととても癒された。

    吉備津彦命と倭建命の章は、元ネタをなんとなくだが知っていたので理解しながら読めて大変面白かった。
    古事記と日本書紀は完全に別物だと思っていたので、古事記がさらに編纂されたものが日本書記と知って驚いた。この辺りの知識をつけたい。

    山幸彦の章で、お産の立会いが昔はタブーだったと知り驚いたとともに、その理由が
    p92「妊婦の健康を維持するための隔離であった。家事からも夫の世話からも解放された。」とあり、現代でもタブーにした方が妊婦さん休めるのではないかな?と思ったりした。

    また、著者の遊廓成駒屋を拝読し人柄に惹かれこの本を手に取ったので、ひめを比売と書くことに興味が湧いた。なぜ売るの字が使われたのかしら。

    原始信仰から西洋では一神教に日本では自然信仰を残しつつ神仏習合と地域の来訪神の多様な信仰へ
    島国と島続きの違いなのかわからないがこの違いが気になっていたので、終章で西洋では土着の来訪神がキリスト教と融合して伝わったのではないかとあり、なるほどなと思った
    伝わる宗教もその土地や国との相性によるのかな?と思ったり

    古事記をちゃんと理解してからもう一度読もうと思う。

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    2021年04月01日
  • 聞書き 遊廓成駒屋

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    ネタバレ

    遊郭についてネットでしか情報収集をしてこなかったので、本を読んで理解したいと思って手に取った一冊

    とてもわかりやすく驚いた。

    いつの時代も吉原遊郭が最大だと思っていたので、中村遊郭(存在も本書で知った)が最大だった時期があると読み驚いた。
    また、娼妓の人たちは遊郭から外に出て買い物に出れると思っていたのだがそうではなく遊郭内に商人が来て通常の倍以上の値段で売ってきたと知り驚いた。何故借金をなかなか返せないのだろうと思っていたが、そういうカラクリがあったとは…娼妓たちを縛り付けておくためとはいえエゲツないことするなと…

    ただ、途中でお秀さんが言っていた、普通の会社も社長や取締役の接待会食費は経費から落ちるし働いた分の給与が全部もらえるわけではないというのは確かにそうだなと思った。割合はエゲツないけど…

    お秀さんと著者がページを追うごとに砕けた感じになっていくのは、解説の井上さんがおっしゃっていたように著者と一緒に旅をし話を聞きに行っている気になりなんだかほっこりした。

    p126で「そういった娼妓たちの心情を哀れとみるか、それともしたたかとみるか、それこそ所詮は部外書の淡い感傷というものかもしれない」という一文がとても胸に残った。

    その時代、その場所で生きたものにしかわからない感情や空気があり、そのことを人に話す時点できっとフィルターにかけて言語化すると思うので、本当のところは当事者にしかわからない。
    遊郭でしか生きれなかった人も遊郭にいったことで亡くなった人も遊郭外の世界と同じようにいるんだろうなと割合はもちろん違うと思うが。

    売春が何故悪いのか、遊郭の成り立ちなど疑問に思うことが増えた。

    中盤で「遊郭残酷物語」にはしたくないといっていた著者の人間性と文章に惹かれたので他の本も読んでみたいと思う。

    遊郭の一部ではあるが僅かながら理解することができたのでとても良い本だった。

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    2021年02月28日
  • 神主と村の民俗誌

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    民俗学者にして神主の神崎宣武氏による地元備中高原の村の民俗エッセイ。30年ほど前に書かれたものの再刊だが、当時の村の人々の姿が見事にとらえられている。これは貴重な記録であり、読んでも面白い。備中神楽、中世の姿をとどめるような村、神仏習合的なものも残されているなど大変興味深い。さらにその場所が美星町であり、星好きとしては思わず乗り出してしまう。たとえ美星は美山と星田の合併でたまたま付いた名前だとしても、それをもって村おこしをしているのだし。
    しかしこの本に書かれている地域や家々などの祭りは今はどうなっているのだろう?気になるところではある。神崎さん続きを書いてくれないかなあ。
    ちなみに現在4巻まで刊行されているゆうきまさみ氏のマンガ『新九郎奔る』(とても面白くなってきている)の今の舞台は美星町と同じ岡山県井原市である。なんと早雲の里荏原という駅もある。美星とはちょっと離れてはいるけど。
    それぞれ気になる場所なのでいずれは行ってみたいものだ。

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    2020年09月08日
  • 聞書き 遊廓成駒屋

    購入済み

    興味深く読んだ

    私は女性ですが、前から遊廓に興味があったので興味深く読ませてもらいました。
    性病検査の事は衝撃的でした。なんか気持ちがすごく暗くなりました。
    色々と当日の生の声を集めたり、著者もかなり大変だったと思いますが、当時の遊廓の内部を覗くことが出来る貴重な本だと思いました。

