久生十蘭のレビュー一覧
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NHK大河ドラマ「べらぼう」にのっかっての復刊なのか、たまたま時期が重なったのかわからないが、オビに「いよゥ、有難山のほととぎす」とあり「べらぼうな事件」などと書いてあるので、やっぱりのっかったんだろうなあ(本文ではp56で上の台詞が発せられます)。この作品が書かれたのは一九四〇年。平賀源内が北町奉行所の御用聞伝兵衛とともに、江戸で起きる事件に挑んでいく(というより絡んでいく)。とぼけた語り口が楽しく、吹き出してしまうような登場人物たちのやりとりも小気味よいが、江戸に起こる惨劇や事件はいつもの十蘭らしく、陰惨ななかにも人生の悲しさがのぞく。全八話のうち七話と八話は伝兵衛の姪・お才というヒロインに話の中心が移っていて、源内と伝兵衛は脇役にまわっている。八話では源内の思考よりもお才のほうがまさっており、源内と伝兵衛の頭脳をちゃんと継承していく者がいる、ということを匂わせて、この連作集は幕を閉じる。
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収録作品の初出は1940(昭和15)年から1956(昭和31)年。
実に巧緻な久生十蘭の短編小説集。一作一作が異なる方向を向きながら、完成度が高い。語彙が豊かなので分かりにくい熟語も出てくるけれども、物語色の強い短編小説を究めたい人なら読んでみるべき作家である。
しばしばガルシア・マルケスみたいに物語が奔走する感じで、本書中では「美国横断鉄路」が、残虐なリンチの場面が淡々と描かれていて強烈だった。
久生十蘭を読むことは物語を読むことの大きな楽しみをもたらす。ただしそこはどこか閉鎖的な空間のようでもある。あまりにも技巧的でカメレオン的であるので、個々の作品は「閉じて」いて、外部を寄せ付けないような何かがあるように感じられた。あまりにも精緻な工芸作品、という感じもある。一部のマニアを惹き付けるような文学世界である。 -
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1937(昭和12)年—1938(昭和13)年の作。
久生十蘭の比較的初期の頃の、長編小説である。殺人事件の謎を追いかける点でミステリと言えるが、いわゆる本格推理小説の類とは全く違う。
何しろ、一作ごとに文体も手法もがらっと変えてしまう十蘭は、ピカソもストラヴィンスキーも目じゃないほどの「カメレオン」作家だ。本作では江戸の落語家のような、諧謔を交えた非常に闊達な口調で地の文が語られ、エンタメ小説としてぴちぴちとした生きの良い全体を形作っている。短時間の内に目まぐるしく事件は発展し、二転三転四転五転とどんでん返しが畳みかけられる。ドタバタコメディのようで、ふつうに面白いエンタメ小説だ。さすが十蘭という感じがする。行き当たりばったりに展開しているようにも見えるが、実はかなり緻密な計算に沿って書いているのではないかと思う。
本作で描き出される大きなゲシュタルトでは、東京という「魔都」においては平凡でちっぽけな一人の「死」の原因を追いかけていくと、それが実は国際上の大問題に関係していたり、思いがけない「裏側の作用」が明らかになっていく。些事と思われたものが全世界に作用していく巨大な作用因でありうるというこの知見は、現在における、経済のグローバル化や移動・情報交換の速度の圧倒的進化、あらゆるものが複雑に絡み合うこの見通しのきかない社会全体の複雑性そのものと、合致しているように思える。そう思ってみると、当時(戦争の機運がいよいよ高まっていた)の東京という都市をテーマとした本作の内容も、今日的になかなか興味深いものである。 -
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初出は1927(昭和2)年から1954(昭和29)年。
数冊出ていたらしい河出文庫の久生十蘭短編集シリーズ、明示されていないが、一応各巻に編集テーマがあったのかもしれない。本書は事実に基づいて書かれた小説か、あるいは事実っぽく書かれた小説が中心ということなのだろうか。
後者の「事実っぽい」作品、事実と見分けがつかないほど巧みに書かれているし、相変わらず隙の無い文体・構成で、迫真の重さがある。語彙の豊富さは言うまでもなく、実に多様な領域に渡る博識も相当なもの。1編の短い小説を書くに当たってもすこぶる周到な資料収集を心がけた作家であったのかもしれない。
がっちりと堅牢で意味内容が濃密な十蘭の短編小説は、一つ一つに重みがあって、短編集を読み通すとおなかいっぱいになる。凄く高カロリーなこてこてで多様な料理が次々と出されてくる感じだ。だから正直言うと、短編集を読み通すと少々疲れる。
本書中では「公用方秘録二件」(1943《昭和18》年)が特に面白く、気に入った。 -
ネタバレ 購入済み
