【感想・ネタバレ】越境の時 一九六〇年代と在日のレビュー

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Posted by ブクログ 2011年08月26日

「失われた時を求めて」を個人で全訳した鈴木道彦が、60年代の自ら深くコミットしていた在日支援の活動をふり返った回想記『越境の時 一九六〇年代と在日』を読みながら、鈴木にそんな過去があることに驚いてしまった。

 しかし、「失われた時を求めて」の語り手の無記名性への言及から、フランスで間近に見たアル...続きを読むジェリアの独立闘争を経て、金嬉老裁判の支援に至る過程は驚くほど物語的であり、ほとんどスリリングとさえ言える。
 たとえば、小松川事件(自分で調べてね)の犯人、李珍宇の思考の仕方に感銘を受けて書かれた「悪の選択」という1966年の文章を以下引用。かなり長いけど。

「「悪しき人間としての朝鮮人」というイメージは、常に体験的に作られるわけではないのである。もともとは支配者の作り上げた神話でありながら、これはいつか社会全体に瀰漫し、個人を侵食し、ときには朝鮮人をもむしばむ根強いイメージとなる(中略)。このとき、善良な朝鮮人になるとは、朝鮮人であるにもかかわらず善良な人間になるというにすぎないだろう。いわば例外的な存在になることだ。そして少数の例外は、多数の「悪しき朝鮮人」の存在をいっそう強固なものとするために不可欠である。そればかりか、「善き人間としての朝鮮人としての私を出す」と李が述べるとき、これは善良さを装うということとどれだけの差があるだろう。ここでもまた李は「他者」としてふるまう結果に陥るだろう。盗みとられた李の真正の主体は、一向に回復されはしないのだ」

 まるでサイードの「オリエンタリズム」を読んでるような暗澹とした気分になってしまう(ちなみに「オリエンタリズム」は1978年だって。うーん、鈴木さんすごい)。
 ここでも正確に述べられているように「在日」とは、単純に差別うんぬんが問題なだけではなく、むしろ、差別者も被差別者もこういう認識的な布置の中に強制的に位置付けられることが問題なのだと思う。
 われわれ「日本人」は(比喩ではなく、実際に)彼らの「名前」を奪い、「言葉」を奪い、「主体」さえも奪った。たぶんそれらは実際に何人殺したとか殺してないとか強制連行があったかどうかとかいう事実認定以前の決定的なことだと僕は思う。そして、直接は関わっていない僕にもその(法律的なものではない)「責任」は間違いなくあると思うのだ。そのような事態を招来したことの責任を「自虐」と簡単に呼ぶのは、あまりに単純にすぎる。他の人はどう思うかしらんけど。
 
 そんな場所から見ると、日本人の居直りは年々ひどくなっている。「従軍慰安婦はなかった」などと平然と言い出す人間ばかりが今の政府を構成しているのは、皆さんもご存知のとおりであり、恐ろしいことに彼らは僕らを表象代行していることになっているのだ(げー)。
 そもそも、石原慎太郎のような輩が繰り返す「三国人」発言を例に出すまでもないが、知的に貧弱な人間ほど、強面を装うために「敵」を作りたがるし、「正義」を振るいたがる。「北朝鮮」(また朝鮮だよ)は言うまでもなく、「官僚」「環境」「アメリカ」など、今でも敵は溢れすぎていて、窒息しそうだ。なんてお手軽な世界。

「アンガージュマン」なんて口にすると鼻で笑われそうな今、あえてこの時期に出版されたこの本を読みながら、とてもそれが眩しく、また羨ましく、そして、なにか勇気付けられるような気分になるのだった。
 優れた時代の証言として。ひとりのフランス文学者の反抗の物語として。そして、未来へのかすかな期待の残滓として。

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Posted by ブクログ 2011年01月15日

プルーストの『失なわれた時を求めて』の優れた個人全訳で知られる著者が、アルジェリア戦争などを契機として民族問題が噴き出した1960年代に、在日朝鮮人の問題に、ひいてはその問題の淵源である日本という問題に向き合い、李珍宇と金嬉老という二人の朝鮮人の権利回復のために闘った経験を綴った一冊であるが、その経...続きを読む験を貫いているのは、他者と応え合う自己の探究である。その探究は未だ途上にある。要するに、著者が格闘した問題は、現在の問題なのだ。今ここを歴史的に照らし出すとともに、歴史的な責任を踏まえて他者とともに生きる未来への思考の契機をもたらすものとして繰り返し参照されるべき名著。

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Posted by ブクログ 2010年11月21日

1960年代は、在日で有名な李珍宇や金嬉老が自分たちの「民族問題」を訴え、世間に知らしめた人たちです。
この人達の書簡がありますけど、読まなくてもこの本を読めばわかる本です。
親世代の状況が少しでも知ることができ、オススメであります。

