互盛央のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
著者たちとあまり学生時代を過ごした年代が変わらないので、この本でふれられている”あの時代”の雰囲気はよくわかる。なぜか浅田彰の本がベストセラーになって、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』などという本が平積みになったりしていた時代だった。ちょっと前には「朝日ジャーナル」などという雑誌があって、”人文的な教養”が価値のあるものと考えられていた時代でもあった。この本はちょっと懐古的に感傷的になっているような印象もあるが、それを踏まえた著者たちの現代への問題意識もわかる。ただ、両者がバックグラウンドとする仏哲学が『知の欺瞞』後にどれだけアクチュアリティを持てているか、単なる”妄想”になってい
-
Posted by ブクログ
国民とは、個人の集合体(ホッブズ)であり、共同(カント)であり、すなわち、一般意志(ルソー)である(3)。国民は、社会契約を結ぶ前の個人とは明確に区別される。これの表す所は、主権が国民にあり、国民が個人の集合体である以上、主権を代表する所の内閣(国家)の行為は、国民の行為であり、国家(内閣)の責任は、国民の責任であり、つまり、国民を構成する個人の責任であるということである。また、これらの事実は、選挙において代表(自民党及び高市内閣)に投票しなかったから責任がないは成り立たないということを意味している。
これらの事実を改めて認識した時、これまでの対策の失敗の責任を国家に押し付けたり、まるで国家 -
Posted by ブクログ
暴れ馬のように自我を振り回す何か、フロイトはこれをエスと呼んだ。エスに価値の評価、善悪、道徳はない。
エス概念はニーチェに遡る。デカルトに始まる理性万能主義に対するアンチテーゼがエス概念である。詩人のランボーも同じようなことを言っている。自身のうちに求めたものをデカルトは真理と呼びランボーは毒と呼んだ。
王権神授説から国民主権へ移行する中で、神に代わる自己を規定する概念が求められた。エスとは自己の奥底にある何かである。カント以来の近代哲学者たちはこの問題を取り組んでいる。それがニーチェやフロイトに結実した。
政治的には国民の創出、ナショナリズムとも関係する。 -
Posted by ブクログ
この本は、ドゥルーズなど仏哲学を中心とした哲学研究者の國分功一郎さんと、雑誌編集者兼ソシュール研究者でもある互盛央さんが、昔読んだ本に関する文章を相互に交換リレーする形式で綴ったものである。フォーマットとしては珍しく面白い仕掛けだが、それが成功してこの本を特別な本にしたかというと、それほどまでではない。ただ、少なくとも二人の関係性と、主に1990年代初めに学生だった世代が共有する読書空間があって初めて成立した本だという意味で特別な本である。國分さんが1993年に、互さんはその1年前に大学に入学している。自分は1988年入学だが、理系であったこともあり、現代思想にかぶれるようになったのは少し後で