広田照幸のレビュー一覧
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天皇への崇敬は、教育と自己啓発とにより内面化されたが、エリート意識、陸士が皇室に近いことが内面化を促しているし、立身出世や親への孝の方がより位置づけが高いのが一般的であったし、陸士においてそれが否定されることはなかった。
日清戦争から陸士の大量養成が始まると、昭和期には将官へ出世できる割合が2割から1割に半減し、連隊長は中大佐であったものを大佐とし、連隊付き佐尉官などなかったのを新たに設け、少尉の仕事を大尉が、大佐の仕事を少将がやり、更に大量の少佐の馘首をという状況になった。(霞が関の状況に鑑み、実に身につまされるところ)
少尉から奏任官で俸給も帝大卒と比しても低いとまでは言えなかったが、俸給が引き上げられた1920年の大尉でも年俸1600円から2,100円であり軍装品や交際費などを考慮すると生活は厳しく、民間の社員や東京市の幹部よりも低く、中の下程度であった。また、大尉の定年は48歳、少佐50歳、中佐53歳、大佐・少将55歳と定年も早く天下り先も限られていた。
陸士・陸幼における天皇制イデオロギー教育は、教化の段階で自発性・自立性による内面化を求めたが、立身出世の肯定や機械的・形式的教育になっている例もみられた。また、将校生徒の内面化の過程を支えたのは、エリート意識や主体的契機であった。さらに、立身出世や孝行は原動力であり、天皇制イデオロギーと予定調和であって、「滅私奉公」ではなく「活私奉公」であった。 -
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陸軍将校の教育において、天皇制イデオロギーが徹底され、密教である天皇機関説ではなく、上杉慎吉の現人神たる絶対天皇イデオロギーや忠君愛国、滅私奉公が教育されたが、果たしてそれは内面化されたのかを丹念に読み解く。
陸士・陸幼の採用では、当初は教導団はじめ様々なルートから陸士への道があったが、学校制度が整備されるにつれ、中学校がルートとなった。その際、府立一中など東京の名門中学や九州山口を除く一中では陸士志望は少なかったが、これは社会上層が次第に軍人志望でなくなることによるもので、高校と陸士に学力的に大きな差があったわけではない。
陸士の出身階層は明治前半は主に士族であったが、次第に減り、1900年台に入ると半分更に減じ、自作・自小作層など中層に移っていく。ドイツでは貴族が主でワイマール時代に中流上層、ナチス時代に漸く中流に、イギリスでは戦後も上層であったのに比べ、大きく異なっていた。 -
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価値観が多様化している昨今。教育の専門家は学校というものをどの様に考えているのかを知りたくて手に取ってみた。
実際は、「学校」という枠にとらわれず、「教育とは何か」に焦点を当てた書籍。
繰り返し述べられていたことは「教育とは生きる社会を創発する人材を育成する場であること。」
この本を読む限り、現代の学校教育はそのような思想を伝える場にはなってはいないようだ。
私は、たまたまこの本を手にして、思考を巡らせる事が出来たが、このような事は学校で教わった記憶もないし、今後の子どもたちが教えて貰うことも期待できない。
とてつもなく大事な事が書いてあると思う。ぜひ教える立場の人には読んで欲しいと願ってしまった。 -
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学校教育が何をしているのか、学校教育ができることは何なのかを明らかにしている。経験では学びきれない知を扱っていることを、現代の学校教育は忘れている。
日本の子どもに対する教育はほとんど家庭と学校によって行われている。特に、学校は(現状)唯一の教育機関であるから、最大かつ際限なく教育活動を拡張させてきた。一部の教師による「すごい授業」「すごい指導」は再現できないものが蓄積されてきた。
「私は『教育(education)』を定義するとき、『教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすることである』という定義を与えています。」(p18)
「もう一つ、他者という点で重要なのは、教育する側にいる自分が望ましいとか必要だとか思うものを、他者、つまり被教育者がそのように取ってくれるとは限らないということです。」(p22)
「教育の定義の三つ目のポイントは、被教育者の学習を『組織化しようとする』です。もって回った言い方になっていますが、『しようとする』なのです。だから、失敗するかもしれません。でも成功するか失敗するかにかかわらず、それは教育だと考えます。」(p24)
「教育の難しさのポイントの一つは、教育をしても学習が発生しないことがあるし、逆に、教育なしでも学習は発生するということです。」(p26)