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Posted by ブクログ 2013年03月25日

日本人として「在日朝鮮人」という問題と向き合うことの難しさ苦しさについて、これほど誠実に書かれた本を、私はあまり読んだことがない。著者は『失われた時を求めて』の翻訳で知られるフランス文学者。その鈴木氏が在日問題について本を書くのは、一見意外なように思えるが、そう感じてしまうこと自体、いかに現在の知識...続きを読む人が社会への関わりを避けるようになってしまったかということの表われでもあるのだろう。「自我」の束縛から逃れる道をもとめてプルースト研究にうちこんだ著者は、留学先のフランスでアルジェリア解放運動がつきつける「民族責任」を自分はいかなるかたちで主体的にひきうけるのかという問いをつきつけられ、それが、1958年の李珍宇事件と、1968年の金ヒロ事件に、著者をひきこんでいくことになる。すぐれた知性を示し、小説も執筆しながら、2人の女性を殺害して死刑となった「金子鎮宇こと李珍宇」のことを、私は本書で初めて知った。少年は、自分が事件をおこした背景に日本社会の差別があることを告発したわけではない。むしろ、事件を民族差別問題に回収することを拒み、自身を「犯した罪を自覚している分、アイヒマンよりも悪人である」(!)と述べて、責任をひきうける主体を譲ろうとはしなかった。そして、そこにこそ、日本人として自らすすんでひきうけるべき責任があると著者は感じ、そのように行動したのだ。社会のせい、時代のせいにすることを自らに許さずに。そう考えれば、副題につけられた「1960年代」という言葉にも納得がいく気がする。これは日本人としてどうすべきかについての論でもなければ、「私が」どう考えどう行動してきたかについてのエッセイでもなく、ある特定の歴史的文脈の中で生まれ、ある特定の時代に生きるひとりとして、どう自己を開きながら生きるかという問いと格闘した証言として、届けられたものだからだ。だから今、まるで自分あてに書かれた手紙を託されたような気持ちすらしている。こんなに小さくて薄い本なのに。この証言を書いてくださったことに感謝したい。

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Posted by ブクログ 2014年10月26日

[ 内容 ]
『失われた時を求めて』の個人全訳で名高いフランス文学者は、一九六〇年代から七〇年代にかけて、在日の人権運動に深くコミットしていた。
二人の日本人女性を殺害した李珍宇が記した往復書簡集『罪と死と愛と』に衝撃を受け、在日論を試みた日々、ベトナム戦争の脱走兵・金東希の救援活動、そして、ライフ...続きを読むル銃を持って旅館に立てこもり日本人による在日差別を告発した金嬉老との出会いと、八年半におよぶ裁判支援-。
本書は、日本人と在日朝鮮人の境界線を、他者への共感を手掛かりに踏み越えようとした記録であり、知られざる六〇年代像を浮き彫りにした歴史的証言でもある。

[ 目次 ]
第1章 なぜ一九六〇年代か-アルジェリア戦争をめぐって(『アルジェの戦い』 民族の問題 ほか)
第2章 李珍宇と小松川事件(在日朝鮮人 小松川事件 ほか)
第3章 日韓条約とヴェトナム戦争(日韓条約 ヴェトナム戦争 ほか)
第4章 金嬉老事件(寸又峡籠城 「呼びかけ」 ほか)
第5章 金嬉老裁判(金嬉老を裁けるか 弁護団と公判対策委員会 ほか)

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

仏文学者の著者がアルジェリア戦争について執筆する中で、植民地問題と、著者がいうところの民族責任について日本人として自分を省み、論文執筆や裁判支援などを通じて関わった事件(小松川事件・金嬉老事件)の経緯を中心にして振り返っている。60年代を生き、政治・メディア・世間の傾向から扱うことが非常に難しかった...続きを読むという在日問題について考えたり行動したりした人の証言として傾聴に値すると思う。個人的には細かいところで、事実関係ではなく解釈の部分にときどき疑問を感じたが、基本的な方向性には共感した。多くの問題提起がされていて、いろいろ考え込んでしまった。2名の犯罪者を通して在日問題を探るという手法には反射的にとても違和感を持ったのだけれど、それは今の時代に読んでいるからかもしれないし、実際に当時の在日コリアンの人たちがこの2名に共感を寄せているので、これまた考え込んでしまった。でも両犯罪者の犯罪への責任の認識の違いを特に指摘している点はその通りだと思った。この事件を通して「失われた時を求めて」の解釈がより深まったと、事件が小説の読解に与えたヒントなども触れてあり、やはり読んでみなくちゃとさらに興味をひかれた。在日問題を扱った本として特に専門的とか新しいことを言っているというわけではないし、新書という薄いものなのだけれど、読後にいろいろな考えが広がって、一回読んで終わりにできない感じで不思議。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2015年08月14日

プルーストの「失われた時を求めて」を完訳した著者が、自身の1960年代を振り返った私記がまとめられた本。小松川事件と金嬉老事件という在日朝鮮人が裁かれた2つの事件を通じて、著者が民族問題にコミットしていった様子が簡潔に書かれている。李鎮宇をジュネにたとえたあたりや、金嬉老の弁護を支援する支援団体を立...続きを読むち上げるあたりは、人の美しさや醜さがあらわれていて興味深かった。ただ、在日の問題は60年代よりは多少進展したものの現在もまだとても扱いづらいテーマなので、著者も極論を避けようと穏やかな言い回しをしているし、ここで自分が何かを述べるのも難しい。
李鎮宇は他者から規定された「朝鮮人であること」を日本人に対して告発するために口をつぐんだし、それとは対照的に金嬉老は朝鮮人であることを巧妙に利用しようとした。ここからもこの本で扱われている論が正しく理解されづらいかことを示している。しかし、それでも60年代の時代の勢いと片付けるだけでなく、民族責任について、もっと直接的な意見も欲しかった。

アルジェリア独立やベトナム戦争の頃にフランス留学していた著者の実体験の話も面白い。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

鈴木道彦といえばプルーストの「失われた時を求めて」の個人訳で有名な人なので、それと在日差別と

のたたかいとどう結びつくのか、と思うのだが、これがちゃんとつながるのですね。
直接にはフランスに留学している頃のアルジェリア人学生との交流に始まり、サルトル(!)あたりの

アンガージュマンの日本版実践と...続きを読むいうことになるけれど、一方でプルースト描くところの俗物たちの迎合性・自己愛にを閉じこもる傾向を鋭く摘出し批判する「目」を受け継ごうと志しているというわけ。

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