あらすじ
「電車で割り込みをされたとき、あなたは何を思いますか?」──誰もが日常で出会う違和感は、国家の成り立ちにまっすぐつながっている。シンプルな問いから出発して「民主主義の原理」を追究し、憲法の成立過程に分け入るとき、戦後日本のあまりに特異な姿が浮かび上がる。──「今、この国で、あなたは日本国民ですか?」
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Posted by ブクログ
国民とは、個人の集合体(ホッブズ)であり、共同(カント)であり、すなわち、一般意志(ルソー)である(3)。国民は、社会契約を結ぶ前の個人とは明確に区別される。これの表す所は、主権が国民にあり、国民が個人の集合体である以上、主権を代表する所の内閣(国家)の行為は、国民の行為であり、国家(内閣)の責任は、国民の責任であり、つまり、国民を構成する個人の責任であるということである。また、これらの事実は、選挙において代表(自民党及び高市内閣)に投票しなかったから責任がないは成り立たないということを意味している。
これらの事実を改めて認識した時、これまでの対策の失敗の責任を国家に押し付けたり、まるで国家や行政を問題をなんでも解決してくれるドラえもんや親のように思うことが、以下に的外れで、むしろ危険であるということを薄々理解できるのではなかろうか。何故なら、無責任な個人の集合体である所の無責任な国民の代表は無責任でしかあり得ないだろうからである。
Posted by ブクログ
電車を待つ列への割り込みから民主主義を考える。身近なことから本質を探る試みだ。最後は日本国民であるためにどうすればよいかという問いになる。「日米安保」と「憲法九条」がセットである中で、憲法を「今」「ここ」で捉えなおすことに他ならない。