あらすじ
●「承久の乱」へと続く、幕府内の壮絶な権力闘争の歴史とは? ●2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』時代考証者が描く源氏三代「新解釈」。日本史上初の本格的な武家政権である鎌倉幕府では、創設者頼朝の源氏の血統は三代で途絶え、継承されなかった。跡継ぎのいなかった三代将軍実朝の暗殺がこの「断絶」を招いたとされるが、その当時、二代将軍頼家の遺児、あるいは他の源氏の血を引く人々も存在した。にもかかわらず、なぜ彼らは将軍になれなかったのか。そもそも実朝の暗殺が源氏将軍の断絶を招いたのは、自明の理なのか。頼朝による鎌倉幕府の樹立から三代将軍実朝の殺害に至るまで、幕府内の壮絶な権力闘争の歴史を紐解きながら、「源氏将軍断絶」の歴史的な意味を問い直す1冊。
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Posted by ブクログ
鎌倉幕府において、創設者で初代将軍の頼朝の血統は、
三代で断絶した。その三代の将軍についてと、権力闘争、
その後の将軍継承をも含め、史料を基に詳細に解き明かす。
はじめに・・・「吾妻鏡」の意図とその他の史料について。
第一章 源氏将軍の誕生
第二章 源氏将軍の継承
第三章 源氏将軍の確立
第四章 源氏将軍の試練と成長
第五章 源氏将軍断絶
終章 源氏将軍のその後
関係略年表、主要参考文献有り。
鎌倉幕府の初代将軍の頼朝から実朝までと、その後の将軍継承。
それぞれの政治と権力闘争の流れを史料を基に解明していく。
根本史料である「吾妻鏡」から潤色・曲筆をそぎ落とし、
「愚管抄」や「明月記」、様々な日記や書簡、発給文書等の
著作物や史料を調べて当時の状況を考察し、
他の研究者の説をも検証する様子が分かり易く、
まるで推理小説や戦記を読むような感じで楽しめました。
頼朝の、奥州合戦の状況や戦時から平時への体制の変化、
朝廷との関係、網の目の如くの婚姻関係。
頼家の、治世と宿老たちとの関係。
実朝の、「善政」と幕府首脳部との協調で安定した幕政運営。
親王将軍推戴への、実朝、後鳥羽、北条氏のヴィジョン。
だが、頼朝の急死や頼家の急病、実朝の暗殺の、想定外の
出来事が、政権に混乱や対立を招いた。
特に、対立による乱の有り様は凄まじい。
比企の乱、謀叛の疑いで滅亡した畠山氏、和田合戦の凄惨なこと。
また、実朝暗殺当日の状況を「吾妻鏡」と「愚管抄」で比較し、
事件や黒幕を検証し、考察していくのも、ドキュメンタリーの
如くの分かり易さで、興味深く読めました。
Posted by ブクログ
最初は低調だけれど、実朝くらいから面白くなる。リーダーシップのある実朝像と北条氏世の連携による「チーム鎌倉」と実朝生前から親王将軍構想があったとの指摘は新鮮。
Posted by ブクログ
鎌倉幕府が続いていたのは知っているけれど、実朝が倒れた後の将軍が誰なのかは正直よく知らなった。
ならば何故源氏将軍は三代で断絶してしまったのか。
吾妻鏡をベースに愚管抄やその他の資料から読み解く源氏三代の歴史。頼家と実朝の治世も改めて振り返る。
20歳前後で後継を決める時代、後鳥羽上皇の従妹である御台所との間に子供が恵まれず、幕府は後鳥羽の息子を将軍として迎える打診をする。
実朝と後鳥羽の信頼関係。北条との格の違い。
親王将軍候補はどちらも20歳前後。
至高の血統となれば源氏に戻すことなどありえず、事実上の源氏将軍断絶。それは実朝も承知のことだった、というのが驚きだった。
もし親王を迎えた後に御台所との間に子供を授かったらどうするつもりだったのだろう。
後世の人間が知っている歴史も、当事者たちには未知の未来なのである。
Posted by ブクログ
三代に終わった鎌倉幕府の源氏将軍について、頼朝による将軍家の成立とその指向性、頼家による継承と実朝による源氏将軍の確立とその消滅にいたる流れを紐解く内容。吾妻鏡の曲筆の検証を通じて行われる頼家・実朝の再評価が興味深い。