水谷竹秀のレビュー一覧
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リアル本にて。
大多数の人と同じく、「なんで騙されるんだろう?」と思ってきた。ただ、この本を読み終わって、入り口さえ整えば、自分も引っ掛かってもおかしくないことを認識した。というか、この可能性を念頭に置いて生活をしようとすると、まともに知り合いを作れない。。。
前半は被害者側のインタビュー、後半は国際ロマンス詐欺の温床となっているナイジェリアの首都ラゴスでのヤフーボーイ(国際ロマンス詐欺犯)へのインタビューという構成。
大まかに国際ロマンス詐欺の流れは以下のとおり。
入り口は気軽なコミュニケーション相手として(英語でのコミュニケーション相手としてやり取りしていた、というのがとてもわかりみが深い)、そのうち孤独を埋める相手として、だんだん洗脳されていき、最後は騙されたことを認めたくない一心で引き返せないところまで突っ込んでしまう。。。
さぞかし組織として綿密な計画と共に一つ一つの詐欺に対して周到に取り組んでいる、という印象を前半では受けとる。
ただ後半に紹介される実行犯たちは、一応教育組織的なものはあるようだが、どちらかというと悪友に唆されて簡単に手解きを受け、その道に入る、単独犯の印象を受ける。もちろん、前半の被害者と後半の加害者は同じ詐欺事件ではないので、単に犯人が違うだけが理由かもしれない。ただとにかく、ナイジェリアにおける国際ロマンス詐欺のハードルの低さに驚いた。本文でも書かれているが、そのハードルたるや、日本における未成年者の飲酒・喫煙に近い(もちろんそれもダメだが)。そして、ハードルが低いため、詐欺を試みる人数がとにかく多く、かつその一人一人もとにかく絨毯爆撃のように友達申請をせっせと送っているので、一つ一つの試みの成功率は知れていても、全体でみると大きな金額の詐欺に成功するケースがある、ということのようだ。さらに、これもハードルの低さからか、その成功例をSNS等でサクセスストーリーとして吹聴しているらしく、それを閉塞感に支配された若者が見て、また詐欺に流れる、という悪循環が発生している。
なんにせよ、想像以上に身近な犯罪であることを認識し、どんどん変わる手段も押さえていかなければ、と改めて身につまされた。 -
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タイのバンコクに日本企業のコールセンターがあるそうです。オフショアってやつですね。
そこで働くオペレーターたちは服装も自由、当日欠勤なども厳しく言われることもない、日本語しかできなくてOK。刺激もない楽で退屈な仕事だけど、ある程度の金額がもらえるので応募してくる日本人は多いそう。
「なんか良さそう」と思うけど、コールセンターで働く人たちの地位は現地採用者の中でも低く、賃金も最低ラインより低め。タイの物価を考えると十分暮らしていける金額であり、日本での居場所を見つけられなかった人たちは退屈な仕事を我慢しコールセンターで働くのだといいます。
OBを含むオペレーターたちへのインタビューを通じて見えてくるのは、日本社会の閉塞感です。元気で未来への希望に満ちたタイの雰囲気から眺めた日本は、ギスギスした雰囲気や、40代以降の再就職の難しさ、将来への不安がより強く感じられます。そうした現状から逃れるように、少しの収入で暮らせるコールセンターにしがみついても、タイに残りたいと願う気持ちは、私にも共感できるものでした。
自分自身も、毎日定時まで働いて出世も見込めず「老後の資金が不安だ」「このままでいいのかな」と漠然とした不安を抱えながら生活をしていますが、そんなあくせくした働き方や生活に疑問を持つというきっかけをくれる本だと思いました。
タイで生きる彼らの姿は、単なる“逃避”ではなく、息苦しい日本社会から一歩外に出てみることで見えてくる、新たな生き方や価値観のヒントなのかもしれません -
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本書はフィリピンはマニラを拠点に在住、取材執筆し、『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 (集英社文庫)』によって開高健ノンフィクション賞を受賞した筆者による「日本を脱出した」人々のルポ。
本書はフィリピンはマニラを拠点に在住、取材執筆活動を行い、著書『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 (集英社文庫)』(集英社)を上梓し、それが開高健ノンフィクション賞受賞した水谷竹秀氏が、フィリピンと日本の間を往復しながら3年間にわたり徹底取材した日本を脱出し、フィリピンへと移り住んだ高齢者達の「悲喜こもごも」を描いたルポルタージュです。
