三遊亭円朝のレビュー一覧
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カランコロン カランコロン
下駄の音を響かせ旗本の娘の亡霊が愛しい男の元へと通う。
先導する女中の亡霊の手には牡丹燈籠、ぼんやり光る。
三遊亭円朝の口演を速記で写した本です。
読者としては、本を読みながら江戸時代の登場人物像を頭に描くとともに、
円朝の口演を寄席で聞いているように各登場人物の声色や状況説明を噺家の声で想像するという、二重に想像できる楽しみが。
さらに速記術というものの記録としても興味深いですね。たまに矛盾がある(登場人物の年齢とか)は、速記のための記載ミスか?と思われるとか。
「牡丹燈籠」といえば、恋人に冷たくされ死んだ女の亡霊が男の元に通い祟り殺す、
…というよ -
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落語家円朝が幕末1861-1864年頃に、中国の小説などを元ネタとして作った物語で、1884(明治17)年にこれを速記した本が出版されている。話し言葉による物語なので、これはまさに「言文一致」である。
読んでみると現代文とさほど変わらず、意外に読みやすいし、面白いからどんどん読めてしまう。そして物語は非常に複雑だ。登場人物も多くサブストーリーが錯綜し、おおきな物語を形成している。これを読んで「小説ではない」と断ずる理由は無い。西洋の近代小説と比較しても大変面白い、まさに小説作品なのである。もっとも私は上田秋成の『雨月物語』も見事な近代小説だと思っているので、逆に明治以降、そんなにヨーロッパ -
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ネタバレ・三遊亭円朝「怪談牡丹灯籠・怪談乳房榎」(角川文庫)は 先の「真景累ヶ淵」に続く角川の円朝第2弾である。こちらの方が有名であらう。特に「牡丹灯籠」は、歌舞伎としてよりも怪談として有名であらう。それに対して、「乳房榎」は歌舞伎として有名であらう。「累」の方は豊志賀の死が歌舞伎として有名であるが、ここだけ独立して演じられる。だからこの芝居全体を知ることはできない。実際問題、「累」があんな筋の作品であつたと知つたのはあれを読んだからであつた。ところが今回の2作、いづれも怪談として知られてゐ る。特に「牡丹灯籠」は例のお札はがしの場で有名で、ここだけで終はつてしまひさうな気もするほどである。しかし、実
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ネタバレ・三遊亭円朝「真景累ケ淵」(角川文庫)を初めて通して読んだ。さすがは累ヶ淵である。累がいくつも出てくる。「真景累ケ淵」といふと、私は歌舞伎の「豊志賀の死」をすぐに思ひ出す。落語ではなく歌舞伎である。この部分は死んだ豊志賀が姿を現すのだから歴とした怪談である。「実に芝居でいたす累とかお岩とかいうような顔つき」(75頁)で化けて出るのである。だから、ここがこの話のクライマックスかと思つてしまふのだが、実は全くさうではない。このことを私は知らなかつた。通しで読んでゐれば疾うに知つてゐたのに、それをしないばかりに大きな誤解をしてゐたのである。豊志賀、実は冒頭で殺された宅悦の娘であり、新吉、実は宅悦を殺
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千年読書会、2014年10月の課題本でした。。
落語の名人、三遊亭円朝による創作落語、
明治時代の時、最新技術であった速記で記録されたもの。
意外なほどに“怪談”要素は薄く、
どちらかというと“仇討”が主な要素でしょうか。
圧巻なのは、劇中の登場人物の多さと、
彼らの関連性の複雑さ、“奇縁”とはよくいったもの。
意外な所で意外な人物がつながり、
“因果応報”をも考えさせてくれる内容。
江戸時代の“匂い”も十分に漂っていて、
かの有名な“カランコロン”の雰囲気もなかなか。
そんな中、一番“怖かった”と感じるのは、、
“生きている人間の悪意”、なんて風に。
最後は大団円となるのが救い -
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真景累ヶ淵に続きまして三遊亭円朝・・・
これまた怪談噺・・・
読んでて止まらなくなっちゃうんだなぁ・・・
古い文章ですから、本来読みにくいんだけど・・・
これがまたどうもスイスイ読めちゃう・・・
クセになるなぁ・・・
たまらんなぁ・・・
元が落語ってーのもあるし・・・
ストーリーもやっぱり古くさいんだけども、でも面白い・・・
累ヶ淵に比べてしまうと因縁の怖さ、壮絶さが少し劣るんだけども・・・
やっぱり深い因縁の話・・・
登場人物が大体どっかで繋がっている・・・
話が進むにつれてこんなに繋がっててイイの?って言うぐらい繋がっている・・・
最後は悪いこたぁ出来ませんぜ、ってな勧善懲悪だけども・・ -
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ネタバレ感想より何より、まず一番驚くのは「あの日本三大怪談の一つである牡丹燈籠には本物の幽霊は出てこない」ってこと。びっくりだ。
いや出てたのかもしれないが。どっちにも取れる。
もちろん幽霊はお話に出てきます。あの有名な駒下駄をカランコロンいわせてるとか、描写も細かく力入っていて怪談物らしくそこは物語のハイライトでもあります、が。後半で伴蔵が実は幽霊は自分がでっち上げたんだという発言をし。
で、考えてみればお露の幽霊に会っているのは萩原以外には実は伴蔵だけ(声だけならおみねもだけどこの二人はグルだし)、ということなんかに気づく。合理的に考えればこれがモロに答え。
っていうことなんだけど、読者はやっぱ