鈴木道彦のレビュー一覧
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「失われた時を求めて」を個人で全訳した鈴木道彦が、60年代の自ら深くコミットしていた在日支援の活動をふり返った回想記『越境の時 一九六〇年代と在日』を読みながら、鈴木にそんな過去があることに驚いてしまった。
しかし、「失われた時を求めて」の語り手の無記名性への言及から、フランスで間近に見たアルジェリアの独立闘争を経て、金嬉老裁判の支援に至る過程は驚くほど物語的であり、ほとんどスリリングとさえ言える。
たとえば、小松川事件(自分で調べてね)の犯人、李珍宇の思考の仕方に感銘を受けて書かれた「悪の選択」という1966年の文章を以下引用。かなり長いけど。
「「悪しき人間としての朝鮮人」と -
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プルーストの『失なわれた時を求めて』の優れた個人全訳で知られる著者が、アルジェリア戦争などを契機として民族問題が噴き出した1960年代に、在日朝鮮人の問題に、ひいてはその問題の淵源である日本という問題に向き合い、李珍宇と金嬉老という二人の朝鮮人の権利回復のために闘った経験を綴った一冊であるが、その経験を貫いているのは、他者と応え合う自己の探究である。その探究は未だ途上にある。要するに、著者が格闘した問題は、現在の問題なのだ。今ここを歴史的に照らし出すとともに、歴史的な責任を踏まえて他者とともに生きる未来への思考の契機をもたらすものとして繰り返し参照されるべき名著。
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日本人として「在日朝鮮人」という問題と向き合うことの難しさ苦しさについて、これほど誠実に書かれた本を、私はあまり読んだことがない。著者は『失われた時を求めて』の翻訳で知られるフランス文学者。その鈴木氏が在日問題について本を書くのは、一見意外なように思えるが、そう感じてしまうこと自体、いかに現在の知識人が社会への関わりを避けるようになってしまったかということの表われでもあるのだろう。「自我」の束縛から逃れる道をもとめてプルースト研究にうちこんだ著者は、留学先のフランスでアルジェリア解放運動がつきつける「民族責任」を自分はいかなるかたちで主体的にひきうけるのかという問いをつきつけられ、それが、19
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[ 内容 ]
『失われた時を求めて』の個人全訳で名高いフランス文学者は、一九六〇年代から七〇年代にかけて、在日の人権運動に深くコミットしていた。
二人の日本人女性を殺害した李珍宇が記した往復書簡集『罪と死と愛と』に衝撃を受け、在日論を試みた日々、ベトナム戦争の脱走兵・金東希の救援活動、そして、ライフル銃を持って旅館に立てこもり日本人による在日差別を告発した金嬉老との出会いと、八年半におよぶ裁判支援-。
本書は、日本人と在日朝鮮人の境界線を、他者への共感を手掛かりに踏み越えようとした記録であり、知られざる六〇年代像を浮き彫りにした歴史的証言でもある。
[ 目次 ]
第1章 なぜ一九六〇年代か- -
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仏文学者の著者がアルジェリア戦争について執筆する中で、植民地問題と、著者がいうところの民族責任について日本人として自分を省み、論文執筆や裁判支援などを通じて関わった事件(小松川事件・金嬉老事件)の経緯を中心にして振り返っている。60年代を生き、政治・メディア・世間の傾向から扱うことが非常に難しかったという在日問題について考えたり行動したりした人の証言として傾聴に値すると思う。個人的には細かいところで、事実関係ではなく解釈の部分にときどき疑問を感じたが、基本的な方向性には共感した。多くの問題提起がされていて、いろいろ考え込んでしまった。2名の犯罪者を通して在日問題を探るという手法には反射的にとて
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ネタバレプルーストの「失われた時を求めて」を完訳した著者が、自身の1960年代を振り返った私記がまとめられた本。小松川事件と金嬉老事件という在日朝鮮人が裁かれた2つの事件を通じて、著者が民族問題にコミットしていった様子が簡潔に書かれている。李鎮宇をジュネにたとえたあたりや、金嬉老の弁護を支援する支援団体を立ち上げるあたりは、人の美しさや醜さがあらわれていて興味深かった。ただ、在日の問題は60年代よりは多少進展したものの現在もまだとても扱いづらいテーマなので、著者も極論を避けようと穏やかな言い回しをしているし、ここで自分が何かを述べるのも難しい。
李鎮宇は他者から規定された「朝鮮人であること」を日本人に