ダンテ・アリギエーリのレビュー一覧
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一日一歌読み進めたが、その一時一時は非常に贅沢な時間だった。
序盤は舞台設定の目新しさに惹かれるものの、半ばこれが不朽の名著たる所以ってなんだ?と悶々とし、終盤になってようやく朧げにその輪郭が見えてきた。
とは言え、原語(トスカーナ語)の詩的な情緒だったり、ウェルギリウスやホラティウス等の詩を味わうことなしに僕の中で名著だと断言はできない。んー歯痒い。
そんな中でも、確実に言えるのはダンテの想像力と描写力、教養の深さは並大抵ではないこと。恐らくそれが名著たらしめている大きな要因だと個人的に思う。
ダンテは実際に見たことのない地獄の世界を行ったかのようにありありと描写する。絶妙な比喩もそ -
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西洋古典として名高い『神曲』。
格式高いイメージでしたが、全部で100歌に分かれていて、それぞれのボリュームは大きくないので、割と読みやすかったです。
地獄篇は、詩人ウェルギリウスをお供にダンテが地獄を巡ります。キリスト教社会の死生観や当時のイタリア国内の状況が垣間見ることができます。地獄で刑を受けている人物にダンテの知り合いが多数おり、中には師匠までが責め苦を受けています。特に、ダンテの政敵が出てくるあたり、ダンテの怨念というか私情が感じられて面白いです。
また、世界史上で見知った偉人が出でくる辺りも、当時の価値観が見えて面白いです。サラディンが出てきて驚いた。とはいえ、皆地獄行きとして書か -
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挿し絵豊富だし注釈も親切で宗教・歴史的教養の無い私にも優しい・・・
平川先生訳の神曲、訳文も読みやすいし文章の固さがちょうど良くて(これは人によって好みありそう)理屈的に「?」てなるところは注釈で他の文献からも引いて来つつ解説されてるから痒いところに手が届きますありがてぇ~賢い人の教養お裾分けありがてぇ~
イスカンダルも地獄の下層で人の血を流し産を掠めた暴君として赤々と煮えたぎる血の川で煮られていますからね…所変わればですね
宗教、自殺者に厳しいよね。。。
最後の審判の日に己の亡骸を探しに行くも自分で捨てたものを再び身につけることは許されず地獄の森で自らの魂の茨の木にその肉体が吊るされる。。。 -
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ネタバレ煉獄というのは、天国へ行く前に現世の罪を浄める場所。
これはカトリックだけの教えのようです。
プロテスタントには天国と地獄しかありません。
ここも天国ではありませんから、地獄ほどではありませんが苦しみに悶えながら罪を償っています。
本来罪を犯した人は地獄に行くのではないの?
一度の罪で地獄に落とされ永遠に地獄で苦しみ続けなければならない人と、煉獄でゆっくりゆっくりと罪を浄めて天国へ入れる人のちがいがわかりません。
だたし、どんな理由があろうとも罪を犯すのは結局本人の意思。
“天球は君らの行為に始動は与えるが、
万事がそれで動くのではない。仮にそうだとしても
善悪を知る光や自由意志が君らには -
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ネタバレご存知でしたか?
