ダンテ・アリギエーリのレビュー一覧

  • 神曲 煉獄篇

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    ベアトリーチェに会いに!
    その思いで辛く、険しい山道を登る。
    ところどころ一息つけるものの、なかなか読み進むのがつらかった。
    頂上に着くとベアトリーチェに会えるが、ベアトリーチェがなかなか手厳しい。
    気づくとヴェルギリウスが消えているし。
    地獄に落ちなくても7つの大罪の罪を煉獄で償わなければならない。
    ああ、天国への道はかくも厳しいものなのか。

    途中、フランスのカペー朝の王たちの名前があげられていたのでカペー家の歴史がついでに読めてしまった。

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    2010年05月27日
  • 神曲 煉獄篇

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    地獄篇のような凄惨な場面は少なく、さまざまな人名が続出して、それぞれの罪を清めている情景が描かれている。
    聞いたこともないような人名は、いったいどのような人物なのかということが皆目わからないのだが、幸いに訳註があるのでおおよそのことは理解できる。
    それにしても、やや煩雑な感は否めない。
    圧巻は、第31歌以降のベアトリーチェとの再会の場面。ゲーテの『ファウスト』も、この場面を意識しながら描かれたのではないかと想像される。

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    2026年04月17日
  • 神曲 天国篇

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    ダンテ本人からの注釈があるように、こちらは地獄・煉獄編に比べて難解。各歌の前に訳者のまとめ文がなければちんぷんかんぷんだったかも。長年の悲願だった3部作を読み終えることができてよかった。

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    2024年12月18日
  • 神曲 地獄篇

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    歴史に名を残すダンテの文学作品、「神曲」です。政治活動に深く関わっていたダンテが政変に巻き込まれてそこから永久追放された後に綴った文学作品であり、まずこの地獄編は人間省察の本であるとも言えるでしょう。人間が地上でどのような悪行を重ねるとどのような地獄に落ちるのかと言うことを詩的に文学的にこれでもかと言うほどの文章では表現できないような恐怖や狂おしいほどの苦悩の様の有り様を生生と活写している本です。
    ダンテがこの本を通して一貫して訴えたいことは因果応報と言う理念のもと、現実に名誉を得て現世では有名だった方などが地獄で生々しく激しい責め苦を受けている姿を描写している様は非常に面白いものがあり、何故そのような責め苦を受けているのかの理由なども記載しており、因果応報とはこのような事かと理解されます。
    一生の間に1度は読んで起きて本であると言えるでしょう。

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    2022年02月14日
  • 神曲 地獄篇

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    よくぞここまで....というほどの、(当時の時点で)ありとあらゆる想像しうる責苦が、生きている中で犯した罪の応報として描かれていて興味深い。
    宗教・歴史上、差別的な思考や記述というのもあるし、作者の偏っているように思える思想も捉えられるが、作者含めた登場人物の強い個性や信念としての印象を残しているような感じ。
    よく「崇高な思想」とか「敬虔さ」みたいな表現を見ることがあるが、本書を読んでいると、それはどれほど窮屈なのだろうかと思ってしまった。

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    2021年10月31日
  • 神曲 地獄篇

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    歴史や宗教の背景がないので、注釈を頼りに読み進めることに。
    上方落語の『地獄八景亡者戯』だ!と理解してから、読みやすくなった。歴史的にはもちろんダンテが先。

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    2021年05月03日
  • 神曲 地獄篇

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    もっと難しく読みにくいものかとおもっていたら、註釈や挿絵がかなり多かったおかげもあり、わかりやすく面白く読めた。

    もっと抽象的な話かとおもっていたら、結構ダンテの私情や私怨が多かったようにおもう。

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    2020年12月10日
  • 神曲 天国篇

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    >他者の暴力によってなぜ善い願いの功徳が減じるかについて
    >絶対的意志と相対的意志の違い →コスタンツァの例で説明
    >破られた誓願は他の善行によって補いがつくか否か

    天国篇、説教臭くなってつまらなかったらどーしよ…て思ってたけどこういう質疑応答が続くのは興味ある~!!ので楽しく読んでる
    生きることは戦いだなぁと思う時があるのですが、なるほどヨブ記にも「人の世にあるは戦闘(たたかひ)にあるがごとくならずや」とあるのですね…しみじみ…

