三遊亭円朝のレビュー一覧

  • 怪談 牡丹燈籠

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    それは何ゆえ縁が切れたと仰しゃいます、なるほど親は乱酒でございますから、あなたも愛想が尽きて、私の四ツの時に置いてお出になった位ですから、よくよくの事で、お怨み申しませんが、私は縁は切れても血統は切れない実のお母さま、私は物心が付きましてお母様はお達者か、ご無事でおいでかと案じてばかりおりましたところ、こんど図らずお目にかかりましたのは日頃神信心をしたお蔭だ、殊にあなたがお手引をなすって、お国源次郎を討たせて下さると仰しゃッたから、この上もない有難いことと喜んでおりました、それを今晩になってお前には縁がない、越後屋に縁がある、あかの他人に手引をする縁がないと仰しゃるはお情ない

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    2026年02月21日
  • 真景累ケ淵

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    どこまでも付き纏う執念と、様々なところで繋がる因果が、読んでいて全く飽きなかった。
    そして、これが1人の人間によって書かれたことに驚愕させられた。

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    2021年02月13日
  • 怪談 牡丹燈籠

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    ネタバレ

    15日間で1種の話をまとめた当時の寄席を講談速記したものだそうで、読み応え抜群。負の連鎖による奇妙なめぐりあわせ。有名なお露と新三郎の話が進む傍らで、孝助の物語が同時進行している。読み終えると、忠義の従者による仇討譚という印象が強まった。お露にも新三郎にも罪がないので、ふたりの結末は気の毒としか思えない。死者の執着より生者の悪行のほうが目立ち、孝助側は胸がすくような勧善懲悪の物語だった。

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    2020年09月18日
  • 怪談 牡丹燈籠

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     カランコロン カランコロン

     下駄の音を響かせ旗本の娘の亡霊が愛しい男の元へと通う。
     先導する女中の亡霊の手には牡丹燈籠、ぼんやり光る。


    三遊亭円朝の口演を速記で写した本です。
    読者としては、本を読みながら江戸時代の登場人物像を頭に描くとともに、
    円朝の口演を寄席で聞いているように各登場人物の声色や状況説明を噺家の声で想像するという、二重に想像できる楽しみが。
    さらに速記術というものの記録としても興味深いですね。たまに矛盾がある(登場人物の年齢とか)は、速記のための記載ミスか?と思われるとか。

    「牡丹燈籠」といえば、恋人に冷たくされ死んだ女の亡霊が男の元に通い祟り殺す、
    …というような認識だったのですが、通しで読んでみると随分印象が違いましたね。
    大元の話である中国の「牡丹燈記」を円朝が江戸時代を舞台に膨らませたもので、主従の忠義あり、仇討あり、人情あり、裏切りあり、母子再会ありと盛りだくさん、幽霊話はほんの一部、しかも実は…という、本当に怖いのは人間だねえというお話。裏切りやら殺傷沙汰やらには、これは相当悲惨な終わり方か?!と覚悟したけれど一応因果応報と言うか悪行には報いが下り、忠義の心は報われるという幕引きでありました。全体的に女は報われないな~。f(^^;)

    物語の舞台が地図上で分かる範囲で、地名が出てくるとどうやって移動したのかな?など想像しながら読みました。
    舞台の旗本屋敷って私の会社の近くみたいです。旗本屋敷の地名が出てきたときには笑ってしまった(笑)

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    2015年04月04日
  • 怪談 牡丹燈籠

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    ネタバレ

    複雑な人間関係に翻弄されて少々読みにくい印象があるが、怪談としての秀逸さは相変わらず。
    牡丹燈籠が怪談の中でも特徴的な理由は次の二つ。
    まず、ここに登場する幽霊は、怨みつらみで化けて出る霊ではない。
    次に、幽霊であるにもかかわらず「足がある」。
    以上を踏まえてぜひ読んでいただきたい。
    露の想いの強さに、打たれる何かがあってほしい。

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    2012年07月30日
  • 怪談 牡丹燈籠

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    これを読んでる最中に、CDで落語の「お富与三郎」と「真景累ヶ淵」を聴いたら、すべてが渾然一体となって訳が分からなくなったけど、楽しかった…。円朝まみれ…。

