清水真木のレビュー一覧

  • 新・風景論 ──哲学的考察

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    「良い景色を見ようと出かけたのに「あいにくの雨」で、あるいは「季節が悪く」、絶景を見ることができなかった」という言説の妙な違和感。なるほど。

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    2025年04月12日
  • 新・風景論 ──哲学的考察

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    久々にちゃんとした哲学的考察を読んだ。ああ、ネットの時代になってもこういうものはちゃんと存在してるんだな。とてもとてもうれしい。地平ではなくなったもの、という主張への違和感は、少し時間をかけて考えてみたい。

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    2017年09月16日
  • 友情を疑う 親しさという牢獄

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    親しい友人がいることは無条件にいいことだと思われている。
    友人の数が、すなわちその人間の価値だとみなす風潮がある。
    TwitterやFacebookなど、ソーシャルネットワークでも、フレンド数の多さが競われたりする。
    名刺の数が「人脈」と称され、仕事の能力とほぼイコールだと考えられている。
    確かに、人と人とのつながりは尊い。人間は一人では生きていけないから、人間同士のネットワークが大事なのはあたりまえだ。しかし──。

    「あいつは人付き合いが悪い。だからつまはじきにしてしまえ」。
    「あいつは友達だから、特別に便宜をはらってやろう」。
    「同じ釜の飯を食った友人なのだから、不正にも目をつぶるべきだ

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    2012年04月05日
  • これが「教養」だ

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    201112/
    教養とは「公共圏と私生活圏を統合する生活の能力」/
    公的な生活と私的な生活のこのような衝突という難問を巧みに解決する能力こそ「教養」とよばれるべきものである/
    少し抽象的な言い方をすれば、一人の人間が帰属している複数の社会集団、組織のあいだの利害を調整する能力ということになる/
    バラバラになった生活全体を見渡し、複数の相容れない秩序、家庭の秩序、職場の秩序、政治の秩序をいわば「通約」する第四の新しい秩序をみつけることであります。具体的に申せば、職場での役割、家庭での役割、政治の場面での役割の他にもう一つ、家庭内での立場からも独立した、政治的な主張からも独立した、職場での地位から

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    2012年01月05日
  • 友情を疑う 親しさという牢獄

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    本文中に何度も現れる「友人とは何か、友情とは何か」という問いに哲学の歴史の中で答えは3通り。
    一つ目が、友情とは公共の空間を成立させるための基盤であるとするもの。
    二つ目が、本当の友人とは自分の「分身」であるとするもの。
    三つ目が、利害の一致などでの親密な雰囲気を友情とするもの。

    実感に近い、三つ目の見解はルソーによるものだが、著者はこの考えに嫌悪感に近いモノをあらわにし、徹底的に軽蔑している。「親しさ」と呼ばれるものが如何に「友情」を汚すか、そのことを繰り返す。
    「親しい」とは異なる「友情」を考え、著者もまたアリストテレスの遺言に戻ってくる。
    「友人たちよ、友人などいないのだ」

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    2010年03月13日
  • 忘れられた哲学者 土田杏村と文化への問い

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    現在ではその名を知るひともすくない土田杏村の思想を紹介している本です。

    杏村がとなえた「文化主義」は、大正時代の日本において、桑木厳翼や左右田喜一郎といった哲学者たちによって用いられていました。そこでは、新カント主義の価値哲学を背景としながらも、科学の基礎づけという文脈に収まるものではなく、価値をめぐる人間的な経験のありかたにせまることをめざす思想として展開されていました。杏村はそうした議論を継承しており、一方ではさまざまなテーマに関心を示して旺盛な執筆活動をおこないました。

    しかしその一方で著者は、杏村の思想はジャーナリスティックな評論に尽きるものではなく、「象徴の哲学」を中核とした独自

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    2025年03月10日
  • 友情を疑う 親しさという牢獄