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    2019年03月30日
  • 神曲 煉獄篇

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    >詩行が独立して読むだけでは意味が通ぜず、興趣も湧
    かず、註釈が必要とされるような部分は、詩的作品としては欠陥作品というべきであろう。残念なことにこの種の傾向は煉獄篇末尾から天国篇全体を通じて強まる傾向にある。
    >君ら生きている人々はなにかというとすぐ原因を
    天のせいにする、まるで天球が万事を
    必然性により動かしているかのような口吻だ。
    仮にそうだとすれば、
    君ら人間の中には
    自由意志は滅んだことになり、善行が至福を
    悪行が呵責を受けるのは正義にもとることとなる。
    天球は君らの行為に始動は与えるが、
    万事がそれで動くのではない。仮にそうだとしても
    善悪を知る光や自由意志が君らには与えられている。
    そしてこの意志は初期の戦いでは
    天球の影響を受けて苦闘するが、もし意志の力が
    十分に養成されているならば、すべてに克てるはずだ。
    君らは自発的に、より大きな力、より良き性質に
    自由に服することができる。その性質が君らの中に
    もう天球が左右できないような智力を創り出す。
    だから、現在の世界が正道を踏み外しているとするなら、
    原因は君らの中にある。君らの中に求めるべきだ。(十六歌)
    >疲労困憊するなどと繰返して言いながら、私たちがここまで夢中になって『神曲』のなかを歩みつづけてこられたのは、結局は訳者平川祐弘の流麗明快で活気に満ちた訳文のみごとさによるものにほかならぬことに、あらためて気がつく
    平川先生の訳と注釈の頼もしさ、さながらダンテを導くウェルギリウス先生の如しなので解説めちゃくちゃ分かるになった。そしてあらすじ知るだけなら漫画でもいいかと思ったけどダンテ達と一緒に歩く読書“体験”が重要だったと思うから「『神曲』のなかを歩みつづけ」るという表現にも共感

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    2019年04月05日
  • 神曲 地獄篇

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    地獄篇、煉獄篇、天国篇の3篇。壮大な構想と、綿密な構成、そして巧みな表現ということで文学史上に屹立する作品(だそうである)。

    ダンテの生きた時代への理解が不十分なので読みづらくはあったが、読み応えは確かにある。ダンテが、キリスト者として当時の世界観のなかで、あらん限りの要素をこの詩の中にぶち込んでいる所が凄みか。書いている者の思いも、読む者の受け止め方も、今日とはまた違うものであったろう。また、神の世界を描いてもあくまで世俗的なところから離れていないのも魅力だ。

    最近読んだ「ディアスポラ」にちょっと近いところを感じる。変な比較か?

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    2018年11月05日
  • 神曲 天国篇

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    "神曲の最終巻。天国編。キリスト教の世界観。
    地獄、煉獄、天国の三冊の中では、地獄編が一番おもしろいと感じた。
    世界の三大宗教の一つキリスト教、聖書を読み学ぶことで、西洋の思想のベースを理解したいと思った。
    もちろん、コーランやスッタニパータも読まないと世界を俯瞰できないかな。"

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    2018年10月19日
  • 神曲 天国篇

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    ネタバレ

    目次より
    ・天国篇
    ・詩篇

    天国篇はほぼ宗教論に終始していて、今までの映像的な描写は格段に少なくなり(挿絵も激減)、小難しいやり取りが続きます。
    “君たちはおそらく
    私を見失い、途方に暮れるにちがいない”

    さて、地獄篇からの懸案事項、「キリスト以前に死んだ善人が地獄にいることの是非について」にとうとう回答が!

    “その男の考えること、為す事はすべて
    人間理性の及ぶかぎりでは優れている。
    その生涯を通じ言説にも言動にも罪を犯したことがない。
    その男が洗礼を受けず信仰もなくて死んだとする。
    その彼を地獄に堕とすような正義はどこにあるのだ?
    彼に信仰がないとしてもそのどこに罪があるのだ?”