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    2020年06月17日
  • 聞書き 遊廓成駒屋

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    民俗学のひとが書いた本で、割と価値観中立、情報よくまとまっていた。
    学術的な正確性を期すべく参考文献等をつけようとしたが、断念したらしい。一般向けの書籍としては、それでも良いかと考え、星5とした。

    価値観中立とはいえ、『遊郭のくらしってどういう風だったのだろう』という事実の聞き取り内容には、やはり手放しで浪漫を感ずるわけにはいかない。
    学者の筆はミソジニーもミサンドリーもこじらせずに、かつ、学術のためならという押しつけがましさや、傲慢さもない。『ひと』を相手にしている、という礼儀正しさと、押し付けがましくならないよう、そっと寄り添うように思いを汲み上げる丁寧さがある。

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    2018年02月08日
  • まぐわう神々

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    日本における「性神信仰」について様々な角度から解説した一冊。
    本屋の民俗学関連のコーナーで何か面白そうなものはないかと見ている時に見つけ、民間信仰にも興味があったことから手に取りました。
    読み進めるうちに、中でも塞の神、道祖神についてはもっと知りたい欲が出て来て次はこのジャンルの本を読む次第です。
    「◯◯な神々」シリーズは他にも出ており、そちらも機会があれば読んでみたい。

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    2025年02月16日
  • 社をもたない神々

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    民俗学者であり、故郷の郷社のパートタイマー宮司でもある筆者の、神社神道という形で組織された神道の型枠に当てはめられない形で存続する神々についての考察。

    そもそも日本は神の国であった。
    山、岩、滝、田、竈門、我が国には様々なところに神が宿っていると考えられてきた。
    歴史ある神社が体系だって統一しているのは、その神々のごく一部でしか無い。
    その神社の外にも、神々は在る。

    そのさまざまなバリエーションを、パートタイマー宮司である筆者が、さらに学者として調べた多くの在郷の神々、古くから伝わる在郷の神社、神事などの情報を合わせて紹介している。

    結論があるわけでなく、存在が多様であるということが、日本の神々、八百万の神々という姿を描き出す。

    神社に立つ柱には、神が宿っていると考えられる。
    神を柱と数える。
    これは、英霊を柱と数えるのと同じこと。
    おお!柱っていうよな〜
    と言った、ちょっとした発見も面白かった。

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    2023年03月16日
  • 神主と村の民俗誌

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    ネタバレ

    著者は戦後の岡山県の地方で神主をしている。
    一方で東京で民俗学者としても働いている。
    祖父や父親、またはその世代の老人たちからの話と自分の幼少時代から現在までの移り変わりを含めた奮闘記。
    エッセイのようであるが、こうやって日々の暮らしが紡がれていくのだ、と思える、生きた民俗の本、という感じ。調査ではなく、実体験として書いているので、その情景が目に浮かぶような気持ちになる。
    著者自身の心の移り変わりも読み進める中で読み取れるので、継ぎたくなかった神主の仕事…東京で宮本常一と出会い民俗学に出会う…神主という立場から聞ける色んな話、歳をとってからわかる伝統を残すことの大切さ…という経緯を経て、最後に「東京に帰ったら、ワインを飲みに行こうー」と結ばれるところがすごく情感溢れて故郷愛をここから感じる…と思った。
    全体を通して身近でリアルなので、小説に使えそうなことが散りばめられており、あの小説で、こんなシーンだったんだろうな、こんなことありそうだな、と世界が広がる気持ち。
    ・荒神祭は親類縁者を漏らさず招く

    また、神主という立場であるが、きっと神主になりたくなかったこと、民俗学に出会って戻ってきたことを経ているからか神道の立場からの考えではない。
    カミサマが人々の生活にどう存在して作用しているかという見方をしており、キリスト教などの宗教ではない、とはっきりといっている。
    ・神々とは、驕りがちな人間の心を鎮める存在
    ・信心は宗教にあらず
     奥さんが病気になってから明るく穏やかな顔つきになった話

    明治政府の神仏分離令で、ハレは神道(お宮参り、初詣)、ケガレは仏教(お葬式)となり、今も習慣としてこれが伝わっている。
    これはハッとする新しい学びだった。

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    2023年01月05日
  • 聞書き 遊廓成駒屋