「学校教育の影響力は限定的だということです。」(p32)
「第一に、学級という他から切り離された空間に、子どもたちを囲い込むことで、他の社会化エージェントの影響を遮断します。……第二に、教師—生徒という上下関係のある役割構造によって、それぞれのふるまい方を決めてしまいます。……第三に、学級という制度は、時間と場所とメンバーを固定して、継続的に教育的な相互行為が可能になるように作動します。……第四に、教師と他の生徒とのコミュニケーションは、自分に何が欠けていて、何を学ばなければいけないのかを生徒に確認させます。……第五に、成績評価(記録でもあり選別でもある)を通じて、長期的な参加を個々の生徒に動機づけます。……最後に、建物や教師の確保、カリキュラムなどの『補助的装置』が、持続的な教育作用を支えています。」(p35-36)
「もう一つの補足は、そういう制度的仕掛けに対して、違和感や嫌悪感を抱いたり、つらさを感じたりする、一部の子どもがいるということです。」(p37)
「教師たちはしばしば、学校教育の限定的な影響力をもっと高めようとさまざまな手を打っていきます。……一つには、学校でのあらゆる活動を『教育化』しようとしたり、その結果、過度な統制が生じたりする、ということです。……学校の外の、他の社会化エージェントを抑圧したり取り締まったりして、子どもの身の回りの環境を『教育的』なもので満たしてしまいたいという衝動を、しばしば大人は持っています。」(p38-40)
「目的は、意図して『こういうことをやろう』『やるべきだ』ということです。昨日とは、何かの作用が生じる、生じているということです。」(p52)
「それはともかく、この条文で私が注目したいのは、『平和で民主的な国家及び社会の形成者』という部分です。……いわば、『一人ひとりが未来の新しい社会を作り出していく主人公のような存在になること』が目指されているのです。」(p55)
「教師は『教育の目的』を見失わないようにしながら、教えていることの意義や面白さを、自分では明確に意識しながら教えるべきだと思うのです。……もう一つには、『勉強の仕方をいろいろ工夫させる、考えさせる』ということを、学習指導の際のポイントの一つとして、もっと重視していけばいいと思うのです。」(p75)
「学校で教えられる知は、子どもの日常生活を超えた知だからこそ重要だということです。ただし、そうであるがゆえに、その内容は子どもにとってなじみにくいものだ、ということも説明します。」(p87)
(以前は親のもとで育ち、親と同じ仕事をして生きればよかったが、)「社会が発展して複雑になり、子どもたちが親とは異なる生き方をするようになっていくと、『提示』だけでは不十分になっていきます。……『この結果、おとなが自らの生活を生きて見せる『提示』とは別に、社会的・歴史的文化のうち、経験によっては子どもが到達し難い部分を何らかの仕方で彼らに知らせてやるという課題が生じる。』……学校は、この世界がどうなっているかということを、言葉や記号を使って子どもたちにk学ばせる役割を果たすというのです。」(p88-89)
「日常の生活世界での経験では学べないものが、『カリキュラム化された知』として学校で学べます。……重要なのは、それによって、子どもたちはより広い世界に出ていくことが可能になるということです。」(p96)
「いずれにせよ、多くの子どもたちに『勉強がつまらない』というふうに映るのは、学校の知の本質です。つまらないと思った人は多いと思いますが、学校はそういうものです。身近な日常経験とは切り離されたものを教わっているので仕方がありません。」(p100)
「経験は狭いし、経験し続けることでこの世の中のいろいろなことを学べるほど人生は長くない、ということです。」(p101)
(道徳について)「一つは、『あなたはどう生きるか』という、個人的な生き方やふるまいに関する主題ばかりが大半を占めていて、その結果、社会や世界で起きている複雑な出来事についてきちんとした善悪を判断できるようになる、という視点が十分でないと思うのです。」(p130)
(バウマンの説について)「道徳が問題になるときの焦点は精神的な『距離』だというのです。精神的な距離が遠くなると道徳的無関心が生じる。」(p138)
「『人類が作り上げてきたよりすぐれた知的財産』をすべての子どもにできる限り多く学ばせるというのが、学校教育として望ましいことになります。」(p163)
(個別最適化の学びについて)「一つには、みんなで一緒に共同で学ぶことそれ自体の意義が失われかねないということです。学習の孤立化です。……どの子も自分の学力に見合った学習ができるということが語られますが、家庭環境の差の影響を増幅させることになります。」(p172)