    “天の王国は熱烈な愛と熾烈な望みによって
    掟が破られることを許すことがある。
    それらが神意にうち勝つのだ。
    人が人に勝つのと同然ではない。
    神意が負けることを望むから勝つのだ。”
    問いに対する答えがこれ。
    熱烈な望みがあれば、掟をまげて天国に受け入れることもある。
    ただし、それは人が神に勝ったというわけではなく、あくまでも神が受けいれようと思ったからだ、と。
    つまり神の自在定規ってこと。

    “そしておまえら現世の人間よ、判断はけっして迂闊に
    下さぬがよい。神を見る我々の目にも
    神に選ばれるべき人々の姿がみな映るわけではないのだ。”
    そして神の決定に口を出すな、と。

    アダムとイブが楽園を追われたのも、禁じられたリンゴを食べたからではなく、リンゴを食べることによって神と同等の存在になろうとした高慢のためにだというのには納得。
    なるほどね。

    地獄が非常に感覚に訴えるものであったのに対して、天国篇は論理的。
    “人は感性で知覚されたものから
    はじめて知性に適するものを学び取るからです。”

    宗教って感覚的なものから始まるけれど、最終的には論理に向かう。
    それはつまり、人間はそういうものだからだ。

    …ということしかわからんかったわ、結局。
    そして、天国で、一糸乱れぬポーズでうじゃうじゃといる天使がとても気持ち悪い。居心地が悪いと思う私は、とても罰当たりです。

    自分らしさ=業ってことなのかな。
    自分らしさ、人間らしさを捨てないと天国に行けないのであれば、人として生まれた意味は何なのだろう?
    やっぱりもっと勉強しないとダメですか?
    ちょっとしんどいな。

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    2017年02月12日
  • 神曲 地獄篇

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    ネタバレ

    左手の堤へ鬼たちは向かったが
     出かける前にみな自分たちの隊長に向かって
     合図にしたでべえをして見せた。
    すると隊長の方は尻からラッパをぷっと鳴らした。

    時代を超えて読まれる名著中の名著。お堅いのかと思いきや、放屁場面が出てきた…。ルネッサンスの時期に、キリスト教の世界がどのように思われていたかがよくわかる本。口語訳である上に、背景が注に書かれているので分かりやすい。地獄、煉獄、天国編があるのだが、登場人物が実話や神話に基づいているのに驚いた。つまり、ダンテが地獄に落としたいと思っていた人は見事に地獄でお会いすることになる。マホメットはキリスト教を信じていたが、そこから分裂してイスラム教を作ったなど、古代の常識や慣習を知ることができるのも魅力の一つ。相当の知識がないと読み砕けないので、博学になってから読むのでも遅くはないと思った。

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    2015年07月17日
  • 神曲 煉獄篇

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    ネタバレ

    ダンテはウェルギリウスに導かれ、最上部の地上の楽園(エデンの園)を目指して七つの圏(わ)を登っていく。そのそれぞれの圏(わ)では、キリスト教の七つの大罪(高慢、嫉妬、怒り、怠惰、貪欲、大食らい、色欲)を犯した魂たちがその罪を浄められている。
    その浄められ方がなるほどそうなのだろうという感じ。
    地獄編もそうだったが、ダンテさんの想像力、描写力はやはり凄い!

    Mahalo

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    2014年06月26日
  • 神曲 地獄篇

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    有名な作品なので、一度は読んでおこうと思い読んでいる。
    歴史的背景や、宗教的背景もあまり知識がないので理解がなかなか難しい。
    詩の訳というのは原文のニュアンスとかを正しく伝えるのは難しそうであるが、表現が独特で面白い。
    視覚的なイメージはゲーム「デモンズソウル」が近いのではないかと思う。

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    2013年11月23日
  • 神曲 天国篇

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    天国篇では当時のスコラ哲学の神学議論を前提としたダンテの宗教観が最も直接的に表れている分、やはり読み進めるのに苦労するのは否めない。それにしても全篇に渡って挿入されているギュスターヴ・ドレの荘厳な挿絵と平川祐弘による読みやすくリズム感のある素晴らしい日本語訳、そして各歌ごとの丁寧な前文と詳細な解説がなければ、この全3篇100歌14233行からなる叙事詩を読み切ることはとても叶わなかっただろう。3の数字を基底とする、幾何学的に構築されて無限へと向かおうとするこの世界観にボルヘスが夢中になるのも無理はない。