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    著者は、「親密さ」が必ずしも哲学者にとって友情の条件として捉えられていなかったことを示す。
    むしろ「親密さ」を友情の条件としたルソーは異端であり、友人は助け合うものという思想は全体主義に繋がるものとする。
    「現代の日本を、(...)構成員の善意をあてにしなければ成立しないような鬱陶しい社会、友人の有無が生活の質を左右するような親しさの牢獄にしてはならない(...)」
    書籍の副題を含むタイトルを顕著に表している一文。いささか過激ではあるものの、同調できる。
    同じような思想を持つ者としかつるまず、異なる考え方を監視・排除して結束しようとする全体主義的な考え方は、フランス革命時の恐怖政治やナチス政権

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    2024年12月21日
  • ニーチェ入門

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    正直今の自分には不要かなと思っていたが、新しい発見や理解が中途半端だったところの補強を得ることができた読書経験だった。ドゥルーズやバタイユなどのフランス現代思想家のニーチェ解釈は場合によっては害になるなど、自分の論を歯に衣着せぬ物言いで主張していく筆者の姿に感銘を受けた。

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    2022年03月21日
  • これが「教養」だ

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    教養という必要だろうけど良く解らないものを、関係ありそうで関係ない物を削り取って行く形で説明していて面白かった。「猛毒を含む」や「教育、読書、人格を一度何もかも精算しなければならない」など、今まで思っていた教養というものが洗練されていく感じでした。仕事、家庭、地域での生きやすさを追求する為に教養は身に付けなきゃいけないと思いました。猛毒を含みますが(笑)

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    2018年12月14日
  • ニーチェ入門

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    ニーチェに関する専門用語をできるだけ使わずに、ニーチェの思想の入り口まで平易な文章で解説がなされている。
    ニーチェの生涯と思想を絡めた解説ということもあり、ニーチェの周囲の人間関係がその著作にどのような影響を及ぼしてきたかを俯瞰できる。

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    2018年06月06日
  • 忘れられた哲学者 土田杏村と文化への問い

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    様々な文化価値の非階層的な等価性、ひとつの文化価値が同時に多の文化価値を内包するという土田杏村の哲学は、現代のネットワーク型社会、クラウド型社会において再評価されるべきものかも知れない。

    その点で本書における土田杏村の再発見は実はタイムリーなものだったりするのではなかろうか。

    わたし自身も含めて学問としての「哲学」の門外漢に取っては一件取っつきにくい書に見えるが、じっくり読んでいけば理解出来ると思う。

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    2013年08月29日
  • これが「教養」だ

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    [ 内容 ]
    「教養」の歴史は意外なほど浅い。
    その教養がなぜ、「古典」「読書」「該博な知識」などと結びつき変質してしまったのか―。
    新進気鋭の哲学者が、探偵のごとく「真の教養の姿」を追い求め、現代に蘇らせる知的興奮の書。

    [ 目次 ]
    第1章 手垢にまみれた教養の本当の姿(「教養とは何か」という危険な問題;八世紀生れの新しい考え方 ほか)
    第2章 「教養」という日本語の考古学(大正時代から使われ出した言葉;諸橋『大漢和辞典』には載っているが… ほか)
    第3章 「輸入の缶詰」を開けてみる(加藤周一と俗物;「俗物」の試金石 ほか)
    第4章 教養を生れたままの姿で掘り出そう(『山椒魚』は高級で『

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    2011年05月23日
  • これが「教養」だ

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    先日読んだ教養の定義の混乱から、本書を読んで一転してそれがクリアになった。しかし、著者もいうように教養は猛毒であった。ふー。
    その定義は後で引用しておきたい。生活上の衝突という難問、すなわち問題を「解決する能力」が教養といっている。
    また、公共圏と私生活圏を統合する生活の能力という「自分らしさ」ともいっている。
    先日、明治期の教養主義に関する本を読んだが、そもそも新渡戸稲造が一高の校長時代に話した言葉が「修養」として語った言葉が翻訳されたものだったらしい。いらばその弟子たちの解釈によって教養主義が形作られたのだ。
    ちなみに、「修養」は終身と養心・養神を合わせたもので、漢籍による言葉ではない。

