水谷竹秀のレビュー一覧
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リアル本にて。
大多数の人と同じく、「なんで騙されるんだろう?」と思ってきた。ただ、この本を読み終わって、入り口さえ整えば、自分も引っ掛かってもおかしくないことを認識した。というか、この可能性を念頭に置いて生活をしようとすると、まともに知り合いを作れない。。。
前半は被害者側のインタビュー、後半は国際ロマンス詐欺の温床となっているナイジェリアの首都ラゴスでのヤフーボーイ(国際ロマンス詐欺犯)へのインタビューという構成。
大まかに国際ロマンス詐欺の流れは以下のとおり。
入り口は気軽なコミュニケーション相手として(英語でのコミュニケーション相手としてやり取りしていた、というのがとてもわかりみが深い -
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タイのバンコクに日本企業のコールセンターがあるそうです。オフショアってやつですね。
そこで働くオペレーターたちは服装も自由、当日欠勤なども厳しく言われることもない、日本語しかできなくてOK。刺激もない楽で退屈な仕事だけど、ある程度の金額がもらえるので応募してくる日本人は多いそう。
「なんか良さそう」と思うけど、コールセンターで働く人たちの地位は現地採用者の中でも低く、賃金も最低ラインより低め。タイの物価を考えると十分暮らしていける金額であり、日本での居場所を見つけられなかった人たちは退屈な仕事を我慢しコールセンターで働くのだといいます。
OBを含むオペレーターたちへのインタビューを通じて見 -
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本書はフィリピンはマニラを拠点に在住、取材執筆し、『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 (集英社文庫)』によって開高健ノンフィクション賞を受賞した筆者による「日本を脱出した」人々のルポ。
本書はフィリピンはマニラを拠点に在住、取材執筆活動を行い、著書『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 (集英社文庫)』(集英社)を上梓し、それが開高健ノンフィクション賞受賞した水谷竹秀氏が、フィリピンと日本の間を往復しながら3年間にわたり徹底取材した日本を脱出し、フィリピンへと移り住んだ高齢者達の「悲喜こもごも」を描いたルポルタージュです。
以前、水谷氏の前著である『日 -
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本書は、第9回開高健ノンフィクション賞受賞作だそうです。フィリピンクラブに行ったことをきっかけに「無一文」にまで転落し、それでも、現地で生き続けている「困窮法人」たちの実態を追ったものです。重いです。
僕もかつて1度だけ東京は錦糸町にある某フィリピンクラブにて酒を飲むなどのことをしたことはありますが。幸か不幸かはわかりませんけれど。ここで取り上げられている5人のような運命の歯車を狂わせることはなかったようです。
ここで取り上げるのはフィリピンにおいて文字通り「一文無し」と成り果て、それでもフィリピンの社会から見捨てられることなく、何とか命をつないでいる5人の人間の物語です。
そのど -
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このバンコクのコールセンターの仕事、「海外で働く」というと聞こえは良いけれど、実は学歴・職歴も語学力も必要ない、日本語が喋れれば誰にでもできる仕事。
そのため日本の社会に馴染めなかった人や事情があって日本を出なければいけなかった人が流れついてきている。
非正規で時給もタイで生活するのに精いっぱいなくらいで(当然日本円に換算するともっと安い)日本語しか使わないので、貯金ができるわけでもなく何のスキルも身につかないまま、日本よりも居心地の良いタイでだらだらと生活し続ける人たち。日本に帰るお金も、もしものことがあったときに使えるお金もない。
その中にも働きながら語学や起業などの勉強をしたり、ちゃんと -
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ルポであるので当然だが非常にリアルに人事ではなく読ませてもらった話もあった。バンコクの政治や近現代の歴史の勉強にもなる。どんな時代で境遇でも希望を失わずにどう生きていくか。
以下、メモ
タクシン・チナワット元首相が2006 年1月一族の保有する通信会社の持ち株をシンガポール政府系投資会社に733億バーツで売却したことに遡る。この売却利益に対する納税を小額にするための工作をしたという疑惑が高まり、知識層や都市部の中間層から怒りが爆発。大規模な抗議集会に発展した。
タクシン元首相の妹インラック・チナワット政権。国外逃亡中のタクシン元首相を対象に含む恩赦法案が2013年11月に強行採決さらた -
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オタクは読むべし!とおすすめされて読みましたが、なんと言ったものか…と読み終えて考え込んでしまうような本でした。(そして解説が橘玲っていうのにも納得)