    もしドラえもんが現れたら、人形町の寄席末広で「牡丹燈籠」が15日間連続口演された明治17年に連れて行ってもらうことに決めた。

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    2011年05月29日
  • 怪談 牡丹燈籠

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    円朝って天才なんだなーと思います。
    漱石が愛したのも道理です。
    初めて口語文体で書かれた本です。文学史的にも重要です。
    もっと円朝の名と牡丹灯篭が有名になって欲しいなぁ。

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    2009年10月04日
  • 怪談 牡丹燈籠

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    落語の公演を速記しただけあって読みやすい。口語であり殆ど会話なので難しい話ではない。文久年間に成立したようなので勧善懲悪もの。牡丹燈籠を持って男のところに出向く幽霊のイメージが強かったが、前半は幽霊もの、後半は復讐もののようになっている。

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    2025年05月13日
  • 怪談 牡丹燈籠

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    当たり前ですが昔の言葉なので読みにくいです。
    お露さんと新三郎さんの恋物語が有名ですが、私は孝助の敵討の話が好きでした。怪談というけれどほぼ人間ドラマです。怪談の部分はやっぱり落語で聞くのがおすすめです。映画もあるみたいです。
    人間関係が複雑で少し読みづらいところもありましたが、内容は面白いし、ラストもハッピーエンド?で良かったです。

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    2024年07月29日
  • 真景累ケ淵

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    古い落語話と侮ることなかれ。愛憎因縁殺戮の連続で、これを新作落語として連日高座にかけた圓朝何者やねんと思った。人物関係はやや複雑だが、今読んでもそれなりに読める展開の面白さと、ラストに大きな二つの物語が交わる巧妙さがある。

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    2024年01月27日
  • 怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎

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    牡丹灯籠といえば、メジャー怪談の最右翼と言っても良いが、円朝は、それを20年にわたる復讐物語にして、登場人物に奥行きを持たせた。カランコロンと下駄の音…に強い印象を持つ人は、この噺の主題が生きている人間の欲望の強さ、醜さに更に圧倒されるだろう。

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    2022年03月14日
  • 怪談 牡丹燈籠

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     落語家円朝が幕末1861-1864年頃に、中国の小説などを元ネタとして作った物語で、1884(明治17)年にこれを速記した本が出版されている。話し言葉による物語なので、これはまさに「言文一致」である。
     読んでみると現代文とさほど変わらず、意外に読みやすいし、面白いからどんどん読めてしまう。そして物語は非常に複雑だ。登場人物も多くサブストーリーが錯綜し、おおきな物語を形成している。これを読んで「小説ではない」と断ずる理由は無い。西洋の近代小説と比較しても大変面白い、まさに小説作品なのである。もっとも私は上田秋成の『雨月物語』も見事な近代小説だと思っているので、逆に明治以降、そんなにヨーロッパ文学に注目した「小説」をことさら作り始めようとする必要があったのかな、と疑問に思う。
     本作、「怪談」と呼ぶにふさわしいのは、武士新三郎を恋い焦がれるあまりに死んだお露が、お付きの女とともに幽霊となって現れ、新三郎のもとを毎夜訪れるという、有名な話だ。これを映画化した古いものを以前観たが、いかにもおどろおどろしい雰囲気を作っていた。が、この本を読むとそんなにおどろおどろしいわけでもない。単に「死者の幽霊が出る」というコトへの恐怖が描かれているだけで、もともと恨んで出た霊ではないから害は無さそうではあるけれども、毎夜霊と会い続ける新三郎が次第に痩せ衰え、顔に死相が現れる、という点がまがまがしい。幽霊なるものがケガレ(気枯れ)と捉えられているために、常人がそれに触れると災厄を負う、という民間の思想が呈示されている。
     が、この幽霊談はごく一部だけで、後半はそれとは直接つながらないストーリーで、別の青年が主人の仇討ちを果たす活劇となっている。複数の物語を取り込んだ複合体としての物語なのだ。
     後半の主人公の善なる資質の表れとして、主人への「忠義」がしきりに強調されている。まあ、江戸時代の武士階級の常識なのだが、どうもこの「忠義至上主義」というものは、その流れが現在の日本にもひそかに受け継がれており、良い部分もあろうけれども、悪い思想ともなっていて、忠義だけに生きるゆえに、今や社畜などという経済奴隷が日本中に生まれそのストレスからしばしば凶事を行い、また、安倍晋三への忠誠から中央のエリート官僚が公文書を改ざんするなどという社会-悪に結実しているような気がする。上のもの=お上にひたすら尽くし、そのお上の行いの善悪については全く問わず、つまりひたすら隷従することにおいて下っ端は善悪等の判断を捨て去ってしまう。こう考えてみると、忠義そのものが善悪の一般倫理より上に来てしまうと、ロクなことにならないのではないか。
     まあしかし、「忠義」に関する日本文化の「病」については、本書のレビューとは直接関係ないから、追い追い考えていこう。
     本作は、幕末に生まれた豊かな小説作品として、多くの人を楽しませることが出来るだろう。速記による話し言葉のエクリチュール化が、このような奇跡的な結晶を実現してくれたのだ。

