あらすじ
秀吉の刀狩りによって民衆は武装解除されたという「常識」がつくられてきたが,それは本当だろうか.調べていくと,それに反する興味ぶかい史実が次々と浮かび上がってくる.秀吉からマッカーサーまで,刀狩りの実態を検証して,武装解除された「丸腰」の民衆像から,武器を封印する新たな日本民衆像への転換を提言する.
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刀狩り令や廃刀令の再評価、近世における百姓の鉄砲所持の実態、GHQによる武器の没収など、読み応えのある一冊。
江戸時代以降の日本人の武器使用自制という理解も面白い。結局、武器が人を殺すんじゃなくて人が人を殺すってことだ。憲法改正やアメリカの銃規制問題等々を考えるときにまた読みなおしたい。
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近世社会で帯刀が許されたのは武士のみである。当り前過ぎることだが、「帯刀」の意味を良く知らないでいた。
帯刀とは、大小2本の刀を差すこと、二本差しのことである。1本では帯刀とはいわない。
やくざの渡世人は、股旅映画で長ドスという刀を差しているが、1本なので問題ないのだろう。
庶民は短い脇差一本である。伊勢参りなどでも携行した。庶民は刀を持てないのではない。しかし1本なので帯刀ではない。庶民の刀は、護身用でもあるが、信仰的な御守りのようなものなのだろう。だいぶ重量はある。大正生れの父の代までは、寝室の床の間に刀が飾ってあったが、民俗学的にも寝室に置くものらしい。亡くなったとき掛け布団の上に守り刀である脇差しを置いた。
有名な秀吉の刀狩りとは、刀を没収したのではないらしい。農民たちは武器としての刀は、一揆の際にも使用することはないとのこと。
大量の刀の没収が行われたのは、戦後のマッカーサーの刀狩りのときで、刀の多くは米兵の日本土産となったらしい。信仰的に重要な守り刀であるという意識が日本人から消えて行ったのが、素直に刀を差出した原因とのことで、そんなことが書いてある本である。
藤木久志『刀狩り』 (岩波新書)は、2005年 岩波書店。
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言葉しか知らなかった「刀狩り」
歴史の検証をどうやったらいいかわからない。
そのため、何が真実で、何が隠されているかわからない。
それでも、言葉しか知らなかった状態から、考え始めることができた。
今の日本の平和の基礎を作ったと考えることができるかもしれない。
反面、交通戦争がなぜ防止できないかのヒントをここから考えたい。
ドライビングレコーダの義務付けのような「刀狩り」と同様の強制力が必要なのかもしれない。
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見えます見えます。
自検段から武器を持っていたのに封印し、客分意識がいかに芽生えるかが。
この本に載っている参考文献で面白そうなのが、塚本学「生類をめぐる政治」(平凡社ライブラリー)
いつ読めるのやら・・・。
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秀吉の刀狩りによって民衆は武装解除されたという「常識」は本当だろうか?秀吉からマッカーサーまで、刀狩りの実態を検証して、武装解除された「丸腰」の民衆像から、武器を封印する新たな日本民衆像への転換を提言する。
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「武器を捨てれば平和になる」というのは結構昔からある考えで、しかし同時に自然の驚異と戦ってきた農民にとって武装は、具体的にも抽象的にも重要な意味があった。江戸時代になって、武士が武器の使い方を忘れても、農民にとっては鉄砲も害獣を追い払う「農具」の一つであった。
歴史の授業では通り一遍に過ぎてしまった刀狩りを、現代の武装解除(紛争地帯におけるDDR)にも照らして改めて考えさせられた。
日本の本当の意味での武装解除は第二次大戦後の占領軍の施策を待たなければならないわけですが、信長が高野山を焼き払い一向一揆を鎮圧することで宗教戦争の素地を排除し、秀吉に始まる刀狩りによって庶民の武装を解除した、それが現代日本の治安につながっているのかもしれないと思うと、こういうお勉強も楽しくなるかもしれない。
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古本で購入。
豊臣秀吉による刀狩りによって民衆は武装解除され、丸腰になった。
その後の江戸時代を通じて民衆のもとに武器はなく、百姓は農具を手に一揆を起こした。
そう信じられている。
ところが史実はそうではない。
刀・脇差や田畑を荒らす害鳥獣を追い払うための鉄砲が、各地の村々には大量にあったという。
特に刀・脇差を差すことは共同体の成員たる資格の表象であり、自立した男のシンボルだった。
それに対する抑圧として出されたのが、いわゆる「刀狩令」だ。
しかし実施されたのは刀の没収ではなく二本差しの禁止と装飾の規制であって、近世のある時期まで民衆は当たり前のように脇差を差していた。
この法の目的は「二本差しは武士にのみ許される、百姓はその真似をしてはならない」という、身分の峻別だったのだ。
民衆の武装という問題において、著者は秀吉の喧嘩停止令に着目する。
村どうしの争いは、時に武器による殺傷を伴った。停止令はそうした村の戦争を「私的な喧嘩」として裁く。「武器をもって争えば法度に触れる」という認識と武器使用の抑制を促すプログラムだった。
