小針誠のレビュー一覧
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本書は、教育現場を席巻する「アクティブラーニング」の、これで生徒は主体的・能動的に学ぶようになる「はず」、生きる力が高まる「はず」という前提を、本当にそうなのかどうか検証し、大正時代、戦時下、戦後、平成以降と教育史をたどりながら、「アクティブラーニング」が強力に推進される背景について考察した本である。
「アクティブラーニング」という言葉は現在、公式には使われておらず、「主体的・対話的で深い学び」と言い換えられているが、考えてみると「主体的」と「深い」は、実は何も言っていないに等しい。「主体的」も「深い」も、目指すべき望ましい学びに決まっているからである。「隷属的で浅い学び」など「学び」では -
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2020年コロナ前、センター試験を共通テストに変える変革で世間が騒がしくなってきた2018年の一冊。大学では、やたらと「授業にアクティブ・ラーニングを導入しているか」という調査、問い合わせが、教員に対して始まっていた時期。
本書は、「学校教育においてアクティブ・ラーニングを実施せよ!」というお達しを受けた困った教員が手に取る「アクティブ・ラーニング」ハウツー本ではありません。政策として導入(強制)されようしているこの「アクティブ・ラーニング」とか「主体的・対話的で深い学び」の問題点を、教育研究者の著者がどちらかというと批判的に論じている内容です。
「アクティブ・ラーニング」とは何なのか?そ -
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昨今話題のアクティブ・ラーニング。
本書は、その理念に一定の理解を示しつつも、現在の教育改革で無批判に期待されていることに警鐘を鳴らしている。
大学入試改革まで巻き込む(そして大混乱している)今の状況に照らして、タイムリーな出版だ。
大正新教育や、戦後新教育での〈前史〉を遡ると、方法論としての難しさがはっきりわかる。
一つは理想的に学べる学習者と、そうでない学習者の格差が開いていくこと。
特に初等教育での学びに向かう力は、家庭環境の差でもあるとすれば、社会の格差拡大を促進してしまう。
もう一つは教師の負担の大きさ。
教師が一人一人の学習に適切な援助をしていくには、準備と時間が必要。
なのに、 -
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ネタバレ<目次>
はじめに
第1章 アクティブラーニング/主体的・対話的で深い学びとは何か
第2章 近代教育史の「アクティブラーニング」~大正新教育・戦時下教育
第3章 戦後教育史の「アクティブラーニング」~戦後新教育・民間教育研究運動
第4章 平成教育史の「アクティブラーニング」~新しい学力観・総合的な学習の時間
第5章 未来のアクティラーニングに向けて
<内容>
やや前半は重い。ただ読み終わると、大正期から戦前にも似たような動きがあったことがわかる。そして、辛辣な第5章。「アクティブラーニング」の問題点をきちんと指摘する。自分でも思っていた、基礎学力のないところで「アクティブラーニング -
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電車に乗っていると、一目でわかる小学生がいる。
何が一目でわかるかというと、彼らは「お受験」をした子供達なのだ。
暁星、雙葉、白百合......
よく、そんな彼らを見て、かわいそう、という人がいるが、私はそれよりも金持ちの家の子なんだろうな、と思っていた。
私自身私立の中高を出ており、塾通い、入学金、授業料にいくらかかるか、大まかではあるが、知っていたからだ。
本書では私立小学校を通して初等教育を考える。
金持ちか否か、そういった感覚的なもので論じるのではなく、史料を通じて公教育について問うている。
そもそもどうして私立小学校が設立されたのか、このことについては第2章で触れられている。
もと -
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(教育史についてはあまり惹かれなかったので1、5章のみ読みました)
アクティブラーニングが教育現場で注目される背景として、一方向的な講義形式が見直され、教員と学生の相互的な関わりを重視する流れが生まれてきたことが指摘されている。一方で、アクティブラーニングへの期待は十分な理論的根拠を欠いたまま提示され、形式的な活動主義に陥っている現状がある。
学ぶという行為そのものの性質上、アクティブラーニングや深い学びを実現するには多くの実践的課題が存在する。特に、十分な知識や基礎学力の蓄積がないままでは、活動中心の学びは形骸化する危険がある。さらに、学習者の内発的な意欲が常に前提として存在するかのよう -
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溝上定義のアクティブラーニング(教師主導の一斉授業での学び以外の学び)の日本における歴史的変遷とそれを踏まえた現在の「主体的・対話的で深い学び」の考察。
奈良女子師範の実践は気になっていたので勉強になった。
戦後の改革とそれ以後の流れも何となくの知識が保管された。
平成期の展開は内容の確認だった。
いろいろな学習法や教授法があるのが当然で,これを全国的に統一してやっていこうとすると無理が出てくる。それもできるだけ高いレベルで同一性を保持するとなると。加えて,思いつきかのように方針が劇的に転換する(フットワークが軽い?)。
学校なんて当たり前にあるような気もするが,子供達をいかに育てるかはその育 -
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本書はアクティブラーニングの理想と現実を評している。
まず、本書はアクティブラーニングに対して五つの幻想があると指摘している。
1.先行き不透明な未来社会を生きる子どもには、アクティブラーニングが必要で、これまでの教育では目標を達成できないだろう。
2.アクティブラーニングを行えば、子どもたちは主体的・能動的に学ぶことができるだろう
3.学校でアクティブラーニングを経験すれば、知識や技能を活用できる新しい学力(思考力・判断力・表現力)、学ぶ意欲や「生きる力」が高まるだろう
4.研修や指導を通じて教師自らが主体的に学ぶ機会を提供すれば、どの学校や学級でもアクティブラーニングが達成可能に -
購入済み
政治の話題が多いように感じます
アクティブラーニングが、全体主義、ファシズムにつながるという著者の危惧を強く感じました。日本のアクティブラーニングで扱うのは、政治と道徳だけなのでしょうか?
主体的対話的な学習については、何をもって主体的対話的とするのかを、幅を広げればいいのではないでしょうか。自分との対話も対話ですし。アクティブラーニングの定義を狭くして、わざわざ極端な実践例を並べて持論を展開しているという印象を受けました。
アクティブラーニングを絶賛するのも単純ですし、負の面を並べて政治的な意見を潜り混ませるのも、あまりいいやり方ではないように思います。