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    2022年02月28日
  • 怪談 牡丹燈籠

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    作者による口演を速記で読み物にしてある。江戸言葉のリズムがトントンと伝わる。

    牡丹燈籠と言えば幽霊話で有名であり梗概は勿論知っていたが、原作は主従敵の因果話や、勧善懲悪の仇討ち話までてんこ盛りとは知らなかった。人物像をシンプルに描き出し、感情移入させ、ハラハラさせて気を持たせる展開でぐいぐい引き込む。まったくストーリーテリングの妙がここにある。終盤のご都合主義もご愛嬌。

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    2018年11月05日
  • 怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎

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    ネタバレ

    ・三遊亭円朝「怪談牡丹灯籠・怪談乳房榎」(角川文庫)は 先の「真景累ヶ淵」に続く角川の円朝第2弾である。こちらの方が有名であらう。特に「牡丹灯籠」は、歌舞伎としてよりも怪談として有名であらう。それに対して、「乳房榎」は歌舞伎として有名であらう。「累」の方は豊志賀の死が歌舞伎として有名であるが、ここだけ独立して演じられる。だからこの芝居全体を知ることはできない。実際問題、「累」があんな筋の作品であつたと知つたのはあれを読んだからであつた。ところが今回の2作、いづれも怪談として知られてゐ る。特に「牡丹灯籠」は例のお札はがしの場で有名で、ここだけで終はつてしまひさうな気もするほどである。しかし、実際にはお国がゐたりして話はまだまだ続く。そして最後はやはり敵討ちで終はる。歌舞伎ではもちろん、近世の物語は敵討ちに終はるものが多い。「牡丹灯籠」もそれであつた。もちろん、「乳房榎」もまた敵討ちである。歌舞伎では落語に出てこない人物がゐて、最後の本水と早替はりで終はる。怪談だからといつて、怪談では終はらないのである。
    ・「怪談乳房榎」は一部を落語できいてゐる。浪江がおきせを口説いてものにするあたりから重信殺しに至るあたりまでで、最後の敵討ち成就の場面はきいたことがない。これだと敵討ちに至るまでにどうなるのかが分からないが、前半、中盤の聞き所は収まつてゐよう。このあたりには特別に複雑な、そして恣意的とも言へさうな人物関係もない。ここまではごく普通である。浪江とおきせ、浪江と正介と重信、この浪江を中心とした二つの関係の中での愛憎劇である。この点、 「累」のやうに入り組んでいないから分かり易い。浪江とおきせと正介の語りわけがポイントになるが、この3人はいづれも性格がはつきりしてゐるから、やり やすさうな気がする。そして最後の敵討ちの場面、これは文庫で長くみても2頁分といふところ、ごくあつさりと終はる。歌舞伎のやうに見せ場にはならない。 ただし、落語だとこれが最後の日の話となるわけで、それ以前を振り返つたりする必要があるらしく、浪江の来る前に重信の息子の真与太郎に正介が事情を話 す。それも含めてやつと2頁分である。歌舞伎の本水を使ひ、三役早替はりをするのとは違ふ。舞台にかけるにはかうでもしないとおもしろくないのであらう。かういふのが落語と歌舞伎の差、違ひなのであらう。落語の「牡丹灯籠」でも最後の敵討ちが短い。長々と描写しない。すぐに殺し、殺される。殺しは聞かせどころにならないのであるらしい。本筋はそこにないからだと言へばそれまで、あくまでそこに至る過程を語るのが落語なのである。そこでの語りわけが聞き所となる。落語と歌舞伎の違ひである。「乳房榎」はたまたま両方、たとへその一部でも知つてゐるからそのやうなことが言へる。「らくだ」でもさうなのだが、歌舞伎には視覚的要素が大きく入る。1人で座つてやる落語にはできないことである。逆に、観客の想像力を刺激して聞かせることもできる。それができるのが名人なのであらう。円朝は話を作るのもうまかつたが、語るのもうまかつた、たぶん。「累」のやうに長い話を幾日もかけて語り通すのである。今では考へられないことである。その点、「乳房榎」はコンパクトにまとまつてゐる。これならば通ふにしても通ひ易い。テレビがない代はりに、昔の人はかういふことを楽しみ にしてゐたのだと思ふ。言文一致に大きな影響を与へた速記本が今読んでもおもしろいのは、それ自体が読みやすい文章であるのと、噺家の質ではなく、噺家の 話す話の内容によるのだらうかと思ふ。昔の話を読んでみようと思ふ。

