西村義樹のレビュー一覧
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全6回構成でその主題は次の通りです。
第1回:チョムスキー以後の言語学史
第2回:認知言語学の意味論
第3回:プロトタイプ意味論
第4回:使役構文
第5回:メトニミー
第6回:メタファー
第3~6回は、言語学に興味があれば、そこだけ読んでも面白いです。
反対に第1、2回は、事前知識なしだとよく分からない話をしています。
そして、哲学寄りの話をしている第2、3回こそ、哲学と言語学の先生の対談にした意義が表れているのかなと思います。
全編にわたって大変面白い本です。
普通に読んでいたら素通りしてしまいそうなところでも、聞き手の野矢先生がバシバシ突っ込みを入れてくるのですが、そういう頭のいい人の -
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めっちゃ面白く読みました。
やはり何か新しい手ごたえが生まれてくる瞬間に立ち会うというライブ感(もちろん疑似的なものにすぎないわけですけれど)は、面白さを倍増させる気がしますね。
でも、この本を「面白い」と思うための条件は割と厳しいと思います。
まずこれまでに「「野矢哲学」に一度でも触れたことがあること。
そして大学2年生レベルの言語学についての基礎的な理解があること。
この2点をクリアできる人って、本当に大学でその分野を専攻している人に限られるんじゃないだろうか。
だから署名は『入門』じゃなくて『教室』なんだろうなあ。高校生が読んでもちょっと太刀打ちできないだろうと思います。
チョ -
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人間は言語を道具として操ることで他の動物にない進化を遂げた。とか何とかいうのは近代的な認識で、20世紀初頭の言語学の勃興以降、言語によって人間の認識が影響を受けるといった言語論的転回がおこり、極論すれば人間こそが言語の道具である、というのが現代思想であった。
しかし、学問というのは進歩するのではなく振動するものらしく、そうした言語中心主義も揺り戻しが来て、ふたたび人間の心理が言語に影響を及ぼしているという認知言語学が出てきた。本書は言語哲学の野矢茂樹が認知言語学の西村義樹に教えを請うという形の対談によって、認知言語学を解説したものである。茂樹と義樹、ふたつの樹が認知言語学に迫る。
一般 -
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野矢茂樹は、私の好きな哲学者だ。日常を眺める角度を少しだけずらせてみせて、気が付くと哲学的な思考の深みへと自然に誘ってくれる。この人が、「認知言語学」に興味を持ち、自分が生徒になって、その道の研究者である西村義樹に教えを請うという形の対談本なので、これは見逃すわけにはいかない。面白い例文が次々と飛び出してきて、退屈する暇はない。
「雨に降られる」とは言うが、「財布に落ちられた」とは言わない(これは、「間接受身」とか「迷惑受身」と呼ばれる)。
「嘘」は、広辞苑では「真実でないこと」とあるが、「嘘をつく」というのは「①事実でないことを言う、②発話者自身が事実ではないと思っていることを言う、③ -
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実に楽しく、明快で、かつ高揚感に溢れる一冊。異なる言語間の形式的差異を文化の違いに帰するだけの本ならいくらでもあるが、この本が読み手を連れて行く(←語彙的使役)場所はそれより遥かに深く鮮やかな色彩に満ちている。言語学者と哲学者の、どちらが主とも従とも、教師とも生徒ともつかないままの対談形式は澱みもなく、豊富な例とも相まって読み手の理解を大いに助けてくれる。「言語学」「哲学」などというと堅苦しいが、難解な所は全くなく、肩肘張らずリラックスして読める良書。巻末のブックガイドと索引も有難い。
ところで何年か前、大学の農学部を舞台としたマンガが人気を博したことがあったが、その中で「かもす」という動詞 -
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【星:4.5】
哲学者として有名な野矢氏が生徒で、認知言語学者の西村氏が講師という形で、両者のやり取りを通じて、言語学、特に認知言語学とはどんなものなのかということを解き明かしていく内容。
両者の会話形式で進んでいき、会話内容もわかりやすくなっているので、私のような言語学初めてみたいな人にとってのとっかかりとしては良いと思う。
テーマとして挙げられている具体的内容も興味深いもので良かった。
ただ、上記のようにフリーな会話形式で進んでいく形なので、「で、言語学とか認知言語学って結局何なの?」と聞かれると、「言語学は言語を研究する学問全般のことで、そのうち人間の認知という側面から研究するのが認 -
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認知言語学について知りたくて読み始めた本。
対談形式で、東大の哲学の先生が、東大の認知言語学の先生に、認知言語学に関する疑問をぶつけ、言語学の先生もその視点にハッとさせられながら、認知言語学の視点で答えていく。
「雨に降られた」「彼女に泣かれた」などの間接受身という文は、「自分にはどうしようもないという、諦めの感覚」があり、「言葉の問題を言語だけに狭く閉じ込めないで、事柄に対するわれわれの見方や態度と結びつけて考えていこうというのが、認知言語学の特徴」である。
読むのにかなり時間がかかってしまったが、認知言語学の世界に少し近づけたような気がする。 -
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認知言語学者に哲学者がツッコミを入れていく対談。まだ新しくて発展途上の認知言語学の視点から言語学全体の簡単なレビューもしてくれる。対談はざっくばらんで面白いが、意外と咀嚼するのは大変。
古くは言語学といえば言語のルーツなどを調べる学問だったが、ソシュールが共時態の言語学を唱えて言語の構造を調べる方向へ。そしてチョムスキーが単に言語のあり方をブラックボックス的に記述するのでなく、なぜそうなっているかの学問として生成文法をはじめる。言語知識を他の知識から独立したものとして捉えて(狭義の)文法に意味を認めない生成文法に対するアンチテーゼとして生成意味論がおこったが敗北。しかし生成意味の後継者として -
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はじめは言語学の系譜から始まり、認知言語学とは何かを解く。では、認知言語学とは何かといえば言語を可塑的でかつ流動的なものととらえ、言語における主観や含意を認識しようとせんものである。チョムスキーの生成文法が多様性の中で普遍的な核を探求するプラトン的な、科学的な、理系的なものであるのに対し、認知言語学は多様性を掬い取ろうとするアリストテレス的で文系的なもの。生成文法と比較すれば科学的ではないが、心理学との親和性も高く、人間の認知のあるかたというビッグテーマに対し示唆に富んだもの。印象的だったのはメトニミーを参照点理論で説明するものであった。人間は未知のものに遭遇したとき自分の経験から近いものを想
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ネタバレ認知言語学という学問の先生である西村さんが、
哲学者の野矢さんを生徒役に迎えて対談する形式の本です。
本書の中盤にはいるくらいの話になるけれど、
言葉でカテゴライズするときにプロトタイプがあって、
それに拠ってカテゴリー分けしているという。
プロトタイプというものにプラトンのイデア論が思い浮かびました。
似てるかな、と。
ぼくは、言語の成り立ちや構造にも興味があるけれど、
言語化の前段階の意味だけの状態にもっとも興味があるみたいなんです。
学生のときから、言葉の源泉のどろどろしたものとして興味を持っている。
独創性に絡めてね。つまり、独創性はそのどろどろの内容によるというわけです。
認知