あらすじ
歳神・田の神・山の神・塞の神・地神・産神・産土神――ご先祖様たちが広大な自然や日々の営みから見出し、崇め祀り、連綿と子孫に託してきたものとは何か。
「我われの民俗学は、先学の落とした落穂を拾うようなもの」。師・宮本常一の言葉に導かれるように、日本各地に残る原初の多様なカミたちの足跡を探索。代々続く吉備・宇佐八幡神社の神主として、半世紀にわたり古神道(民間神道)を実践してきた著者が、いま急速に失われつつある「日本のかたち」を伝え残す。
序章――自然に宿る神々の群れ
第一章 歳神と田の神
第二章 原初に神体山あり
第三章 神宿る樹木とその森
第四章 境を守る「塞の神」
第五章 地神・産神と産土神
終章――まじないと流行神
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Posted by ブクログ
民俗学者であり、故郷の郷社のパートタイマー宮司でもある筆者の、神社神道という形で組織された神道の型枠に当てはめられない形で存続する神々についての考察。
そもそも日本は神の国であった。
山、岩、滝、田、竈門、我が国には様々なところに神が宿っていると考えられてきた。
歴史ある神社が体系だって統一しているのは、その神々のごく一部でしか無い。
その神社の外にも、神々は在る。
そのさまざまなバリエーションを、パートタイマー宮司である筆者が、さらに学者として調べた多くの在郷の神々、古くから伝わる在郷の神社、神事などの情報を合わせて紹介している。
結論があるわけでなく、存在が多様であるということが、日本の神々、八百万の神々という姿を描き出す。
神社に立つ柱には、神が宿っていると考えられる。
神を柱と数える。
これは、英霊を柱と数えるのと同じこと。
おお!柱っていうよな〜
と言った、ちょっとした発見も面白かった。
Posted by ブクログ
私たちの多くは、遙か遠い先祖が祀った神の存在を知らずに生きている。都市で育ち、都市で生き、都市で死ぬ。これらは珍しくはない。地方から上京し、地方にいる神との縁が遠くなり、何れその神が何か存在すらも忘れ去られていく。本著はそういう神は社を持たずとも身近にいると説く。正月や祭りを例に挙げている。私たちにとって、その季節の風物詩で信仰する神に対してどれだけ興味や関心を持ち、信仰を純粋に保つことができるであろうか。
信仰を持つ、神を意識する、身近にいる存在である。古来の日本から続き、これからも八百万の神の中で私たちは生まれ、人生を生き、死ぬだろう。それも含めて自然であり、信仰であり、日本人としての感性が成せる意識だと私は思っている。
地方にも都内にも多くの神を祀る社はあり、それは自宅内でも鏡餅等の縁起物で迎えるのも良いだろう。本著は私たちの生活の中の傍に神がいることを再認識させ、個々の信仰が絶えないように継ぐ意志のバトンであろう。