【感想・ネタバレ】詩の中の風景 くらしの中によみがえるのレビュー

あらすじ

いつでも訪れることができる、不思議にひろい場所。ときどき深呼吸をしたくなる原っぱ。かたくなな心に手をさしのべてくれ、暮らしの中で鏡のように光るもの。――詩は自分にとって実用のことばという著者が、みずみずしい感性で五三人の詩篇を選び、エッセイを添える。読者ひとりひとりに手渡される詩の世界への招待状。〈解説〉渡邊十絲子

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Posted by ブクログ

とある国語の先生が、この本を読んで詩が好きになったと言っていたので、気になっていた。中学二年生の教科書で石垣りん「挨拶−原爆の写真によせて」を扱うので、これを機会に読もうと買った。一周目は、文字が目を滑って何も頭に入らなかった。二周目で、ようやく紹介されている詩と、エッセイとが、内容のつながりを持ちつつ頭に入ってくるようになった。
ひとまず、二周は読んでみることをおすすめする。

あとがきを読んで、「ああ、そういう風に読めばいいのか」と思ったことが、二周目をすごく読みやすくした。

(前略)解説をする力はないので、その詩が折にふれ私とどうかかわり、どう働きかけたか、書くとすれば自分のことばかりです、と答えました。
(中略)
言ってよければ、私にとって実用だった詩のことば。またどなたかの暮らしの中によみがえるきっかけとなるなら、読者に深くお辞儀して、私は立ち去るのがよいと思います。(p254〜255)

納得したのは、ここに収められたエッセイが「解説」ではなくて、「自分のことばかり」だったということ。そして、石垣りんにとって「詩のことば」は「実用」だったのだということ。そう考えたとき、二周目は、一つひとつのエピソードが、すんなりと頭に入ってくるようになった。
例えば、表題作の「詩の中の風景」。

この詩にはじめて巡り会ったのは女性雑誌のグラビア、当時としては少し大判の本でした。見開き二頁の画面の片側に印刷されていたのを切り抜いて、鏡台の右うしろの壁、坐って鏡に向かうと、そこにうつる顔と同じ高さに画鋲で止めました。(p11)

おそらく毎日座るのであろう鏡台の横、自分の顔と見比べられる位置に貼られた佐藤春夫「海の若者」の詩。何のために筆者は、そんなところに詩を貼ったのだろうか?

若い日の顔は鏡面を流れ去りましたが。活字で見た「海の若者」、詩にえがかれた風景は目の中に定着しました。(p12)

老いていく鏡の中の自分の顔と、横に並んだ歳をとることのない若者のいる風景を見比べる毎日。もしかしたら、そうやって自分の「若さ」のようなものを保っていたのかもしれないと思うと、とてもその「詩のことば」は、「実用」的に見えた。
そして、同じエッセイの中でこんな話も付け加えてしまうのである。

詩とは関係ありませんが、太平洋戦争が始まってまだ激化しないころ、四つ違いの妹が十八歳で死にました。その少しあとで私は、童話をいくつか書きました。(p12)

紹介している「詩とは関係ありません」と言い切って挿入される妹の死と、それをきっかけに書いた童話のあらすじ。まさに、あとがきにある通り、「書くとすれば自分のことばかり」なのである。
ただ、そうして挿入される「自分のこと」は、本当に無秩序に到来するわけではない。十八歳で亡くなった妹の死というエピソードは、詩に描かれる「海の若者」の遭難死と、どことなくつながっている。こうした微妙なところで、「実用だった詩のことば」と作者自身の「自分のこと」が、つながっていくエッセイ集である。

先生が以前、『現代文学クロニクル』というアンソロジーをおすすめするときに、「それぞれの作家経験を体感できる」と言っていたのを思い出した。「作家経験を体感」って何だ? と、当時思った。
『詩の中の風景』は、まさに石垣りんの文章の手癖というか、二周目に至って、ようやくその文体に慣れてきた。こういう作家の語りを体得していくことで、中身が頭に入ってくる感覚が、先生の言っていた「作家経験を体感」するというのだろうかと思った。
ところどころに出てくる「〜ていて。」「〜ますけれど。」と終止する倒置文でもない不思議な「。」が、印象に残った。一冊しか読んでないけれど、なんか、石垣りんっぽい文体って、こんな感じなんだな、と思わせるリズムがある。

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2025年07月21日

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