著者の水谷竹秀(1975年~)は、上智大学外国語学部卒の、フィリピンを拠点に活動するノンフィクション・ライター。本書は、2011年開高健ノンフィクション賞受賞作で、2013年に文庫化。発表直後には、本書を基にしたドキュメンタリー番組も複数制作され、かなりの反響を巻き起こした。
本書は、現地在住の著者が、現在フィリピンに数百人いると云われる、所持金を現地で使い果たし、日本への帰国費用どころか日々の食費もなく、路上生活やホームレス状態の「困窮邦人」を取材したルポルタージュである。登場する困窮邦人は、日本のフィリピンクラブで出会った女性を追い掛けて渡航した人々のほか、偽装結婚に利用された人、暴力団関係者から借金をして国外逃亡した人など。
それにしても非常に奇妙な読後感の作品である。通常のルポルタージュ作品は、あるテーマを、作り手が取材し、表現し、受け手が見、読んだ場合、そのテーマについて何らかの(社会)問題が感じ取られるものであるが、私は本書を読んで、ただ、こうした「困窮邦人」が少なからず存在して、そうした邦人を助けるフィリピンの人々がいる(もちろん、金を搾り取ることだけが目的のフィリピン人もいるが)という“事実”に少しばかり驚いたものの、問題意識を持つには至らなかった。(端的に言えば、本人の自己責任でしかあり得ない)
なお、著者は、取材当初は、「彼らが逃げ出した日本社会を見つめ直すことで、その澱のような何かが見えてくると思い込んでいた。「日本は生きづらい」と語ってもらい、その理由を具体化させることで現代日本を告発したかった」と考えていたものの、取材の最後には、「いつの間にか、社会問題として追求する自分との間で葛藤が始まっていた。彼らの親や知人に話を聞き、その人生や暮らしを追っていくと、「(困窮は)自己責任ではない」という仮説はあらかた崩れ去った」と語っているが、一方で、読者の大きく二分された感想(自己責任であり同情できないor明日は我が身かも知れず他人事は思えない)について、「未だにいずれかに割り切れない優柔不断な自分がいる」とも吐露している。
世の中にはこうした“事実”が存在するということを知る上で、面白い一冊といえようか。
(2018年1月了)