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    2018年08月13日
  • 真景累ケ淵

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    ネタバレ

    ・三遊亭円朝「真景累ケ淵」(角川文庫)を初めて通して読んだ。さすがは累ヶ淵である。累がいくつも出てくる。「真景累ケ淵」といふと、私は歌舞伎の「豊志賀の死」をすぐに思ひ出す。落語ではなく歌舞伎である。この部分は死んだ豊志賀が姿を現すのだから歴とした怪談である。「実に芝居でいたす累とかお岩とかいうような顔つき」(75頁)で化けて出るのである。だから、ここがこの話のクライマックスかと思つてしまふのだが、実は全くさうではない。このことを私は知らなかつた。通しで読んでゐれば疾うに知つてゐたのに、それをしないばかりに大きな誤解をしてゐたのである。豊志賀、実は冒頭で殺された宅悦の娘であり、新吉、実は宅悦を殺した深見新左衛門の息子である。これもはつきりと意識してゐなかつた。だから私には「豊志賀の死」といつたところで、単なる怪談話に過ぎないのである。しかも、この豊志賀の件は全97回の20回あたりでしかない。先はまだまだ長いのである。それが展開するのは下総の国羽生村である。ここは累伝説の地、清元の「累」もここが舞台であつた。ただ、豊志賀が死ぬに当たつて残した書き置きの一節「たとえこのまま死ねばとて、この恨みは新吉のからだにまつわって、この後女房を持てば 七人まではきっと取り殺すからそう思え」(100頁)といふのが後の物語に大いに関係してくるのは、いかにも歌舞伎風の物語作りである。といふより、かういふ実は、実はの重なりはこの時代の物語の基本かもしれないと思ふ。それだけでなく、「解説」で小松和彦も書いてゐるのだが、これは因果応報、勧善懲悪の物語(468頁)である。その初めが宅悦殺しであり、続く豊志賀の死である。最後の方になると、勧めらるべき善はもちろん、懲らさるべき悪もほとんで死んでゐる。残るは惣吉と助太刀の相撲取り花車と仇の安田一角のみ、実際に女性が7人出てきたかどうかは分からないが、ほとんど皆非業の死を遂げる、つまりは殺されてゐる。これは見事である。といふより、ここまでああだ、かうだと言ひながら話を引つ張つてきた円朝の話術と物語が見事である。歌舞伎風ではあつても決して歌舞伎にはならない。歌舞伎の複雑さはない。かなり分かり易い。これが円朝なのであらう。
    ・円朝の速記本が言文一致体に影響を与へたといふのはよく知られたことである。江戸の戯作にも話し言葉が多用されてゐたが、あれを書き言葉の参考にすることは難しいと思ふ。その点、円朝は落語家である。話をきいてもらふ立場である。私には円朝の話し言葉がどのくらゐ当時の話し言葉を明らかにしてゐるのか分からない。私個人の考へからすれば、この円朝の速記本は、話し言葉を丁寧にだが、しかし相当程度に再現してゐるのではないかと思はれる。極端な言ひ方をす れば、少し手を加へれば言文一致の文章になりさうである。例へば「さうでげす」などといふ言ひ方は現在ない。これを見るとどうやら結構使つたらしい。幇間等の言葉かと思へばさうではないらしい。かういふのを少し改めるだけでも言文一致になりうる。目をつけた方も立派だが、これを語つた円朝も立派である。もしかしたら現在の文章の大本はここにあるのかもしれないのである。幽霊を神経の病といふ円朝である。かういふ文章(の未来)のことを考へて語り、速記させ たのかどうか。これまで文庫本に何冊もなつてゐる円朝を初めて読んだ。おもしろかつた。江戸の戯作の世界であつた。この人が歌舞伎作者になつてゐたらと思ふ。落語より歌舞伎の人間の戯言である。そんな作品が語られ速記され、現在我々が読める。戯作より読み易い。有り難いことだと改めて思ふ。