「隣人が妻を殺して隠した」という結論を示すために、虫を描写して導くのが、心理的効果がよく発揮されて、すごくイヤな感じがした(誉め言葉)。
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再び久生十蘭の短編集、今度は河出文庫で数冊に渡って出版されたセレクション。
終戦前の作品が8編収められている。本巻の最初の2編は1927(昭和2)年、1938(昭和13)年に発表されたものだが、あまり良くなかった。あれ? こんなものかな?と思ったが、楽しいユーモア小説「フランス感れたり」(1941《昭和16》年)から後のは、やはりどれも良い。ドタバタコメディのような「心理の谷」(1940《昭和15》年)、どんどん話が広がって迫力ある冒険小説となる「花賊魚」(1942《昭和17》年)、骨太な物語性が菊池寛を思わせるが、闊達極まりない人物の台詞(江戸っ子ことば?)の遊戯が独自の魅力を放つ「亜墨利加討」(1943《昭和18》年)など。
バラエティに富んだ諸編はそれぞれが確固とした小宇宙をしっかりと構築していて隙が無い。全く以て巧みな小説家であり、抜群の品質を誇る完成度の高い工芸品のような作品たちだ。
作風をどんどん変えるという点は「カメレオン」というよく使われる形容を想起させる。カメレオンと言えばピカソやストラヴィンスキー。しかしこの両者は、様々な様式を手がけつつも、それぞれにおいて作者独自の代えがたい体臭のようなものが作品にはにじみ出て、紛れもない個性がその都度刻印されているのが印象的なのだが、久生十蘭の場合はそのような強烈な体臭を感じさせない。十蘭自身が控えめで穏やか、常識的な人物であったからだろうか? 巧緻を極めた工芸的作品を通して、浮かび上がるものはあまり強烈なものでない。そこが何となく不満に感じている。
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久生十蘭の2冊目。1編を除いて戦後、1946年から1957年に発表されたものが収められている。1957年は十蘭が55歳で亡くなった年であり、この付近は晩年の作と言うことになる。
先に読んだ同じ岩波文庫の短編集『墓地展望亭・ハムレット』と同様に、非常に凝縮された見事な表現が目を惹くが、物語の構成も優れているし、予想外の展開になる作品も多く、やはり、一つ一つがキラキラ輝いているような粒ぞろいである。
しかし、何故か短編集として通読すると、ちょっと疲れてしまう。1編ごとに凝縮されて濃厚な上に、文学性が多岐にわたっており、多彩すぎて作家のコアな「声」が迫ってこない。技巧的で言語表現に凝りまくっている点でナボコフを想起させるが、ナボコフにあるヘンタイっぽさは皆無で、ずっと大人しくも見える。実際にこの作家は穏やかな人物だったのだろうか。
やはりなかなか正体が掴めないこの作家へ目を凝らしても、何やら霧がかかって茫漠としている。それでいて、個々の作品は非常に優れていることも確かなのだ。
さらに十蘭を少しずつ読んでみたい。 -
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この作品は、フォローしている方のレビューから、知ることができました。ありがとうございます。
一時期、「新本格もの」ばかり、読み耽っていた頃がありまして、私の中で探偵推理小説といえば、それらのようなものだとイメージしてしまう傾向があります。ただ、あまりに読み過ぎて食傷気味になって、今では海外ものや、少々毛色の違うものを読んだりしています。
いくつか挙げると、島田荘司なら、「御手洗潔シリーズ(ある意味、すごいのは石岡君だと思うが)」、綾辻行人なら、「館シリーズの鹿谷門実」、有栖川有栖なら「火村英生の国名シリーズ」、他にも、二階堂黎人、麻耶雄嵩、等々、細かい差異はあるにしても、個性あふれる探偵がいて、事件に臨み、数々のトリックを見抜き、犯人と対峙して、何かしらの形を残すというスタイルに、安心感のようなものを感じていました。もちろん、どんでん返しも含めて。
そして、戦前の日本ミステリの三代奇書。
小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」は、昔、読んだが、難しく感じて、途中で挫折。
夢野久作の「ドグラ・マグラ」は、現実世界に帰れるか不安なので未読。
中井英夫の「虚無への供物」は、登場人物たちの推理合戦が面白かった記憶がある。
一応、上記の三つだと、私は思っていたのですが、中井英夫は戦後の作品なので、代わりに、挙げられるのが、今回の作品、久生十蘭の「魔都」とのこと。
随分、前置きが長くなりましたが、要するに、読み始めて、この作品も今まで読んできたような探偵小説だと思ったのですよ、途中までは。
