石垣りんのレビュー一覧
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とある国語の先生が、この本を読んで詩が好きになったと言っていたので、気になっていた。中学二年生の教科書で石垣りん「挨拶−原爆の写真によせて」を扱うので、これを機会に読もうと買った。一周目は、文字が目を滑って何も頭に入らなかった。二周目で、ようやく紹介されている詩と、エッセイとが、内容のつながりを持ちつつ頭に入ってくるようになった。
ひとまず、二周は読んでみることをおすすめする。
あとがきを読んで、「ああ、そういう風に読めばいいのか」と思ったことが、二周目をすごく読みやすくした。
(前略)解説をする力はないので、その詩が折にふれ私とどうかかわり、どう働きかけたか、書くとすれば自分のことばかりです、と答えました。
(中略)
言ってよければ、私にとって実用だった詩のことば。またどなたかの暮らしの中によみがえるきっかけとなるなら、読者に深くお辞儀して、私は立ち去るのがよいと思います。(p254〜255)
納得したのは、ここに収められたエッセイが「解説」ではなくて、「自分のことばかり」だったということ。そして、石垣りんにとって「詩のことば」は「実用」だったのだということ。そう考えたとき、二周目は、一つひとつのエピソードが、すんなりと頭に入ってくるようになった。
例えば、表題作の「詩の中の風景」。
この詩にはじめて巡り会ったのは女性雑誌のグラビア、当時としては少し大判の本でした。見開き二頁の画面の片側に印刷されていたのを切り抜いて、鏡台の右うしろの壁、坐って鏡に向かうと、そこにうつる顔と同じ高さに画鋲で止めました。(p11)
おそらく毎日座るのであろう鏡台の横、自分の顔と見比べられる位置に貼られた佐藤春夫「海の若者」の詩。何のために筆者は、そんなところに詩を貼ったのだろうか?
若い日の顔は鏡面を流れ去りましたが。活字で見た「海の若者」、詩にえがかれた風景は目の中に定着しました。(p12)
老いていく鏡の中の自分の顔と、横に並んだ歳をとることのない若者のいる風景を見比べる毎日。もしかしたら、そうやって自分の「若さ」のようなものを保っていたのかもしれないと思うと、とてもその「詩のことば」は、「実用」的に見えた。
そして、同じエッセイの中でこんな話も付け加えてしまうのである。
詩とは関係ありませんが、太平洋戦争が始まってまだ激化しないころ、四つ違いの妹が十八歳で死にました。その少しあとで私は、童話をいくつか書きました。(p12)
紹介している「詩とは関係ありません」と言い切って挿入される妹の死と、それをきっかけに書いた童話のあらすじ。まさに、あとがきにある通り、「書くとすれば自分のことばかり」なのである。
ただ、そうして挿入される「自分のこと」は、本当に無秩序に到来するわけではない。十八歳で亡くなった妹の死というエピソードは、詩に描かれる「海の若者」の遭難死と、どことなくつながっている。こうした微妙なところで、「実用だった詩のことば」と作者自身の「自分のこと」が、つながっていくエッセイ集である。
先生が以前、『現代文学クロニクル』というアンソロジーをおすすめするときに、「それぞれの作家経験を体感できる」と言っていたのを思い出した。「作家経験を体感」って何だ? と、当時思った。
『詩の中の風景』は、まさに石垣りんの文章の手癖というか、二周目に至って、ようやくその文体に慣れてきた。こういう作家の語りを体得していくことで、中身が頭に入ってくる感覚が、先生の言っていた「作家経験を体感」するというのだろうかと思った。
ところどころに出てくる「〜ていて。」「〜ますけれど。」と終止する倒置文でもない不思議な「。」が、印象に残った。一冊しか読んでないけれど、なんか、石垣りんっぽい文体って、こんな感じなんだな、と思わせるリズムがある。 -
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14才から銀行に勤め続けて定年を迎え、つつましくひとり年をとる女性の暮らしと心の動きを写し取るものとしては、近年流行の元気前向き一人暮らしおばあちゃんの本よりもむしろずっと共感できる。