以前、水谷氏の前著である『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」(現在は集英社文庫)』を読んだときは
「あぁ、これは村上龍の小説『希望の国のエクソダス (文春文庫) 』(文藝春秋)の老人版なのかなぁ。」
などと思っていたものですが、実際、現地へ移住するとなると必ずしも一筋縄ではいかぬものだな、ということがよくわかりました。
僕は10代のころから海外で暮らし、そこでできれば所帯を持って…。という今にして思えば何とも甘い考えを持っていたのですが、本書の舞台であるフィリピン―一年中温暖、物価は日本の3~5分の1、やさしく明るい国民性、原発ゼロ、年の差婚当たり前。これだけ聞けば「パラダイス」に思えるかもしれませんが、本書に記されている身もふたもない「現実」に打ちのめされてしまいました。
本書に登場する「脱出老人」たちは誰もが
「日本で寂しく貧しく苦しい老後を過ごすなら、いっそのことフィリピンで幸せな老後を送りたいー。」
と現地に来るわけですが、恋人候補200人のナンパおじさん、19歳の妻と1歳の息子と、スラムで芋の葉を食べて暮らす元大手企業サラリーマン、東日本大震災を機に、東北から原発ゼロのフィリピンに移住した夫婦。
ゴミ屋敷暮らしだった母親をセブ島に住まわせる娘、24歳年下妻とゴルフ三昧の元警察官。90歳の認知症の母親をフィリピン人メイドと介護する夫婦、「美しい島」で孤立死を選んだ元高校英語女性教師……。と本当に「多士済々」でありまして、僕はかつて何度か
「有坂君。海外でやっていくっていうのはねぇ。大変なものなんだよ。」
と言われたことがあったのですが、本書を読んでその理由がよくわかりました。
その中でも特に感じたのは社会保障制度や医療制度の問題。フィリピンでは(ここに限らずアメリカなどでもそうですが)いい医療を受けたいなら
「地獄の沙汰も金次第」
のようなところがあるみたいで、医療保険や年金などをしっかりとかけておかなければ現地での治療費(時には日本円にして数10万円から100万円単位となる)が全額自己負担となることもあるのだそうで、自分や子供の治療費の工面に苦労する姿を見ていると、やりきれない気持ちになったことを覚えております。
今のところ僕はフィリピンへの移住は全く考えておりませんが、彼らのような人たちもいる(あるいはいた)ことを、しっかりと記憶にとどめておこうと思っております。
※追記
本書は2019年5月16日、小学館より『脱出老人: フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち (小学館文庫 み 17-1)』として文庫化されました。 -
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本書は、第9回開高健ノンフィクション賞受賞作だそうです。フィリピンクラブに行ったことをきっかけに「無一文」にまで転落し、それでも、現地で生き続けている「困窮法人」たちの実態を追ったものです。重いです。
僕もかつて1度だけ東京は錦糸町にある某フィリピンクラブにて酒を飲むなどのことをしたことはありますが。幸か不幸かはわかりませんけれど。ここで取り上げられている5人のような運命の歯車を狂わせることはなかったようです。
ここで取り上げるのはフィリピンにおいて文字通り「一文無し」と成り果て、それでもフィリピンの社会から見捨てられることなく、何とか命をつないでいる5人の人間の物語です。
そのどれもが壮絶といえば壮絶で、僕はいったことがないからそんなに詳しくはわかりませんけれど、フィリピーナを追って、文字通り「何もかも捨てて」フィリピンに渡航し、結婚して子供を持ったはいいものの、金銭がらみで不和となり、やがて女性とも別れ、住まいをを転々とした挙句に教会に寝泊りするようになったものや、日本で借金を作った挙句にフィリピンに「飛んで」きて、にっちもさっちも行かなくなったもの。
さらにはフィリピンの地で病に倒れ、現地のボランティアに介助を受け、体の半身が麻痺しながらも、なお死ぬことができずに「生きて」いる人間や、長年にわたって家と会社を往復するだけの人生を送ってきた男がフィリピンパブに行ったことをきっかけに、文字通り妻子から何から捨てて、退職金を抱えてフィリピンに渡航し、現地で「少年に戻った」として青春をやり直すものなど。そのどれもが強烈過ぎて、読んだ後に頭が少しだけ朦朧となってしまいました。
ここに出てくる人間の大半は日本にいても周りの人間、特に親や親戚に不義理や迷惑をかけ倒して国内にも自分の居場所が無く、帰るに帰れない姿が延々とつづられている場面を読んでいると、自分の「恥じ多き生涯」の中にも少なからず心当たりがあって、彼らの存在が自分にとっての「鏡」であったのかもしれません。
筆者は取材を重ねるうちに彼らの境遇に同情しつつも
「だからあなたたちは困窮するんだ」
