氷上英廣のレビュー一覧
-
-
Posted by ブクログ
ニーチェの文体を初めて読んだ。詩的な文章になかなか翻弄されたが、中程まで読んだ頃には段々とそのリズムが心地よくなっていった。
言っていることは正直よく分からないが、私の乏しいキリスト教の知識と当時の時代背景を考えながら、ニーチェの語る哲学に想いを馳せてみた。
ユダヤ教の価値観が飽和して、惰性的に割礼の有無だけで信仰を判断するようになってしまった世の中でキリスト教が生まれた。ニーチェのツァラトゥストラは、その後のキリスト教の価値観が飽和した社会においてまた先祖返り的にゾロアスターの名を用いて、キリスト教の負の部分を払拭したいと考えたのではないか。などと考えながら読んだが、ニーチェ研究の書などもっ -
-
-
-
-
Posted by ブクログ
ネタバレツァラトゥストラを主人公にした、当時のキリスト教社会を否定したニーチェの思想を盛り込んだ物語。
初めはなんやこれな感じだったが、聖書をパロッタものということがわかってからは、これがどうして中々面白く読めた。
本来の思想はもっと違うのかもしれないが、個人的な感想としてはより現代的であると思うし、結構自己中心的でもあってとても人間くさく感じる。
哲学書として非常に難しくはあるが、今風っぽく人間らしい主人公に共感しながら読み進められる分、入り口としてはうってつけなのではないかと思う。
またある程度時間が経ったら読み返してみようと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレツァラトゥストラを主人公にした、当時のキリスト教社会を否定したニーチェの思想を盛り込んだ物語。
初めはなんやこれな感じだったが、聖書をパロッタものということがわかってからは、これがどうして中々面白く読めた。
本来の思想はもっと違うのかもしれないが、個人的な感想としてはより現代的であると思うし、結構自己中心的でもあってとても人間くさく感じる。
哲学書として非常に難しくはあるが、今風っぽく人間らしい主人公に共感しながら読み進められる分、入り口としてはうってつけなのではないかと思う。
またある程度時間が経ったら読み返してみようと思う。 -
-
-
-
-
-
-
-
Posted by ブクログ
ニーチェの作品の中で唯一読んだものだ。哲学書というより詩のような神話のようだ。それがこの作品を難解にもさせるし、強いインパクトを与えもする。ツァラトストラは明らかに聖書を意識している。
「神は死んだ」の台詞は有名だが、これは言われるまでもなく当たり前なことで、誰もが知ってることではないかと思う。日常での理不尽さ、戦争及び災害、飢餓、暴力を振るう側と振るわれる側、支配する者と支配される者、このような世界のどこに神がいると言えるだろう。
遠藤周作の「沈黙」で、島原で迫害を受けるキリシタンの農民の一人が宣教師にこう言っている。「あなたの教える神がいるというなら、どうしてこの悲劇の中に現れな -
Posted by ブクログ
「否、否、三たび否!」
「おお、嘔吐! 嘔吐! 嘔吐!」
「晩餐」の章からの畳みかけるような勢いがすごい。
ツァラトゥストラの元へ訪ねてきた「ましな人間」たち。しかしツァラトゥストラの求めた人物は彼らではなかった。彼が求めたのは、これから彼の園を尋ねるであろう彼の「子ども」たちである。彼のこれまでの説教はすべて、この「子ども」たちのためにある! 彼は説く。この「子ども」たちのために、「ましな人間」は踏み越えられるべき橋となるように。そのために富み貧しくなるように。
「永劫回帰」というのは、たぶん、こういうことだろうか。
ある一瞬。「この時が永遠に続いたらどんなに素晴らしいだろうか!」と思う -
Posted by ブクログ
(下)は永遠回帰をより強調。
・世界は深い。・殻を持つこと(美しい外観・賢明さを身につける)も必要である。・世界には汚物があるが、世界が汚物だとは言えない(その汚物に知恵が潜んでいる)。・最上のものを学ぶべき。・不治の病人の前では無理に医者になるな。・おしゃべりのあるところは花園となる。・権力を持つということは汚れるということ。それをわかって権力を持つべき。・多くを中途半端に知ることはよくない。・他人の思い過ごしで賢者になるより、自分の責任でばか者であるほうがまし。偉大さを求めるのは偉大ではないから。・貧しい者が幸いだとは真理ではない。・どこへ行くかを知っている者だけが、どれが良い風向きか、 -
-