P36 2月21日【前略】このところ、隣の家の念仏が十二時を過ぎても低く続く。一時を回る頃には近くの保健所工事現場から、鉄筋を打ち込む音が規則正しく響き始める。私の所在を知って台所口に呼びに来たのは野良猫シロ、夜食をよこせというのであった。貧しくにぎやかな夜更け。寒い冷たい夜更け。
2月24日【前略】未婚者が自分の資質をゆがめず、素直に年をとるにはどうしたらよいか、その困難さについて先輩女性と語り合う。
P57 さしあたっての希望は、欲しがらない人間になりたい、ということ。誰が何をしてくれなくても。さみしかったら、どのくらいさみしいか耐えてみて、さみしくゆたかになろうと―。
P76 祖父がなくなる前、年をとったひとりの女が生きてゆくことをどのように案じるか、たずねました。「お嫁にも行かないで、この先、私がやってゆけると思う?」「ゆけると思うよ」「私は、私で終わらせようと思っているのだけれど」「ああいいだろうよ、人間、そう幸せなものでもなかった」
闇の世を立ち出でてみればあとは明月だった、という句を、祖父は口移しで私に伝え、やがて逝きました。
P86 シジミをナベに入れるとき語りかけます。「あのね、私といっしょに、もう少し遠くまで行きましょう」
P101 けれど洗濯機のない貧しさは、一面そんなことをしていられる時間のぜいたくさでもあって、家族が何人もいたら、とてもできない芸当に違いない。そんなことはさっさと片付け、一人暮らしならなおさら、もっと時間を有効に使わなければいけない、とけしかけるものの声がする。【中略】人が手を使うことより、頭を使うほうがずっと有効だ、というのはそのほうが高級でそれは高給につながるから得なのだ、という世間の風潮、その底からの呼び声である。
P204 (男対女の綱引きになぞらえて)男が力任せに引く綱に、ざざっと引き倒されて、軽く腰を浮かせてしまう、残念無念な女性群像も次第に見えてきた。降参した時点で、選ばれた女性が相手方の陣営に招かれていく。【中略】私は捕虜の光栄にも浴さず、戦士のように倒れて抱き起されることもなく年をとった。男を語る資格がない。
P229 働かないと、書くことも思い浮かばない、といった習性のようなものが、私の身についたのではないか、と案じられます。そして、物を考えているのは私の場合、頭だろうか?手だの足だので感じたり、考えたりしているのではないだろうか?
P249 せつない、という言葉の重みは、心の中のどの部分に寄りかかろうとするのでしょうか。寄りかからせる優しい部分は、どこにどのようなかたちで存在するのでしょうか。うれしさとつらさ。有難さとすまなさ。恋しさと恨めしさ。いろいろな感情が、その時その時で違った混ざりかたをする、そのせつなさ。
P252 かりに好意で5年置いてもらったところで、いずれはやめなければならない。それなら少しでも早く一人になる稽古をしておこう。【中略】定年時の手習いが私の場合「一人立ち」だとしたら、これはどういうことになるのだろう。会社とはなんだったろう。【中略】ちょうど建物と同じで外から古く見えても、中で暮らしている限り変化はない。並んでいる新しい家と古い家の窓から見える空は同じなのよ、というと、同年配の人は、ほんとにそうね、と答える。 -
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石垣りんさんの詩集ですね。
永遠の詩シリーズ 05 の作品です。
このシリーズの魅力は、時代に関わらず読み次がれていける作家と作品を見事に紹介されていることですね。
石垣りんさんの詩集も、ものすごく受け入れやすく、働く私たち職場の隣に席する仲間だという事だと思います。また、『職場の詩人』であり、『詩情豊かなロマン溢れた詩人』でもあるようですね。
石垣りんさんは、2月生まれ(21日)との事。初めてふれる詩人の誕生の月に巡りあえて二重の喜びでした。
同時に、茨木のり子さんの大親友(石垣りんさんが六歳年長)であられたようなので、親しみを増しました。