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    2013年03月19日
  • 神曲 煉獄篇

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    地獄や天国と違って煉獄というのは日本人になかなか馴染みがないのだけど、そもそもキリスト教内でもプロテスタントや正教会は煉獄の存在を認めてないのだから仕方がない。地獄が信心を持たない者がその罪によって裁かれる場所なのに対して、煉獄は信者として救済を約束されていながらも生前の罪を浄化するために設けられた苦しみの場であるというのも始めて知って興味深かった。内容は一層混み入ったテーマやさほど有名でない人物議論に入っていくが、ウェルギリウス先生と共に行く煉獄山の登山光景は地獄の重苦しい雰囲気と違ってどこか爽やか。

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    2013年03月18日
  • 神曲 天国篇

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    地獄篇・煉獄篇を経て終局たる天国篇(Paradiso)へ。

    ダンテは遂に、至高天にて、"天上の薔薇"とも呼ばれる光の中心に「いっさいの望みの究極(はて)」である神を観るに到る。

    「ただそれだけが真実な、崇高な光輝の/光線の奥へ、さらに深く、はいっていった」 「その光の深みには/宇宙に散らばったもろもろのものが/愛によって一巻の書にまとめられているのが見えた」(以上、第三十三歌)

    全三篇、粘着的なまでに体系的な、宗教という強迫観念の大伽藍を見せつけられた。

    □

    ダンテ自身が冒頭で述べているように、天国篇は地獄篇・煉獄篇に比して難解であり退屈でもある。神的宇宙と云う肉体的現実界とは隔絶された観念体系を、神学的な抽象語で以て綴らねばならぬのだから、尤もではある。それに、善を語るには小理屈を練らねばならぬが、悪にはそれ自体の生々しさがありそれだけでも興味を惹くものだ。

    神の絶対性を中心に据えてしまえば、そこから無尽蔵のレトリック・贅言冗語を導出し、如何ようにも言葉を踊らせることができる。「神意」だの「至上善」だの「愛の光」だのと定義不明瞭・定義不可能な語を持ち出されては、叙述や対話の論理的連関は曖昧模糊となること不可避だが、その曖昧さを伴ったまま、神学体系は至高の天上へ向けて何処までも恣意的に語り上げられていく――その「厳格さ」だけは決して放棄されることなく。神の裁きや地獄の罰の如何もこのように恣意的に導出されてしまうなら、これはもはや専制だ。こうして宗教的権威は世俗に於いて権力をもつことになる。権力者と云うのは、言葉を支配し同時に言葉を支配の手段にするものだが、宗教的権力こそが人類史に現れた最初の"言葉の創造=支配者"ではないか。

    なお、"永遠の女性"であったはずのベアトリーチェは、最後までキリスト教の教説をひたすら復唱するだけの「自動人形」(正宗白鳥)に過ぎない。

    □

    第二十二歌の訳註で紹介されている、クローチェ(1866-1952)によるダンテ評が興味深い。

    「世界からの逃避、神への絶対的帰依、禁欲主義、などは、ダンテの精神にとって異質なものであったから、『天国篇』の中にこうしたものは見あたらない。ダンテは世界から逃避しようとしない。彼は世界に教訓を垂れ、世界を矯正し、世界を改革しようとして、天上の至福に言及する。・・・。天と地という二つの世界が公然たる対照裡に示された時でさえ、神的なるものが人間的なるものにうち克ち、それを徹底的に放逐してしまった、とはどう見てもいえないのである」(『ダンテの詩』)

    確かにダンテは至高天に於いてもなお俗世の政治家や聖職者をしつこく非難し続けており、天上に在りながらも現世に於ける政治的事業のことが心から離れているようには思えない。

    宗教に神秘的な忘我の契機を求める者は、アリストテレス-トマス・アクィナス的な目的論的世界に於いてもいたであろう。しかし、ヴェーバーの『中間考察』にあるように、断片化された自我がその全体性を回復しようとして非合理的な対象との合一を求めようとするのは、資本主義と官僚制に覆われニヒリズムに到るもなお留まることのない機械論的世界、則ち近代の人間に特有の傾向なのだろう。