「もちろん、先生の中には、上手に工夫した教え方で、この世界の真理や真実に目を開かせてくれて、驚きや感動に満ちた授業をしてくれる先生もいるかもしれません。でも、カリキュラムはギッチギチだし、先生は忙しいし、何よりも教師からの思いが生徒に伝わるとは限らないから、全国の学校のすべての授業が驚きと感動にあふれることは、とても期待できません。」(p213)
「学校が提供するのは、せいぜい『仮のアイデンティティ』です。『勉強がよくできてほめられる私』とか、『志望校入学に向けて頑張っている私』といったアイデンティティは当面の学校生活を充実したものにしれくれます。……しかし、これらはいずれも、学校を卒業した後まで続いていくものではありません。」(p217)
「学校は『世界を集約した知』だというお話をしましたが(第3章)、その知は網羅的で、しかも概括的なものにすぎないから、そのまま何か特定のものについての関心や問題意識を与えてくれるわけではありません。」(p219) -
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たいへんな良書。教育と学校について、丁寧に書かれた本。学生はもちろん、親の立場でも読んで得られるものが多そうな本。
学校や教育について、その基本をこのように学べる本はなかなかないし、きちんと出典が丁寧に書かれていて気になるトピックを掘れるのが良い。
道徳の章で饒舌になるのが笑ってしまったのと、AIの章がちょっと飛躍が感じられる点はひとこと添えておく。ただ、AIの章に関しては、自分が専門に近いから違和感を感じやすいだけかもしれないけれど。
大変良い本である一方、本質的な本なので、これを読むような生徒/学生は教員からすると相手したくないだろうなという気はする。 -
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友人で、とっても頭がいいのに、まったく勉強をしなかったため、学校の成績が冴えなかった男がいるのですが、この本を読んで、その友人のことを思い出しました。
「学校は、子どもの興味の有無とは関係なく、将来、仕事をする上で必要になる知識を満遍なく教えるところであるため、興味をもてない項目について、子どもは退屈になりがちである」という趣旨のことが、この本には書かれていまして、上記の友人の、勉強への取り組みについて、すごく納得できました。
学校教育は、誰もが触れることになる、とっても身近なものですが、実は、その目的については、明確に理解できていない人もいると思います。
そういう人にこそ、この本はおすすめです。
ちなみに、広田先生の本については、以前からずっと「読まなきゃ」と思っていたのですが、広田先生の本を読んだのは、この本が初めて。
いいタイミングでいい本に出合えたと思います。 -
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とても納得できる内容でした。特に道徳教育についての第4章で「『社会を変える』という視点が弱い」というのは強く感じます。最近の子どもがおとなしいのは、このような教育を受けてきたからか、あるいは、社会の風潮がそうさせているのか、どちらもなのか。
学校という装置によって子どもたちのアイデンティティーは未確定なままにされてしまっているからこそ、自分が何をやったらいいのかわからないという事態が生まれてしまう、学校は長い廊下、など、学校という場について、うまく説明されている本です。
また、「個別最適化」を追求していくと差異化の増大ということ自体が善になる、というのは、たしかにそうかも知れないと思いました。 -
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タイトルに惹かれて気楽に読み始めた。
話し言葉で書かれているため、読みやすいかと思いきや、辞書を片手に読みすすめ、かなり深い内容でした。
読み進めてみて、タイトル通り学校は大切だということが、より一層感じられた。
子どもたちにどれだけ興味を持たせることが出来る先生がいるかは?(個人の感想)
作者は若者に向けて、期待を込めてこの一冊を書いている。
悲観しすぎないで、こんな根拠もあるし未来は明るい、ただし自分は何が出来るか、自分と自分の周りの狭い世界だけで考えるのではなく、「善き世界の倫理」を心に持って、世界をよりよくしていって下さい。というメッセージが伝わりました。
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[ 内容 ]
教育は社会のあり方やその変化と無縁ではありえない。
その思想や制度は、近代の大きな変動のなかで変容を遂げ、経済のグローバル化や地球規模の課題が、現代の教育にさらなる変容を迫っている。
未来の人間や社会のあり方を考え、そこに働きかけていく営みに向けた知として、いま教育学の何が組み換えられていくべきなのかを考える。
[ 目次 ]
1 教育論から教育学へ―教育学はどのように生まれたのか?(誰でもしゃべれる/誰でもやれる教育?;教育とは何か;教育学の成立)