解説の井川博年さんは語られています。
「現実から逃げないこと、そのことが石垣りんの詩を強くした。これが、石垣が、その頃よくいわれた『職場詩人』『生活詩人』から、大きく脱皮・成長できた理由であると思う。」
「生涯独身。生前出した詩集はわずかに四冊である。しかし彼女が書いた多くの詩の言葉は、今でも私たちの身近にいて、永久に忘れられることはない。『石垣りん、それでよい。』」
川のある風景
夜の底には
ふとんが流れています。
川の底を川床と言い
人が眠りにつくそこのところを
寝床と言います。
生まれたその日から
細く流れていました。
私たち
今日から明日へ行くには
この川に浮き沈みながら
運ばれてゆくよりほかありません。
川の中に
夢も希望も住んでいます。
川のほとりに
木も草も茂っています。
いのちの洗濯もします。
川岸に
時にはカッパも幽霊も現われます。
川が流れています。
深くなったり
浅くなったり
みんな
その川のほとりに住んでいます。
優しく、そして強い、石垣りんは、茨木のり子さんの言われる『凛』とした、心の底に『みずうみ』がある方だったのでは、ないでしょうか。
また一人、お気に入りの詩人を見つけました。
というより『永遠の詩シリーズ』の詩人はこれまですべて、私を詩への誘いを促せてくださる旅先案内人であり、人生の同伴者を得た想いです。
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ネタバレ初期の詩は、少しこわいくらいの精神力の強さが感じられました。
少女の頃から一家の生活を支えて、家族を次々に亡くしたという環境もあったことだと思われます。
初期といっても、初めての詩集『私の前にあるお鍋とお釜と燃える火と』を出されたのは39歳という遅咲きの詩人だったそうです。
晩年の詩は肩の力が少し抜けたようなかんじで、しみじみと心に染み込んでくる味わい深いものが多かったように思います。
「崖」
戦争の終わり
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
<解説より>
石垣りんにしか書きえなかった反戦詩の傑作。
茨木のり子は、「戦後詩のなかで一番衝撃を受けた行は?と問われたら、まっさきに石垣りんの詩『崖』の最終連をあげずにはいられない」と書いている。
戦後になって公開された、アメリカ軍が撮影したサイパン島陥落の映像には、追い詰められた日本人女性が、次々に崖上から身を投げる姿が映し出されていた。もんぺ姿の若い女性が崖の上かに現れ、それから意を決してとびこむ様子が、鮮明なカラー映像に残されていた。どうして忘れられようか。かつて軍国少女であった石垣にとって、戦争は十五年経っても二十年経っても、終わっていなかったのだ。
「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」「白いものが」
「その夜」「表札」「幻の花」「村」「かなしみ」「おやすみなさい」もよかったです。
石垣りん(いしがき・りん)
1920年(大正9)~2004年(平成16)。
東京の赤坂に生まれ、高等小学校卒業後、14歳で銀行勤めを始め、働きながら、家と社会の問題に鋭く斬り込む詩を生んだ。
現代人の孤独と真っ正面から向き合う言葉の数々は、深く、つよく、温かく、読者の心を揺さぶる。 -
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銀行員として定年まで勤めながら創作を続けた詩人石垣りんのエッセイの二作目。一作目から読むべきかと思ったが、最寄りの書店に本書しかなかったのでこちらから読むことにした。
聞きしに勝る名文に唸る唸る。沁みる沁みる。
定年退職後に生活をする予定のアパートの建設現場を眺めるところからはじまる。ぽっかりと空いた時間と世の移り変わりに戸惑いながらも、どこか他所ごとを楽しむようで目線が優しい。