徳川の時代にも引き継がれた結果、一揆の際、一揆側には「人を殺傷する得物を持ち出さない」という合意が浸透し、領主側にも広がっていった。奇跡的とさえ言える、主体的な自律の作法があった。
時代は下り、「近代の刀狩り」(廃刀令)によって武装権は軍・警・官といった国家の担い手に独占され、「マッカーサーの刀狩り」によって日本の民衆は武装解除される。
しかし現在でも銃刀は約230万点が存在している。大量の武器の使用を自制し続けてきたという現実に、我々の平和への強いコンセンサスが込められているのではないか。
刀狩りの目的が身分区別というのはともかく、その内実は初めて知った。
村々に領主が持つ以上の鉄砲が存在したのも驚きだが、武器ではなく農具という扱いだったというから更に驚く。山村における鳥獣害の大きさが思われる量。
それにしても中世の村の激しさはものすごい。大名どうし並みの規模の戦争だって起こすほど。
そのへんは著者の他の本を読んで知りたいところです。
それにしても、最終的に「憲法9条に自信を持とう」なんて主張が現れるあたり何とも岩波。そうした部分は無視。全体的にはかなりの目からウロコ本としてオススメできます。
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本書は日本の歴史上の三つの刀狩り(秀吉の刀狩り、明治の廃刀令、占領軍による武装解除)を取り上げている。
定説では豊臣秀吉により刀狩りが行われ民衆の武装解除が進められたと思われているが実態は使用の制限であり所持は許されていたという(狙いは身分制の確立と私闘の制限にあった)。本書によると武装解除が図られるのは占領政策によるところが大きかったという。刀に対する民衆の価値観や秀吉による公議の確立など、目から鱗であり大変面白かったです。
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秀吉の刀狩り以降、丸腰の庶民観が世の中で広く受け入れられている一方で、刀狩りに対する研究・検証はほとんどなされていなかった。その中で、著者は近世以降の日本の庶民の武装と政治権力の政策に注目し、日本の庶民は丸腰だったのか、日本の武器はどのように推移していったのかを明らかにしていく。
研究材料というだけでなく、読み物として興味深いものがあると思います。
Posted by ブクログ
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[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
鉄砲伝来の時代から、日本人は銃に対するためらいがあったらしい。
銃社会にならなかったのは、統治者による配慮よりも民衆側からの配慮が強かったかもしれないという考察の本
Posted by ブクログ
武器の一掃と思っていたけど、その実、所持、帯刀、使用の権利があり、地域の違いなど指摘されてみればおかしいと思うものでも漠と信じ込んでいるものがたくさんあるもんだ。
Posted by ブクログ
秀吉の刀狩りは完璧で、身分の固定した江戸時代の農民は、武器なんか持ってないと思っていました。テレビの時代劇の影響が大きかった。
しかし、これを読むと農民の身分でも、刀をさしていたそうです。身分の証として。もし明治と敗戦後の武装解除がなかったら、日本も銃社会アメリカのように、刀社会になっていたのでしょうか。
Posted by ブクログ
秀吉・家康以後の農村でも、刀や槍はおろか鉄砲すら所持していたという事実が指摘される。
そこから農民が無抵抗だったというのは俗説とし、また武器を持ちながら平和を保っていた意義を説く。
Posted by ブクログ
秀吉の刀狩り、明治維新後の廃刀令、そして第二次世界大戦後の占領軍による民間の武装解除を「3つの刀狩り」として、その内実を探ることで新たな日本の民衆像を検証する。
中世までの日本では、村民は治安維持のために武装し、自力で問題解決にあたっていた。その中で無秩序な暴力を回避するための暗黙のルールが生まれ、青年した男性のシンボルとしての刀を重要視する、武士道の原型ともいえる精神性は戦国以前では農民にも浸透していた。
現に秀吉の刀狩りが行われたあとも村々にはなお夥しい数の武器が保管されていたという。徳川の世になって引き継がれた刀狩りも、徹底的に村に残る武器を撤廃したという形跡はなかった。そこには、刀には神秘な心情がこめられていたということを踏まえたうえで、物理的な武装解除よりも、帯刀を許可制にすることによる徹底的な身分の色分けを最重要としていたことがうかがえる。
江戸時代を通じてかなりの頻度で行われたと思われる一揆を鎮圧するにあたり、農民が鋤や鍬などの農具以外の武器をもって蜂起した例はなく、また領主側が農民に向けて発砲などの攻撃を加えたという例も皆無だという。(幕末の動乱時には2、3の記録があるらしいが)日本国内の農村の津々浦々にまで武器が現存しているにもかかわらず、200年以上にもわたりそれを自ら「封印」し続けたのは奇跡に近い。支配者の権力による抑制のみならず、被支配者層も自発的に秩序を保とうと努力するメカニズムが働いていたといえる。
著者はあとがきで「一般市民のコンセンサスに支持されてきた歴史が、個人から国家のレベルにいたるまで崩壊に瀕している」という。現在の日本は過去の歴史上例を見ない特殊な状況におかれているから、国家レベルでのコンセンサスの崩壊(著者は憲法の改正を指している)という点では単純に語れない部分があると私は思うが、歴史の中で日本人が育んできた誇るべき高い精神性は崩壊させてはいけないと強く思った。