という二つの相反する思いに苦悩したそうです。
ここに書かれてあることはおそらく大半の方は縁が無いことなのかも知れませんが、彼らの人生を見ることで、日本の抱えている矛盾や、日本とフィリピンの持つ関係。さらには南国特有の「やさしさ」と世界有数の経済大国ながら日本の持つ「冷たさ」や「息苦しさ」が浮き彫りになってくるようで、読みながらいろいろなことを考えさせられました。
※追記
本書は2013年11月20日、集英社より『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 (集英社文庫)』として文庫化されました。 -
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このバンコクのコールセンターの仕事、「海外で働く」というと聞こえは良いけれど、実は学歴・職歴も語学力も必要ない、日本語が喋れれば誰にでもできる仕事。
そのため日本の社会に馴染めなかった人や事情があって日本を出なければいけなかった人が流れついてきている。
非正規で時給もタイで生活するのに精いっぱいなくらいで(当然日本円に換算するともっと安い)日本語しか使わないので、貯金ができるわけでもなく何のスキルも身につかないまま、日本よりも居心地の良いタイでだらだらと生活し続ける人たち。日本に帰るお金も、もしものことがあったときに使えるお金もない。
その中にも働きながら語学や起業などの勉強をしたり、ちゃんと将来のことを考えている人もいる。
そんな人たちにインタビューをしたという内容。
まず、こんな世界があったんだ…と衝撃を受けた。
どの企業がこういったやり方をしているのだろうというのも気になったけど、さすがに実名は出せないよな~
もし海外で生活したいという気持ちがあるなら、こういった会社ではなく語学なり勉強してもっと収入も社会的地位もある会社で働いた方が良いと思う。
いつもこういったジャンルの本を読んでいて、他人事とは思えない。
私は運良く自分に合った会社で、自分のことを理解してくれる仕事仲間と一緒に働くことができているけど、運が悪ければこうはいかなかったかもしれないし、この先そうなる可能性だってある。
海外に行こうという発想にはならないだろうけど。 -
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ルポであるので当然だが非常にリアルに人事ではなく読ませてもらった話もあった。バンコクの政治や近現代の歴史の勉強にもなる。どんな時代で境遇でも希望を失わずにどう生きていくか。
以下、メモ
タクシン・チナワット元首相が2006 年1月一族の保有する通信会社の持ち株をシンガポール政府系投資会社に733億バーツで売却したことに遡る。この売却利益に対する納税を小額にするための工作をしたという疑惑が高まり、知識層や都市部の中間層から怒りが爆発。大規模な抗議集会に発展した。
タクシン元首相の妹インラック・チナワット政権。国外逃亡中のタクシン元首相を対象に含む恩赦法案が2013年11月に強行採決さらた。これに猛反発した野党・民主党のステープ・トゥアクスパン元副首相は決起集会を呼びかけ
農民へのコメ担保融資制度
農民が収穫したコメを政府発行の証券と交換し、その証券を農業・共同組合銀行に持ち込むと換金できる仕組み。この制度の実施以降、政府が抱え込んだ大量の在庫米は品質の低下が著しく、当初予定していた国外への売却は容易に進まなかった。この結果現金を受け取れない農民が続出した。最終的には80万世帯に対して900億バーツの支払いが滞り、インラック政権にとって、大ダメージとなった。
中年での40歳以降や30代半ばからの転職は難しい→どれだけ会社に依存せず力を付けられるか。
コールセンターで働きながらDJで食っていくことを夢見る男性→コンプレックスが頑張りの源。無い物をカバーすべく他で努力する。チビでハゲ→身体だけは鍛える。なるべく自分が格好良く見える服装を考える→ハゲ隠しの帽子。貯金してDJ機材を買う。歯が二本欠けている。
一家で夜逃げした家族の一人息子→17歳で訪タイし、高校から1年でタイ語の基本を身につけた。
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オタクは読むべし!とおすすめされて読みましたが、なんと言ったものか…と読み終えて考え込んでしまうような本でした。(そして解説が橘玲っていうのにも納得)
金も友達も家族も親も国も全部捨てて、プライドと虚栄心は持ち続けて、自分自分自分…どこまでも自分中心にしか考えてない。助けてくれるフィリピン人への感謝の気持ちや自分の境遇への納得と覚悟を著者に話すわりに全然行動や態度が伴っていないところなども本当に自己中心的。
出てきた男たちには全然同情できないし、男たちを支援しない家族の気持ちもよくわかる。
