山上浩嗣のレビュー一覧
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人はなぜ、自らを害する者にわざわざ自分から従ってしまうのだろう。
という疑問をつきつめて考えてみた500年近く前の若者の論文。
「なぜ」よりも「どのように」が近い。
君主はどのように振る舞い、民衆はいかにして隷従するか。
見えるものをただ書いただけ。だから今にも通じてしまう。
ラ・ボエシは革命を志したわけではなく、この書でなにかをなそうとしたわけでもなく、本当にただ「ああもうそこなんで自分の首絞めさせちゃうのさ歴史に学べよ!」と、思ったことを書いただけっぽい。
親友のモンテーニュはこれを扇動に使われることを恐れ、後の人々は自分の状況を投影して革命の勇気にしたという。
この本に添えられている -
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16世紀半ば、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ若干16歳もしくは18歳の時に著された小論文。啓蒙時代以前の著作であり、近代・現代思想の洗礼を受けてきた現代人にとってみれば、その「自由」概念は驚くほど牧歌的で微笑ましいものではあるが、そうだからこそ逆にあらゆる支配形態下の人々に訴えかける普遍性を持ち、本書における思想が時々の支配者に危険視されてきたにもかかわらず底流にて読み継がれ、あるいは時宜を得るや様々な思想家の手で引用され浮沈を繰り返してきたともいえる。
ラ・ボエシは問いかける。圧政者は1人であるにもかかわらず、なぜ大多数者である人々はそれに抵抗せずにみずから彼に屈し、その圧政を支えるのか?「あ -
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「自発的隷従論」とはいかにもピンと来るタイトルだ。王権は民衆が隷従するからこそ成立する。人々は自ら好んで、権力に支配されることを欲する。
これはなんと、16世紀の、当時16歳だか18歳だかの若造(もしくは小僧)が書いた本である。あまり学問的でもない筆致だが、鋭いところを突いていることは確かだ。
著者ラ・ボエシの考えでは、人間は「自由」であることが自然である。この「自然」とは、どうやら、「理性」と等価であるところのものだ。なのに、人々はわざわざ「圧制者」の支配に自らを縛り付けるのであり、それは「習慣」によってつくりだされた「悪徳」である。
圧制者を陥落させるためには、人々がそれを支えなけれ -
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「隷属への道」に続く隷従シリーズ。この本が描かれたのは16世紀のフランス。まだ民主主義など遠い理想でしかなかった時代のものだが、今の時代にも当てはまることが多くて何やら冷んやりする。「自発的に隷従する」というのは単語としても矛盾しているが、状態をよく表しているとも言える。つまり、指導者たるものの何らかの魔力に惹かれ、あるいは無気力となり、悪に耐え、善を希求する力を失う。第一世代はまだ闘争の記憶を持つが、世代を経るごとに疑問もなく隷従するし先人が強制されていたことを疑いなく進んで行うようになる。言われてみると、国、企業などに隷従していないか。日米関係は?など、しっかり考えるべきことが多いことに気