ダンテ・アリギエーリのレビュー一覧
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歴史に名を残すダンテの文学作品、「神曲」です。政治活動に深く関わっていたダンテが政変に巻き込まれてそこから永久追放された後に綴った文学作品であり、まずこの地獄編は人間省察の本であるとも言えるでしょう。人間が地上でどのような悪行を重ねるとどのような地獄に落ちるのかと言うことを詩的に文学的にこれでもかと言うほどの文章では表現できないような恐怖や狂おしいほどの苦悩の様の有り様を生生と活写している本です。
ダンテがこの本を通して一貫して訴えたいことは因果応報と言う理念のもと、現実に名誉を得て現世では有名だった方などが地獄で生々しく激しい責め苦を受けている姿を描写している様は非常に面白いものがあり、何故 -
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>詩行が独立して読むだけでは意味が通ぜず、興趣も湧
かず、註釈が必要とされるような部分は、詩的作品としては欠陥作品というべきであろう。残念なことにこの種の傾向は煉獄篇末尾から天国篇全体を通じて強まる傾向にある。
>君ら生きている人々はなにかというとすぐ原因を
天のせいにする、まるで天球が万事を
必然性により動かしているかのような口吻だ。
仮にそうだとすれば、
君ら人間の中には
自由意志は滅んだことになり、善行が至福を
悪行が呵責を受けるのは正義にもとることとなる。
天球は君らの行為に始動は与えるが、
万事がそれで動くのではない。仮にそうだとしても
善悪を知る光や自由意志が君らには与えられている -
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ネタバレ目次より
・天国篇
・詩篇
天国篇はほぼ宗教論に終始していて、今までの映像的な描写は格段に少なくなり(挿絵も激減)、小難しいやり取りが続きます。
“君たちはおそらく
私を見失い、途方に暮れるにちがいない”
さて、地獄篇からの懸案事項、「キリスト以前に死んだ善人が地獄にいることの是非について」にとうとう回答が!
“その男の考えること、為す事はすべて
人間理性の及ぶかぎりでは優れている。
その生涯を通じ言説にも言動にも罪を犯したことがない。
その男が洗礼を受けず信仰もなくて死んだとする。
その彼を地獄に堕とすような正義はどこにあるのだ?
彼に信仰がないとしてもそのどこに罪があるのだ?”
“ -
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ネタバレ左手の堤へ鬼たちは向かったが
出かける前にみな自分たちの隊長に向かって
合図にしたでべえをして見せた。
すると隊長の方は尻からラッパをぷっと鳴らした。
時代を超えて読まれる名著中の名著。お堅いのかと思いきや、放屁場面が出てきた…。ルネッサンスの時期に、キリスト教の世界がどのように思われていたかがよくわかる本。口語訳である上に、背景が注に書かれているので分かりやすい。地獄、煉獄、天国編があるのだが、登場人物が実話や神話に基づいているのに驚いた。つまり、ダンテが地獄に落としたいと思っていた人は見事に地獄でお会いすることになる。マホメットはキリスト教を信じていたが、そこから分裂してイスラム教を -
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地獄篇・煉獄篇を経て終局たる天国篇(Paradiso)へ。
ダンテは遂に、至高天にて、"天上の薔薇"とも呼ばれる光の中心に「いっさいの望みの究極(はて)」である神を観るに到る。
「ただそれだけが真実な、崇高な光輝の/光線の奥へ、さらに深く、はいっていった」 「その光の深みには/宇宙に散らばったもろもろのものが/愛によって一巻の書にまとめられているのが見えた」(以上、第三十三歌)
全三篇、粘着的なまでに体系的な、宗教という強迫観念の大伽藍を見せつけられた。
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ダンテ自身が冒頭で述べているように、天国篇は地獄篇・煉獄篇に比して難解であり退屈でもある。神的宇 -
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ネタバレダンテ『神曲』地獄編,河出書房,2008(初版1966)
再読(2009/8/12)。基本的にはウェリギリウスに導かれて、ダンテが地獄を旅する話である(ちょっと『西遊記』みたいだ)。
ダンテ(1265-1321)はフィレンツェに生まれ、法王党として政治にかかわり、1302年、故郷を永久追放された。『神曲』は1300年頃の設定で書かれており、ダンテの敵が地獄で手ひどく罰せられ、大便のなかでのたうちまわっていたり、自分の首を提灯のようにさげて彷徨っていたりする。師匠がじつは男色の罪を犯していて、引かれていく途中だったり、亡者が地獄の鬼(悪魔?)に鞭打たれていたり、貪欲な亡者がぐるぐる回って、ぶ