あらすじ
西田幾多郎門下の哲学者、近代の可能性を追求した文明批評家、日本画家・土田麦僊の弟、自由大学運動の主導者……、土田杏村(一八九一~一九三四)。「文化とは何か」を問い、大正から昭和初期にかけて旺盛な著作活動を展開したにもかかわらず、戦後、人々の記憶から消えた。この〈忘れられた哲学者〉に光を当て、現象学と華厳思想に定位する「象徴主義」の哲学を読み解き、独自の「文化主義」の意義を問いなおす。
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Posted by ブクログ
現在ではその名を知るひともすくない土田杏村の思想を紹介している本です。
杏村がとなえた「文化主義」は、大正時代の日本において、桑木厳翼や左右田喜一郎といった哲学者たちによって用いられていました。そこでは、新カント主義の価値哲学を背景としながらも、科学の基礎づけという文脈に収まるものではなく、価値をめぐる人間的な経験のありかたにせまることをめざす思想として展開されていました。杏村はそうした議論を継承しており、一方ではさまざまなテーマに関心を示して旺盛な執筆活動をおこないました。
しかしその一方で著者は、杏村の思想はジャーナリスティックな評論に尽きるものではなく、「象徴の哲学」を中核とした独自の哲学として理解されなければならないと考えます。「象徴の哲学」は、ライプニッツのモナドロジーや華厳哲学に近しい思想であり、杏村の文化哲学の根底をなすものです。このような構図のもとで、著者は杏村の思想の全体像をえがき出すことを試みています。
左右田は、社会的な「文化価値」と個人的な「創造者価値」を区別することで、多様な芸術のありようを理解するための道を切り開こうとしました。これに対して杏村は、個人的な「創造者価値」という概念は、そもそも価値の理念にそぐわないものだと批判しながらも、少数の価値を体系化する従来の価値哲学の考えかたには反対し、無数の価値のそれぞれが他のあらゆる価値を映し出すという、価値論的モナドロジーと呼ぶことのできるような思想を打ち出すことで、先行する価値哲学の乗り越えを図りました。
新カント主義の隆盛と、日本におけるその受容・展開などの思想史的背景を紹介しつつ、その二つの領域をつなぐような思索を展開した哲学者として、杏村の鮮明な像をえがき出すことに成功しているように思います。