レトロな文体や表現は、最初こそ読み辛かったが、次第に味があるように感じられ、連載当時の作品なので、毎回毎回、前回のあらすじが若干くどいのもご愛嬌。探偵役の「眞名古明」の陰気な雰囲気とは裏腹に、不正に対しては誰よりも厳しい冷徹さと、しつこさを見せる性格と、確かな知識に基づいて手がかりを見つけていく有能さは、魅力十分。更にもう一人、夕陽新聞記者の「古市加十」の冒険にも目が離せない、のだが。
解説を読んでいくと、ああ、とは思った。そうだよね、と。探偵小説というよりは物語を堪能するものなのかもしれない。しかし、裏切られたというよりは、何が起こったの? といった、どうしていいかわからない空虚な感じと、それでも探偵小説としても成り立つという、意地にも近い、私の思いと。
そういえば、序盤のページで作者自ら予告していたのを思い出したけど、それがまさか・・途中までは寧ろ、滑稽ささえ思わせる展開だったのに、終盤でいきなり凄惨な感じになったり、主要人物の末路があんなことになるとは・・ここまで書いて、やっと昭和十年の東京を「魔都」としている意味を実感した。どこで何が起こっているのか、殆どの人が知らないことの恐怖を。探偵ものや物語としては、どうかと思う方もいるかもしれませんが、ある意味、驚異、凄さを感じました。しばらく銀座はトラウマになりそう。 -
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恐るるなかれ、恐るるなかれ。
物語は境界に生まれる、お化けみたいなものかもしれない。
日常との境界。
混沌との境界。
多面体作家、久生十蘭の短編集としては王道に感じるものが揃っている。その分、流動的な文体や論理展開、緻密な背景設定を楽しむには丁度良いかもしれません。
お得意の色情ものから怪奇小説タッチの心霊ものだったり、軍隊を背骨にした少年と士官の友情ものだったり、はたまた史実を元にしたフィクションであったりと本当に様々。
それぞれが持つ断層やズレが、重なって画になる姿はまさに万華鏡。
自身の姿もまた、その万華鏡の中で分断され、形を変え、見え方を変えながら移ろっている。それでもそこに、複雑に写り込んでいる姿に自分以上に自分らしいものをちらり、と見付けてしまったりして。さてそのとき、自身の平衡を保つために必要なのは何だろうか?
…なんだろうね? いったい。
☆3.6でどうだ!
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ネタバレ――
いやー驚いた。
怪奇系ミステリかと思って読み始めたので、びっくり。
げにおそろしきエンタメ小説である…! ん? 誤用か? まぁいいやまさか昭和初期の探偵小説で上質な入れ替わりコメディ読まされることになるとは思いもしなかったし驚きのあまり誤用くらいすらぁな。所謂十人十色の推理合戦、がこういうふうに使われるとは。脱帽。
そしてその中に溢れる機智と諧謔と。あとはもう、なんと云ってもことばの、台詞の、筆致のセンス。そのセンスを、これでもかと緻密な文章で描き出している。絢爛、とはこういうことを云うんだろうな、という文章。だから、そんなはずはないのに読み易い。たまらん。
昭和初期の東京は三歩歩けば奇書に当たると聞いたけど、果たして。☆4待ったなし! -
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昭和9年の大晦日、東京。新聞記者の古市加十は顔なじみの女に誘われたバーで安南国の皇帝と知り合う。連れられるまま皇帝の愛人・松谷鶴子の住まう有明荘を訪ねたのが運の尽き、加十は思いもよらぬ大事件に巻き込まれ、皇帝の影武者をやることに。松谷鶴子の他殺疑惑、公園の噴水の鶴が歌う珍騒動、300カラットのダイヤモンド盗難、有明荘住人たちの痴情などがもつれにもつれて絡み合い、警視庁の切れ者・真名古の捜査は難航する。東京という〈魔都〉だからこそ24時間中に起こりうる出来事をこれでもかと詰め込んだ、豪華絢爛なエンターテイメント。
十蘭は洒脱。十蘭はドライ。死体がゴロゴロ出てくるのに徹頭徹尾カラッとしている。十蘭の小説のスタイル自体が、この小説における皇帝のキャラクターのようにすっとぼけていると言えばいいのか。
講談調のリズミカルな語り口と映像喚起力の高い描写でするすると読める。誇張された登場人物たちも、十蘭の手にかかれば類型的でお人形のようであること自体が魅力になる。インヴァネスを翻しながら孤高に捜査する真名古警視と、人をカマかけるのが群を抜いてうまいダンサーの川俣踏絵が好き。会話のうまさは一級品。女同士の啖呵の切り合いは痺れるカッコよさ。
昭和初期の都市伝説などを知ることで、当時の東京の空気が知れるのも勿論楽しい。建築中のNHK東京放送会館の工事現場から江戸時代に掘られた大伏樋へ通じる暗道を見つけた加十の目に、皇帝が着ている服ボタンから落ちたカーネーションの赤が飛び込んでくるところなど、十蘭の「絵力」を感じる。かつて東京という都市がもっていた煌びやかなダンディズムと軽やかな喜劇の精神をパッケージした、説教も耽美趣味もない痛快な娯楽作。その軽さの裏には豊かさがある。