鈴木直のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
[ 内容 ]
難解な思想・哲学書の翻訳に手を出して、とても理解できないと感じ、己の無知を恥じ入る。
そんな経験はないだろうか。
読者をそのように仕向ける力の背後には、じつは日本の近代化における深刻な問題が控えているのである。
カント、ヘーゲル、マルクスの翻訳の系譜とそこに反映された制度的拘束をあぶり出し、日本の学問と翻訳の可能性を問う。
[ 目次 ]
序章 思想・哲学書の翻訳はなぜ読みにくいのか
第1章 『資本論』の翻訳
第2章 ドイツの近代化と教養理念
第3章 日本の近代化の基本構図
第4章 ジャーナリズムとアカデミズムの乖離
第5章 輸入学問の一断面-カントとヘーゲルの翻訳
第6章 翻訳とはなにか
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
思想・哲学書は我々にとって、なぜ読みにくいのか。
本書を読むと、その謎がかなりの程度わかるような気がします。
翻訳というのは、その原語の文法や言葉遣いに忠実であるべきか。
それとも、原語の語順や言葉遣いよりも意味に忠実になるべきか。
いわゆる「読みにくい」翻訳書というのは、まさに前者だった。
途中でたびたび入る哲学の説明はあまりよくわからなかったけれど、結論として「翻訳はいかにあるべきか」という問題提起をしている点さえわかれば、それで良いのだと思います。
そもそも書物とは読まれるためにあるもの。そして、翻訳者も翻訳でメシを食べていかなければいけないことを考えると、非日常性をかもしているような思想・哲学書でさえ、売れるためにはどう翻訳するか。そうした点において、ビジネス書などの翻訳書と、思想・哲学の翻訳書は、決定的に乖離しているのだと思います。
翻訳も、原語の言葉順や文法に忠実だったり、意味に忠実だったりと、様々な紆余曲折を経ていることには、ちょっとした驚きがありました。
翻訳というものをどう考えるかという良いきっかけに、本書はなるのではないでしょうか。
「翻訳をなによりもまず商品と見なし、商品の質を購買者である読者の目から読み直し、批判的に検討するという、この視点こそ、後の思想・哲学翻訳に決定的に欠落しているものだ」(p39) -
Posted by ブクログ
マルクスの『資本論』やカントの『純粋理性批判』、ヘーゲルの『精神現象学』といった著作の翻訳にひそむ問題を検討しつつ、明治以降西洋の学問を受け入れてきた日本の近代化のありかたを、翻訳文化という独特の視点から見ようとしています。
こうした本書のもくろみそのものは非常に興味深いと感じたのですが、学問の現実社会からの乖離という、やや常識的な落としどころに結論が置かれていることについては、すこし期待はずれに感じてしまいました。近代日本のアカデミズムにおける「教養」の権力分析のような方向へと議論を展開していくことも可能だったのではないかという気がします。 -
Posted by ブクログ
現代においてマルクスの哲学と経済学がもつ意義を、わかりやすく解説している本です。
著者はまず、ヴォルフガング・シュトレークの『時間稼ぎの資本主義』とトマ・ピケティの『21世紀の資本』を取り上げ、新自由主義の問題が顕著に現われつつある現代の状況についての概観をおこなっています。その上で、資本主義は格差問題よりもさらに深刻な問題を孕んでいると指摘し、そのことを明らかにしたのがマルクスの疎外論ないし物象化論だという主張が展開されることになります。
その一方で、ホッブズやロックの社会契約説、ヘーゲルの国家論などについても検討をおこない、従来の社会理論や経済理論が、社会や経済の仕組みを因果的に解き明かそうとする「科学的次元」と、規範的な目的論的観点から社会と経済の進むべき道を考察する「哲学的次元」に引き裂かれていると主張します。そのうえで、おなじ困難を内包しているマルクスの価値形態論をとりあげ、具体的な個々人の交渉によって成立する相対的価値形態から一般等価形態ないし貨幣形態への飛躍のうちに、交易関係が十分に成熟しているという現実的条件が存在していることを指摘し、そこに個人から出発して社会関係を科学的に解明するという「実在的な抽象性」が生まれ出たと論じています。最後に、そうして与えられることになった社会の新たな見方をより包括的に考察するために、現代の進化論的認識論の概要が論じられることになります。
「まえがき」で「全体の議論はマルクスをまだ一度も読んだことのない読者を念頭において進めたい」と書かれているように、議論をわかりやすくしようとする工夫はうかがえます。ただ、社会契約説やヘーゲルの国家論、さらには進化論的認識論など、あつかっている内容が広範にわたっているため、大風呂敷を広げているという印象も受けます。