が、もし自分がああいう境遇になった時に果たして彼らとは違う対応や反応を著者に返すことができるだろうか…と考えると、出来ないような気もしてくる。
日本国内で憎しみを募らせて女子供を通り魔的に襲う男や親に寄生し続ける男もいる中、確かに彼らは自分で日本を「捨てて」フィリピンにやってきた。
彼らに優しさや慈しみを与えることは、日本には出来ないから、彼らは日本を捨てた。だからこの本のタイトルは日本に捨てられたんじゃなくて日本を捨てた、なんだな。
外務省の人の「この人たちに税金を使うことを国民に説明できない」っていうの、今の国民感情だとそうなるよね…と。
私だって「はぁ?(怒)」って思ってしまうよ。いけないとは理解できるけど反射的に思ってしまう。
でも切り捨てて、自己責任・自業自得だと言ったところで問題は解決しないから、やっぱり寛容であらなきゃいけないってことなんだよね。(嫌だけど…) -
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海外で所持金を使い果たし、帰国もできず、路上生活を強いられる困窮状態の日本人を「困窮邦人」と呼ぶ。本書はフィリピンの男性困窮邦人5人を中心とするルポ。
5人はいずれもフィリピンパブにハマり、日本で稼いだ金をフィリピン女性に貢ぎ、フィリピンまで追いかけ、持ち金がなくなり放り出される。いくらひいき目に見たところで「自己責任」という言葉しか思いつかない。これだけ同情されない貧困者を取り上げて、評価されるノンフィクションを作り上げた著者の取材力、姿勢がすばらしい。
本書で登場する困窮邦人がフィリピンを選んだ理由はフィリピン人の優しい国民性と温暖な気候。これからもフィリピンで困窮邦人は増え続けるだろう。作者には次作でフィリピン在住の「裕福邦人」を取材してほしい。 -
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読む前から何となくこの本の存在は知っていたが、女性を追って常夏のフィリピンで自堕落奔放に過ごす中高年男たちのルポだと思っていた。(副題は知らずに)本書で取り上げている困窮例もなかには混じるだろうけど、おおむねが「日本を捨てて」フィリピンで第二の人生を謳歌している人たちの話だと思っていた。
ところが取り上げているのは、なけなしで後先見ずに渡航したり現地で金を失い帰国もままならない男たちの話。本当に、フィリピンパブの女の子を追ってだったり、借金を抱えて突発的に逃げてきたり、妻子を捨てて退職金を全部持ってきたりと本当にしょうもない男たちばかり。大使館もその過程から帰国費用を貸すのを渋るし、日本の身内も匙を投げるような輩で、「日本を捨てた」のでなく日本に捨てられたような男たちに思えてくる。
だがしかし、彼らはその日暮らしの乞食のような生活をしていながらも、あまり日本にい帰りたがらない。情と信仰に厚いフィリピン人の好意によって生きていけるし、そうしたフィリピン人と生きていくほうが、窮屈な日本よりもいいという。
そうなんだ、と思ったし、そうかも、と思った。日本に捨てられたかもと思い直した彼らはやはり日本を捨てた男たちなのかもしれない。
ただ一方、彼らの勝手さ、向こう見ずさに男として生きる大変さも感じたりする。男って、誰かのためや組織のためとかでないとしっかり生きないんだよね。自分のために生きることができない生きものなんだという思いを強くした。 -
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自分も、この登場人物の方達のように、
「はじかれる」可能性なんて、当たり前にある
60点を切った人間は、社会から必要とされない。
日本社会は、ある角度から見ると、減点主義が徹底している社会です。
多くの日本人は、満点の100点から始まりますが、
コミュニケーション能力、性格、
容姿、そして「場の空気を読む能力」等を基準にして、
日本社会の独特の価値感で、その人の価値・能力を判断されます。
周囲が「これはないな」と判断したら、容赦なく減点されます。
幼稚園、小学校、中学校、高校に進むにつれ、判断基準もシビアになります。
60点は一種の比喩ですが、そういう「基準」があることは事実だと思います。
基準以下と判断された人は、日本社会では、本当に生きにくいと思います。
この著作の登場人物は、どの方も日本社会の「基準以下」の人です。
そして、登場する多くのマイノリティーの方にとってみれば、
地獄のような社会だったのでしょう。
日本を抜け出すしか方法がないよなと思います。
著者のフィールドワークは時にはフィリピンであったり、
そしてタイだったりします。
取材対象は主に日本社会から、「はじかれた人」です。
おそらく著者も、執筆という日本社会とのつながりがなければ、
きっと「はじかれた人」に属する人なのでしょう。
そうでなければ、取材対象者へのルポタージュにかける異常な情熱は説明できません。