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    2018年07月01日
  • 怪談 牡丹燈籠

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    立川志の輔さんの「牡丹灯籠」が素晴らしいので、その元ネタとなっているこの本を読むことにした。15日間かけて円朝さんがかたったという大作、見事だと思った。
    志の輔さんの噺を最初に聴いたときに、これは、日本のシェークスピアだと感じた。

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    2015年08月24日
  • 怪談 牡丹燈籠

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    千年読書会、2014年10月の課題本でした。。

    落語の名人、三遊亭円朝による創作落語、
    明治時代の時、最新技術であった速記で記録されたもの。

    意外なほどに“怪談”要素は薄く、
    どちらかというと“仇討”が主な要素でしょうか。

    圧巻なのは、劇中の登場人物の多さと、
    彼らの関連性の複雑さ、“奇縁”とはよくいったもの。

    意外な所で意外な人物がつながり、
    “因果応報”をも考えさせてくれる内容。

    江戸時代の“匂い”も十分に漂っていて、
    かの有名な“カランコロン”の雰囲気もなかなか。

    そんな中、一番“怖かった”と感じるのは、、
    “生きている人間の悪意”、なんて風に。

    最後は大団円となるのが救いですが、、
    幽霊の方がよほど“純粋”だとも感じました。

    よくもまぁ、これだけの悪意が集まるものです。

    江戸の匂いが豊かに残っていたであろう明治、
    これは“生”でも聴いてみたかったですねぇ、、

    落語、未だに経験はありませんが、是非試したくなりました。

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    2025年02月04日
  • 怪談 牡丹燈籠

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    真景累ヶ淵に続きまして三遊亭円朝・・・
    これまた怪談噺・・・
    読んでて止まらなくなっちゃうんだなぁ・・・
    古い文章ですから、本来読みにくいんだけど・・・
    これがまたどうもスイスイ読めちゃう・・・
    クセになるなぁ・・・
    たまらんなぁ・・・
    元が落語ってーのもあるし・・・
    ストーリーもやっぱり古くさいんだけども、でも面白い・・・

    累ヶ淵に比べてしまうと因縁の怖さ、壮絶さが少し劣るんだけども・・・
    やっぱり深い因縁の話・・・
    登場人物が大体どっかで繋がっている・・・
    話が進むにつれてこんなに繋がっててイイの?って言うぐらい繋がっている・・・
    最後は悪いこたぁ出来ませんぜ、ってな勧善懲悪だけども・・・
    読んでると、どうしても健気な方に肩入れしたくなっちゃう・・・
    単純な勧善懲悪はあんまり好きじゃないはずだったのに・・・
    悪いヤツはとことん悪いし、憎くってたまらなくなるよ・・・
    上手いなぁ円朝さん・・・