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    名古屋駅西口にあった中村遊廓(名楽園)の民俗学的解説/ 中村遊廓といえば大門町に本部を持つ〝高村〟という博徒の名跡がある/ 後に高村の所属する稲葉地一家の本部が隣に越してきたことでも有名だ/ 高村は費場所であるこの場所に賭博場(盆)を持ち名楽園と称されていた/ 今では寂れたソープ街である中村であるが、かつては日本最大の遊廓があった/ 性産業とヤクザは切っても切れない感じがするが、高村がいつからここにあったのか興味があり関連本を当たっていた/ 博徒の話は出てこなかったが、遊廓の一店舗に住み着いて女郎のヒモになっているテキヤの話が出てきて、思いのほかよかった/ 名古屋熊屋五代目(本家熊屋分家なのかな?)の隠居が若い頃にその女郎屋でヒモにしていた女が親兄弟にたかられ続けあちこちの遊廓に売られていく/ ついに日本を出て満洲の遊廓に売られるというときに、女が名古屋まで別れの挨拶を言いに来た/ 国外の遊廓に行くというのは、ただでさえ悲惨な女郎の中でも最も転落した末路である/ そのとき若いテキヤは男気を出してあちこちに話をつけ金を集めて女を引き取り名古屋で古着屋を持たせてやった/ この話が本当に良い/ 女房もいるし自分だって女の借金でこづかいを貰っていた身なのに、付き合っていたという情があって助けてやる/ いったん女郎になると住み込み生活で、遊廓の外にも出られない/ 買い物は全部お店の主人経由で、主人は当然余所の業者が持ち込む商品を三倍にして女郎の借金に上積みする/ 前払い金を返すために売春産業へ身を投じたのに、毎月赤字で借金は減らない/ これが典型的な遊廓のシステムで、一度入り込んだら金持ちに身揚げして貰わなければ、一生時間と性を搾取され続ける/ そんな話が詳細に載っている名著/ 本当に読んで良かった/

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    2021年07月23日
  • 聞書き 遊廓成駒屋

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    当事者たちの声が収録された貴重な記録。どんな環境でも、人はその中で少しでも楽しく生きる工夫をせずにいられない。そのささやかな営みまでなかったことにしたくはないと思った。

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    2020年06月01日
  • 聞書き 遊廓成駒屋

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    ・以前から名古屋の中村遊郭がどこにあつたか気になつていゐた。このご時世、インターネットでちよつと検索すればすぐに分かりさうなものだが、それもせずにゐた。そんな時、神崎宣武「聞書き 遊郭成駒屋」(ちくま文庫)が出た。その最初のあたりにかうある。「閑散としたその一帯をぬけ、駅を背にして通りを西下すると、間もなく鮮魚市場(椿町市場)や、乾物・漬けものを扱う市場がある。」(34頁)私が現在通院してゐる病院は中村区役所の裏にある。ここは名古屋駅新幹線口から歩いて15分程度、「駅を背にして通りを西下」して行くから、この一帯を通ることになる。やはりこのあたりにあつたのかと思ふ。ところが、ここでは終はらないのである。「二〇〇メートルあまり行き、アーケードの尽きたところで大きな交差点(則武本通り)に出た。そこを横ぎり、さらにまっすぐ西に向かう。そのあたりから、私は、奇妙な町並みに入ったことに気づいた。」(同前)区役所は則武本通りに面する。筆者の書く通りは、区役所や私の病院の少し北の通りであるらしい。名古屋駅から来て則武本通りを越えると「奇妙な町並み」があり、「そこが『名古屋中村』であった。」(40頁)といふ。地図でみると、私の病院から500メートルほどで大門のあたりに着くらしい。駅から徒歩20分はかかる距離だからそれほど交通の便が良いとは言へないが、昔なら十分に歩いて遊びに行ける距離であつたのであらう。私に知る範囲のすぐ外といふ、意外に近いところに中村遊郭があつたのだと知れた。本書初版は平成元年、ここにまとめられるまでに14年はかかつてゐる(「あとがき」 288頁)らしい。ならば、この聞き取りが行はれたのはほとんどが昭和50年代であらう。筆者撮影のその頃の写真が(ほとんど)載らないのが残念なところ、地図も、例へば名古屋駅からの地図なども載らない。さういふ点では不親切である。初版時はまだその記憶が生々しかつたのであらうか、いかなる事情であれ、地理的な情報や景観を示す写真資料等は最大限載せてほしかつたと思ふ。以上は私の個人的な事情からくる興味本位な感想でしかないのかもしれない。しかし、インターネットでこのあたりの近影をみるにつけ、さうしたものはやはり必要だと思ふ。ただし、最近よくある、古い写真を集めた書には載つてゐるのかもしれない。さういふのも見る方が早いかとも思ふが……。
    ・本書の内容は巻末の井上理津子氏の「解説 遊郭に生きた人たちと」の次の一文が端的に示してゐる。「私にとっては『なるほど』という納得と、『そんなにも』という驚きの連続だった。」(299頁)遊郭を当事者が語るのである。語り手はお秀さん、当時は所謂トルコ風呂の経営者であつた。この人は遊郭では仲居、いや、やり手婆であつた。遊女経験なしのやり手、経営者の娘であつた。主でなくとも、遊女よりは遊郭の仕組みについて知つてゐる人である。やり手婆と はそれこそ時代劇の世界のやうだが、吉原も中村も同じであつたらしい。そんな人が語るのである。そして、その知らないことを他に当たつたりしてきちんと穴埋めしてゐるのが筆者の優れたところ、とにかく疑問は解消するのである。このおかげで、例へば大量の医薬品の謎が解けたりもしてゐる。やり手は遊女が性病かどうかを見分けることはできても、その検査をくぐり抜けさせることはできない。そのための医薬品であり、それを語れるのは医者しかゐないのである。それ も遊郭にはもぐりの医者が……さすがの井上氏もこのあたりは「想定外」(300頁)であつたらしい。そんなわけで「なるほど」と「そんなにも」の連続なのである。