この著作を通して、日本社会がもう少し、様々な人間、価値観を受けいれてくれる
社会になることを願ってのことなのでしょう。
ただ、日本社会は、ますます生きにくい社会となっています。
それは、うつ病を始めとする精神疾患の増加、ひきこもり、ニート、SNEPの増加数など
を見れば一目瞭然です。以前は、日本は豊かでしたが、
今、日本はどんどん貧しくなっています。
社会の分断は、これからますます勢いをましていきます。
弱者を保護するための人的資源も、そしてお金も圧倒的に不足していきます。
読後感は、なんともいえないものです。
自分も、この登場人物の方達のように、「はじかれる」可能性なんて、当たり前にあるからです。
そうなりたくないなら、いかに減点されないように努めなくてはいけません。
それが、果たしてできるのか、、、本当に難しい。 -
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名著「困窮邦人」の水谷さんの待望の新作。
前作への感想文で、僕は「次のテーマ、「現地採用」の若い日本人が何を目指すか、ってのはどーすか?」と書いた。実はその頃にはとっくに実現していたこの企画。今回はバンコクの「コルセン」で働く「ゲンサイ」の人たちがテーマ。
水谷さんの著書を際立たせているのは、圧倒的な当事者感。バブル崩壊から就職氷河期を経た世代しか持ちえない視座。僕にとって非常に貴重な書き手です。
既成の価値観(例えば有名大学→大企業)はあれから四半世紀経っても世間的には大して変わらないけど、個々の中ではずっとグラグラし続けてるわけで、価値観の境界の「こっち側」で踏ん張る適性が割とあって何とか生きている僕にとっても、本書で描かれる「あっち側」の人の姿は、パラレルワールドの僕なのである。
筆者の感覚もきっとそうで、自身を「あっち側」に置いて、取材対象者と同じ立場から発信してるから、パラレルワールドがまるでさも現実であるかのように迫ってくる。バンコクの地理に詳しければもっと面白かったんだろうなあ。
水谷さんは次の「暗がり」をどこに見出すだろう?例えば、日本の巨大企業の真ん中でスタックした40代のジレンマ、とかどうかな?「こっち側」の人を揺らがせるところを見てみたい。 -
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著者の新作を読んで興味を持ったのでこちらも読破。
似たような内容だったので、話も被っているのだろうと思っていたがそれでも面白かった。深夜特急を始めて読んだ時の感触だろうか、脳内で妄想や理想、ユートピアへの憧れといったものがエンドルフィンに変わり、幸せな気分を味わうようなアレである。
ただその憧れを現実化させようと行動に移した中年男性たちがフィリピンで破滅していく過程をマジマジと見せつけられるのが本書である。
結局のところ、全てにおいてユートピアなんていうものは存在しなくて、人間という愚かな生物は他人、他の生物の命を犠牲にして生き延びているだけの存在であることを見失うからこそこういう転落人生があるのだろうなと考えさせられた。
結局どこにいっても極楽浄土なんてもんは存在しないってことだが、それでも地に足をつけて異国の地で上手に生き抜いている人もいる。結局、「どこかにいけば何かがある」という考えが間違っているのでしょうね。
年金などで月々の収入が安定していて、寒冷地での老後が辛いなど特段の事情があり、現地で死を迎える覚悟があるのであれば行っても良いかもしれませんね。
そしてここのレビュワーも著者の指摘するように、一様に「自己責任」論に終止しているのには笑った。どこまでいっても日本人の固定観念は捨てられないのでしょう。 -
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「困窮邦人」という存在を知ったのは一昨年(2012年)とある経済雑誌の海外移住特集記事を読んだのがきっかけだった。その記事の内容としては日本と比較して圧倒的な生活費の安さや年中温暖な気候などの理由から海外(フィリピン)に老後移住したものの、資金不足や海外ならではの予期せぬ事態で生活が暗転した人たち、いわゆる「困窮邦人」がいるということだった。本書は会社や家族を捨てフィリピンに飛んだ男たちのその後の生活実態を描いたノンフィクションである。描かれた男たちは資産があって海外リタイヤ生活を楽しむ人たちでなく、日本社会で人的つながりに乏しく社会的に無縁状態に置かれた人たちが多い。日本社会にない人々の温かさという魔物が住むフィリピンという国、そこに魅せられすべてを投げ出して、しかもどちらかというとそれまで海外に縁がなかった人たち、大人の男が、無計画にも移住してしまうフィリピン困窮邦人の現実が生々しく描かれています。偶然にも今自分が住んでいるタイの北部チェンマイにも「困窮邦人」が多いとのこと本書で知りました。