西村義樹のレビュー一覧
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本屋さんを物色していると思わぬ類の本に遭遇することがあります。この本もその一冊。本の帯にあった「昨日、財布に落ちられました」はどうしておかしいんだろう?というペンギンの絵のセリフに目を奪われて中身をぱらぱらめくると、さらに「雨に降られた」はごく自然な日本語なのに「財布に落ちられました」は?・・の理由が、対談形式で述べられている・・というわけで、普段意識しない言葉の使い方の世界を覗きみてしまった感じで無視できず、つい買ってしまいました。
対談形式ですが、中身は言語学の格闘技のようなお二人の議論が延々と続きます。認知言語学という分野を研究している西村さんを師として、年下の哲学者の野矢さんがこの分野 -
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言語を文法だけでなく人間の認知として捉えることが認知言語学らしい。
本書は対談のテープ起こしであるが、そのライブ感だけでなく、二人の感性、本文では違和感と表記されるもの、が伝わってくるのか面白い。
工学の立場からすると、こんな曖昧なものが学問として成り立つのか、プログラムに出来ないものが金になるのか、とも思ったのだが、感性が殆んどであろうUX/UIの話にも似ていて参考になる。
画像の話もそうだが、結局認知とは、そもそも人間に備わっている機能、その機能に関する記憶、他の機能、特に感情に関わるものとの相互作用だと思う。
同じものを見たとして、認知はその人で異なるのはもちろんのこと、コンテキ -
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最近、ラネカーの「参照点」と「ターゲット」の概念モデルが、UIとUXの関係性について捉えるのに役立つと思っていたところでしたので、色々自分自身整理ができて良かったです。もっとも、UIとUXの場合は明確に一方向性が強いので単純に適用はできないけど、今一番ホットな話題のskeumorphismとかタッチインターフェイスにおけるページ捲りの動作とかは大体これで捉えられます。
第5,6回については、ドナルド・ノーマンの『複雑さと共に暮らす』で書かれていた、世界は複雑でありデザインはその複雑さを反映したものである、という趣旨(iOS 7の紹介でJony Iveが同じことを言っていましたが)が言語の「創 -
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1
チョムスキー生成文法論(解釈意味論)⇔レイコフ生成意味論
syntax 統語論=構文論
意味は扱わない
2
スキマティックな意味
3
カテゴリー
言語哲学の内包と外延
ファジィ集合論
ウィトゲンシュタインの「家族的類似性」
→プロトタイプ(典型例、模範例、ステレオタイプ)
「プロトタイプ意味論」
認知言語学的
「犬という語の意味は何か」ではなく「語の意味を理解しているとはどういうことなのか」
コンテクスト(発話の状況)から独立した意味を扱う意味論
コンテクストに依存する意味を扱う語用論
→認知言語学では区別できない
野矢「意味に関わる事実を「典型的な物語」と呼びたい」
≒百科 -
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東大の哲学の先生が認知言語学の先生にあれこれ質問する、という対談形式で書かれた本。認知言語学、意味論の入門的な内容で、認知言語学が誕生した経緯(言語学史)から、形式と意味は不可分なのかという話題で生成文法の考え方との対照、認知言語学の主要なトピック(プロトタイプやフレーム、使役、メタファー)について書かれている。巻末には認知言語学をさらに知り、あるいは研究するための丁寧な文献案内もついていて、親切。
語の意味については、たしか意味素性?というのを昔習ったような。それに比べてプロトタイプとかフレームというのは俯瞰的な視点をまず前提にしている感じで、そこが面白いと思う。そして、野矢先生の「やっ -
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西村義樹と野矢茂樹の言語学の教室を読みました。
哲学者と学ぶ認知言語学という副題のついている、認知言語学の解説書でした。
私は言語学というと文法構文と語彙が独立して構成されているように感じてしまいます。(コンピュータの言語を扱っているからかもしれませんが)
しかし、現代の言語学の最先端では、文法は意味から独立することはできない、というふうに理解されているとのこと。
つまり文法的に正しい文のようでも意味的に正しくなければ正しい文とは見なさないということです。
また、語彙というものは中心となる典型的な意味といくぶん意味的に外れる周辺的な意味を含めて構成されるものだと理解されているとのこと。
例 -
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ネタバレ失語症の勉強のために、言語学について勉強しようと読んでみました。歴史的背景の部分や、概念的な説明などは、イメージしにくく、分かりにくいですが、例をあげながら、対談形式で書かれており、分かりやすくしようとする努力が見えます。認知言語学では、文法と意味が切り離せないと考えられていること、例えば、「知らない人が私に話しかけました」より「知らない人が私に話しかけてきました」の方が自然であるなど、文法事態に意味を含むことがあること、メタファーには、「目が釘付けになる」のような、慣用句のようになった死んだメタファーと、その場その場で生まれる、創造性にかかわる、「夜の底が白くなった」のようなメタファーがある