藤木久志のレビュー一覧
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近世社会で帯刀が許されたのは武士のみである。当り前過ぎることだが、「帯刀」の意味を良く知らないでいた。
帯刀とは、大小2本の刀を差すこと、二本差しのことである。1本では帯刀とはいわない。
やくざの渡世人は、股旅映画で長ドスという刀を差しているが、1本なので問題ないのだろう。
庶民は短い脇差一本である。伊勢参りなどでも携行した。庶民は刀を持てないのではない。しかし1本なので帯刀ではない。庶民の刀は、護身用でもあるが、信仰的な御守りのようなものなのだろう。だいぶ重量はある。大正生れの父の代までは、寝室の床の間に刀が飾ってあったが、民俗学的にも寝室に置くものらしい。亡くなったとき掛け布団の上に守り刀 -
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「城」というと、平時は在地領主の館であり、戦時には兵隊が立てこもる拠点としての機能をもつ、という理解が一般的である。それに対して、本書では、城のもっとも重要な機能は、戦時における地域住民の避難場所である、という新しい説を披露する。すなわち、中世の在地領主は、戦時において領民をいかにして守るか、というのが重要な課題だったのである。これまでに発掘されたいくつかの中世城跡を例にとって、縄張りのどの場所が住民の避難場所であったかを推察することが、本書で取り組んでいる大きなテーマである。たしかに、多くの山城は外周に大きな曲輪を設けているが、この部分は軍事施設とみなすよりも、住民の避難場所だとみなす方が自
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『豊臣平和令と戦国社会』や『雑兵たちの戦場』で高名な歴史学者藤木氏の論考や講演をまとめた一冊。上掲の主著で示された説や考え方、史料解釈や歴史観などが、別の角度から述べられていたりするので、藤木氏の考えをより良く理解する上で、とても参考になる。
その中で最も感銘を受けたのは、「Ⅴ 朝鮮への侵略」と題された章に収められた文章。秀吉による朝鮮侵略により朝鮮の国土は荒廃し、また多くの朝鮮人が日本に連行され、多くの人間は日本に骨を埋めた。韓国に侵略の跡を訪ねた旅での衝撃をもとに書いた文章とのこと。著者の歴史を見る目、民衆を見る目を窺うことのできる文章だ。 -
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<目次>
第1部 村の戦争
第1章 戦場の荘園の日々~和泉国日根荘
第2章 村人たちの戦場
第3章 戦場の商人たち
第2部 村の平和
第4章 荘園の四季
第5章 村からみた領主
第6章 村の入札
第3部 中世都市鎌倉
第7章 鎌倉の祇園会と町衆
<内容>
昨年惜しくも亡くなられた藤木さんの復刊。中世後期、特に戦国期から安土桃山期にかけて、さまざまな説を出された。特に秀吉の「惣無事令」は有名(認めるかどうかでもめているが)。この本は前に出たものの復刊で、弟子の清水克行さんの簡単な解説が載る。講演などからの起こしなので、大変読みやすいし、戦国時代の庶民(特に農民 -
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「武器を捨てれば平和になる」というのは結構昔からある考えで、しかし同時に自然の驚異と戦ってきた農民にとって武装は、具体的にも抽象的にも重要な意味があった。江戸時代になって、武士が武器の使い方を忘れても、農民にとっては鉄砲も害獣を追い払う「農具」の一つであった。
歴史の授業では通り一遍に過ぎてしまった刀狩りを、現代の武装解除(紛争地帯におけるDDR)にも照らして改めて考えさせられた。
日本の本当の意味での武装解除は第二次大戦後の占領軍の施策を待たなければならないわけですが、信長が高野山を焼き払い一向一揆を鎮圧することで宗教戦争の素地を排除し、秀吉に始まる刀狩りによって庶民の武装を解除した、それ -
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古本で購入。
豊臣秀吉による刀狩りによって民衆は武装解除され、丸腰になった。
その後の江戸時代を通じて民衆のもとに武器はなく、百姓は農具を手に一揆を起こした。
そう信じられている。
ところが史実はそうではない。
刀・脇差や田畑を荒らす害鳥獣を追い払うための鉄砲が、各地の村々には大量にあったという。
特に刀・脇差を差すことは共同体の成員たる資格の表象であり、自立した男のシンボルだった。
それに対する抑圧として出されたのが、いわゆる「刀狩令」だ。
しかし実施されたのは刀の没収ではなく二本差しの禁止と装飾の規制であって、近世のある時期まで民衆は当たり前のように脇差を差していた。
この法の目的は -
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戦国期、戦地に住む人々が危機を前にどのような行動をとったのかについての研究はまだ少ない。
この本は村の城研究の第一人者である著者による村の危機管理研究の現段階におけるまとめである。
中世城郭構造を再検証し避難民の収容がいかに城主たちにとって重大なテーマであったのかを指摘し、戦地の住民たちが大事な資産を守るために行った隠物・預物の習俗を各地の発掘結果、多数の文献から読み解く。
さらにはそうした緊急時の対応が多くの近隣の村々との間の情報ネットワークを通じて行われていた形跡まで存在する。
生きた戦国社会を再現するには支配者たちの歴史を知るだけでは不十分であって、こうした時代を生きた民衆の姿に目を向け