山上浩嗣のレビュー一覧
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読みやすい。そしてまだまだ自分が傲慢で愚かであることに気づかされた。親切な気持ちでさえ、誰かに褒められたい・見せつけたいという邪な心の表れである。優しく懇切丁寧に説教してもらったような気分です。
以下、お気に入りの言葉を抜粋。
自我は憎むべきものである
"私が自我を憎んでいるのは、それがすべてのものの中心になるのが不正だからなのだ。"
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16の章はかなりアツい議題。
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人が明日のため、不確実なもののために努力するとき、それは正しいのである。人生における冒険のすすめ。不確実なものを得るための行動に従事していても -
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当時は教会が政治との結びつきが強く、政治扇動の書として誤解されることを防ぐため、友人のモンテーニュがラ・ボエシの死後も発表を躊躇したという書籍。
人は力や謀略により強制的に服従することはあっても、強制されずとも自ら進んで権威に服従するのは何故か。この自発的隷従のメカニズムついて様々な考察を示し、最も唾棄すべき悪徳として痛烈な批判を浴びせている。翻訳の絶妙さなのか、ラ・ボエシの批判的な文章が妙に強烈なのが印象的だった。
【一部引用】
彼らは強制されもせず、いかなる必要もないのに、圧政者に身を委ねた。私はこの民の歴史を読むと、きわめて大きな恨みの念を覚えずにはいられない。われながらまるで人 -
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モンテーニュを本当に味わうにはある程度の「成熟」が必要だ。端的に言えばそれは「老い」である。『エセー』の最大の読みどころはその死生観だと思うが、本書もその点にフォーカスする。この世界に常住不変の真理はなく、自己を含めて全ては移ろい行くと観ずるモンテーニュにとって、よく生きるとは、ありのままの自然を受け入れ、その変化を味わい尽くすことだ。「メメント・モリ(死を思え)」とは、よく生きる為には死を見つめよという意味だが、モンテーニュは死を積極的に意味づけることも、意志の力で死を乗り越えようともしない。木々が芽吹き、花を咲かせ、やがて枯れていくように、人は生まれ、成長し、そして死ぬ。それが凡ゆる生が経
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「日本の状況が他人事と思えなくなる」の帯がついていましたが、一人の圧政者に云々という下りは、北朝鮮を思い起こさせました(著者はモンテーニュと刎頸の交わりがあったとのことで、引用はギリシア・ローマが多いのですが)。
圧政者一人が4〜5人を追従者として周りにつけ、徐々にそれを広げて権力基盤を固めていくというのは、企業でも似たところありかとも思いました。
本文は80ページほどの短いものですが、最後の西谷修氏の解説が圧巻です。対米追随の日本の現状を分析し、これを権力基盤としている政党や追随者の話は、別に一冊書いて欲しいと思うほどの内容です。これを読むと、「日本の状況が他人事と思えなくなる」というの -
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自発的隷従論 ポエシ ちくま
公務員でありながら
客観性に飛んだ人間論を持った人によって
1500年代に書かれた稀有な本だ
人の本質には個としての自律心と
全体の一部としての依存心が共存しているのだろう
そのどちらが表面化するかによって
生き様が変わるのだけれど
自主的参加による集いから
余剰生産物の到来による社会の肥大化で
個人が組織に飲み込まれて以来
主従関係が蔓延することになる
そこで生み出されたのが
奴隷と戦争に支えられたギリシャにおける
民主主義モドキの貴族社会であり
このボエジの本である
つまり赤ん坊が親と環境に依存すると同時に
自由奔放に自己を表現するように
人間は本来冒険 -
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その刺激的な題名と、書かれた時代(16世紀末)とのギャップから受ける印象を全く裏切らない刺激的な内容は、その平易な訳と相俟って、強いメッセージ性を帯びたもので、一気に読み進むことが出来た。
又、本書の約半分を占める解題や解説は、その内容を読み下す助けの役割を十二分に果たしており、この手の重い本にしては極めてコンベンショナルな内容であった。
時代は全く異なるが、かつて大学で学んだ黒人文学の中で接した「リロイ・ジョーンズ (LeRoi Jones)」の詩に、極めて似た内容の詩があるのを思い出した。
『奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。ど -
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ネタバレとても色々なことを考えさせられる刺激的な本だった。読むことができて大変良かったと思う。
この本はとても素朴な疑問から出発している。なぜ何百人、何万人もの民衆が、数の上では圧倒的に有利なのにも関わらず、たった1人の圧政者に従うのか。
著者はその疑問を考察していき、本来自由なはずの人間が習慣の力によって堕落し、自ら自発的に服従を求めるようになるのだと述べている。
なるほど、と思う。
思うに、この『自発的隷従論』が説く帰結の一つは「権力は存在しない」ということではないだろうか。
国家の権力なるものは暴力だとか社会契約といったものに起因するのではなく、ただ人間が生まれながらにして(あるいは習慣と -
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タイトルからしてインパクトあるこちらの本。敬愛する本好きの方から、最近読んで面白かった本としておすすめいただいた。
本書解説から拾うと、「自発的隷従」とは、「強いられもしないのに、自ら進んで奴隷になる」ということ。ラ・ボエシは自身が生きる時代までに起こった数々の圧政・独裁に対して、それは民衆が加担しているから起こると説く。
この本を読むまで、ラ・ボエシという人物を全く知らなかったが、彼は16世紀のフランスの知識人で、この「自発的隷従論」をなんと16か18歳(!?)で書き上げたとされる、驚くべき天才。
ラ・ボエシは日本ではあまり知られていないと思われ、ちくま学芸文庫のこの本自体、初版が20 -
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モンテーニュの友人ラ・ボエシが10代で書き上げた短い論考が400年以上も読み継がれるとは、書いた本人も想像していなかったことだろう。
自発的隷従、つまり自由に選択して奴隷になるという矛盾した言葉は、当時はモンテーニュをして世に出すのは危険と捉えられたようだが、他方、現代においては非常に納得しやすいものなのではないだろうか。
スマホを弄り、グローバル企業にせっせと情報提供しながらも、その支配を嘆く我々はまさに自発的隷従をしているとしか言いようがない。(とこれを書く私もまた自発的に隷従するのだ)
これは社会を構成する人間の「自然」なのだろうか?
本書は革命を語る本かと思いきや、それはよくある誤解 -
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ちくま学芸文庫 ラボエシ 「 自発的隷従論 」 訳 山上浩嗣 監修 西谷修
自由を放棄し、圧政者に隷従する人間の行動を紐解いた本。著者が伝えたいのは、習慣としての隷従を戒め、人間の「自由」を復権すること
「愚かな民衆は、いつも自ら嘘をこしらえては、のちにそれを信じるようになる」は 名言
自由とは 権利や権力であるように感じた。共同体のなかで 権利は調整されるべきもので、隷従は 権利を放棄した結果ではなく、権利を調整した結果なのではないかと思った
「人間は自由を失うことで、人間性を失った。人間であることは自由であることであり、人間は自由を志向する存在である」
「人間が -
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もう大分前に、岩波文庫版『エセー』を通読したことがあるが、箴言のように感心した箇所はあったものの、引用されるギリシャ・ローマ時代のこともピンと来なかったし、全体的に良く分からないままに終わってしまった。
本書では、いくつかのテーマに即して、モンテーニュが如何なる問題関心の下に、長い時間にわたって思索を深めていったのかが、引用文と著者の解説とによって、初学者にも分かりやすく紹介されている。
特に、モンテーニュが生涯その友愛を抱いたエティエンヌ・ド・ラボシとの関係については、その著作『自発的隷従論』を読むことができるようになり、より理解できるようになった。
また、フランス宗教戦争の時 -
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主君が複数いてもなにも良いことはない。
たった一人のものでも主君という称号を得た途端に、その権力は耐え難く、理を外れたものになるのだから、ましてや複数者による支配など良きものであるはずがない。
しかしオデュッセウスはここに付け加えた。
頭でも王でもたった一人が望ましい。
冷静に考えれば一人の君主に服従するのは不幸の極み。彼らの権限でいつでも悪人に変われる。
権力者は何人であるべきか=組織分割サイズの問題
隷従者は強制されているだけではなく、一者の名に幾分か惑わされ魅了されて軛の下に首を垂れている。
自発的隷従は特にそこに君主への敬意を伴っていない場合の責任転嫁として用いられている。