これは詩なんです。
一応ダンテが実体験したことになっていますが、生きたまま地獄を巡るわけです。
当時はキリスト教が法王派と教皇派に分かれて争い、法王派であったダンテは政争に敗れて追放されていました。
そんな失意のダンテの前に、古代ローマの詩人ウェルギリウスが現われ、神が創りたもうたこの世界を見て、この世の人たちに正しく伝えるように言うのです。
で、まず地獄から。
文字を読める人が少なかった中世の頃、夜、薄暗いろうそくの明かりの下で武器や農具の手入れ、織物などの手作業をしながら誰かに読んでもらって聞く地獄の様子は、それはそれは恐ろしく感じられたと思います。
死ぬほど地獄に行 -
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まぁ…どちらにしてもダンテさんの頭のなかはこうだったんだということが出ているんでしょう。西洋の人の極端さが認められてん〜んって感じ。
日本にも地獄思想があったので、人間ってそんなものなのかとちょっと落胆しましたが、脳は変われますから希望は持ちましょう。
個人的にはギリシャ神話やローマの英雄なんかがちょくちょく出てきて楽しめました。
乗りかかった船なので仕方がないから、気は進まないけど煉獄篇、天国篇も一応読んでみます。
訳者の平川先生のボッカチョ作の「デカメロン」はきっと池田先生テイストなんじゃないかと読んでみたくなりました。
Mahalo -
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地獄編に続いて煉獄編。
煉獄とは、生まれ変わるために魂の浄化が行われる場所で、巨大な山になっている。
地獄編よりも。情景の描写が一層文学的になり、また思想も多く散りばめられている。
しかし、地獄編よりも面白みは薄くなってしまった印象。
ダンテと会話をする人物それぞれの個性が立っていないので
全体的にぼんやりしているのかも。
後半でベアトリ―チェにやっと逢うことができるが、まさか遭遇した時のベアトリ―チェが結構強烈な人で驚いた。
それにしても、ウェルギリウスがここでお別れしてしまったので、「先生」の言葉と素敵な振る舞いが、これから天国編でみられないのは、大変に惜しい。
地獄の罰を受けること -
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地獄篇から煉獄篇(Purgatorio)へ。
全ての霊は、死後、肉体を離れ、地獄行きか煉獄行きか分別される。生前の信仰のため、地獄に堕ち永劫の罰を受け続けるのを免れた霊が、天国界へ昇るのに相応しくなるべく罪を清める場所がこの煉獄界、浄罪界とも訳される(なお、聖書に煉獄界の記述は殆ど無く、のちのプロテスタント教会ではその存在を認めていない)。
浄められるべきは七つの大罪。傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・貪欲・大食・色欲。地獄で罰せられる罪よりも日常的なものであるため、キリスト教の倫理的厳格さが却って身に詰まされる。
「私の血は嫉妬に煮えたぎっていたから、/もし人の幸福を見ようものなら、/顔面 -
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言葉にも血にも土にも神にも共通をもたない私が、道中、取り零す以前に直観し得なかったものは、莫大である。が、代わりに極公正な機能でもって眺めた時、一連の旅路を拓ききった詩人の空想・構想・信念・情熱・自負の力、乃ち愛の強大は圧巻だ。
全てを同じに有すべく、又視覚的刺戟——TVやスクリーン、果てはRPGなど含めた処の——の未だ自然の域を出ない時代に産まれた人々には、きっと、本当に詩人は死後の世界を巡って還って来たと思われたのではないだろうか。真摯に心眼見開き耳聳てれば、同じ民だ、同じものを観得ると信じられたに違いない。その信頼のもたらす恩恵は、読書に在っても無論絶大である。書物離れた雑務の時にさえ、 -
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其れが目的のひとつであるからには当然のことなれど 宗教文学のとどのつまりは その宗派に属する者の祝福にあるから 何れを採っても私などは蚊帳の外 お陰で公正な眼でもって その教義が宗派を超えた処で——つまり万民にとって普遍の真理たり得るか否かを観察することが出来る。熱狂や戦慄からは一線も二線も画されて在り 個人的反省や呵責を別としたなら 所詮他人の土俵上の取組を観覧しているに過ぎない。
外国文学を採る限りは そうした一抹の無益は付き纏う訳だが このように小さな 旗頭をもたない国土に産み落とされたのは運の尽きで 彼方の人類史に占める面積も質量も大きい以上 理不尽でもこれに組み拉かれて往くより仕方は -
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地獄と比べてここ煉獄にいる人たちは KiKi にとってあまり馴染みのない人が多かったです。 そうそう、それとですね、地獄と煉獄って形からすると地獄をひっくり返したのが煉獄・・・・みたいな形になっているみたいです。 要は地獄はすり鉢状・・・というか漏斗状で下へ行くほど狭まってその先っちょにあるのが氷漬けの世界なんだけど、煉獄はそれを上下ひっくり返したような形の急峻な岩山でその天辺にあるのが天国・・・・らしい。 地獄から天国に移動する際には地獄の底に埋まったルシフェロの体づたいにダンテはウェルギリウスに負ぶさって、地球の球体のど真ん中を突き抜けてエルサレムとはちょうど反対側に突き抜けていくよ