広田照幸のレビュー一覧
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天皇への崇敬は、教育と自己啓発とにより内面化されたが、エリート意識、陸士が皇室に近いことが内面化を促しているし、立身出世や親への孝の方がより位置づけが高いのが一般的であったし、陸士においてそれが否定されることはなかった。
日清戦争から陸士の大量養成が始まると、昭和期には将官へ出世できる割合が2割から1割に半減し、連隊長は中大佐であったものを大佐とし、連隊付き佐尉官などなかったのを新たに設け、少尉の仕事を大尉が、大佐の仕事を少将がやり、更に大量の少佐の馘首をという状況になった。(霞が関の状況に鑑み、実に身につまされるところ)
少尉から奏任官で俸給も帝大卒と比しても低いとまでは言えなかったが、俸給 -
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陸軍将校の教育において、天皇制イデオロギーが徹底され、密教である天皇機関説ではなく、上杉慎吉の現人神たる絶対天皇イデオロギーや忠君愛国、滅私奉公が教育されたが、果たしてそれは内面化されたのかを丹念に読み解く。
陸士・陸幼の採用では、当初は教導団はじめ様々なルートから陸士への道があったが、学校制度が整備されるにつれ、中学校がルートとなった。その際、府立一中など東京の名門中学や九州山口を除く一中では陸士志望は少なかったが、これは社会上層が次第に軍人志望でなくなることによるもので、高校と陸士に学力的に大きな差があったわけではない。
陸士の出身階層は明治前半は主に士族であったが、次第に減り、1900 -
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学校教育が何をしているのか、学校教育ができることは何なのかを明らかにしている。経験では学びきれない知を扱っていることを、現代の学校教育は忘れている。
日本の子どもに対する教育はほとんど家庭と学校によって行われている。特に、学校は(現状)唯一の教育機関であるから、最大かつ際限なく教育活動を拡張させてきた。一部の教師による「すごい授業」「すごい指導」は再現できないものが蓄積されてきた。
「私は『教育(education)』を定義するとき、『教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすることである』という定義を与えています。」(p18)
「もう一つ、他者という点で重要なのは、教育する側に -
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たいへんな良書。教育と学校について、丁寧に書かれた本。学生はもちろん、親の立場でも読んで得られるものが多そうな本。
学校や教育について、その基本をこのように学べる本はなかなかないし、きちんと出典が丁寧に書かれていて気になるトピックを掘れるのが良い。
道徳の章で饒舌になるのが笑ってしまったのと、AIの章がちょっと飛躍が感じられる点はひとこと添えておく。ただ、AIの章に関しては、自分が専門に近いから違和感を感じやすいだけかもしれないけれど。
大変良い本である一方、本質的な本なので、これを読むような生徒/学生は教員からすると相手したくないだろうなという気はする。 -
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友人で、とっても頭がいいのに、まったく勉強をしなかったため、学校の成績が冴えなかった男がいるのですが、この本を読んで、その友人のことを思い出しました。
「学校は、子どもの興味の有無とは関係なく、将来、仕事をする上で必要になる知識を満遍なく教えるところであるため、興味をもてない項目について、子どもは退屈になりがちである」という趣旨のことが、この本には書かれていまして、上記の友人の、勉強への取り組みについて、すごく納得できました。
学校教育は、誰もが触れることになる、とっても身近なものですが、実は、その目的については、明確に理解できていない人もいると思います。
そういう人にこそ、この本はおすすめ -
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とても納得できる内容でした。特に道徳教育についての第4章で「『社会を変える』という視点が弱い」というのは強く感じます。最近の子どもがおとなしいのは、このような教育を受けてきたからか、あるいは、社会の風潮がそうさせているのか、どちらもなのか。
学校という装置によって子どもたちのアイデンティティーは未確定なままにされてしまっているからこそ、自分が何をやったらいいのかわからないという事態が生まれてしまう、学校は長い廊下、など、学校という場について、うまく説明されている本です。
また、「個別最適化」を追求していくと差異化の増大ということ自体が善になる、というのは、たしかにそうかも知れないと思いました。 -
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タイトルに惹かれて気楽に読み始めた。
話し言葉で書かれているため、読みやすいかと思いきや、辞書を片手に読みすすめ、かなり深い内容でした。
読み進めてみて、タイトル通り学校は大切だということが、より一層感じられた。
子どもたちにどれだけ興味を持たせることが出来る先生がいるかは?(個人の感想)
作者は若者に向けて、期待を込めてこの一冊を書いている。
悲観しすぎないで、こんな根拠もあるし未来は明るい、ただし自分は何が出来るか、自分と自分の周りの狭い世界だけで考えるのではなく、「善き世界の倫理」を心に持って、世界をよりよくしていって下さい。というメッセージが伝わりました。
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ネタバレ世間を賑わす少年犯罪が起こるたびに、訳知り顔のコメンテーターたちは「昔は家庭のしつけが厳しく、こういう事件は起きなかった」、「最近の親は子のしつけに無関心」などとメディアで発言するが、そういった言説の虚を突くのが本書。
著者は明治時代など、主に戦前の史料をもとに、以下のような主張をする。
・旧来のしつけ観を残す山村地帯の家庭のほうがしつけを学校に依存する傾向が強いこと
→村でのしつけは目上の者への忍従・隷属。村の掟に従わない者は村八分という、封建的・排他的なもの。今では考えられない、人身売買もあった。
・親がしつけの主体となる傾向は、大正時代に入ってから見られるようになったこと
→学 -
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[ 内容 ]
教育は社会のあり方やその変化と無縁ではありえない。
その思想や制度は、近代の大きな変動のなかで変容を遂げ、経済のグローバル化や地球規模の課題が、現代の教育にさらなる変容を迫っている。
未来の人間や社会のあり方を考え、そこに働きかけていく営みに向けた知として、いま教育学の何が組み換えられていくべきなのかを考える。
[ 目次 ]
1 教育論から教育学へ―教育学はどのように生まれたのか?(誰でもしゃべれる/誰でもやれる教育?;教育とは何か;教育学の成立)
2 実践的教育学と教育科学―教育学を学ぶ意味は何か?(実践的教育学;教育科学;なぜ学ぶのか)
3 教育の成功と失敗―教育学は社会の