坂井孝一のレビュー一覧
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「鎌倉殿の13人」の中で中心となる人物たち(義時・時政・政子)の側から書かれているだけあって、ドラマを想像しながら読むことができました。
公式サイトの人物相関図を脇に置いて読めばきっと面白いと思います。
序盤に登場する伊東祐親や工藤祐経についても詳しく書かれており、ドラマでは描ききれないであろうバックグラウンドが分かりました。
ただ、この人物はこのくらいの年齢だろう、とか、このあたりは誇張されているだろう、など史料を結構細かく考察していっているので、読み慣れていない方には若干読みづらいかもしれません。
先に「頼朝の武士団」(細川重男/朝日新書)あたりを読むのをおすすめします。
実は本書は -
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本郷和人氏の『承久の乱』と比較すると、こちらは後鳥羽院の巨人ぶりが際立つ。文化発展に寄与した側面だ。帝王としてのコンプレックス(三種の神器を継承していない)からそうした帝王らしさを追求したとの見立てだ。
また「鎌倉幕府」の存在感も強調されている点は、本郷本との大きな違い。本郷氏は鎌倉幕府というよりも、「北条義時とその仲間たち」という側面を強調。一方、坂井氏本では「チーム鎌倉」の意義を強調しつつも、義時の存在感は左程強くない。後鳥羽院の義時追討の院宣を、鎌倉幕府は幕府への攻撃と見て、一枚岩になれたのが、後鳥羽院のワンマンチームであった朝廷側に大勝利した原因と捉える。
本郷本は実朝暗殺の黒幕は -
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ネタバレ#鎌倉殿の13人 #ラスボス
#後鳥羽上皇
貴族の政治とは儀礼
衰退した宮廷儀礼を立て直す
=あるべき貴族社会を上皇が再建!
1.習礼→諸家の日記提出し研究
台記:藤原頼長日
玉葉:九条兼実
2.公事堅義→学んだ儀礼の口頭試験
3.成果→故実諸「世俗浅深秘抄」
4.実践→直後に節会習礼
内弁役の九条道家を上皇は見事と褒めた
※内弁 大極殿等儀式の主会場の最高責任者
一之上卿(一上)=筆頭公卿が務める
作法知識必要=家に伝わる日記が重要
(清盛は役不足で太政大臣の時もしてない)
子の順徳天皇も故実書「禁秘抄」著した
有職故実と帝王学
※禁中並公家諸法度第1条→禁秘抄コピペ -
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ネタバレ一二一九年、鎌倉幕府三代将軍・源実朝が暗殺された。朝廷との協調に努めた実朝の死により公武関係は動揺。二年後、承久の乱が勃発する。朝廷に君臨する後鳥羽上皇が、執権北条義時を討つべく兵を挙げたのだ。だが、義時の嫡男泰時率いる幕府の大軍は京都へ攻め上り、朝廷方の軍勢を圧倒。後鳥羽ら三上皇は流罪となり、六波羅探題が設置された。公武の力関係を劇的に変え、中世社会のあり方を決定づけた大事件を読み解く。
序章:中世の幕開け
第1章:後鳥羽の朝廷
第2章:実朝の幕府
第3章:乱への道程
第4章:承久の乱勃発
第5章:大乱決着
第6章:乱後の世界
終章:帝王たちと承久の乱
承久の乱が、武士の世を決定づけたこ -
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ネタバレ流石中公新書の乱シリーズ、コンパクト且つきめ細やかな記述で分かりやすく著者の説がよく提示されている。
はじめにで史料について丁寧に解説してくれるのがうれしい。
坂井さんの実朝評価はあらためて勉強になっていて、武士として将軍として堂々とふるまおうとしたことがよくわかる。また、和田合戦が初期鎌倉時代における重要な合戦であったことが分かった。そして、実朝謀殺の背景については、公暁単独犯行説をとられている。
後鳥羽については万能の王だが、部下からは研修ばかりやりたがるめんどくさい会長くらいだったのではないかと、現代風に解説していて面白い。
承久の乱の経緯については、チーム鎌倉の結束が、北条政子 -
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ネタバレ承久の乱が後鳥羽上皇の倒幕運動ではなく、北条義時の追討をし、幕府をコントロール下に置こうとする意図だったのを、北条義時側は幕府に対する攻撃と捉え直すところが面白い。
源実朝という若い朝廷と融和した将軍が失われたことで、幕府と朝廷との間にヒビが入っていき、巨人後鳥羽院が動き出す様が、抗うことができない歴史の流れを強く感じた。
歴史学では、当り前なのかもしれないが、『平家物語』の印象的な場面、宇治川の先陣争いなどが、『吾妻鏡』の記事を基に作られているとあった時に、確かに文学と史書、時代の前後関係から考えると宜なるかなと納得した次第。 -
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日本史に詳しくないので、最後まで読み通せるか不安だったけど、読みやすくて通読できた。
面白かった。
平安時代(末期でいいのかな?)に成立した院政の解説から始まり、後鳥羽院の人物像、鎌倉幕府三代将軍の源実朝の惨殺、そして、承久の乱の具体的な経過、乱後の幕府の体制へと話題が進む。
承久の乱における朝廷と幕府の関係を「後鳥羽ワンマンチーム」対「チーム鎌倉」との言い表しているのが言い得て妙。
後鳥羽院による「北条義時追討」の院宣や官宣旨が発しられてから鎌倉方が入京して京方を制圧する迄の期間が約1カ月。こんなにあっさりと方がついてしまったとは知らなかった。
源実朝の死後、北条家による執権政治で幕