広田照幸のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
馬を水飲み場に連れて行く事は出来るが、
水を飲ませる事は出来ない。
好きなことわざ。
学校が好きじゃない次男の事だけ考えると、
個別最適化でいいじゃない、
通学する必要ってあるの?と思ってしまうけど、
学校がなければ学習機会が得られない子供、
というのも確かにいるだろうなあ。
集団でいる事が苦痛、という子供もいるだろうけど。
オプションがいろいろあるといいのかなぁ。
登校すべき子が来なくなったりしちゃうだろうか。
道徳は教えるのが難しいけど、
頑張ってる授業はあるな、と思う。
劇にしてロールプレイやらせるとか、
現場は工夫してて感心しています。
むしろ大人の道徳教育が必要かも、と時々思う。 -
Posted by ブクログ
最後にある「第七章 身のまわりの世界とグローバルな世界」の部分は抽象度が高く具体例がいまいちピンときませんでしたが、それまでの部分は説得力のある議論が展開されていました。
ちくまプリマ―新書として中高生も手に取ることを想定した話し言葉での語り口は読みやすく、「学校の勉強は意味ない」と考える/感じる中高生にとって、目を開かされるきっかけになるのではないかと思います。
その意味でも、タイトルもセンスがあると思いました。
学校で各教科の勉強をする目的を、漠然とした、「将来の選択肢を広げるため」という言葉で説明するのではなく、「学校」という教育機関の仕組みがどのような背景で成立してきたのかというと -
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価値観が多様化している昨今。教育の専門家は学校というものをどの様に考えているのかを知りたくて手に取ってみた。
実際は、「学校」という枠にとらわれず、「教育とは何か」に焦点を当てた書籍。
繰り返し述べられていたことは「教育とは生きる社会を創発する人材を育成する場であること。」
この本を読む限り、現代の学校教育はそのような思想を伝える場にはなってはいないようだ。
私は、たまたまこの本を手にして、思考を巡らせる事が出来たが、このような事は学校で教わった記憶もないし、今後の子どもたちが教えて貰うことも期待できない。
とてつもなく大事な事が書いてあると思う。ぜひ教える立場の人には読 -
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・「教育とはかくあるべき」という期待や願望を、教育の定義(教育とは何か)の中に盛り込んでしまうという方法的態度である p6
・教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすることである p9
・(教育とは)目の前の出来事を別の次元で概念的にとらえなおそうとする「メタ思考」の次元の言葉なのである p12
・私は、近代の教育思想の一つの源流を、社会の改革や変化をプログラム的に計画しようとする思想に求めることができるのではないかと考えている p16
・一九世紀の一〇〇年の間に、教師の仕事は以前とは比べ物にならないほど、微妙で複雑なものになった。
・つまり、規範を語ろうとすると、教育 -
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学校教育の目的について再確認できたし、学校教育の役割や孕んでいる問題などについて新たな視点も得られた。
第3章『知識と経験』は共感できる部分が多く、生徒、学生側が読んでくれたら最高だなと思ったけど、まず読まないだろうな。
日常経験からかけ離れたことを記号などを通して学ぶから、学校は退屈。だけど、日常経験から離れているからこそ、学ぶ価値がある。
第5章『平等と卓越』で書かれている、教育が目指す所で生じる矛盾というか、ジレンマみたいなものは、永遠のテーマかもしれない。
中高生はなかなかこの本は手に取らないかもだけど、保護者の立場の方が読んでくれたら、「教師って色々考えてやってんだなー」くらいは思 -
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ネタバレ読みやすい、分かりやすい。そして、時事ネタも。
・教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすること。
・条文より…素案は「人格の完成」ではなく「人間性の開発」だった。「一人ひとりが未来の新しい社会を作り出していく主人公のような存在になること」が目指されている。
・「偏向」よりも「教育内容の過度の画一化」の方こそ警戒すべき。
・学校は、この世界がどうなっているかということを、言葉や記号を使って子どもたちに学ばせる役割を果たす。
・高卒で仕事ができる人は、自分でお手本となる人を見つけて成長できる。経験から学ぶ人。大卒の人は、自分で勉強をする人が、仕事ができる人になっていく。
・精神的 -
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私が学んでいた高等教育や大学政策は、どうも教育学の中でもかなり外れに位置しているようだ。また学問としての「教育学」には、おおよその範囲があることがわかった。隣接する学問としては心理学・医学・社会学だった。こうしたディシプリン間の関連を、ミクロ―マクロ、学問志向―教職志向で整理した田中による図表を用いて、教育学を概括した。大きく分けて、教師養成のための技術の開発と、教育を通じた人間・社会の考察という2つから、この学問は発達したとしている。そしてこれらの本流は教育と学習の結びつき方の検討にある。またこうした教育学を分類する方法は、技術知と反省知という区分もある。入門書としてとてもわかりやすい内容だ
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ネタバレタイトル通り、日本人のしつけ観をまとめた一冊です。
大まかな流れとして、子供のしつけの責任所在は
①周囲の環境
②学校
③学校と家庭(主に親)
④家庭(主に親)
と変遷してきたようです。
その背景には高度経済成長による貧困層の縮小及びそれに付随する親たちの余暇時間の増加
としています。今の親たちはしつけがなっていない、等の世間的イメージや、
昔は良かったとする懐古主義を否定し、
寧ろこんなにも教育熱心になった親たち(子供のしつけは親に責任がある)が
『熱心にならざるを得ない』逼塞した状態になっていると反論しています。
少年の凶悪事件についても、マクロ的に見れば激減し -
Posted by ブクログ
前半は教育学説史、後半は現代の教育学説と社会の関連性のようなもの。
個人的には、後半に強く興味を持った。
ポストモダン以降、「教育の目的」が語り得なくなってしまった。
その教育学の空隙を埋めたのが、政治家やエコノミストの言論である。
彼らの持ち込んだ「経済のための教育」というイデオロギーは、教育に市場原理主義や競争、評価を導入しようとした。
彼らは教育を、「労働者の生産能力を高める手段」と考えている。
また、冷戦の終結により勢いづいた保守派が、教育にナショナリズムや道徳保守主義を導入しようともしている。
そんな中、20世紀初頭の知の巨人デューイが教育の目的について行った議論が、現代にも