2 実践的教育学と教育科学―教育学を学ぶ意味は何か?(実践的教育学;教育科学;なぜ学ぶのか)
3 教育の成功と失敗―教育学は社会の役に立つのか?(教育の不確実性;教育可能性に向けたテクノロジー;教育学と社会)
4 この世界に対して教育がなしうること―教育学の未来はどうなるのか?(何のための教育か;ポストモダン論の衝撃;教育目的の迷走;教育目的再構築論の危うさと可能性)
5 教育学を考えるために―何を読むべきか(本を探す;好循環;教育学を学び始めるために;教育学を深めるために;最後に)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
馬を水飲み場に連れて行く事は出来るが、
水を飲ませる事は出来ない。
好きなことわざ。
学校が好きじゃない次男の事だけ考えると、
個別最適化でいいじゃない、
通学する必要ってあるの?と思ってしまうけど、
学校がなければ学習機会が得られない子供、
というのも確かにいるだろうなあ。
集団でいる事が苦痛、という子供もいるだろうけど。
オプションがいろいろあるといいのかなぁ。
登校すべき子が来なくなったりしちゃうだろうか。
道徳は教えるのが難しいけど、
頑張ってる授業はあるな、と思う。
劇にしてロールプレイやらせるとか、
現場は工夫してて感心しています。
むしろ大人の道徳教育が必要かも、と時々思う。
個人的に犯罪者の再犯防止のための教育は、
本当に研究進めてほしい。
フランスでは3歳から義務教育。
ってどこかで読んだ。移民については2歳半からで、フランス語と文化を早い内に身につけさせるって。
ドイツのサッカークラブは
二学年毎のまとまりでチーム作って練習させるって。上下関係で下の学年の子が不利にならない様な配慮。実戦経験が積めるらしい。
みんなあれこれ工夫してる。
知見を集めてより良い方向に行けるといい。
その準備をするために必要なのが学校ってこと?
長い廊下はつまらないけどね、確かに。
読みたい関連本が増えました。
憲法前文も全文きちんと読みたいです。
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Posted by ブクログ
最後にある「第七章 身のまわりの世界とグローバルな世界」の部分は抽象度が高く具体例がいまいちピンときませんでしたが、それまでの部分は説得力のある議論が展開されていました。
ちくまプリマ―新書として中高生も手に取ることを想定した話し言葉での語り口は読みやすく、「学校の勉強は意味ない」と考える/感じる中高生にとって、目を開かされるきっかけになるのではないかと思います。
その意味でも、タイトルもセンスがあると思いました。
学校で各教科の勉強をする目的を、漠然とした、「将来の選択肢を広げるため」という言葉で説明するのではなく、「学校」という教育機関の仕組みがどのような背景で成立してきたのかというところから紐解いて解説されていることも好感が持てました。
その他にも現代の教育が抱える課題について取り上げたトピックも多く、特に「教育の個別最適化」をめぐる議論は何となく感覚的に疑問を抱いていたところが言語化されていてとても参考になりました。 -
Posted by ブクログ
・「教育とはかくあるべき」という期待や願望を、教育の定義(教育とは何か)の中に盛り込んでしまうという方法的態度である p6
・教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすることである p9
・(教育とは)目の前の出来事を別の次元で概念的にとらえなおそうとする「メタ思考」の次元の言葉なのである p12
・私は、近代の教育思想の一つの源流を、社会の改革や変化をプログラム的に計画しようとする思想に求めることができるのではないかと考えている p16
・一九世紀の一〇〇年の間に、教師の仕事は以前とは比べ物にならないほど、微妙で複雑なものになった。
・つまり、規範を語ろうとすると、教育科学を踏みこえねばならないのである。
・実践的教育学と教育科学の整理 p52
・技術知とは、硬い表現でいえば、手段の合理化の追求に特化した知である。ー 反省知としての教育学は、既存の現実や現実認識を相対化する知である。 p56
・ただ、教師になる人が個人としてもっている実践理論や、現場の教師たちが集団的に共有している実践理論は、狭くて危うい p61
・教育は、他者に対する行為であるかぎり、結末は予見しきれない確率論的な「賭け」なのである。 p70
・社会の変動の中で教育目的論の練り直しが必要になってきたにもかかわらず、現代の教育学者は、実践的教育学の規範の部分に真正面から取り組むのを避けてきたりその空隙は、教育の実情をよく知らない外部者たちによって埋められてしまったわけである。それが近年の状況である。そして、その結果生じているのが、経済や政治への教育の従属、という事態である。 p118