2026年の幕開けに相応しい、骨太な問いに支えられた一冊。AIによる技術変化トークが多い中、「お買い物変化」に特化することで、ブランディングやマーケティングにおける地殻変動の芯、あるいはAI時代の「働きがいの核心」が、ガバリと掴める。
この本、広告業界や諸先輩方の評判がすこぶる良かった。過去一ぐらい興奮して語る方々が多かった。その理由は、読んで納得。なんと絶妙な、希望をもたらす切り口からの語り!自分が仮に70でも、ワクワクして読めそうな希望が詰まっている。WEBマーケに疲弊した商業クリエイターたちにとっては、エナジードリンクよりもエナジーな一冊だ。僕自身も、勇気をいただけた。そして何より、自分が新入社員時代に、次の時代を示す先駆者だった人物が、この時代においてなお、次の時代を書き示すことができるとは。その魅惑的な筆力に嫉妬した。
ただ正直、注意が必要な本でもあると思う。
僕は読み方を間違ったせいで、最初ポジショントークだけの本だと読み違えてしまった。「はじめに」で受けた衝撃による高揚が徐々に冷め、中盤からさっと読み終えようとしまっていた。でも違った。捻くれ者は、「はじめに⇒7章(6つのシミュレーションされた物語)⇒各章」という順で読むのを強くオススメする。そうすることで真価が読めるようになる。このシミュレーションこそ、実話じゃないので読み方注意な内容なのだが、とにかく良い。元気がもらえるのはもちろんだが、やるべきことが浮かびやすい。愛のあるレッスンたちを刮目すべし。
加えて、実務家の端くれとして、反証というか、検証したい点も多く合ったので、一つ一つ、実践の中で答え合わせしていきたい。いくつか代表的な懸念だけ、備忘メモ的に遺しておきたい。
◯懸念1)経済学最大の失敗のひとつである「賢く合理的な人間像」を想定し過ぎでは?説
・2025年、そこまで流行したおしてきた行動経済学が一気に叩かれることになった。発端は、行動経済学が実験で示してきたデータの多くが「統計的には誤り。だいぶ歪んだ恣意的なデータ」と批判されたことにあった。そんな分の悪い状況なので、あまり語られなくなってしまった※が、やはり行動経済学が示したひとつの世界線を、僕は支持したい。それは「伝統的な経済学が想定してきたほど、人間は合理的な生き物ではない」「テキトーにお買い物するし、テキトーに生きている。でもそれは不健全なわけではなく、むしろ健全な態度なんだ」というものだ。
※行動経済学は、「過去の過ちを暴く」学問として急成長した。その成長角度が高すぎたせいで、先のような「ミイラ取りがミイラになる」状態になってしまったのかもしれない。でも、だからといって「やっぱり人間は合理的ですよね」とはならないはずだ。
・本書が提示した「世界一賢い生活者」というタグラインには、伝統的な経済学の香りを感じる。人間にとって、CAN(できる)とDO(する)は違う。我ら中年のダイエットは、原理上できるけど、いざ実践しない人が大多数。もちろん、本書で提示しているAIの肝はその「楽さ」にある。ダイエットのように難しいDOではない。だからみんなAIでDOするんだ、というのが本書が示す世界線だ。たしかに、いまやスマホはジジババのマストアイテムになっている。でも、そうすんなりいくとは思えない。SNSが自由をもたらす!と牧歌的に称賛され10年後、世界の分断、テロリズムやいじめの温床になってしまったように、AIベースのお買い物にも、想定外の不都合がたくさん生まれるのではないか。例えば、ほんとに素直に3−5の推奨パターンが生まれるのか?広告モデルがAIにも採用されて、検索時代とたいして変わらないインターフェースに修練する、なんてことはないのか?などなど。まだまだ良くも悪くも無限の可能性を秘めたAIとのお買い物UIUXに、目をみはらしていく必要があると思う(逆に言えば、本書は生まれたてのUIUXにフルベットした未来像になっているとも言える)。
◯懸念2)「明日の広告」の明日じゃない方の成分は、どれぐらいあったのだろう
・サトナオさんといえば、「明日の広告」が電通新入社員だった私に与えた衝撃が大きすぎて、その印象がこびりついている。当時、マスからSNSへ、あるいは一方通行のコミュニケーションからインタラクティブへ、という先駆けとして、多くを学ばせていただいた。ところが、業界の構造が持つ引力は強く、「明日じゃない方の広告」、つまり従来型の生存面積は予想以上だったと思う。あの当時、まさかスマホ時代のアプリDLマーケティングの主戦場がTVCMになるなんて、思いもしなかった(少なくとも僕は)。
・「BtoCマーケ(広告)がジリ貧になる」という本書のホラーストーリーも、同様の状況があり得るのではと思った。僕は、ありがたいことに、タクシーメディアの番組・広告制作という仕事に数年間深く関わらせていただいている。そこで様々な数字や評判、成果を得て確信したのは、「半強制的に数千万人にリーチしてしまうメディアが持つ魅力」だ。そこにはAIやパーソナライズでは得られないセレンディピティがある。もちろん、一定程度、そこをAIベースのPAは置換していくのだろう。けれど、自分の過去データの延長線上をベースとしたAIデザインの情報設計とは異なる回路を、しかも太い回路を、人間は求め続けるんではないか?という想いが拭えない。
◯懸念3)ファンベース、特にリスニング以外の「始まりの情報経路」は無いのか?
・本書自体が前提としているファンベースという考え方。それ自体は有用性がたしかにあるし、AI時代こそ重用だ、という学びが得られたことは個人的にもとても良かった。特にファンの「長文レビュー」が情報開示されることが持つ(パレートの法則的な)経営インパクトは、理解が深まった。
・でも、これらの議論は、SNS時代をベースにした、もっといえば、ファンベースカンパニー社さんのお家芸たるファンの定義と、その上昇をベースとしている。だから悪い!というつもりは決して無い。ただし、同じ「ファンが大事」という視点であったとしても、もっと異なる方法論があるのではないか?その可能性については、誰よりサトナオさん御本人が、本書内でも言及されている。がしかし、きっとそんな部分は読み飛ばされ、テンプレ的に本書が扱われてしまって、思ったほど効果が見えない!と批判されたりするんじゃなかろうか。それはサトナオさんも本望としないところだろう。
・私は、面識こそ深くないが、電通卒業後輩の一人として、そんな悪しき読み方はせず、自分なりに考え抜いたうえで、AI前提時代の、生活者との接点開拓。ファンとよばれるぼやんとした存在の解体新書を描いてみたい。特に、本書がベースとしていた、ファンとの直接のディープインタビュー。これは私も実務でその威力を経験しているが、手詰まり感を感じる局面も少なくない。AIやそれに基づくあらたな消費行動が育っていく新時代だからこその、ファンの捉え方は無いものか?そもそものファンの定義の仕方の刷新も含めて、考えてみたい。