    □

    最後に警句を一つ。

    「見当のつかぬ事柄については早急に是非を論ぜず、/疲れた人のように歩みを遅らせるのがいいだろう。/・・・/細かい判断もなしに肯定否定を行う者は/愚か者の中でも下の下たる者だ」(第十三歌)

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    2012年08月21日
  • 神曲 煉獄篇

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    二人の詩人、ダンテとウェルギリウスは二十四時間の地獄めぐりを経て、大海の島に出た。そこにそびえる煉獄の山、天国行きを約束された亡者たちが現世の罪を浄める場である。二人は山頂の地上楽園を目指し登って行く。永遠の女性ベアトリーチェがダンテを待つ。清新な名訳で贈る『神曲』第二部煉獄篇。

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    2011年10月20日
  • 神曲 地獄篇

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    ネタバレ

    ダンテ『神曲』地獄編,河出書房,2008(初版1966)
     再読(2009/8/12)。基本的にはウェリギリウスに導かれて、ダンテが地獄を旅する話である(ちょっと『西遊記』みたいだ)。
     ダンテ(1265-1321)はフィレンツェに生まれ、法王党として政治にかかわり、1302年、故郷を永久追放された。『神曲』は1300年頃の設定で書かれており、ダンテの敵が地獄で手ひどく罰せられ、大便のなかでのたうちまわっていたり、自分の首を提灯のようにさげて彷徨っていたりする。師匠がじつは男色の罪を犯していて、引かれていく途中だったり、亡者が地獄の鬼(悪魔?)に鞭打たれていたり、貪欲な亡者がぐるぐる回って、ぶつかって罵りあったりと、地獄はまあそんな所である。冷たい雨が降ったり、火の粉が絶えず降ってきたり、空気がくさっていたり、ときどき、ケルベロスだのミノスだのミノタウロスなどの怪物や、巨人がでてきて、悪態をついたり、予言をしたりする。キリスト教徒じゃなかったホメロスは辺獄(リンボ)の片隅で淋しくしている。マホメットやアリーは二つに裂けている。キリスト教を分離させた者に応報の罰らしい。
     たぶん、現代の映画なんかで消費しつくされたイメージだからだろうか、偉大な作品ではあるんだろうが、内村鑑三のように身の毛がよだつこともなく、こんな所かと読んでいる。地獄編が面白くないのは、ダンテが敵をいじわるく痛めつけているからもあるけど、そこには人間の「生活」がないからだと思う。ちなみに地獄でも、派手に痛めつけられている「主人公」は大悪人で、凡人は地獄に落ちても脇役である。悪人としては、恋に身を忘れた者から、偽金作り、裏切り者までたくさんいて、みな因果応報の罰をうけている。貪欲なものは生前自分がサイフにつめこんだように、地獄では自分が穴に詰め込まれていて、足だけでていたりする。
     ウェルギリウスとダンテは地獄を底まで下りていき、地球の重力があつまるところで、悪魔大王(ルシファーとかベルゼブルとよばれる)をみる。大王はキリストを裏切ったユダと、カエサルを殺したブルータスとカシウスを三つの首でかみ砕いている。彼らは悪魔大王の毛をつたって、南半球にでていくのであった。
     「神曲」の「神」は形容詞で、「神のごとき」の意味で、後に冠せられた。もともとの名称は「コンメーディア」とのこと、「ハッピーエンドの話」の意味だったが、のちに転じて、「喜劇」の意味になった。「光も黙る」とか「年老いた裁縫師が針に糸を通すような目つき」とか、うまいなと思う比喩はある。
     『神曲』はイスラム圏では悪魔の著らしい。平川祐弘(『マテオ・リッチ伝』の著者)による注釈は詳細、カーライルやブルクハルト、正宗白鳥や内村鑑三、与謝野晶子などの意見を事細かく、引いてくれている。訳としてもよみやすい。『神曲』はその後の地獄のイメージなどに影響を与えた作品で、中国に宣教したイエズス会士などの頭にもあった作品だろうと思う。

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    2014年12月11日