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    2017年03月26日
  • しきたりの日本文化

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    いかに今の日本人が文化的しきたりを忘れているかもしくは、間違った解釈をしているのかよく分かり考えさせられた。

    しきたりというものは古臭い物なのだろうか?

    あるものは形は変えても現代に残り、あるものは形も意味も変わっているが残っている、またあるものは一切消滅してしまった。

    いったい何を持って受け継がれたと解釈できるのだろうかもっと勉強する余地はある分野だろう。

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    2012年06月21日
  • 社をもたない神々

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    私たちの多くは、遙か遠い先祖が祀った神の存在を知らずに生きている。都市で育ち、都市で生き、都市で死ぬ。これらは珍しくはない。地方から上京し、地方にいる神との縁が遠くなり、何れその神が何か存在すらも忘れ去られていく。本著はそういう神は社を持たずとも身近にいると説く。正月や祭りを例に挙げている。私たちにとって、その季節の風物詩で信仰する神に対してどれだけ興味や関心を持ち、信仰を純粋に保つことができるであろうか。
    信仰を持つ、神を意識する、身近にいる存在である。古来の日本から続き、これからも八百万の神の中で私たちは生まれ、人生を生き、死ぬだろう。それも含めて自然であり、信仰であり、日本人としての感性が成せる意識だと私は思っている。
    地方にも都内にも多くの神を祀る社はあり、それは自宅内でも鏡餅等の縁起物で迎えるのも良いだろう。本著は私たちの生活の中の傍に神がいることを再認識させ、個々の信仰が絶えないように継ぐ意志のバトンであろう。

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    2025年12月23日
  • 日本人の原風景 風土と信心とたつきの道

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    日本の昔ながらの伝統的な生活・・森との関わり、季節や人生の節目での行事、参詣と巡礼などをわかりやすく紹介。これらのうちそのほとんどは高度成長時代以降姿を消すか、変質してしまった。歴史の変転は目まぐるしいと改めて感じる。古き日本の伝統生活を懐かしむ追憶の書。

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    2022年12月24日
  • 酒の日本文化 知っておきたいお酒の話

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    酒そのものの記述ではなく、酒と神・人・文化の記述に重点が置かれている。
    酒そのもの話は、後半にまとめて出てくる。

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    2017年02月23日
  • しきたりの日本文化

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    おみくじ護符であるので吉がでたら財布に入れるか神棚に納めるかして1年間のお守りにする。凶がでたら逆手(利き手でないほうの手)で枝に結ぶ。結びにくいことで「行」とし身を祓い再びおみくじを引くのだそうだ。本来は禊をするなり荒行で身を祓うのに代えて逆手で結ぶことで代替する。作法の「縮小化」である。
    宗教にあらざる「信心」というもので、私ども日本人は、それで代々が「安気」に暮らしてきた

    こうした「信心」に根ざす「作法」は地域ごと家ごとに伝承されてきた。地域や家というものが崩れてくる中でしきたり本などが生まれてきたが、「なんのためにそうするのか」をとかないまま作法はかくあるべし断定するのはいかがなものか。

    「なんのためにそうするのか」「原初のかたちはどんなものだったか」ということを中心に私・家・共・生・死をめぐる作法の原義と各地での作法の違いを丁寧に説明し、そんな作法のあり方を通して日本文化とは何かを考えさせられる本である。

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    2015年01月29日
  • 日本のしきたり 冠婚葬祭・年中行事のなぜ?

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    分かりやすく年中行事・冠婚葬祭の今と昔が書かれています。つくづく日本人というのは懐が深くミーハーな民族なのだなと感じました。ひとつひとつに深い歴史と感情があると知れる1冊でした。

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    2012年07月26日