読んでいると今は無き昭和の風景が浮かんでくる。贅沢の意味が変わってしまったのは今でも感じるところで、お金がないと贅沢できないかのような風潮は限界まで来てると思う。現代を見つめ直す意味でも、本書は今の若い人に刺さるのではないだろうか。
生活の中で感じたこと、違和感であったり、ちょっとした感動であったり、断定できないものに考えを巡らせる。物事の受け取り方や受け止め方に、その人の個性が出る。エッセイの石垣りんは安易に答えを出すことはない。ほとんどは不思議に思うだけであるが、消化できなくてもちゃんと味わっている。ちゃんと味わっていれば、消化できなくても良いのだなと、変な感心をしてしまった。ワカラナイをワカラナイまま楽しめる芯の強さがあるように思う。
飾りのない真っ直ぐな言葉が心に響く。なんて格好良い人だと思った。こんな風になりたいが、なれまい。
戦後の日本で定年まで勤めながら詩を書いた。詩も素晴らしいけど、エッセイも素晴らしい。すっかりファンになりました。他の著書も読みます。 -
Posted by ブクログ
“そこに虹があるとして、詩を書くということは虹を描くことではなく虹をさし示している指を描くことだ“という文章をきっかけに読み始めた。
読んでみると、ひとりの価値観?みたいなものが割と近しくて(電車の定期的な音に人気を感じたり程度だけど) 心なしか自身と重ねて等身大の姿勢で読めるし、それが味方がいるような感じがして心強いし、14-5歳から銀行で働く継続的な鍛錬さは素晴らしい。
結婚しなかったこと、女性だから「偉くならなくて済む」ことへの安心感を言葉にしてくれること、歳を重ねること、鳥に餌をあげてしまう身勝手さの自覚と少しの図々しさ、赤の他人でもお互いに孤独があることでわかちあえること、心に沁みた。
エッセイを読んでから詩を読むと(確か「くらし」という詩)その人生として行き着いた先に出た涙や出会った人を通して、歳を重ねたことによる寂しさと開放感がうかがえる。
これまで、「言ってることは理解できる詩」、「何に感動したか言語化できる詩」、にばかりであってきてしまったけど、久々に、それができない、少し飛躍した絵本のような詩に出会えてよかった。
須賀敦子もある種また逞しかったけど、また別の方向の逞しさがある。 -
Posted by ブクログ
ネタバレわかることばで、むき出しの生を紡いでくれる石垣りんさん
詩は好きだけどエッセイは読んだことなかったので
買ってみる
戦中戦後をしっかりと生き切った方なんだなーっと
三度も母親が変わるなんて、なかなか厳しい子ども時代なのではないかと思う
早くに就職してずっとそこで働き続けて。
自分で自分を支えて、家族も支えて、なんだろう
放り出したくなったりしなかったのかなー
今も昔も女性の生きづらさってのはあるんだよなーっと
姉妹で心中した人たちの話に胸つまされる
どこへも頼ることのできない寄るべなさ
退職してからも詩人としてのお仕事とかで
あっちこっちいかれてたようで、結構充実してたんだろうなあ
1人で生きることに気を張ってるわけでもなく卑下するわけでもなく哀しむわけでもなく、それをそのまま受け入れて
楽しいことは楽しい、寂しことは寂しいとして生きる、
そーゆー中で彼女のことばは生まれてきたんだろうなあ
別に偉くなりたいわけでなし、自分が読みたい本を自分で買えるくらいのお金を稼ぐほどの仕事をして、やりたいことをする。
全く、わたしもそれがしたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレやられた。
また、師匠がひとり誕生してしまった。
母ほどの年齢の人なのに、感性が、考え方が自分に似ていて、大きな企業の最下層にいる環境まで同じで。
「誰が何をしてくれなくても、さみしかったらどのくらいさみしいか耐えてみて、さみしくゆたかになろう。」
南の国でのんびり暮らそうとと誘われてそれもいいですねと答えながら、今から覚える拙い言葉で自分の心のひもじさは耐えられないと。私のふるさとは日本の言葉だと言い切る。
ほんとにそうだよなとなんとも腹落ちのすることよ。
ネットでお顔を拝見したら笑顔のチャーミングな方で、ますます好きになったのでした。