金も友達も家族も親も国も全部捨てて、プライドと虚栄心は持ち続けて、自分自分自分…どこまでも自分中心にしか考えてない。助けてくれるフィリピン人への感謝の気持ちや自分の境遇への納得と覚悟を著者に話すわりに全然行動や態度が伴っていないところなども本当に自己中心的。
出てきた男たちには全然同情できないし、男たちを支援しない家族の気持ちもよくわかる。
が、もし自分がああいう境遇になった時に果たして彼らとは違う対応や反応を著者に返すことができるだろうか -
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海外で所持金を使い果たし、帰国もできず、路上生活を強いられる困窮状態の日本人を「困窮邦人」と呼ぶ。本書はフィリピンの男性困窮邦人5人を中心とするルポ。
5人はいずれもフィリピンパブにハマり、日本で稼いだ金をフィリピン女性に貢ぎ、フィリピンまで追いかけ、持ち金がなくなり放り出される。いくらひいき目に見たところで「自己責任」という言葉しか思いつかない。これだけ同情されない貧困者を取り上げて、評価されるノンフィクションを作り上げた著者の取材力、姿勢がすばらしい。
本書で登場する困窮邦人がフィリピンを選んだ理由はフィリピン人の優しい国民性と温暖な気候。これからもフィリピンで困窮邦人は増え続けるだろ -
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読む前から何となくこの本の存在は知っていたが、女性を追って常夏のフィリピンで自堕落奔放に過ごす中高年男たちのルポだと思っていた。(副題は知らずに)本書で取り上げている困窮例もなかには混じるだろうけど、おおむねが「日本を捨てて」フィリピンで第二の人生を謳歌している人たちの話だと思っていた。
ところが取り上げているのは、なけなしで後先見ずに渡航したり現地で金を失い帰国もままならない男たちの話。本当に、フィリピンパブの女の子を追ってだったり、借金を抱えて突発的に逃げてきたり、妻子を捨てて退職金を全部持ってきたりと本当にしょうもない男たちばかり。大使館もその過程から帰国費用を貸すのを渋るし、日本の身内 -
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自分も、この登場人物の方達のように、
「はじかれる」可能性なんて、当たり前にある
60点を切った人間は、社会から必要とされない。
日本社会は、ある角度から見ると、減点主義が徹底している社会です。
多くの日本人は、満点の100点から始まりますが、
コミュニケーション能力、性格、
容姿、そして「場の空気を読む能力」等を基準にして、
日本社会の独特の価値感で、その人の価値・能力を判断されます。
周囲が「これはないな」と判断したら、容赦なく減点されます。
幼稚園、小学校、中学校、高校に進むにつれ、判断基準もシビアになります。
60点は一種の比喩ですが、そういう「基準」があることは事実だと思いま -
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名著「困窮邦人」の水谷さんの待望の新作。
前作への感想文で、僕は「次のテーマ、「現地採用」の若い日本人が何を目指すか、ってのはどーすか?」と書いた。実はその頃にはとっくに実現していたこの企画。今回はバンコクの「コルセン」で働く「ゲンサイ」の人たちがテーマ。
水谷さんの著書を際立たせているのは、圧倒的な当事者感。バブル崩壊から就職氷河期を経た世代しか持ちえない視座。僕にとって非常に貴重な書き手です。
既成の価値観(例えば有名大学→大企業)はあれから四半世紀経っても世間的には大して変わらないけど、個々の中ではずっとグラグラし続けてるわけで、価値観の境界の「こっち側」で踏ん張る -
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著者の新作を読んで興味を持ったのでこちらも読破。
似たような内容だったので、話も被っているのだろうと思っていたがそれでも面白かった。深夜特急を始めて読んだ時の感触だろうか、脳内で妄想や理想、ユートピアへの憧れといったものがエンドルフィンに変わり、幸せな気分を味わうようなアレである。
ただその憧れを現実化させようと行動に移した中年男性たちがフィリピンで破滅していく過程をマジマジと見せつけられるのが本書である。
結局のところ、全てにおいてユートピアなんていうものは存在しなくて、人間という愚かな生物は他人、他の生物の命を犠牲にして生き延びているだけの存在であることを見失うからこそこういう転落人生があ -
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「困窮邦人」という存在を知ったのは一昨年(2012年)とある経済雑誌の海外移住特集記事を読んだのがきっかけだった。その記事の内容としては日本と比較して圧倒的な生活費の安さや年中温暖な気候などの理由から海外(フィリピン)に老後移住したものの、資金不足や海外ならではの予期せぬ事態で生活が暗転した人たち、いわゆる「困窮邦人」がいるということだった。本書は会社や家族を捨てフィリピンに飛んだ男たちのその後の生活実態を描いたノンフィクションである。描かれた男たちは資産があって海外リタイヤ生活を楽しむ人たちでなく、日本社会で人的つながりに乏しく社会的に無縁状態に置かれた人たちが多い。日本社会にない人々の温か