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    2011年02月15日
  • これが「教養」だ

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    語り口調で書かれていて、最初は読みにくいと思ったけど、途中から心地よくなった。
    著者の知識の深さがすごぉい、てか底無しな感じ。文系の教授くらいはこのくらいは当然なのかな?
    ちなみに教養とは、社会と私生活をうまくつなぐというか、問題を解決するための知識、といったところか。すばらしい。

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    2010年05月16日
  • 友情を疑う 親しさという牢獄

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    中島義道かよ!なタイトルとは裏腹に、とても安定した内容。安定している割には書き手のこだわり?が目立つ本。
    ルソーの影響力にはフランス革命が補助的役割を担ってる、っていう説明にへええーでした。

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    2009年10月04日
  • 友情を疑う 親しさという牢獄

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    タイトル勝ち。友情にまつわる問題が公共性の問題だとは気づかなかった。哲学者が友情をどのように疑ってきたか、どういう問題と認識していたか、を記述した書。

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    2009年10月04日
  • これが「教養」だ

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    「教養」の歴史をたどり、どのような経緯を経て日本における教養主義の流行とその退潮が生じることになったのかということを論じている本です。

    著者はまずハーバーマスに依拠して、公共圏の誕生とそれにともなう親密圏(家庭)と私有圏(仕事)の分化が生じたことに触れるとともに、それを統一する「自分らしさ」が求められるようになったと論じています。そして「自分らしさ」を発見するために「教養」が求められるようになったとしながらも、それがすべてのひとに共通する「人間らしさ」にすり替えられ、「世界一太った人間でも着ることができるように作られた、一つしかサイズのない既製服」としての「教養」が成立したと述べています。

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    2024年04月16日
  • ニーチェ入門

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    ニーチェ自身の病気と健康という2面性から、身体に敵対するものを受容してそれでも強く生きる超人と、身体を慰めてくれる思想・薬に安易に飛びつく病人の対比を理解しやすかった。

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    2020年07月12日
  • 友情を疑う 親しさという牢獄

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    [ 内容 ]
    友人。
    誰のまわりにも一人はいる身近な存在と考えられている。
    しかし、友人との付き合い方にルールはなく、友人が私たちに何を運んでくるかは予測のつかぬ謎である。
    誰が友人か、どこに友人はいるのか、友人と親しさの差異は何か、そして友情の政治的機能とは…。
    本書は、哲学者たちの友情論を手がかりに、公共の空間における対人関係の本来の姿を描きながら、友情の消滅の危機と、それが原因の国家の危機を遠望する。

    [ 目次 ]
    第1章 友人という謎(学校に友だちはいるか;スポーツ選手の「友情」 ほか)
    第2章 危険な友情(「友人」たちの犯罪;問題の発見 ほか)
    第3章 友情の神秘(モンテーニュとラ

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    2011年04月06日
  • これが「教養」だ

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    『これが「教養」だ』(清水真木、2010年、新潮新書)

    「教養」とは何か、について解説している書。一般的な教養の解説書とは違った観点から解説しているのではないかと思われる。

    筆者は教養は「公共圏と私生活圏を統合する生活の能力」と定義してみたり、「生活の交通整理をするための「自分らしさ」のこと」と言ってみたりする。すなわち、「残業をして明日の納期に間に合わせなければならない」が(公共圏)、「明日の子どもの運動会のために弁当の下ごらえをしなければならない」(私生活圏)人が、ふたつの状況を両立させる能力というわけです。

    では、その「生活の能力」はどうしたら身につけられるんですかと思うのだが、悲

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    2010年06月10日