    前半は怪談がメインで・・・
    後半は仇討ちのみ・・・
    やっぱり何が怖いって、幽霊より人間ですね、ってーヤツ・・・
    悪さをするのは人間・・・
    怖いのは人間様・・・
    これは昔も今も変わらない・・・
    お決まり・・・
    定番のルーツの一つだね・・・
    ルーツを楽しむのは乙なこって・・・
    普通の小説に飽きたらこういうのも有りでしょうね・・・
    いや、もちろん本当に幽霊が出てきたらそりゃ怖いけどね・・・

    前半の怪談部分は怖かったなぁ・・・
    イケメンの萩原新三郎に・・・
    超カワイイけど奥手のお嬢様のお露さんが恋しちゃって・・・
    いわゆる一目惚れですがね・・・
    イケメン過ぎて・・・
    恋しくて恋しくて・・・
    会えないで・・・
    恋しくて恋しくて・・・
    病気になって死んでしまう・・・

    すると・・・

    ある月夜・・・
    そうそう、皆さんご存知のあの例の時間帯・・・
    皆さんが寝静まった頃・・・
    カランコロンカランコロンと・・・
    下駄の音が聞こえてきて・・・
    牡丹の模様が入った燈籠を携えて・・・
    死んじゃったお露さんが・・・
    死んでもなおさら会いたい新三郎に・・・
    会いに来る・・・
    キャー!!っていう・・・
    毎夜毎夜会いに来て・・・
    憑り殺されちゃうよー!ギャー!!っていう・・・
    女性の情ってヤツも怖いねぇ・・・
    って、これまた定番ですね・・・

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    2012年09月12日
  • 怪談 牡丹燈籠

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    夏だし、怪談でも、と思ったけど怖くないなー。幽霊出てこないもんなー。

    怪談かと思ったら敵討ちもの。うまくいってよかった。
    しっかし、おばけより人間の方がよっぽど怖いわ。
    円朝さんの名演で聴くことが出来たらよかったなぁ。

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    2012年08月03日
  • 怪談 牡丹燈籠

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    ネタバレ

    感想より何より、まず一番驚くのは「あの日本三大怪談の一つである牡丹燈籠には本物の幽霊は出てこない」ってこと。びっくりだ。
    いや出てたのかもしれないが。どっちにも取れる。
    もちろん幽霊はお話に出てきます。あの有名な駒下駄をカランコロンいわせてるとか、描写も細かく力入っていて怪談物らしくそこは物語のハイライトでもあります、が。後半で伴蔵が実は幽霊は自分がでっち上げたんだという発言をし。
    で、考えてみればお露の幽霊に会っているのは萩原以外には実は伴蔵だけ(声だけならおみねもだけどこの二人はグルだし)、ということなんかに気づく。合理的に考えればこれがモロに答え。

    っていうことなんだけど、読者はやっぱり地の文を信じなきゃいけないのがルールなんです。そっちでは先にいったようにさもお露の幽霊が本当に出てきたかのように書かれている。伴蔵の話を信じるならそこだけ地の文は故意に嘘を語ってるってことでやっぱり違和感がある訳です。あとから考えると普通は意識されない「これは誰の目が見ているんだ?」ってことを感じてしまう。それ思われた時点で地の文の信頼感かかなり揺らぎますが。
    一方で伴蔵の話信じるなら信じるで「あの十両は?」とか「お札剥がして云々の部分とかメリットのない嘘の部分はなんなんだろう」なんて疑問が結構出てきます。
    ていうか牡丹燈籠はやっぱり本物の幽霊が出てくる話って一般に思われているお話ですし。どうなんでしょうか。

    そして中身は探偵小説ばりにガンガン人が死んでいくお語でした。「じゃあ殺しちゃおう」ってすぐ思うんだものこの登場人物達は。そして思ったことは即実行。素晴らしいですね。

    しかしこんなに長くて登場人物も多く結構関係複雑なお話、今の私達は文字で読むから良いけど、元はこれ落語。話して聞かせてたっていうんだから。どう考えたってお客さん途中で飽きる。そもそも話が面白いとか関係なしに人の話を聞き続けるのは結構集中力使うし続かないだろう。それを飽きさせないで語り通せた(しかも理解もさせられた)って想像を絶する名人だ。聴いてみたかったなー。

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    2011年06月23日